ミケーレの侍従
あらすじを変更しました。
長くなりましたので、ミケーレ編として、今回で完結とします。
タイトルに~ ミケーレ ~を足しています。
よろしくお願いいたします。
俺はマルコ。
黒の森の南西の国にある南の方の伯爵家に仕える一族の長男だ。
父は分家の男爵位を授かっていて、母は伯爵家の乳母だ。
嫡男のクレートと同い年の俺は、恐れ多くも乳兄弟として、それはもう分け隔てなく育てられた。
この伯爵家は割と砕けている上、父男爵と母乳母への信頼が半端ない。ちなみに父は家令として使用人を束ねている。俺もいずれはそうなる道かと思うが、世の中に絶対はない。
ちなみに先代家令の祖父は、先代伯爵の大旦那様の執事となっている。何だかそういう流れがあるので、何もなければ、俺はクレートと一生の付き合いになる。
クレートとは主人というか悪友で、こいつは人畜無害な顔をして穏和な雰囲気を醸しながら、腹の中真っ黒な奴だ。
けれども、領民あっての貴族であることを理解しているし、弱い者いじめには興味ないし、仕事はきっちりこなす。取り繕うことなく振る舞っている結果、非常に清廉潔白な奴に見える。
反面、敵対する奴は完膚無きまでに叩き潰す判断力と非情さもある。
……領主として適性有りすぎるだろう。
ただひとつ、何でなんだ? という難点を除いて。
そんなクレートは弟のミケーレ坊っちゃんをこよなく愛でている。
四つ年下の坊っちゃんは、天真爛漫で太陽みたいな子どもだった。そして時々不思議なことを言い出して、俺には見えない何かと戦い出す子だった。
ずっとその戦いの様子や聖剣(俺には枝にしか見えねぇ)について熱く語る様子は、一生懸命で可愛らしいが、付き合う方は非常に根気が要ることで。(だって意味不明)
週に数回ではない。一日に数回、坊っちゃん劇場は開幕する。
年相応と言えばそうなんだが、こちらにはこちらの都合がある。そうは付き合ってられないのである。
実のところ、奥様から、坊っちゃんに付き合うのは一日一回で良いと、使用人にはお達しが出ている。
二回目につかまったら、まだ坊っちゃん劇場を観劇していない使用人がさりげなく代わるのである。
際限なく付き合うと、仕事が後ろに押していき、使用人の寝る時間が削られるからだ。
奥様はきちんとそういうところを見てくださっている。
その奥様も坊っちゃんのことをとても愛でている。
奥様とクレートは、坊っちゃん劇場を何回見ても笑顔だ。なんなら再演を要望している。
懐深すぎだろ。
坊っちゃんは、奥様とクレートのそんな愛情に包まれ、スクスクと育った。
クレートが八歳の時、隣の国から縁談が来た。クレートと同じ歳の侯爵家のご令嬢だ。
何でも、少々変わった所があり、国外で嫁ぎ先を探していたらしいが、旦那様よ、そういうことを使用人の前で喋っちゃダメですよ……。
そして奥様に「変わった所って?」と至極当然に聞かれて、「さあ?」って。
嫡男の嫁への興味無さすぎでしょうよ。
旦那様はクレートに絶大な信頼を寄せているから、クレートさえいれば何とかなると思っている節がある。
婚約者かぁ。まあ、上位のお貴族様だから、うちみたいななんちゃって貴族と違って、十歳前後で良い縁があったら婚約するのも珍しくない。
外国の、格上の侯爵家の、何か変わっているご令嬢との婚約話。
……ああ、ほら。クレートの奴、手を握りしめて、あれ、手汗びっしょりだよ……。顔はにこやかな分、俺と奥様くらいしか気が付かないけど。
割と何でもそつなくこなす、この伯爵家の御嫡男様は、とてつもない、人見知りなんだよな……。
根性で顔には笑顔を張り付けているけど、手汗はあいつの心の悲鳴だ。
もっと幼い頃から、どんなに場数を踏んでも、人見知りの手汗症は治らず、笑顔で取り繕うことだけ上手になっていった。
顔合わせ、上手くいくだろうか……。
あちらのご令嬢の要望で、嫁入り先を実際に見たいとのことで、侯爵家がこちらに来ることになった。
受け入れ準備でてんやわんやの中、俺は不安だったのだけど。
結果、上手くいった。
九歳になったクレートとご令嬢の顔合わせは、最初は親ばかりが話す場となり、後は若い人同士で……でもねぇだろうが、応接室で無言の二人を庭に追い出したところ、ご令嬢がすごい勢いで話し出した。
奥様がお輿入れされた時に植えた樹の樹皮から作られる薬の話。
この辺じゃ珍しくもない月夜に仄かに光る草のうんちく。
庭の土の種類や水捌けの状態、受粉を請け負う虫の種類、土の下の生き物が地表にどれだけ影響するか。
怒涛だ。すげえ。
こっそり覗いている奥様が驚きながら楽しそうだ。
頭を抱えているのは侯爵の代わりに付き添いで来ている侯爵の叔父だな。
大人たちは明暗が分かれているな。
しかし、ご令嬢のこの様子……。
何だか、既視感があるな?
