Level.100『悪魔城』
様々な種類のモンスターが一緒くたに混ぜ固められた異色な門、その中へと足を踏み入れた俺達を待っていたのは異界の光景だった。
門の先には崖道が続いていた。
顔を上げれば空には血のように真っ赤な月が。
心なしか周囲の温度が下がった気もする。
崖道の脇には闇が広がっていた。底の見えない暗闇。落ちたらどうなるのか。暗闇をのぞき込んで背筋を冷やしていると「えい!」と夕日さんに背中を押された。
「ちょわっ!?」
びっくりしすぎて変な声が出た。
まじかこの人何して冗談になってな――あ。
崖道を外れ暗闇に1歩足を踏み出すと、暗闇に足がついた。不思議なことに、そこにはまるで見えない地面があるかのように、しっかりとした感触が靴裏に伝わる。
盛大に体勢を崩した俺は、そのまま暗闇の地面へと尻もちをついた。
「いてて……」
「あはは、ごめんごめん。びっくりした?」
「……危うく漏らすとこでした」
笑いながら夕日さんが手を差し伸べてくる。
俺はその手を掴んで立ち上がった。
下を見るとやはりそこには暗闇があるだけで、足がつくとわかっても、未だに恐怖が湧き上がる。
「これが、レベル8の迷宮……」
以前夕日さん達も言っていたことだが、レベル7以下の門とは違い、ここには洞窟以外の風景が存在している。
洞窟型以外の迷宮は、低レベルの門でも何度か経験はあるが、何というか雰囲気が違った。
まるで画本の中の1ページに迷い込んだみたいだ。
「断片世界と言うらしい。地球とは異なる世界――異界の中にある空間を切り取り、異界門と繋げパスを作っている、というのが通説だ。
最近学会が発表した論文のひとつに、このまま門の研究と解析を進めれば、いずれは人類も空間軸と時間軸を自在に操ることが可能だとされているが、その技術が実現している頃には僕らは死んでいるだろうな」
相変わらずチコ先輩の話は難しい。
「断片世界、ですか」
透明な暗闇の地面を楽しそうに走り回る夕日さんを横目に俺はそうつぶやいた。
空間軸と時間軸を自在に操る技術。相対性理論において時間と空間は密接な関係にある。そんなことが可能になれば、人間は未来にも過去にも干渉でき得るということだ。
或いはチコ先輩が言いたいのは、人類の方からモンスターの住む異界へと逆に攻め入ることができるということなのだろうか。
「あまり遠くまで行くなよ日乃神。地平線は無限だが、座標を外れれば2度と帰ってこられなくなるぞ」
さらりとチコ先輩が怖いことを口にした。
❦
崖道の続く一本道の先には古城が見えた。
あれが恐らく怪物の根城。
『悪魔城』とチコ先輩が口にした。
ということはつまり、敵は悪魔種なのだろう。と言っても俺は悪魔種との戦闘経験はなく、ギルドのモンスター図鑑に記載されている情報を見聞きしている程度だが、今回の脅威は俺の知識を軽く超えてくるだろうということだけは容易に想像することができた。
『悪魔城』入り口の城門は既に開け放たれていた。
夕日さんとヒロさんを先頭に、姉さん、チコ先輩、愛理さん、そして俺と続き、最後尾には黒染さんがホワイトと共に並ぶ。
俺達は慎重に悪魔城内部へと侵入した。
城門を抜けると玄関口であるエントランスホールに出る。慣れた動作で円陣を汲みながら、素早く周囲に警戒の目を向けた。
城内は不気味なほど静かだった。
傷つき、傷んだ天上。壁のタイルは黒ずみがひどく、床には幾つもの亀裂が奔っている。一度も手入れをされずに放置されたような内装で、西洋の城を彷彿とさせた。
モンスターの気配は今のところない。
ほっと息をつき、俺は肩から力を抜いた。
エントランスホールから続く通路は3つある。
入り口から見て左右に小通路がふたつと、正面階段の上に大きな門がひとつ口を開けていた。
「……ヒュー、ヒュー」
無音のエントランスホールの中で、風が掠れる小さな音に気づく。
正面階段の中段。男がふたり横たわっていた。
男達は血だらけだった。
ひとりは動かない。もうひとりは青い顔をしながら、ヒュー、ヒュー、と苦しそうに、今にも息絶えてしまいそうな細い呼吸を繰り返していた。
「……っ、」
悪魔種にやられたという事は想像がついた。
なにせ今回の門のレベルは8だ。犠牲者が出たとしてもおかしくはない。
