Level.99『待機命令』
月が出ている。三日月だ。
夜空に浮かぶ幾千の星を見上げながら、俺の地元である春ヶ丘市の空と、どちらが星が綺麗に見えるだろうかとふと思う。
そんなくだらないことを考えている時点で、ナーバスになっている自分に気づく。
もう6月も終わりだというのに、今年の夏夜は去年と違って肌寒い。
周囲を山々に囲まれているせいもあるかもしれないが、きっとそれだけじゃないはずだ。
関西・大阪はもっと蒸し暑かった記憶があるが、果たしてどうだっただろう。よく思い出せない。
チコ先輩が会津若松ギルド支部長の尾又さんと現状について話し合っている間、俺達は城前庭園隅の芝生に腰を下ろしていた。
「さっきまであんなに殺気立ってたのに、レベルを聞いた瞬間すごい手のひら返しですね」
周囲から感じる期待と好奇の入り混じった視線。
耳をすませばGrowについて小声で囁き合う声が、夜風に乗って聞こえてくる。
初め、チコ先輩の無遠慮な発言に憤っていたウェイカー達は、今やもう態度を一変しGrowの話題で持ちきりだ。
ヒロさんは片眉を上げ、頬を緩める。
「そう卑屈になるなって、萩。荷物持ちに間違われたことまだ気にしてんのか?」
「べ、別に気にしてないですって」
俺は早口でそう返す。
荷物持ちに間違われることなんて今更だし、事実今の俺は荷物持ちのようなもので、いやだからなんだと言う話でしかない。
そもそもレベル0の俺にプライドなんて立派な物を持つ資格すらないわけで……。とにかくからかうのはよして欲しい。
「そうかぁ?」と、ヒロさんは肩を揺らして、
「ま、どこの国もこんなもんだぜ?」
「ああ、海外に比べれば日本での反応はまだマシさ」
「たまに石を投げられたりします……」
「石を投げられるって言えば、『棺』の攻略の時なんて酷かったよねぇ」
「誰が軍団攻略のリーダーをやるかで揉めて、結局夕日が実力行使で全員黙らせた後、チコに全部ぶん投げたんだったな」
「えー、そうだっけ? 覚えてないなぁ!」
呑気に笑う夕日さんを見ていれば、チコ先輩の苦労具合が容易に察せられる。
ははは、と俺は乾いた声を喉から出した。
ふいに夕日さんが門の方へと視線を向けた。
「鬼が出るか竜が出るか、楽しみだね」
すると、どこからか「はぁ」と重たいため息が聞こえた。
「……少しは僕の身にもなって考えろ。だからいつも僕が振り回されるハメになるんだ」
いつの間に戻ってきたのか、尾又支部長との話し合いが終わったチコ先輩がそこにはいた。
「おっ、チコ。戻ったか」
「話は纏まった?」
ヒロさんと姉さんの言葉にチコ先輩は頷いた。
「ああ、滞りなく。予定よりも早く終わった。思ったより支部長が優秀だったおかげでな」
「いつ入れるの?」
「いつでも。準備ができ次第異界攻略を始めてもらって結構だそうだ」
「そっか、じゃ始めちゃおっか!」
「やっと出番か」
「ギルドからの情報は?」
「門のレベルは8。迷宮内のモンスターについては不明。調査班は誰も戻ってきていないそうだ」
チコ先輩の情報を聞いたGrowのメンバーの空気が一瞬張り詰めたような感じがした。
そこで、チコ先輩が俺の方に視線を向ける。
「織﨑弟、異界崩壊の経験はあるか?」
「? 一応、ありますけど。高校の頃、鎖の巻かれていない門が出現してモンスターが……」
「――違う、そうじゃない。言い方が悪かったな。僕が聞いているのは、異界攻略を失敗したクランの末路だ」
「クランの末路……?」
チコ先輩の不吉な発言に俺は眉をひそめた。
クランの末路とはいったいどういうことなのか。
不穏な空気の中、言い難そうに口を開いたのはヒロさんだった。
「萩、悪いがお前はここで待機だ」
「え?」
「そうだな。その方がいい。俺も同意見だ」
「お姉ちゃんからもお願い。萩は今回の異界攻略には参加しないで欲しい」
「黒染さんに姉さんまで……!?」
いきなり何を言うのかと思えば、今回の異界攻略には俺を連れていけないという話。
それだけ今回の異界門の難易度が高いということなのだろうか。
俺が弱いから連れていけないということなのか。
レベル8のクランの中で、明らかに俺ひとりが実力不足だってことは俺が一番わかっている。
正直レベル8の異界門の攻略経験がない俺には、その脅威は予想もつかない。けれど。
「足手まといだっていうのはわかってます……でも俺は強くなりたい! 大切な人を守れるくらいに、強くならなきゃいけない! だからお願いします! 荷物持ちでも何でもやりますから、俺も連れて行って下さいよ!」
経験と知識と、――それから才能。
そのどれもが足りていない俺にとって、この先レベル8の門を攻略する機会なんて滅多にあるもんじゃない。
どうしても見ておきたかった。
Growが戦っている戦場を。
ウェイカーの最前線を。
「足手まといとかそういう話じゃねぇんだが……」
ぽりぽりと後頭部を指で掻きながらヒロさんが苦笑を浮かべていると、
「うん、いいんじゃない? 一緒に行こっか、萩! ひとり留守番なんてつまんないしね!」
いつもの調子で同行許可をくれる夕日さんに、ヒロさんが渋い顔をした。
「いや俺も置いていきたいわけじゃねぇんだが……頼む、チコからも言ってやってくれ」
ヒロさんが助け舟を出したのはGrowの頭脳。
短い付き合いながら、Growの最終決定権を持つのはクランマスターの夕日さんではなく、チコ先輩だということはなんとなく理解できていた。
それだけチコ先輩がクランのメンバーから信頼されているという証である。
つまりチコ先輩がダメと言えばダメなのだ。
メンバーがチコ先輩へと視線を集める。
チコ先輩は普段通り平然としながら口を開いた。
「異界攻略中、僕の指示を絶対に守ると誓えるなら、僕は織﨑弟の参加を許可してもいいと思っている」
「「!?」」
「織﨑弟がこの先ウェイカーを続けていくつもりなら、遅かれ早かれいづれは通る道だ。地獄を知るのは早いに越したことはない」
「でも……!」と、声を上げたのは姉さんだ。
「織﨑、過ぎた過保護は毒だ。当人の成長の機会を阻害する害毒だ。織﨑弟はもう、お前が思っているほど非弱な人間じゃない」
「……っ」
姉さんは反論しようとして、やめた。
チコ先輩に口喧嘩で勝てるわけがないし、そもそもチコ先輩の言っていることは間違っていない、そう思ったのだろう。
「まぁ、今回は僕らが付いているしな。それに関して言えば安全は確実に保証できる。それでも心配だというなら織﨑、お前が守ってやればいい」
落ち込む姉さんを横目に、チコ先輩は軽くフォローを入れた。
流石に言い過ぎたとでも思ったのだろう。
けれどチコ先輩はすぐにクランの参謀としての面を付け直した。
「異論のある者はいるか? ないな。異界崩壊のタイムリミットも迫っている。準備はいいか、始めるぞ」
そして異界攻略は始まった。
緊張と興味で頭がいっぱいだった俺は、この先に待ち受ける地獄を想像することはなかった。
チコ先輩の指示には絶対に従う、それがどれほど残酷なことなのか、知る由もなかったのだ。