隣の侍女もそう思っているのか、目が合った。必死に記憶の中を検索する。
キラキラした目で自分の好きなことを一生懸命話す……ああっ!
侍女とほぼ同時に思い当たる。
坊っちゃん劇場だ。
あのご令嬢の様子は、坊っちゃんに似ているんだ。
おやまあ、クレートの顔。
目の前のご令嬢を坊っちゃんと同じ分類に入れたな。
クレートはご令嬢に気付かれないようにハンカチで手を拭って、ご令嬢の手を取って更に庭を案内していく。
今日初めて会った人の手を取るなんて、クレートの中で奇跡が起こっているな。
手汗はすごそうだけど、頑張ってんなクレート。……ハンカチ三枚持たせたけど、足りるかな。あ、また拭いた。
寄り添えそうな人で良かったな。
その日の内にクレートとご令嬢は正式に婚約し、婚姻の日取りは成人時に決められることになり、侯爵家の人たちは数日滞在して、ウハウハで帰って行った。
あんまり嬉しかったのか、侯爵家から坊っちゃんに縁談の橋渡しが来た。
隣国である侯爵家の隣領、うちの国の伯爵家の婿入り話だ。
ここは国の南方で、東の端っこ。
坊っちゃんの婿入り話の伯爵家は、南方の西の端っこ。
国の中寄にある王都を挟んで国の両端にある位置関係だ。
まあ、遠い。
坊っちゃん大好きの奥様が反対なさるかと思ったら、会って決めると言われたので、坊っちゃんの顔合わせは王都で行われることになった。
何やら考え込んで、あんまり浮かない顔をしていた坊っちゃんを見送り、俺はクレートとお留守番していたんだが、しばらくして帰って来た坊っちゃんに驚いた。
五歳児が、一丁前の顔してる。
……一目惚れって。兄弟揃って、まあ。
それから、坊っちゃんは、聖剣を封印し、「ムコイリ」になるための修行を始めた。
うん、こういう子って集中したらスゲー能力を発揮するんだよな。
領地経営に必要な分野の勉強を始め、コツコツと修めていった。
ズバ抜けて優秀ではないけれど、愚かではなく、基本をしっかり押さえて、意外にも堅実な思考回路をしているのに何度も驚かされた。
剣や体術の鍛練も本格的に始め、こちらは中々。
クレートも坊っちゃんも魔術の素養はあまりないので、魔術は基本だけで修了した。
伯爵家自体も魔術とはあまり縁がなく、生活に必要な火を出したり水を出したりは魔術で行うこともあるが、ほぼ人の手で生活をしている。
領地に常駐している魔術師がいるので、魔術が必要な時は不自由はしていない。
ちなみに俺も風呂上がりに髪を乾かす程度の風の魔術くらいしか使えない。
クレートはこの地を治めるため。
坊っちゃんは婿として伯爵となる妻を支えるため。
二人はひたすら努力していた。
俺は側でそれをずっと見ていた。
見ていたんだ。
順調だった二人に翳りが出てきたのは、クレートと俺が十五歳、坊っちゃんが十一歳くらいからだった。
クレートの婚約者レベッカ様との婚姻は、レベッカ様があちらの国の学校を卒業されたら正式な日取りを決める筈だった。
ところが、レベッカ様、卒業せずに上級学校へ進学してしまった。
あの草オタクがっ……!
