Level.95『青瞳の鬼牙種』
『グルォォォォォォォォォッ!!』
大骨剣を片手に鬼牙種が吼える。
Level.7のモンスターに分類される鬼牙種は、ベテランウェイカーの中での鬼門となるほど個体戦闘能力が高く、単独での討伐が自殺行為とされるほど凶悪な存在だ。
3メートルを超える体躯に、鋼のように屈強な肉体。並の武器では歯がたたず、レベル5のウェイカーが3人がかりで討伐するような相手である。
そんな鬼牙種の群れの中に、丸腰の小さな影が黒髪を風になびかせながら勢い良く躍り出た。
「《勇焔》能力開放55%」
身体から夕橙色の焔を発しながら鬼牙種を圧倒するのは夕日さん。
鬼牙種の連携など無に帰す機動力で鬼牙種を翻弄し、拳ひとつで確実に致命傷を与えていく。
「悪魔召喚【高貴なる白魔】
どこからともなく現れた高貴なる純白を纏った白魔は、黒染さんの心象武装だ。
鬼牙種に接近するや否や、白魔は片っ端から鬼牙種を蹂躙していった。
レベル8の彼ら相手には、さすがの鬼牙種でさえ手も足も出ない。
瞬く間に鬼牙種は屍と化す。
「俺も負けちゃいられないな……!!」
ヒロさんと一緒に俺も前線へ出る。
相対するは右手に巨斧を携えた青い瞳の鬼牙種。
『ヴォォォォォォォォォォォォォッッ』
身も竦むほど強烈な咆哮の歓迎。
近くで見ると青瞳の鬼牙種の迫力は凄まじく、体長も4メートルを超えるのでないだろうか。
巨斧も俺の身長よりも遥かに大きい。
あまりに巨大。そして強大だ。
『ルルガァッ!!』
萎縮する俺には一切構うことなく、青瞳の鬼牙種が巨斧を振るう。
轟音と共に迫るは想像を凌駕する絶対の質量。
巨斧を受けることは不可能だ。
ならば刃を添わせ、流せるか?
ダメだ。イメージが沸かない。
回避を選択する俺の弱腰な視界を遮るようにして、ヒロさんが前へ出た。
何事かと驚く俺の目に映るのは銀の盾。
ヒロさんは腰に装備する大剣を抜くのではなく、身の丈ほどもある巨大な盾を手に青瞳の鬼牙種の前へと立ち塞がった。
「帝威盾!!」
ヒロさんの盾に青瞳の鬼牙種の巨斧がかち当たる。
ガツァッン、という耳を塞ぎたくなるほど重い金属音を鳴らしながら、青瞳の鬼牙種の巨斧をヒロさんの盾が完璧に防ぎきった。
「……すごい!!」
『ヴォルルル……!!』
俺は驚愕に目を見開き、対して青瞳の鬼牙種は驚嘆に口角を釣り上げた。
「防御は任せろ、萩! お前は攻めるだけでいい!」
「はい!!」
頼り甲斐のありすぎるヒロさんの言葉を胸に、俺はヲリキスを握り攻勢に出た。
紫麗の燐火を足元に収束させ、速度を上げてヒロさんの脇を駆け抜ける。
眼前には見上げるほど大きな青瞳の鬼牙種。俺は地面を蹴り空中へと五体を晒す。
実戦訓練で習得した火種を『流す』技術を全霊で発揮しながら、俺は青瞳の鬼牙種の胸元をヲリキスで斬り付けた。
「〝流燐〟織紫咲ッ!!」
盛大に紫炎が爆ぜる。決まった。
初手から全力の一閃。技の出来栄えは上出来で、過去最高威力の〝流燐〟だと自分でも自賛するほどの一撃だった、が――手応えが悪い。
まるでナイフで金属を斬り付けみたいに硬い、硬すぎる。
『ヴォルルゥァ』
案の定、青瞳の鬼牙種は軽傷だった。
普通の鬼牙種が比較対象にすらならぬほど硬質な肉体。胸の薄皮一枚斬るのがやっと。
「嘘だろ……? 全力の〝流燐〟だったんだぞ……!!」
