Level.16『未練と後悔とを抱いて』
足を止め、地平線に沈み去る夕日に魅入る。
燃えるような橙の空。
1日で唯一街の色を赤く染める夕刻の灯火。
久々に目にする夕焼けは、驚くほど綺麗だった。
その壮大さに目を奪われ、思わず息を呑む。
思い返せば、最後に夕焼けに意識を向けたのはいつだったろう。
もしかしたらこうやって足を止めて夕日を見るのは初めてのことかもしれない。
毎日訪れ、そして過ぎていく。
いつの間にかそれが当たり前となり、日常と意識の狭間に沈んでいた光景。毎日の片隅に潜む絶景。
こうして足を止めることで改めて気づかされる。
「――」
カァ、カァとカラスの鳴き声が聞こえ、俺は止めていた歩みを再開した。
入り組んだ住宅街。
幼い頃から慣れ親しんだ町並み。
公園の脇を通り過ぎ、自販機のある十字路を左に曲がる。
そこからしばらく歩くと、住宅に紛れる白壁に蒼い屋根の家が視界に見えてきた。
築21年の我が家である。
玄関ドアのノブに手をかけ、時計回りに捻って家の中に入ると、玄関に見知らぬ靴が2足脱いであるのを見つけた。
男物だ。もちろん俺の靴ではない。父さんの靴にしては一周り大きい。
どうやら先客がいるようだ。
靴を脱ぎ、茶の間のドアを開ける。すると微かなアルコールの香りが俺の鼻孔を刺激した。
茶の間にはふたりの男が卓を囲み日本酒を飲んでいた。
そのうちのひとり。茶の間に入ってきた俺に気づいた父さんが片手を上げた。
「よぉ、おかえり萩!」
「ただいま」
父さんの頬はほんのりと赤い。
話が弾んだのだろう。かなりの量、酒を飲んでいるのだと思う。
テーブルを挟んで父さんの前の席に座っている赤髪大男が振り向き、俺の顔を仰いで目を丸くした。
「おお、萩か!? でかくなったなぁお前!」
赤髪の立髪と金色の瞳。
服の上からでもわかる鍛えられた肉体。
「恭介さん、来てたんですか!」
獅子を思わせる風貌の男の名は晋焔 恭介。
関東最大級の大型クランにして、妹の凛夏が所属するクラン〝炎獅子〟を率いる現役バリバリのウェイカーで、レベルは8。
昔は父さん達とパーティーを組んで異界に潜っていたらしい。
恭介さんがうちに来るのは約2年ぶりだ。
異界での武勇伝やら何やらを聞きたい気持ちをぐっとこらえ、俺は父さんの座っている隣の席に視線を向けた。
誰も座っていない座布団。飲みかけのカップ。
何もない空間に向け声をかけた。
「――と。隆之介さんもいるんでしょ。出てきてくださいよ」
するとどうだろう。
まず、俺の見つめる何もない空間に眼鏡が出現した。続いて骨格が浮き出し、遅れて世界に色彩が滲んでいく。
黒縁のメガネと緑髪の短髪。
体型はやや細めで、頬は父さん達と同じく赤い。
見る間に父さんの隣の席に男が現れた。
「――っち! なんでわかったんだよ萩!?」
「いや、普通に玄関に靴2足あったんで」
そう、靴は2足あった。だから気づけた。
逆を言えば靴がなかったら俺は男の存在に気づけなかったと思う。
それだけ完全に近い透過能力。
まるでカメレオンのような擬態――とは本質は異なるのだろうが――をして見せたその男の名は透星 隆之介。
恭介さんと同じく父さんの友人のひとりである。
「突っ立ってねぇで隣座れよ、萩!」
「あ、失礼します」
手招きされ、俺は恭介さんの隣の座布団に腰を下ろした。
「それで、隆之介さんいつ出所したんですか?」
「3日前よ。へっ、絶賛執行猶予中だけどな!」
「これで何回目だ? スケ」
「5回目だっけ?」
「4回目だよっ!!」
父さんの言葉に隆之介さんがキレのある突っ込みを入れる。茶の間に笑いが起こる。
「4回目って何やらかしたんですか?」
俺の質問に、父さんがわかりやすいよう手を持ち上げ、説明と同時に1本ずつ指を折り曲げていく。