婚姻時期で両家の折り合いがつかない中、他でもないクレートが、レベッカ様の好きにさせてあげるように調整して回っていた。
そんな中、奥様と坊っちゃんが王都へ出掛けた。
毎年、社交シーズンは旦那様か奥様が坊っちゃんを連れて行き、坊っちゃんの婚約者、アリーチェ様と会っているのだ。
このアリーチェ様もトラブルの渦中にいる。どうやら家の中での扱いが酷いらしいのだ。
坊っちゃんと婚約が整った後、アリーチェ様に妹が生まれたのだが、その妹を溺愛する伯爵夫妻はアリーチェ様を放置しだした。
やがて妹が成長すると、姉のアリーチェ様の物を奪っていくのを止めることなく、後継ぎ教育と称して虐待まがいの教育をしているという。
坊っちゃんは何とかしようと旦那様や奥様に頼んでいたけど、他家の内情にはこちらからは口を出せない。
アリーチェ様宛に色々な物を送るのが精一杯で、それが届くのも三週間から一ヶ月かかる。ホントに遠い。
火の魔術が得意なアリーチェ様は、この遠距離でも飛んでくる火の鳥を出すことが出来る。
月に一度程度やって来るこの鳥は、何というか、スゲー愛嬌があるんだ。真ん丸な身体に糸目、無表情でアリーチェ様の伝言を一方的に喋る。そして坊っちゃんの言葉を覚えて帰るのだ。
……いいなぁ、飼いたいなぁアレ。
その火の鳥がポツリポツリと坊っちゃんに窮状を洩らしていた。
ただ、不思議なことに、アリーチェ様が後継ぎであることは変わらなかった。坊っちゃんが成人したら婿に入り、アリーチェ様が伯爵となる。これは揺るがなかった。
だからか、アリーチェ様は、坊っちゃんから届く色々な物が取り上げられても、遊ぶ時間など無い時間割りの中でも、心折れずに、坊っちゃんを待っていた。
王都から帰って来た奥様と坊っちゃんは、沈んだ顔をしていた。
聞くと、アリーチェ様が、子ども服を着てきたから、さすがに奥様が苦言を呈されたらしい。
……成人間近の女性に子ども服って。
それ、ヤバイじゃん。
そういう趣味か、もう、王都に行くのに服すら与えてないってことじゃん。
次の王都での茶会は向こうから断ってきた。
更に、アリーチェ様の成人の披露も行わないと知らせがきた。
理由は、アリーチェ様の後継ぎ教育が進んでいないから。
あちらの伯爵は本気で言っているのだろうか。
他家の内情には口を出せずとも、旦那様も奥様も放っておいてはいない。
人をやって情報は随時取っている。
アリーチェ様は将来を見据えて、積極的に社交していた。
成人前だから夜会には正式に出られなくても、押さえるべき茶会には出ているし、領地の経営を実際に始めている。
その評判は上々だ。今のアリーチェ様に必要なのは家庭教師ではなく、実地経験だろう。
貴族としてありえない状況だが、アリーチェ様の火の鳥も時間が解決すると伝えてきた。
坊っちゃんが成人したら婚姻し、アリーチェ様が伯爵を継いだら、今の伯爵夫妻とアリーチェ様の妹は領主館から出て暮らすことになっている。
それまでの辛抱だと。
アリーチェ様の成人の披露はないが、成人の祝いに訪問したいと旦那様が打診したが、あちらの伯爵からケンもホロロに断られた。
それでも、坊っちゃんは諦めず、アリーチェ様に会いに行くと言った。
俺は坊っちゃんの専属侍従だ。
忙しくてあまり坊っちゃんの側にいられなくなったクレートの願いでそうなった。
坊っちゃんが婿入りしたその後は、クレートの侍従に戻る予定だ。
その俺と護衛のダニオが坊っちゃんの供を言い付けられ、潤沢な路銀を預かった。
アリーチェ様が住む屋敷の見取り図や敷地に入り込む死角も頭に入れておく。
旦那様の情報収集に抜かりはない。
