第108話:舞い降りる剣10
「あ、あ、ああああぁぁぁ!」
黄金色のダイレクトストーカーから悲鳴が上がる。搭乗しているのはブレインマシンインタフェースに接続しているパペット。皮肉にもトールへの愛……魔王の呪詛でソフィアを獲得した個体。だから思い知っている。自分がそうであるように、魔王ジュリアンも皮肉で婉曲で悪意に塗れながらもトールのことをどうしても好きなのだと。けれどだからといって好きだから殺すというのは彼女の理屈には存在しない。
「この腐れ外道! 当方のマイマスターを!」
影はいつの間にか消えていた。学院都市のあちこちから這い出ていた影は、今その万端の想いを成就し、統合し、ここに成ったのだ。人を不幸にすることで間接的に願いを叶える装置。魔王と呼ばれる願望機の負の側面にして一つの端末。およそ人には抱えられない激情に晒されたトールの瞳は虚ろにどこも捉えず。だからジュリアンもパペットも悟っている。死んだはずなのだ。他に意訳のしようもなく。
「墓を掘ろう」
ポツリとジュリアンが呟いた。たとえ魂まで略奪しても満たされることのない飢餓は、愛の証明を示すためだけに容易に世界へと牙を剥く。
「あらゆる全てを犠牲にしよう。人類を荼毘に付して、トールへの祈りとしよう」
魔王の思想は、在る意味で破滅願望に彩色され、だから何処までも純真だ。
「マイマスター! マイマスター!」
そんな魔王の傍らで、グッタリと倒れている肉塊を抱き寄せ喀血染みた悲鳴を上げる人形。愛を知った魔王と比肩しうるほどに、その悲哀は激情に似た熱を持つ。
ジュリアンはトールを想うが故に世界を滅ぼし、パペットはトールを想うが故に願望の何たるかを観念し。ただ正と負の願いそのものが此処では対照的で、ベクトルは違ってもエネルギーの総量に差異はなかった。
「――ロード。マテリアライゼーション――」
涙も流せない無機の人形と、そのかき抱くトールだったものに一瞥もくれず。ただ願望の数だけ破滅を促す魔王としての所作を貫くジュリアン。知っているのだ。取り返しのつかないものだと。だからトールを埋めるための墓が要る。彼……彼女の足下に魔法陣が青白く展開すると、その身を光が包み天空へと誘う。蒼と紅に入り混じった黄昏の魔法時間の空を突き抜け、その衛星軌道の高さで、同質の魔法陣が三つ展開した。
「「「「「――――――――」」」」」
学院都市の全ての人間が黄昏を仰いだ。虚空の空に炯々と輝く不吉が幾何学模様の魔法陣として映し出され、その陣を門として魔王がこの世界に這い出でる。黄昏時の空に大々的に展開されている魔法陣は先述したように三つ。中央と左右……横並びに三つ現われ、左右の魔法陣からは機械のマニュピレータが左腕と右腕として具現し、中央の魔法陣からは頭部から胸元までの機械の半身がせり出していた。或いはソレは、あまりに巨大すぎて展開されている魔法陣では全体像を召喚することが出来ないための次善措置にも見えて。
「ティターン……」
いったい誰の呟きか。けれど間違っていなかった。
硬質の肉体。無機質の輝き。金光りする皮膚。駆動音を鳴らす仕様。遥か上空で展開しながらも、なお目視が簡便な巨大すぎる機械工学の粋は人類を圧倒するだに不足無く。その規格外の大きさを論じなければ、確かに一種のティターン……機械神ダイレクトストーカーだと思い知ることも不自然ではない。そして確かにダイレクトストーカーだったのだ。
魔王機グラープシュテルン。
この世界に建造された旧き巨人の一翼。何処から来て何処へ行くのかも分かっていない固有機体。曰くティターン。神話の時代より封印された悪意のダイレクトストーカーは、その左右の魔法陣から突き出しているマニュピレータを地表に向ける。血の色をしたツインアイがその無機質な視線で舐めるように遥か地面を衛星軌道から俯瞰している。全容すらも把握できない胸体と左腕と右腕だけが露出した魔王機は、人の願いを叶えるためだけに不幸を吐き散らかした。
衛星爆撃。
そうとしか表現できなかった。プラズマが魔王機の腕から迸ったかと思うと、その過剰な熱と光は断罪か天罰の威光とでも評するしかない暴威で降り注ぎ、地表を薙ぎ払って一部を焦土へと変えてしまった。衛星軌道上からの戦略爆撃という一般的なティターンでも無理な残虐を、黄昏の魔王は可能としたのだ。おそらくこのまま事態が推移すればこの星の地表は纏めて魔王機によって焼き払われてしまうだろう。そして今魔王機に魂を委ねているジュリアンはそのことを受理している風にさえ受け取れる。ガコンと機械のアギトが開かれる。チカチカッと明滅するような光が空の果てから見えると同時に、学院都市が過炎と熱波で震動した。またしても爆撃。絶対に届かない距離から一方的に熱殺してしまうこの不条理をいったい何に例ふべきか。両腕と胸から上の半身だけの魔王機は、その口と掌から荷電粒子砲を撃ち出すことが出来るらしかった。
人類からの反撃は細やかだった。魔王機が一線に黄昏ごと切り裂かれる。遅れてズバンッと斬撃音が鳴り、けれどもダイレクトストーカー固有のABC装甲は完全に距離を支配した一閃を破却してしまう。切り裂いたのはアルマだ。サクラナガン・ルージュが手に持つサクラメント……地平剣ホライツォントの斬撃は、おそらく唯一衛星軌道上の魔王機に届く攻撃手段なのであろうが、同時に同質にして異様と概算できるグラープシュテルンの装甲値は……地表の人間には把握も難しいだろうが、人造の巨人ギガンテスとは比べものにならない維持率を備えている。サクラナガン・ルージュとグラープシュテルンの撃ち合いが続けば、先に枯渇するのは前者であった。




