Level.101『いつまでガキのままでいるのか』
「癒せ、天使の祈寵《天界の癒光》」
悪魔種との戦闘が終わると同時に、愛理さんが負傷した男の治療を開始した。
光のベールが男を包み、みるみる内に男の傷が再生していく。傷の回復に伴い、拙かった男の呼吸も落ち着きを取り戻し、顔色も血色が良くなっていく。
もうひとりの男は動かない。
愛理さんは俯き、ゆっくりと首を横に振った。
生きている方の男が、ぽつりぽつりと口を開き始めた。
自分達は異界攻略に参加した【白誇隊】のメンバーではなく、連絡係として異界攻略に同行したギルドのウェイカーだということ。
度重なる悪魔種との戦闘により死人が出たこと。それでも【白誇隊】は引き返さず、異界崩壊を懸念し迷宮を進み続け、ついに門番の座す迷宮最奥に辿り着いたという。
そこで彼がクランマスターの命令でギルドに連絡を運ぶべく迷宮を戻ったところを伏兵に狙われたと、一連の情報を【Grow】に語った。
「情報提供感謝する」
「こちらこそ、応援と治療に感謝します。あなた方が来てくださらなければ俺はここで死んでいた……」
男の感謝を無言で受け取りながら、チコ先輩の脳は伝えられた情報を精査することにタスクを振る。
そうして導き出されたチコ先輩の結論はシンプルなものだった。
「話を聞くに、門番との戦闘が始まってから1時間も経過していない。恐らく戦闘は未だ続いているだろう。このまま迷宮最奥までは休憩を挟まず道中を突破する。準備はいいか?」
告げられたチコ先輩の言葉に異論を唱えるものは誰一人としていなかった。
皆わかっていたかのように武器を装着し直し、異界攻略を再開しようと立ち上がる。
「待ってくださいよ」
声を上げたのは俺だった。
皆の視線が集まる中で俺は言葉を続けた。
「ここに彼らを置いていくんですか……?」
動揺を孕んだ俺の質問に答えるのはチコ先輩。
「応急処置はした。放って置いても死にはしない」
「そういうことじゃなくて……っ!」
「そういうことだ」
ピシャリとチコ先輩は言った。
揺るがない瞳。曲がらない結論。俺の言葉はチコ先輩には届かない。
「そのふたりはここに置いて行く。門の外まで戻るつもりはない。僕らが優先すべきは異界攻略であって、人命救助は二の次だ」
「だからって……っ」
「ウェイカーなら分別をつけろ、織﨑弟。そいつが死んだのは運がなかっただけだ。いちいち人の死如きで感情的になるな。いい加減大人になれ、いつまでガキのままでいるつもりだ」
「人の死を何とも思わない奴が大人だっていうなら、俺は一生ガキのままでいい!!」
反発的に俺は怒声を上げていた。
チコ先輩はどこまでも冷静で、冷徹だった。
Growのメンバーは静まり、シンとした空気が辺りに満ちる。
「け、喧嘩はダメです……!!」
あわあわと焦りながら、愛理さんが声を上げる。愛理さんの声は震えていた。
頭ではわかっていた。チコ先輩が正しいと。ウェイカーとしての役割。そして最善と最適解。
頭ではわかっている。わかっていても、それでも心が駄々をこねた。
チコ先輩は正しい。けれど間違っている。チコ先輩にとっては他人の死でも、運がなかったの一言で片付けていい問題じゃない。そんな冷めきった人間になんか俺はなりたくはない。
「――」
俺はチコ先輩から視線を反らさなかった。
チコ先輩も俺を見つめたまま動じない。
酷く居心地の悪い空気の中、次に声を上げたのは俺でもチコ先輩でもなく、負傷していたギルドの男だった。
「俺は……貧血なだけです。傷は治して頂きましたし、少し休めば動けます。こいつのことも俺が外に連れて行きます。だから――」
大声を出したせいか、男はフラついた。
咄嗟に駆け寄ろうとした俺に向け、男は手のひらで拒絶の意思を俺に示した。
「俺達なんかのために足を止めないでくださいっ!
俺は大丈夫ですから……。頼みます、白誇隊を、この悪夢を終わらせてください……ッ」
男が切実に願うのは己の安否ではなく、異界攻略の決行。
男は俺の助けを拒絶する。
これ以上、浪費する時間は残されていないと。
言外に男は俺に告げていた。
チコ先輩の言葉が正しいと。感情に流され、優先順位を違えるなと。
「……っ」
「俺達の身を案じてくれるのは嬉しいですけど、俺達だってギルドのウェイカーだ。死ぬ覚悟くらいできてる。
だからあなたが助けるべきは俺達じゃない。あなたの助けを待っている人のために、その手を差し伸べてやってくれないか。頼むよ、俺じゃ力不足なんだ。俺じゃ助けられなかったんだ……」
拳を握り締め、男は悔しそうに唸った。
もっと自分に力があれば――そう、それは俺が一番わかっていることだった。
残酷な運命に対し、幾度己の無力を嘆いたことだろう。その度に俺は強くなろうと心に決めた。
立場は違えど、同じような状況に陥ったならば、きっと俺も同じことを言うだろう。
俺なんかよりも、違う人の命を優先してくれと。
俺は言わせてしまったのだと気づく。決して言わせてはならない言葉を。
無力な己を自覚させる、呪いの言葉を――。
「アンタの想い、しっかりと受け取ったぜ!」
「大丈夫! 大船に乗ったつもりで任せてよ!」
「微力ながら、私も頑張りますのでっ!!」
ヒロさんと夕日さん、それに愛理さんが男の願いに応えた。
異界攻略前の庭園で、姉さんやヒロさんに待機を命じられたことを思い出す。
チコ先輩は「地獄を知るのは早いに越したことはない」と言っていたが、あの時の俺には響かなかった。
なにせ俺は既に地獄を経験している。そう、知っていた気でいたんだ。
これは異なる種類の地獄。100を救うために、10を見捨てる覚悟を問われる地獄だ。
「ふん。何のために僕らが来たと思ってる」
チコ先輩は相変わらず淡白な反応を見せる。
けれどその言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのように俺には聞こえた。
言いたいことは山ほどあったし、チコ先輩の発言に納得したわけじゃない。俺はその全てを喉の奥に飲み込んだ。
「約束……します。必ず、俺達が門番を倒します」
「ああ……よろしく頼むよ」
しみじみと男はそう言った。
Growが立ち上がり、それぞれが決意を固める中、チコ先輩の瞳が俺に向けられる。
「織﨑弟、これが最後勧告だ。もう一度聞いてやる。僕の命令に服従できるか? できないのならこの男達と一緒に門の外へ出ろ」
それはチコ先輩なりの優しさだったのかもしれない。
恐らくこの先には今以上の地獄が待っている。
チコ先輩の言う『大人』になりたいとは思わない。けれどいつまでも『ガキ』のままでいるわけにもいかない。
俺は両手で自らの頬を張った。
「もう二度と、勝手な真似はしません。だから俺も連れて行ってください、チコ先輩」
チコ先輩は小さく頷いた。