「女子更衣室での盗撮。女子トイレの盗聴。女子風呂への侵入。女子の下着の窃盗」
「付け足すと被害者は全員JKだ」
「うわぁ……」
「サーモセンサーさえなけりゃあバレなかったんだよこんちくしょう!!」
隆之介さんはカップに注いであった日本酒を一気に呷り、空のカップをテーブルに叩きつけた。
それを見て父さんと恭介さんが腹を抱えてげらげら笑う。
「サーモセンサー……?」
「こいつこの前サーモセンサーに引っかかって捕まったんだよ」
「ああ、なるほど」
さしもの隆之介さんの透過能力でも、身体から発される熱量までは隠せなかったわけだ。
ナイスサーモセンサー。全国に取り付けよう。
「くそお! レベルアップして再チャレンジだ!!」
「うははははっ! 懲りないやつだなお前も!」
「その意気だ! やれやれぇ――って待て」
と、そこで父さんが平静を取り戻す。
「隆之介てめぇ間違っても娘の下着盗みやがったらマジ許さねぇかんな!?」
「廉、それはフリか?」
「はいぶっころーす」
「ちょ、おま、バカ、心象武装はやめっ!? 恭介助け……」
「うはははははっ! いいぞもっとやれぇ!」
隆之介さんが恭介さんに助け舟を求めるがしかし、恭介さんは酔って面白そうに酒を飲みながら笑っている。楽しそうだ。
「萩、父ちゃんを止めてくれぇ!?」
「え、嫌ですよ」
「萩ぅぅぅぅぅぅ、お前ぇぇぇぇぇぇぇっ」
凛夏に危険が迫るかもしれないという可能性を考えれば、致し方ない犠牲もとい必要な死者である。うん。さらば隆之介さん。全国のJKのために死んでくれ。
隆之介さんの奇声にも似た悲鳴を聞きつけ、台所からエプロン姿の母さんと、青髪の女性が顔を出した。
「ちょっとちょっと何してんのさ、アンタら〜!」
「あんまり暴れないでよね隆之介くん。あなたも家具壊さない程度にね……って。あら帰ってたの萩」
「ただいま、母さん」
恭介さんの隣にポツンと座る俺に気づいた母さんが、顔を綻ばせた。
普段降ろしている長い黒髪を後ろでひとつに縛っているのは、料理の際、邪魔になるからだろう。
台所からは揚げ物の美味しそうな匂いが漂ってくる。
そんな母さんの隣に並ぶ青髪の女性も、俺の姿に気づいたのか目を大きく見開き、口をパクパクさせている。
「え!? 萩って……あの『お萩』!? うそ。見ない間におっきくなったねぇ!」
「はは、お萩はやめてくださいよ架純さん」
深い海の瞳と、肩にかかるくらいの青髪。
彼女の名前は林道 架純。恭介さんや隆之介さんとおなじく架純さんも父さんと母さんの知人のひとりだ。
身体付きはスラリとしていて、顔にはシワの1つもない。
父さんと母さんは確か今年で42歳のはずだ。
なら架純さんも今年で42歳……。
母さんも母さんで昔から変わらぬ顔をしているが、架純さんも20代と間違えるくらいに若々しく見える。
「架純おばさんのちっぱいは相変わらず小さいままですねって言ったれ萩」
「あぁん? 隆之介〜、今なんつった?」
「ンヒィィィィッ! 真菜ちゃぁぁん助けてお願いへールプみー!?」
「え。イヤよ」
「慈悲の欠片もなん、ふひひひひひひっ! やめ、ちょっ、おしっこ! おしっこ漏れふふひぃ!」
「廉、ちゃんと両腕持ってなさいね!」
「はは、良かったな隆之介! 可愛い女の子からのボディータッチなんざ久しぶりだろ」
「いひひひひ、おばさんからの、ボディータッチなんざ、嬉しくもあひひひひひ」
「お前まだ言うかっ! あたしはまだまだお姉さんだっつーの!」
架純さんにワキを擽られ、ジタバタと暴れる隆之介さん。
しかし逃れようにも両腕はしっかり父さんに抑えられていて、逃げ場はどこにもない。
42歳のおっさんが、恥ずかし気もなく奇声を上げて暴れる姿は見ものだが、数分も経つと流石に可哀想だと思……わなくもないか?