しかし驚いている余裕は俺にはない。
すぐさま青瞳の鬼牙種の反撃が俺に向けられる。
『ヴォォォォォォォォォッ!!』
咆哮と同時。
奴が右手に持つ巨斧が閃いた。
回避すら困難な速度で巨斧が振り下ろされる。
「おいおい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ?」
歯を食いしばり衝撃に耐えようとする俺の視界の先で、ヒロさんが快活に笑う。
釣られるように青瞳の鬼牙種の巨斧は眼前にいる俺ではなく、何故かヒロさんの方へと巨斧を振るった。
『ヴァ……ッ?』
青瞳の鬼牙種が明らかに瞠目したのがわかった。
おかしな挙動だ。まるでヒロさんの盾に巨斧が吸い寄せられたような……。
へへ、とヒロさんは口元を緩めて見せた。
「俺の心象武装【帝威盾】の能力《帝威の黒星》。
俺の視界に入った攻撃はすべて俺に集約される。つまり俺を倒さない限り、萩には一切攻撃できねぇってことだ。初めに言ったろ? よそ見なんてさせねぇってよ」
よそ見なんかさせないとは言っていないような気もしたが、それはそれだ。
初めて見る、あれがヒロさんの心象武装……。だから青瞳の鬼牙種の攻撃は俺ではなくヒロさんへと向かったのか。
青瞳の鬼牙種の反応を見る限り、ターゲットの強制もとい矯正。
視界に入った攻撃全てを一身に引き受ける――即ちヒロさんが倒れない限り、青瞳の鬼牙種の攻撃が他のメンバーに向けられることはなく、アタッカーはモンスターの反撃を気にすることなく攻撃にのみ専念できる。
防御職としてこれ以上ない破格の能力だ。
「ちなみに範囲攻撃は防げないから油断するなよ? 俺が引き受けられるのは単体攻撃だけだ」
「十分です! 気をつけます!!」
宣言通り青瞳の鬼牙種の攻撃は全てヒロさんへと集約された。
範囲攻撃にのみ警戒していれば、青瞳の鬼牙種の攻撃に脳のタスクを割く必要はなく、俺は攻撃にのみ全神経を集中させられた。
場を掻き回すように俺は駆ける。
背中、腕、足の関節、それから首と頭部。所構わず青瞳の鬼牙種の肉体を斬り付けていく。
『ヴァゥルル……』
青瞳の鬼牙種は鬱陶しそうに鼻を鳴らすが、俺の攻撃を気にしている様子は特になく、事実俺の刃は青瞳の鬼牙種の強靭な肉体を前に歯が立たない。
いくら防御はヒロさんが全て請け負ってくれているとは言えど、このままでは埒が明かない。
いったいどうすればいいかと考えていると、ふいに夕日さんが俺に声をかけてきた。
「あ、そうそう、言い忘れてたんだけどさ萩!」
既に門番側近の鬼牙種をあらかた片付け終えた夕日さんが、何か思い出したのか、ぶんぶんと俺に手を振っている。
「ほら、前にさ、萩はヲリキスを使いこなせてないって言ったじゃん私!」
夕日さんと初めてギルドで模擬戦をした日、夕日さんがそんなことを言っていたっけ。
火種の特訓に夢中で、すっかり抜け落ちていた。
「ヲリキスの扱い方っていうかさ、ヲリキスに火種を限界まで溜めると刀身の色が変わるんだよ! そうすると嘘みたいに火力が変わるんだけど、萩の火種も私と似た心象武装だから、使えると思うんだよねー多分!」
「刀身の色が変わる……? 火種を溜めるって、どうやるんです!?」
相変わらず掴み所のない夕日さんの説明に俺が「?」を浮かべていると、業を煮やしたらしいチコ先輩から詳細が飛んでくる。
