Level.96『第七感』
命が終わり、灯火が消える――その刹那。
消滅したはずの意識が息を吹き返す。
「――は?」
動悸と共に脈打つ心臓。
肺が呼吸の仕方を思い出したかのように痙攣する。
額には玉のような汗が浮かんでいた。
なんで――いや、なんだ今のは……。
俺は死んだ……はずだ。なのになんで生きてる!?
青瞳の鬼牙種の巨斧は確かに俺の身体を両断した。刃が身体に沈む冷たい感触を覚えている。
弾かれるように俺は胸の傷を目視で確認した。
しかし、そこには初めから傷などない。存在しない。
本当にわけがわからない。
白昼夢でも見たのだろうか、俺は。
戦闘の途中に? いいや、ない。もしかしたら走馬灯とかいうやつか。その線も怪しい。
何故なら俺は、確かにあの瞬間、死んだのだ。
痛みも、恐怖も、悔恨も、その全てが本物だった。
混濁する思考。
漠然と死を身近に感じる恐怖。
いや、待て。そんなことよりも――。
視界の先に広がる紫炎は、俺が織紫咲を放った直後の状況。
理由はわからないが酷似している。俺の死の暗示に。
さっきの体験が仮に俺の未来を予知するものであれば、恐らく次は――。
『グッ、ヴォォォォォ――ッッ』
白昼夢で見た予知の通り、青瞳の鬼牙種が吼えた。
紫炎の渦を切り裂き出現するのは巨大な斧。
ああ、やっぱり、さっきと同じ光景だ。
「――ッ、萩! 避けろぉぉっ!!」
ヒロさんが大声で警告を叫ぶ。
紫炎に遮られた視界の中では、ヒロさんの心象武装の能力は発動条件を満たさない。
全てが一緒だ。さっきの状況と何も変わらない。
青瞳の鬼牙種の巨斧がまっすぐ俺へと迫る。
「……ッ!?」
白昼夢の予知が正しいのならば、きっと青瞳の鬼牙種は俺の胸元を狙う。
考えている余裕はなかった。
俺は無我夢中でヲリキスを胸の高さまで持ち上げた。
そして次の瞬間、俺の予想通り巨斧は俺の胸元へと刃を奔らせた。
巨斧の致命的な一薙は、胸元の高さまで持ち上げたヲリキスの刃と正面から衝突する。
あまりの威力に俺の身体は綿毛のように吹き飛ばされた。
数メートル吹き飛んだ位置で、俺は地面に腰から着地を決めた。
「……っ、痛った」
「おいっ、大丈夫か、萩!! 怪我はないか!?」
身動きも取れず呻いていると、すぐに焦った顔のヒロさんが俺の方へ駆け寄ってきてくれた。
「無事、です……なんとか」
短くヒロさんに言葉を返しながら、俺は自らの負傷の具合を軽く確認する。
受け身も取れず地面に着地した尻の痛み。
それから青瞳の鬼牙種の巨斧をヲリキスで受け止めた両腕がビリビリと痺れているくらいで、身体が両断されている、なんてことはない。
「ない……よな?」
バクバクと動悸を起こす心臓をなだめ付ける。
深呼吸して荒い呼吸を落ち着かせた。
死んでいた。白昼夢がなければ俺は今の一撃で死んでいたのだ。
「そうだ、青瞳の鬼牙種は……っ!?」
青瞳の鬼牙種の反撃を危惧し、俺ははっとして顔を上げた。
眼前、青瞳の鬼牙種は膝をついていた。
肩から横腹にかけての深い斬傷から、おびただしい量の黒血が流れ、口元からも血を垂らしている。
巨斧を地面について、奴は無言で頭を垂れている。
その青瞳には既に光はなかった。
膝をついたまま、青瞳の鬼牙種は死んでいた。
最期の一撃。
あれは正真正銘、青瞳の鬼牙種の最期の足掻きだった。
息絶える寸前、残った最期の膂力で俺の命を道連れにしようとした。事実、俺はあの瞬間に死んでいたのだ。
「勝った……気がしないな」
青瞳の鬼牙種の死亡を確認したら、身体から力が抜けた。
