第32話:月は何故落ちてこないのか?10
「超弦理論……については後日でいいか。ともあれ量子論には面白い実験がある」
「面白いだよ?」
「人によってはどうでもいいことだけどね」
「ふむ……」
「シュレディンガーの猫っていう実験」
「しゅれでぃんが~だよ?」
「ラジウムって知ってる?」
「知らないだよ」
「ガイガーカウンターは?」
「知らないだよ」
ですよね~。
「じゃあちょっと変則的だけど別の装置を用意しよう」
「装置だよ?」
「実験に装置は必要でしょ?」
「だよ……」
「量子っていうのは『有る無し』じゃ語れなくてね。観測者によって確定させられて初めて有る無しの話になるんだよ」
「?」
首を捻るオレンジ。
わかってますって。
「ミクロの世界では存在というものは有るか無いかの二択じゃなくてどちら寄りかの確率の雲で出来てるんだ。電子雲については……今はいいか。たとえば百分率で考えればわかりやすいかな?」
「百分率だよ……」
「例えば量子の『有る』が五十パーセントで『無し』が五十パーセントを共存しえている……みたいな?」
「存在が確率で表現されるんだよ?」
「そして観測者が観測して初めて有る無しが確定する。どちらか百パーセントにね」
「ちょっとわかんなくなってきたんだよ……」
「で、シュレディンガーの猫に戻るんだけど」
お風呂千両。
たとえば鍵をかけられた密室があるとする。部屋には一人の人間と一匹の猫と一つの確定していない量子が有るとする。そして観測者は部屋のカギを持って密室の外で待機しているとする。仮想実験だから量子の具合は存在の有無がヒフティヒフティとしておこう。さて、密室の中の人間は量子を観測して量子の有る無しを確定させる。もし仮に量子が『有る』に確定されたら密室の中の人間は猫に餌をあげるとする。量子が『無し』に確定されたら密室の中の人間は猫を殺すとする。
「一気に残酷な話になった……だよ」
さて、量子は『有る』が五十パーセントで『無し』が五十パーセント。そして密室の外にいるオレンジはそれを観測できないため確率を確定させることが出来ない。ということは密室内の量子は未だ以て密室の外のオレンジには存在確率がヒフティヒフティ……ということはその量子を確定させた人間の認識もヒフティヒフティ……さらに人間が猫を殺すかどうかもヒフティヒフティ……結論として猫が生きているか死んでいるかはヒフティヒフティ……ってことにならないかな?
「そんな無茶な……だよ……」
「そう。そんな無茶が罷り通るのが量子力学なんだ」
「じゃあ世界はあやふやなモノで出来ているってこと?」
「少なくともこの世界が閉じられていて、この系の外にいる観測者が観測できないならね。この系……実験で云うところの密室の中の人間については量子の確定が終わってるから話は早いんだけど」
「ふわ~。そんな難しいこと考えて基準世界の住人は疲れたりしないだよ?」
「疲れるっていうよりは憑かれているね」
人の知識欲のなんと業が深いこと。
「量子……だよ……」
「僕にとっての魔素候補の一つで、虚無から確率で捻出できるから熱力学無視の現象の根本とも言えるよね。魔術がそもそも不条理なんだけど量子も中々……」
ムニュっと僕の裸体に自身の裸体を重ねてオレンジは思案するのだった。もっともこっちの文明の認識で悩んで解決できるなら基準世界はハッピーに包まれているだろうけど。