問題はなぜ男のうち片方は未だに息があるのかということ。
周囲に悪魔種の死体はない。
無論ウェイカーの死体も見当たらない。
戦った痕跡は皆無。
階段に流れる血は既に凝血を始めていて――。
「……くっ、そッ!!」
咄嗟に……そう、咄嗟に俺の身体は動いていた。
どうして男は死にかけているのか。否、なぜ男は生かされているのか。
その意味を、少し考えればわかることだ。
ウェイカーなら察しがついて当然だ。
この状況は明らかに『不自然』が過ぎる。
「――バカがッ! 勝手に動くなと言ったろ!!」
背後でチコ先輩が怒声を上げた。
チコ先輩の指示には服従するとは言ったが、勝手に動くなとは言われていない。
俺はチコ先輩の静止の声を振り切り、階段中央で倒れている男達の前まで駆け寄った。
「大丈夫ですかっ!?」
仰向けに倒れる男は虫の息だった。
ひとりは俺が触れてもピクリとも動かない。
背中には何かで引っかかれた痕のような裂傷。
もうひとりの男は何とか生きているようだが、危うい状況。傷は深くないが、血を流し過ぎている。
焦点の合っていない男の瞳が苦しげに歪んだ。
「………げ…ろ」
「え?」
男の声は掠れていてよく聞き取れなかった。
反射的に聞き返す。
男は血を吐き咳き込んだ。
力の入らない手を俺の胸に当て、男は弱々しい力で俺の身体を押し返そうとした。
「……俺は、エサだ……逃げろ……っ」
男が警告を口にするよりも先に、俺の火種が殺意を読み取る方が早かった。
『キシィィィィィィィィッッ』
『チヒヒヒヒッ』
奇声を発しながら、左右の通路の暗がりからふたつの黒い影が現れた。
奴らの身体は灰色をしていた。
体躯は俺と変わらない。人型。瞳は白く濁っていて。頭には角が2本ある。手には鋭利な爪が。尾尻からは蛇のような尻尾が生えていた。
そして奴らには翼があった。
コウモリのような翼が。
殺気を殺し、獲物が罠にかかるのを待っていたかのように――いや、実際待っていたのだ。
狡猾な手段は、裏返せば高い知能の表れだ。
「――っ、」
奴らは恐るべき速度で俺に接近する。
俺がヲリキスを構える頃には、奴らは既に俺の両脇まで距離を詰めていた。
嗤う瞳と剥き出しの牙。
奴らは恐ろしい相貌をしていた。
人間とは似ても似つかない。先見のウェイカー達が悪魔種と名付けたのにも納得する。
2体の悪魔種が手に持つ三鉾の槍を引き、音を殺す速度で放たれた。
俺は動けなかった。
動けば側にいる男を殺すことになる……いいや。俺は動けなかったんじゃなく、動くことすらできなかったんだ。
真っ黒い槍が俺の身体を貫く直前。
「――ったく、後先考えず突っ込みやがって!!」
間一髪で俺と槍の間に割り込んだ盾が、悪魔種の攻撃を防いだ。
金属音は至近距離で2回、両側から聞こえた。
一方はヒロさんが盾で槍を跳ね返し、もう片方は夕日さんがギルドで借りてきた剣で弾き飛ばした。
「あははっ、危機一髪だったね萩!」
夕焼け色の炎《勇焔》を纏った夕日さんの背中が、俺の視界から悪魔種の姿を隠した。
頼りがいのある先輩達に両脇を固められた俺は、安堵よりも申し訳無さに奥歯を噛み締めた。
「すみません、俺……」
「――脊髄に脳でも付いているのかお前は。まぁ、いい。謝るのは戦闘が終わってからだ」
俺の身勝手な行動に愚痴を溢すのはチコ先輩。
しかしすぐに感情を制し、俺の謝罪を後回しに、司令塔としての役目を全うすべくチコ先輩が方位に指示を飛ばし始めた。
「磐井、能力で2体を引きつけろ。黒染、ホワイトを前衛に。磐井のサポートをしつつ織﨑弟を守護しろ。日乃神は右側の悪魔種から討て。60%で十分だ」
チコ先輩が早口に指示を飛ばし終える。
異を唱える者はひとりもいなかった。
まるで脳から命令を受けた手足のごとく、Growはチコ先輩の指示通りに黙って従った。
「帝威の黒星!!」
まずヒロさんが心象武装の能力を発動し、2体の悪魔種の注意を引いた。
「ホワイト」
続いて黒染さんの声に付き従う《白魔》が俺と負傷した男の側まで駆けつけると、俺達を守るように純白のマントをなびかせる。
「《勇焔》能力開放60%」
そして夕日さんが単身、向かって右側の悪魔種に斬りかかった。