けれど視線は青瞳の鬼牙種から離せない。
目を離した瞬間、また奴が動き出すのではないかという不安と恐怖が俺にそうさせた。
「萩〜〜っ!!」
ドタドタドタ、と忙しない足音。
耳馴染みのある声に、俺の背筋が伸びる。
火種の危険察知を使用せずとも、俺の身に危険が迫っていることは本能的に感じ取れた。
急いで回避しなくては、なんて思ったところで無駄だ。だって身体が動かないんだから。
直後、背後から姉さんに抱きつかれた。
「うぅ、お姉ちゃん心配したんだよ〜」
「……姉さん……苦し……ぃ」
俺の背骨がミシミシと音を立てていることにも気づかないほど、動揺した姉さんは力の限りに俺を締め付けた。
戦闘で疲弊しきった俺には、姉さんのコブラツイストを抜け出す体力は残されていない。
相変わらずの馬鹿力に、今度こそ俺の脳裏に走馬灯が浮かび始める。
「あわわわわっ、咲希ちゃんダメです! イケません!? 萩くんが死んじゃいますっ!!」
慌てて駆けつけてくれた愛梨さんが止めに入ってくれなければ、今頃俺の意識は宙を漂っていたことだろう。
危うく拾った命をまた落とすところだった。
「すごいじゃん萩! 本当に門番をひとりで倒しちゃったよ! ヲリキスの使い方もバッチリだね!」
人差し指と中指を立て、ブイサインで夕日さんが俺の健闘を称えてくれた。
心象武装の先達にそこまで言われ、喜んでいるのも束の間。
「おい、織﨑弟」
遅れてきたチコ先輩に名前を呼ばれ、俺は振り向いた。
チコ先輩はひとり、真面目な顔をしている。
「最期の青瞳の鬼牙種の攻撃になぜ反応できた?」
チコ先輩は真面目な顔のまま続けた。
「僕にはお前がアレに反応できるとは到底思えない。元に織﨑弟、お前は油断していただろ。何故ヒロの能力が発動条件を満たしていないことに気づけた?」
「俺も同意見だな。悪いが俺はあの瞬間、萩は死んだと思ったよ。それだけ青瞳の鬼牙種の最期の反撃は不意をついたものだった……と俺は思う」
黒染さんもチコ先輩の意見に同意を示す。
なぜ青瞳の鬼牙種の反撃を防げたのか。
どうしてヒロさんの能力の発動条件に気づいたのか。
チコ先輩は俺を責められているわけではない。単純に疑問をぶつけているだけだ。
俺としても別に隠すつもりなどない。
でも何と答えたらいいのか……俺の方こそ何が起こったのか説明して欲しいくらいだ。
言葉に詰まる俺を見兼ねて、確信を突くようにチコ先輩は言った。
「織﨑弟、お前はあの瞬間、未来を視たのか?」
「……!!」
俺は鋭く息を呑んだ。
観察眼というより読心眼。
チコ先輩は人の心でも読めるのだろうか。
「……は、はい」と俺は頷いて、
「俺は……死にました。青瞳の鬼牙種に胴体を真っ二つにされて。俺にもよくわからないんですけど……でも気づいたら俺は死んでなくて、斬られる前に戻っていたって言うか」
実際に起きた出来事をGrowのメンバーに包み隠さず語った。我ながら要点の悪い説明だと思ったが、そこはご愛嬌願いたい。
俺の話を聞き終わった後で、チコ先輩は「やっぱりそうか」と言って頷いた。
「でなければ説明がつかないしな」
チコ先輩の口ぶりからして、俺に起こった事象をなにか知っているようだ。
「未来を視るのは今回が初めてか?」
チコ先輩の言葉に、俺は首を横に振る。
「いえ、前にもこういう経験が一度だけありました」
1度目は椿姫に在籍していた頃。
半グレ集団【我沙羅】に拐われた楓を救出する際、【刃折れ】の明鷺との戦闘時にも同じような現象を俺は経験している。
「その時も俺は一度死んでいます、あっ、生きてますけど……ってややこしいな」
