第105話:舞い降りる剣07
「でもそんな無敵を再現できれば……仮に終末思想が願望機によって具現してもこっちと敵対できない必然迂遠に潰れることでもあるんですよ?」
「抑止力というわけですか?」
メイド服姿で楚々と立っているパペットがここで会話に加わる。
「そうとってもいいかな」
芳しい紅茶の香りを楽しんで私の苦笑。
パッと意識がアクセル。一瞬の半分で対処が間に合う。
「――千引之岩――」
とっさの事でした。思考の条件反射は基準世界で散々叩き込まれまして。虫の報せ。第六感。天啓。そんな能力が思念の瞬発力と直結して最適解を弾くのは…………おそらくアルマやフィーネにも出来ない固有スキル。
音は無かったです。でも半村良境界に押し留められた影はあまりに不気味でした。
「な」「に」「が」
戦慄するお三方に私もなんと申したものか。ほぼ反射で対処しただけなので理性の方は状況把握に至っていません。見ればそれは黒い一反木綿に似ていました。開放的なテラス席から見える大通りの……立ち並ぶ建築物の影から伸びてくる布にも似た影の具現がユラユラと触手のように蠢いている……という表現が一番近いでしょうか。
黒くて。光を反射せず。厚みが無くて。ヒラヒラと軽そうに揺れて。けれども何処か鋭利に薄い漆黒がそのまま斬撃と化しています。そんな触手が辺り一体から伸びてきて、こっちに狙いを定めているのは何を因果にしているのでしょうか。
ギュン!
薄っぺらくユラユラ揺れていた影が私たちを取り囲んで、それからアイロンをかけたようにシワを伸ばしてピッチリした質感に変わると、その先端が空間に突き刺さります。
「コレも呑魔ですか?」
「なのかね? でもこっちを狙うにも理由が無いような気がするぜ」
私たちを狙うというのならやっかみの類か。さっきの終末教会も、まさか個人を殺して教義を誇ろうとは思わないでしょうし。となると一体誰の何が具現しているので。
「勘定宜しく」
私はジュリアンに一礼切って、テラス席から大通りに躍り出ます。平ったい影が弧を描いて自在にくねり、どこで感覚や情報を得ているのかも分からず……なのに私に向かって殺到しました。
「やはり狙いは私ですか」
先の魔人化に関してもそうだった。どうやらこの学院での執着というモノに私は恵まれていると言えますね。文字通りの意味でストーカー養成学院なのでしょうか。
「手助けは要ります?」
「是非は問いませんけど」
さらに魔術障壁を展開。平たい長布のような影は、ピンと張り詰めるとあらゆるモノを切り裂く薄手の刃に変じます。私の空間隔絶までは突破できないにしても、その非質量的な在り方は純物理的には排斥不能でしょう。概念魔術の類か。あるいは呪詛の凡例か。
「さてそうなると何処の誰が」
周囲を取り囲むように建物の影からザワザワと溢れ出る影は、どうにも全方位を満たしています。際限なく……というほどでもありませんが多勢に無勢と評せる程度には数を揃えておいて。
「マイマスター!」
自己の顧みを試みないオートマトンがさらに飛び出してきます。
「危ないですよ」
「マイマスターの危険性よりまだマシです! 当方は人形なので磨り潰されるなら優先度は当方に依存でしょう」
「パペットを粗雑に扱ってまで安全を確保したくもないんですけど」
ギュンと張り詰めたように硬質化した影が襲いかかります。広い通りとはいえ、その数からしたらとても最適とは言えないでしょうぞ。私の魔術障壁は面状に現われますので、有機的に動く影のすり抜けにまでは対処できません。獲物を狙う蛇のように長布の影が身をくゆらせ、こちらの防御をすり抜けるように襲いかかります。さてどうしたものか。
ズガガッと千引之岩に数本の影が刺さり、そこから婉曲に歪んだ影が此方を捉えました。
「マイマスター!」
その物量すらも勘定に弾かずパペットは私を護ります。鋭利な影が彼女に突き刺さりました。いくらクォンタムギアとはいえ呪いを受ければ相応想いもあるでしょう。
「愚……我……げぇ……」
「パペット! 良いから引いてください!」
これは私の問題です。更にパペットを貫いた影を沿うように新たな影が忍び寄り、私の回避に合わせて虚空を伐り寄り集まって呪詛を吠えます。
「マイマスター。これは……これは……」
苦痛に身体をくの字に折り曲げるパペットの思惑が何であれ、この影の攻撃性はおそらく段違いなのでしょう。そんな折り、一際伸びた一筋の影が私の皮膚を掠りました。パシュッと皮膚を切り裂かれ、まるで血液に重油を流し込むような不快感までもが人体を襲います。怨憎会苦かつ五蘊盛苦。人の思念が物質化したのか。触れるだけで精神を侵す呪いの概念は……およそ表現に苦慮する不快感で目眩を催しまして。
「何……コレ……」
とっさに映ったカルテジアン劇場の映像は、寂しさと愛しさと憎らしさに満ち満ちていました。胃からせり上がる不快感がそのまま食道へと逆流。同時に何か悪夢にも似たビジョンが脳を右から左に駆け抜け……。
「トール!」
「マイマスター!」
ジュリアンとパペットが倒れようとした私を受け止めます。そのあまりに人を呪うことにしか意義の無い呪詛怨念に晒された私の混濁した意識の中で、ふと目についたのはダイレクトストーカーの巨体。私がこうである以上アンドロギュノスは動かせず。この怨憎を説き伏せる意味での概念魔術は……おそらくサクラナガン・ルージュでしょう。