「ヲリキスは元々日乃神専用に【黒炉鍛冶】の固有能力が付与されている。要するにその固有能力というのが『刀身に勇焔を集約させることによる攻撃力の強補正』 だ。やり方は収束のときと同じで、限界まで火種を刀身に集めろ。成功すれば刀身の色が目に見えて変化する。やってみろ」
「なるほど! 刀身に収束ですね! やってみます!」
まったく……僕は日乃神の翻訳機じゃないぞ……とでも言いたげなチコ先輩がため息をつく。
チコ先輩の言いたいことも理解できるが、的確に発言の的を絞ったチコ先輩の金言は、俺としては有り難いことこの上ない。
ともあれ、チコ先輩の言う通り俺はヲリキスに火種を収束させることにした。
「集中しろ……大丈夫。何度も練習したろ」
なにもヲリキスに火種を収束させるのはこれが初めてではない。
椿姫に在籍時から『淡麗・織紫咲』でヲリキスに火種を収束させる訓練は何度も繰り返し練習してきた。
ただ違うのは収束させる総量、その一点のみ――。
「……っ」
どれだけ溜めても刀身の色は未だ変化する兆しを見せず、容量の底が見えない。
俺の愛剣はどれだけ大食いなんだと愚痴を溢したくなりつつも、『流燐』で培った収束率100%の火種を、ただひたすらヲリキスに飲ませ続けていく。
体感時間で数秒、数十秒、もしかしたら一分を超えたかもしれない。
息が上がる。呼吸が乱れ始める。
心象武装の連続使用による身体負荷。数分間ぶっ続けで全力疾走しているかのような疲労が俺を襲う。
凡そ永遠に思われる単純作業の中、俺の体力と集中力が途切れかけた、まさにその時だった。
「ヲリキスの刀身が――……!?」
染まった。そう、染まったのだ。
刀身の色が変わるなんて半信半疑ではあったが、確かに染まっている。火種と同じ淡い紫色に。
これは容量を満たしたということなのか。
成功……したんだよな?
「――ああ、成功だ。それが『灯剣』本来の姿だ」
当たり前のように俺の胸中の不安を読み取ったチコ先輩が、揺るぎない肯定をくれる。
その隣で顔を綻ばせる愛梨さんと、「あれがうちの弟なんすよぉ」と鼻を高くする姉さん。
いつの間にか鬼牙種を殲滅し終えた夕日さんは親指を立てサムズアップしていた。
俺は手元のヲリキスへと視線を下げた。
「……これが灯剣ヲリキス、本来の姿」
俺は目を奪われる。
そして思わず息を呑む。
『灯剣』という銘を体現するかの如く、灯る淡い紫麗の刀身と、底冷えするほど冴え渡る異様な覇気に。
変化したのは刀身の色だけではない。その真価は次の一撃で証明されることになる。
『ウヴォォォォォォォォォォォッッ!!』
吼える、青瞳の鬼牙種が。
殺意を剥き出しに、新たに出現した脅威に対する威圧と牽制。全力の咆哮。
青瞳の鬼牙種の瞳が俺の姿を映す。
初めて青瞳の鬼牙種が俺を『脅威』と認識した。
その刃は己の強靭な肉体にも通じ得ると。
青瞳の鬼牙種の咆哮を浴び、全身が総毛立ちながらも、たぶん俺は笑っていたのだと思う。なぜなら、
「不思議だ……今なら何でも斬れそうな気がする」
過信するのは良くないことだ。
でも今の俺は自信に満ち溢れてしまっている。
ああ、今だけは。そんな根拠のない自信に酔いしれて溺れてしまう俺を許して欲しい。
「行くぞ、相棒――!!」
愛剣の柄を握り締め、俺は駆け出した。