訪問を断られているので、門から入れるとは思っていないしな。
この時点で、アリーチェ様の誕生日まであと十日。
アリーチェ様の領地までは馬車で二週間。馬車ではもう間に合わないので、馬で、かつ、最小限の人数で向かった。
奥様からもかなりの額の小遣いを預かった。
旦那様と奥様も、大分思うところがあるらしいわ。すげぇ額。
坊っちゃんは馬に乗れるが、乗りっぱなしというワケにはいかない。むしろ俺が無理だ。
しかし、かなりの無理をしなければ、アリーチェ様の誕生日には間に合わない。
馬を飛ばし、王都まで四日で来た。俺(の尻)、頑張った。
このペースだと間に合うが、既に大分無理をしている。坊っちゃんは必死に平気な顔をしているが、辛い筈だ。尻が。
さて、どうするかと考えていたところ、幸運が舞い込んだ。
ダニオの知り合いが竜を連れていたのだ。
竜なら二日程でアリーチェ様の領地に行ける。
竜を従えた冒険者のヤンは、丁度荷運びの依頼を終えたところで、手が空いていた。
ヤンの竜は番の二頭。男二人ずつ乗って飛べるときた。何たる幸運。
ただ、一頭はヤンと一緒に乗るとして、もう一頭の手綱を誰が握るかだ。
普段は荷物しか積まないので、しっかり括りつけておけば竜が自分で飛ぶが、人を乗せて自由に飛ばれたら死ぬ。それは死ぬ。落ちて死ぬ。
すると、ダニオに騎竜の経験があるときたもんだ。大分前の話なので、一日二日、慣らしで飛んでみなければ分からないと言っていたが、それに賭けることにした。
その間、俺と坊っちゃんは、休息とアリーチェ様の贈り物探しをすることにした。
宝石だって買える資金はあるのに、坊っちゃんが選んだのは、白バラ一輪。
……へえ。一丁前に愛の告白ですか。
魔術師の所で維持の魔術をかけてもらい、大事そうに懐にしまう坊っちゃんを見ていたら、蹴られた。
ニヨニヨ見るな! って、言いがかりだぜ。
ダニオの騎竜の腕は……、竜からは落ちなかった、とだけ言っておこう。
……俺、頑張った。
坊っちゃんは、無事にアリーチェ様の誕生日に間に合い、こっそりお邪魔した庭で白バラを渡すことが出来た。
でも、発した言葉は「こんばんは、アリーチェ」と「ん」だけって、拗らせすぎでしょうよ。
しかもアリーチェ様が坊っちゃんにデコチューしてくれたのに、口を菱形にしたまま固まっちゃって、まあ。
帰りは、坊っちゃんが三年後にアリーチェ様と治めることになる領地を巡った後、ゆっくりと帰った。
領地に帰る前に、街の魔術師に頼んで報告書を旦那様宛に飛ばしてもらう。ちゃんと詳細を包み隠さず書いた。
坊っちゃんは、たくさんの人と接して、たくさんの問題を目にして、たくさんの未来を考えたみたいだ。
一気に幼さが抜けた。
領地に帰ってから、より一層勉学や鍛練に励む坊っちゃん。
クレートと草オタクとの婚姻時期も決まり、それと同時期に婿に行く坊っちゃんは準備を始め、あっという間に時は流れて。
ミケーレ坊っちゃんが成人した。
クレートと家令に領地を任せ、旦那様と奥様が揃って坊っちゃんとアリーチェ様の領地に向かう。
婚姻式の打ち合わせと坊っちゃんが骨を埋める土地を見るためだ。
しかも、この婚姻式が坊っちゃんの成人の披露目を兼ねるため、奥様の気合いがハンパない。
今回は両家の打ち合わせだが、むしろ、そのまま婿入りしてしまおうとする坊っちゃんを茶化しながらも、奥様がきちんとその準備もしてきていることを俺は知っている。
俺は留守番のクレートの分まで、きちんと坊っちゃんを見送る心積もりでいた。
坊っちゃん、あんた本当に周りから愛されているよ。
坊っちゃんの人生に幸多からんことを俺も心から願うよ。
なのに、何が起こった?