あの時はそれどころじゃなかったし、その後も色々とゴタゴタがあり、すっかり頭から抜け落ちていたが、今思い返しても不思議な体験だった。
もしかして俺の新たな能力だろうか? いやまさかそんなわけ……。
「先に言っておくが、お前がさっき経験した事象はたいして特別なことなんかじゃない。新たな能力に覚醒したなんてことはないから安心しろ」
うん、そんなわけなかった。知ってたけど。と言うかまたチコ先輩に心を読まれた。何なんだこの人こわい。
「まぁ、と言っても極めて稀だ。ウェイカーの中でも経験するのはごく僅か。非能力者でも経験したことのある人間もいるという情報はあるが数はもっと少ない」
ひと呼吸置き、チコ先輩は先程俺が体験した現象の名を口にする。
「織﨑弟、お前が経験したのは《第七感》。五感を超えた人間の秘めたる可能性のひとつだ」
「第七感? ……第八感じゃなくて?」
「第八感は半永久的な"心の形の具現化"だ。対して第七感は一時的な"未来予知"のことを指す」
「数秒先の未来予知……」
「ああ、お前が体験したのはまさにそれだ。喜べよ。ウェイカーでも一生に一度あるかないかの豪運だ。それが死の吉兆ともなれば尚更に。ちなみに僕は未だに経験したことがない」
心象武装以外の人間の可能性。
そう言えば3年前、ギルドの能力者講習会で薄羽さんがそんなことを説明していたような気もした。
「他にも《第六感》"神憑り的直感"なんかも存在する。第六感は第七感より発生率が高く、高レベルのウェイカーほど経験する回数が多いという研究結果が発表されている。こっちは興味があれば日乃神に聞くといい」
「私、ほぼ毎日経験してるからね! ふふんっ!」
チコ先輩に話を振られた夕日さんがドヤ顔で鼻を鳴らした。
しかしそれに続くのはメンバーの重いため息。
「ウェイカーの中でも日乃神の直感は異常だ」
「ああ、こいつの直感まじシャレんならねぇからよ」
「いっそ仕組まれていると言われた方がまだ納得がいく」
「夕日の行く先々では必ずトラブルが起こるんだよね。どこぞの名探偵もびっくりだよ」
「夕日ちゃんはすごいんですっ!」
「もぉ、みんな褒めないでよ〜」
「「「褒めてない」」」
意気投合し、皆で夕日さんの言葉を否定する。
愛梨さんひとりだけは「え?」と混乱していた。
みんな笑っている。
門番戦が終わった直後だというのに、Growは全員呑気なものだった。
まぁ、それも仕方ない。なにせ怪我をしているのは俺くらいだし。
俺としても、不思議な現象の正体がわかって良かった。
知らないまま不安でいるよりずっといい。
と言ってもチコ先輩のからするに、一生に一度の豪運らしいから、その豪運をすでに2回使った俺にはこの先《第七感》が発生するとは考えづらい。
確率論だったとしても、死を体験する経験なんてもう十分お腹いっぱい。こちらから願い下げだ。
「おっ、迷宮が揺れ始めたな」
ヒロさんがつぶやく。
門番を失った直後から迷宮の崩壊は始まる。
1日2日もすれば迷宮の門は閉じるだろう。ここからは荷物持ちの仕事だ。
「それじゃ、そろそろ帰ろっか!」
来た道の方に視線を向け、夕日さんがメンバーを代表して撤収の合図をかける。
俺も立ち上がり、夕日さんの後に続いて迷宮の帰路に着こうとしたときだ。
「どうした夕日、急に立ち止まるな。危ないだろ」
ふと足を止めた夕日さんに黒染さんが声をかけると、夕日さんは振り返って、
「ん〜、なんかね。さっきから胸騒ぎがするっていうか。悪い予感があるんだよね」
そう不吉なことをつぶやいたのだった。