集中しなければ目で追えないほど速い斬撃の猛威が悪魔種を強襲する。
俺と模擬戦をした時よりもずっと速い。それでも夕日さんがまだ全力を出していないのは余裕のある表情と雰囲気から読み取れる。
『キィシェェェェェェェェェェッッ!!』
しかし、そう簡単に殺される悪魔種ではなかった。
持ち前の槍を巧みに操りながら、よもや悪魔種は夕日さんの猛攻に抗っている。
槍と剣との壮絶な打ち合い。
広いエントランスホールの右側を贅沢に使って、地を蹴り宙を舞い、瞬きの間に両者の位置とが反転する。
「やるね! そうこなくっちゃ!!」
しぶとく耐久する悪魔種だが、未だ夕日さんの優勢は変わらない。
だがそれでも夕日さんが押しきれないのには訳がある。再生能力だ。刺されようと斬られようと腕を落とされようと、すぐに再生してしまう。
夕日さんが力を抑えているのもひとつの要因ではあるが、それでも再生能力は厄介だった。
「黒染、ホワイトを磐井と役割交代。磐井は下がれ。織﨑弟の守護をしつつ、黒星で右の悪魔種を釣るんだ!」
「ええっ!? そんな……いいところなのに!!」
チコ先輩の支持を受けた夕日さんがすごく嫌そうな顔をしたが、チコ先輩には通じない。
「遊んでいるお前が悪い」
夕日さんのわがままを正論でばっさり両断した。
「ィリィィィィ――!!」
俺達の側から一歩も動かず、守護に徹していたホワイトがついに動く。
ヒロさんの横を抜け、悪魔種へと特攻する。
鋭い爪を以て悪魔種と交戦が始まった。
「よっと、ようやくか」
前線に出たホワイトと入れ替わるようにしてヒロさんが俺達の横まで下がる。
前線でタンクを務めていたにも関わらず、後衛まで下がったヒロさんに休んでいるヒマは与えられない。
ヒロさんは夕日さんと戦闘を続けている悪魔種に向け盾を構えた。
「水を差すようで悪いがこっちはクランでやってんだ。悪く思うなよ」
ヒロさんが帝威の黒星を展開すると、悪魔種の槍が180度反転し、ヒロさんへと吸い寄せられる。
『キシィッ!?』
突然の身体の誤作動に驚く悪魔種の意識が夕日さんから外れた。
致命的な隙を晒す悪魔種だが、どう足掻こうと帝威の黒星の威光からは目が離せない。
今までの激闘が嘘のように均衡は崩壊する。
悪魔種は夕日さんに背中から斬られ絶命した。
『シッ、シッ、シッ、シァァァッ!!』
「リリリ――」
夕日さんが悪魔種を殺した頃、もう片方の戦場ではホワイトが悪魔種を相手に奮戦していた。
夕日さんは戦闘を楽しむために手を抜いていたが、ホワイトには手加減する理由がない。
「強い……!!」
悪魔種の周囲には無数の黒穴が出現していた。
見覚えのあるソレは、黒染さんが移動手段に使用していた空間転移の穴だ。
ホワイトは移動時に使う黒穴を戦闘へ活用し、文字通り空間を超越した攻撃で悪魔種を翻弄していた。
以前、黒染さんは自身の転移能力は他のウェイカーの転移能力と比べて下位互換だと卑下していたが、とんでもない。
転移能力を戦闘に生かせるウェイカーは、黒染さんを置いて他にいないだろう。
『ギギィィィッ!?』
四方八方に展開された黒穴からランダムに、ホワイトの鋭利な爪が悪魔種を襲う。
抵抗もできず完全に封殺される悪魔種。
『ギギギッッ、』
苛立ちに牙が折れるほど奥歯を噛み締め、悪魔種はギョロギョロと目玉を動かしホワイトの攻撃を警戒している。
その姿勢を嘲笑うかの如く出現する爪に、またしても悪魔種が悲鳴を上げた。
アタック&バック。
すぐさまホワイトの爪が黒穴に消える。
その瞬間を見逃さず悪魔種が反撃に出た。ホワイトの爪が出現した黒穴へと槍を突き立てる。
黒穴の先にいるホワイトへと、転移を逆手に取った悪魔種の一撃は。しかし槍はホワイトへと届かなかった。
転移の黒穴を経由し槍が飛び出したのは悪魔種の背後にある黒穴。
『ィギャッ!?』
悪魔種が突き立てた槍は自らの背中を貫通した。
理由もわからず、またしても悲鳴を上げる悪魔種。刹那、別の黒穴から現れたホワイトの爪が悪魔種の喉を突き刺した。
五月蝿いと言わんばかりに首を裂き、ホワイトが悪魔種の頭部を投げ捨てる。
首の無くなった悪魔種の胴体はその場に膝をつき、投げ捨てられた頭部は未だ自身に何が起こったか理解できていなかった。