坊っちゃんとアリーチェ様の婚姻の話し合いが行われている応接室の控えの間で待っている間、甲高い子どもの声が聞こえていた。何を言っているかまでは分からないが、妙に燗に障った。
控えの間ってのは、異変に対応出来るように敢えて音が通るように作られている。
子どもの声ばかり聞こえてくる異様な状況に、俺が入室しようとすると、逆に旦那様たちが出てきた。
目がヤバイ。
旦那様と奥様は「ミケーレが伯爵」と興奮し、坊っちゃんは虚ろな目をして黙ったままだ。
旦那様が帰ると言い、馬車に乗り込んだ。
黙ってついて行く坊っちゃんは、真顔のままで泣き出した。
ナニコレ。こわいコワイ怖い!
何!? 異常すぎるだろ!
王都で魔術師にみてもらうように何度も具申したが、旦那様に必要ないと蹴られてしまう。俺たちの同行に魔術師はいない。
ここで俺が自分の首とサヨナラする覚悟があったなら、問答無用で王宮に連れ込めたかもしれない。
そうすれば、宮廷魔術師ならば、この異常を素早く解決してくれただろうに。
俺に出来たのは、護衛の一人を先行させ、街の魔術師に手紙を飛ばしてもらうこと。それだけだった。
「ミケーレ様、泣いている場合じゃありません! しっかりなさってください! アリーチェ様はどうしたのです!?」
ただ虚ろに泣いては眠る坊っちゃんを叱咤しながら、ひたすら領地を目指す。
手紙を受け取ったクレートは素早かった。
坊っちゃんたちが魔術で精神攻撃されていることを想定して、魔術を解くことを得意とする魔術師を呼んでいた。
魔術師は、帰り着いた旦那様たちを見るなり、魅了されていると言った。
魅了自体はとてもか細い術で、直ぐに魔術師によって術を解かれた。
しかし、よほど迎合したのか、魅了の術が魂の深いところまで及んでいて、魔術を解いても、影響がなくなるまでは隔離するよう言われ、三人の額には徵がつけられた。
この徵があるうちは、魅了の影響下にあるという。
三人はそれぞれ部屋に隔離された。
しばらくすると、坊っちゃんがアリーチェ様に会いに脱走しようと暴れる日々が始まった。
一見はまともに話をする坊っちゃんの額の徵は消えていない。
聞いてられねぇ……。
見てられねぇ……!
力業で部屋に押し戻すにも、俺一人では暴れる坊っちゃんを押さえられずに、時には五人がかりで押さえつけた。
無駄に鍛練の成果を発揮してんじゃねぇよ、こんなところで!
俺も周りも生傷が絶えなかったが、クレートに比べたらこんな痛み、大したこと無い。
ただでさえ、クレートには領地経営の全てがのし掛かっていたのに、ここに来て今回の醜聞による取引の停止が相次ぎ、苦しい立場になっていた。
そんな中、追い討ちをかけるように、草オタクの父親からの婚約白紙が叩きつけられた。
こんな家に娘を嫁がせられないと。
爵位目当てに婚約者を捨て、その妹に乗り換えた恥知らず。
そして引き籠って社交界から逃げた卑怯者。
魅了の魔術については、宮廷魔術師の預かりとなり調査中で、調査が終わるまでは迂闊に話してはならないと言われている。
弁明して回れない中、ただ、黙って耐えるしかなかった。
旦那様や奥様が何をした?
クレートが、坊っちゃんが何をした!
はっきり言って被害者だろうよ!