と言うか、顔を真っ赤にしながら笑い転げる隆之介さんの顔が、なんだか嬉しそうに見えてきて……。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待てひひひ! ス、ス、ストップストッープ!」
隆之介さんの言葉に、ワキをくすぐる架純さんの手が止まった。
「なによ。反省したなら許してあげなくも……」
隆之介さんは「ふひぃ、はひぃ」と息も絶え絶えになりながら、ニヤリと悪く笑った。
「ふひぃ、ひぃ……お前ら、後で憶えてろよ。謝っとくなら、今のうちだぜ。かつて平成のジャック・ザ・リーパー『緑の死神』と呼ばれたこの俺様が本気を出したらお前らなんてうひひひひひひひ」
せっかく止まった魔の手が、再び隆之介さんをくすぐり地獄に連れ戻す。自業自得だ。
「えぇ? 緑のなんだってぇ? エロ神ぃ?」
「淫らなエロがきの間違いだろ、廉」
「ちゃ、ちゃうわ! ふひッどりの、死神だって」
「最低ね、隆之介くん……」
「お願い引かないで真菜ちゅあーんっ!」
「その前にまずちっぱい言ったこと謝れーい!!」
母さんを含め、ここにいる5人は元々同じ学校の同級生で、同じ頃に能力に覚醒し、5人でパーティーを組んでいたらしい。
だからたまに、こうやって家に集まっては酒杯を交わしている。
隆之介さんに至ってはほぼ毎月遊びに来るので、来ない月は獄中にいるのだと察するようになった。
本当に仲のいい友人だったのだろう。見ていればわかる。伝わってくる。
「悪ぃな、萩」
「え?」
突然、隣にいる恭介さんがそんな言葉をもらした。
条件反射で聞き返す俺に、恭介さんはカップに注いである酒に視線を注ぐ。
「あの日、炎獅子がもっと早く門を攻略してりゃあんなことにはならなかった」
「――――」
鈍い俺でも、なんのことかの見当はつく。
恭介さんが言っているのは、高校に『門』が開いた、あの日のことだ。
「まだ俺の口からは言ってなかったと思ってな」
酒のカップをテーブルに置き、恭介さんは言った。
「ごめんな、萩。間に合わなくてよ」
その言葉からは、確かな重みを感じた。
本当に心底から悔いている重みを。
テーブルを挟んだ向かいでは、今も父さんと隆之介さんがじゃれあっている。
何て言葉にしていいのかわからなくて、
「恭介さんが悪いわけじゃないですよ」
視線を落とし、俺はぽつりと呟くように言った。
「誰も、悪くなんかない。色んな偶然が巡り巡って積み重なって、結果的にその偶然すべてが凶に転がった。それだけです」
高校に門が偶然発生して、偶然その門からモンスターが現れて、偶然炎獅子は他の門の攻略中で、偶然教務の佐々木ウェイカーはトイレの個室に入っていた。
偶然と偶然とが重なって、本来なら揃うはずのない歯車が噛み合ってしまった。
ただ、それだけのこと。
だからそこに誰が悪いとか悪くないとか責任を押し付けあう必要はないわけであって――。
ああ、でも、ひとつだけ。
誰が悪いのかを定義するのなら。
「悪いのは、一番近くにいたのに何も守れなかった俺ですから」
にへら、と苦笑を浮かべて俺は言った。
しかし――。
「違う。それは違うぜ、萩」
きっぱりと、恭介さんは俺の言葉を否定した。