青瞳の鬼牙種が俺を近づけまいと巨斧を振り上げた。だがその先には盾を構えたヒロさんが。
「させねぇよ」
『ヴァ、ラガァッッ!!』
ヒロさんの心象武装【帝威盾】の能力《帝威の黒星》。
俺へ向けて放たれた青瞳の鬼牙種の巨斧はヒロさんの盾へと矯正される。
どれだけ吼えようが関係ない。
ヒロさんは青瞳の鬼牙種に反撃の機を許さない。
「う、をぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
全力を振り絞り、俺はヲリキスを振るう。
青瞳の鬼牙種が両腕を重ねて防御の姿勢を取るが、俺は構わずヲリキスを振り抜いた。
紫麗の刃が弧を描き振り下ろされる。
肉に刃が通る、確かな感触。
『ヴガッ、グォォッ!?』
防御した腕から血を吹き出し、青瞳の鬼牙種が苦悶の悲鳴を上げた。
戦闘が始まって以来、初めての深傷。ヲリキスが青瞳の鬼牙種の皮膚を斬り裂いた。
「まだだ!!」
止まることなく俺は更に追い打ちをかける。
太腿を斬り、腹を裂き、肩に刃を突き立てる。
紫麗の淡光は未だ衰えず、輝きを増す。
『ヴ、ヴォッ、グォッ!?』
青瞳の鬼牙種が一歩、二歩と後退する中で、俺は火種を足元へと収束させた。
「一紫灯刃――」
きっかり3秒。
収束が完了した足で一歩を踏み込む。
音が消える。体感時間が緩慢に過ぎる。
俺の視界に映るのは青瞳の鬼牙種ただ一体。
青瞳の鬼牙種が巨斧を振り上げる。だがそれよりも疾く、俺はヲリキスを振り斬った。
灯剣本来の力に加え、流燐により身体能力を強化した一閃とが破壊力の相乗効果を生み出した。
「〝流燐〟織紫咲――」
一際眩く灯るヲリキスの刀身は。
言ノ葉を置き去りに必殺へと変わる。
――快痛一閃。
ヲリキスが青瞳の鬼牙種を斬り裂いた。
炎は尚も止まらず、視界が紫炎に染め上げられる。
手に残る確かな手応え。恐らく致命傷だ。
……勝った。
俺は勝利を確信した、しかし――。
『グッ、ヴォォォォォ――ッッ』
紫炎の中から現れる、青瞳の鬼牙種の巨斧。
死の淵に見せた最後の足掻き。
突然のことに俺は身体を硬直させ、目を見張った。
最後の最後に油断を見せた俺は動けない。
――でも大丈夫だ。ヒロさんの盾がある。ヒロさんがいる限り、奴の攻撃は俺には届かな――……。
そこで俺ははたと気づく。
ヒロさんの能力は視界に入った敵の攻撃の矯正だ。つまりそれは、敵が視界に入っていなければ効力を発揮しないのではないか。
例えば敵の姿が一時的に視界から外れた場合、即ち紫炎に敵影が遮られた今の状況――。
「――ッ、萩! 避けろぉぉっ!!」
俺の考察を裏付けるようにして、ヒロさんの声が俺の耳朶を叩く。
しかしもう遅かった。
緩慢になる時間の中で、ゆっくりと迫る巨斧を俺はただ見つめている。
動けない、身体が動かない。
青瞳の鬼牙種の巨斧が吸い込まれるように、俺の胸元へと刃を立てた。そこから先はまるで豆腐でも切るみたいに刃は俺の中へと侵食を始める。
冷えた刃の冷たい感触。
吹き出す血は熱くて赤い。
痛みを感じるひまもないほど、寒さと熱さが一瞬で交互に入れ替わり、俺の胴体は呆気なく両断された。
ズレた身体が崩れ落ちる。
視界が大きく揺れ、明滅を始める。
呼吸が止まるのにさして時間はかからなかった。
ああ、こんなに呆気なく、俺は――……。