……だけど、アリーチェ様に対してだけは、加害者だ……。
あの丸こい火の鳥が、もう坊っちゃんの元に飛んで来ることがないと思うと、身体の傷以上に心が痛かった。
クレートからアリーチェ様が家を出され、行方知れずと聞いた。
最後の目撃は、冬の街中を粗末なワンピースで歩く姿。
もう、生きては、いないかもしれない……。
坊っちゃんに何て言えばいいんだ。
クレートは護衛のダニオにアリーチェ様の捜索を任せた。
ダニオは冒険者に顔が利く。何でもいいから情報を掴んできて欲しい。
暴れる坊っちゃんと戦いながら、明るく幸せな未来が見えていたはずなのに、なぜこうなった、何がいけなかった、という後悔ばかりが押し寄せる。
季節が移り、暖かくなっても、三人の額の徵は消えなかった。
引退した大旦那様がクレートと共に助力してくれたこともあって、領地経営は少しずつ改善していった。
クレートは、窶れた。
俺は相変わらず傷だらけ。
館の皆も、割と限界ギリギリだったと思う。
三人は一生幽閉か、病死。
選択肢としてそれが現実味を帯びてきて、泣いて叫び回りたかった時、それを打ち破る姦しい声が館に鳴り響いた。
「クレート様!」
ボロ布をまとった草オタクが、単身で領主館に現れた。
聞けば、トゥルンガ王国で上級学校の単位を一足先に取り、とっとと卒業して家に帰ったら、知らぬ間にクレートとの婚約が解消され、しかもトゥルンガ王の側室になる話が進んでおり、ガチギレして家と縁を切って出てきたと。
追手を警戒して、基本一人で歩いてここまで来たと。
「もう、侯爵家とは縁がなくなり、私は平民です。ですが、トゥルンガでいくつか研究の特許を取ったので、これから割とお金は入ってくるはずです。それくらいしかありませんが、どうかクレート様の側にいさせてください」
ボロボロの草オタクは、皆が伯爵家を指差して嘲笑う中、只の一人の人間として、クレートの側にいることを望んだ。
侯爵家令嬢のその姿を見て、俺は。
俺は、何故伯爵家にいる?
本家だからか?
恩があるからか?
……情があるからか?
どれもそうだが、もっと単純に。
俺は、クレートとミケーレ坊っちゃんの側にいたい。共にありたい。
この感情に名前なんかつけなくていいんだ。
俺は二人から離れない。
……なんか、吹っ切れたわ。
そんな俺の葛藤をよそに、クレートは草オタクを抱き締めて、そのまま抱えて自室に籠った。
おお……頑張れよ、親友。
閨の教育も人見知りを発揮して碌に受けられなくて、「このままじゃ初夜に失敗する……」とショボクレてたお前がなぁ。
無理やりだったが、おねーちゃんたちの所に連れて行ってた俺に感謝してほしいわ。
まあ、お前は結局誰とも一線は越えず、心得とか手技とか教えてもらってて……、そういえば、そのうちの一人が、「言葉攻めがすごイ」って言ってたけど……、まあ、他人の性癖なんかどうでもいいか。
頑張れ若奥様。
数日の内に、クレートたちの婚姻は成立し、ある意味、場の空気を読まない若奥様のお陰で、館の雰囲気は大分明るくなり、落ち着いてきた。
なのに。
アリーチェ様を探していたダニオからもたらされた知らせは、絶望だった。
アリーチェ様は森境のボスコンフィ領にいた。そして、今はもういない。
叔母である領主夫人に保護され、知り合った冒険者のオッサンと婚姻し、この国を出たという。
信じられなかった。
柔らかい笑みで坊っちゃんにデコチューした、あのアリーチェ様が。
しかも、こちらが情報を掴んだから仕方なくというのを隠しもせず、辺境伯から正式な書状が届き、それが紛れもない事実であることを告げた。
坊っちゃんの額の徵が消えたのは、この知らせの三日後だった。
「坊っちゃん、元気ですかねぇ」
見上げた冬の空は雲ひとつ無く、どこまでも澄んでいた。
あれから、物事は目まぐるしく動き出した。
坊っちゃんの徵が消えてから程なくして、旦那様の額の徵が消えた。