「悪ぃのは俺達ウェイカーだ。例え迷宮に潜っていたとしても、例え休日家族と過ごしていたとしても、例え女を抱いていたとしても。現場に駆けつけ市民を護るのが俺達の仕事だ」
「――――」
「国と人とを護るウェイカーになった以上、責任は俺達にある。だから、すまなかった。この言葉は受け取ってくれねぇか、な?」
そう言って苦笑混じりに微笑みかけてくる恭介さんを見て、「ああ、これがウェイカーなのか」と心に――魂に火種が巡った気がした。
そこに俺は歴戦のウェイカーにしてクランを背負って立つ男の貫禄を見た。
「はい、……わかりました」
「おう、さんきゅーな」
素直に謝罪を受け取ると、恭介さんは笑って謝意の言葉とともに、俺の頭をわしわし手で撫でてくれた。
ゴツゴツとしていて、男らしい大きな手だった。
この歳にもなって子ども扱いされているみたいで少し照れくさいが、しかしそれ以上に嬉しかった。
「恭介さんのおかげで、決心がつきました」
「ん、そりゃ良かった。なんのだ?」
頭から恭介さんの手が離れたのを名残惜しいと思いつつも、俺はテーブルに向かって対面側に座る面々を見据えて言った。
「父さん、母さん。話があるんだ。できれば恭介さんと隆之介さん、架純さんにも聞いてほしい」
俺は改まって口を開く。
「話ってなに? 萩」
「いい女でもできたのか?」
「JKなら俺にもしょうか――あひひんッ」
「黙れ淫らなエロがき」
「茶化さないで聞きなさい。大事なとこでしょバカ」
すかさず架純さんが隆之介さんのワキをくすぐると、隆之介さんは嬉しそうに喘ぎ声を上げた。
それを見て、くすっと頬が緩んでしまった。
俺は父さんと母さんの顔を交互に見た。
深呼吸し、緩んだ頬を引き締める。
そして俺は、静かに決意を告げた。
「俺、ウェイカーになるよ!」
いつまでも立ち止まってはいられない。
未練はある。
後悔も消えてくれそうにない。
でも無理に忘れる必要はないと思う。
だから未練と後悔とを抱いて、俺は前に進もうと思う。
とりあえず、一応ここで第一章完結です。
ということで! あとがきに移らさせて頂きます。
コアなファンの方がいらっしゃると思いたいのでみなさんお久しぶりですと、まずは一言述べさせてください。
そして大半の方は始めましての方が9.9割りを締めているでしょう。どうも、ちょくちょく名前の変わる椋鳥 未憐です。
執筆している最中に「お? ここ主人公の幼馴染とかいたら面白くなるんじゃ?」とか「はっ! ここ伏線張ったら面白そう!」なんて、本来プロットにいないはずのキャラクターがどんどん溢れてくるわなんだで予想以上に今回の作品、楽しめているわけなんですが、そのぶん執筆スピードは亀です。
おそらく2章終わるか終わらないかの時点で、毎日投稿は断念して週1投稿になるかと思いますが、そのときは『あいつまじやってんな』みたいな温かい目で見守ってくださると助かります。
(評価やコメントなどのエサを頂けると、兎の速度で執筆することが可能とななるのですが……チラリ)
長くなりそうなのでこの辺りで失礼します。それではまた、2章のあとがきでお会いしましょう。
ちなみに8話は、ぼろぼろ泣きながら書き上げました。