今回の件は、宮廷魔術師が調査を行い、最終的に王が裁定された。
我が主側には到底納得できるものではなかったが、言わぬが花。最高権力者が下した沙汰である。
坊っちゃんは何度も辺境伯夫人にアリーチェ様への取り次ぎを願い出たが、もうこの国にはいないと丁寧に断られ、それでも諦めきれずにいた。
そのうち、ボスコンフィ領に突撃しそうだった。
アリーチェ様の知らせに館全体が暗く沈んでいた所に、若奥様の懐妊の知らせと、坊っちゃんに新たに示された道が希望となった。
この国から離れ、東の国の騎士として武功を立てれば、アリーチェ様の妹から解放される。
それは、ボスコンフィ辺境伯から提示されたもうひとつの道。
逆に言えば、坊っちゃんは武功を立てられなければ、アリーチェ様の妹と婚姻し、伯爵となる。
一生を、アリーチェ様の妹の更生に費やすことになるだろう。
坊っちゃんは、秒で決断した。
東の国の騎士団の入団は年二回、春と秋だ。秋の入団に間に合わせるため、準備もそこそこ、慌ただしく東の国に旅立った。
坊っちゃんが旅立ってしばらく後。
若奥様のお腹が目立ち始めた頃、奥様の額の徵も消えた。
ようやっと、伯爵家の霧が晴れたかのようだった。
魅了の術については、国王の裁定について上位貴族には話があったらしいが、世間に公表はされなかった。
事情を知らない貴族も多く、伯爵家の醜聞はそこから貴族以外にも伝わっていく。
覆す手段はない。
伯爵家への世間の風は冷たい。
付き合いがなくなった関係者や館を離れた使用人もいる。
それでも。
俺は自分の意志で伯爵家に仕えるよ。
「ふやぁぁぁぁ~!」
物思いに耽っていた俺に文句でもあるのだろうか。
まだ首の座らない赤子が腕の中で泣き出した。
名はルチア様。
生まれて二月程のクレートと若奥様の長女だ。
ふえふえ泣くだけだが、非常に愛らしく、館の皆の愛情を一身に集めている。
坊っちゃんも、こんなだったなぁ。
かなり夜泣きが激しい赤子だった坊っちゃんを思いながら、ルチア様をあやす。
ルチア様の乳母は俺の妹だ。ルチア様より半年早く生まれた姪がいる。気に入らない義弟の娘とはいえ、すこぶるかわいい。
しかし、乳母はルチア様を放ってどこに行ったんだ。けしからん。
「あうーんくぅ」
ルチア様と目が合う。
涙一杯の瞳は、どこまでも透き通っていて、はっきり見えるのはまだまだ先だと分かっていても、目が合えば微笑ましい。
この子の人生に幸多からんことを。
坊っちゃんに武運を。
伯爵家に安穏を。
領地に平穏を。
俺に嫁を。
……羨ましくなんかねぇ。チクショウメ。
「……本当に笑ってる……」
「な? マルコ、仕事中は完全無表情だけど、感情豊かなんだよ。しかも大の世話好き」
「だって……。いつも人形みたいで、ニコリともしないし、ナニ考えてるか分かんないもの。ピシッとシワひとつ無い服着て、音もなく背後に立って『ワカオクサマ』って一定音で呼ばれたら悲鳴上げるわ」
「はは……。あいつがナニ考えてるかなんて、付き合いが長いと丸分かりだし、結構ナニだし」
「何故か惚気られてる気がする……相思相愛なのね」
相思相愛とかやめろ。
トリハダが立った。
少し開いた扉の向こうで隠れる気もなく覗き見ていた若夫婦の夕食に、あいつらの嫌いなものばかりを並べた俺は悪くない。
お読みくださり、ありがとうございました。
後継ぎには姪も甥もいるので、独身街道をひた走り、伯爵家の家令として活躍するマルコ君は、成人したルチアに外堀をガッチガチに埋められて確保されます。
リアル父親と同じ年のマルコ君は、ヤバイヤバイと本気で逃げようとしましたが、ルチアに軍配が上がり、最後は腹を括って幸せになります。
次はアリーチェ編を投稿予定です。
気長にお待ちくださいませm(_ _)m。
皆様、誤字報告、ありがとうございました。
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