ミケーレの母
ミケーレの母の話です。
誤字訂正しました。
誤字報告ありがとうございます。
私は黒の森の南にある「南の国」の子爵家の次女として生を受け、なんと言うか、可もなく不可もなく「普通」に育ちました。
兄と姉がおり、兄には気の良い方が嫁いできてくれ、姉は王宮勤めの伯爵家縁の方と恋に落ち、嫁いでいきました。
領地などで特に困ったこともなく、政略も必要でないことから、私の嫁ぎ先は特に拘りがなく、国境を挟んだ隣の領、南西の国の伯爵家に嫁ぐことになりました。
いわゆる顔見知りのお家です。
国境だからといって物騒なこともなく、関所に両国の騎士が詰めているくらいです。
両国の関係は至って良好なのです。
旦那様になる人とも、もちろん面識があります。
幼なじみとまではいかなくても、何度か顔を合わせたことがあります。
恋をしていたワケではありませんが、生理的に受け付けないワケでもない、それが何よりだと思いました。
嫁いで翌年には長男のクレート、クレートが四歳の時に次男のミケーレを出産し、貴族の妻としての役目を果たしてホッとしました。
欲を言えば娘も欲しかったのですが、残念ながら授かりませんでした。
クレートは物静かな子でしたが、私のように「可もなく不可もなく」ではなく、たくさんの「可」と少しの「不可」を持ち、それらのバランスを取れる子でした。
視野が広いと言いますか、大人びていると言いますか、やがて良い領主となることでしょう。
そしてミケーレですが、クレートがあまり親を困らせなかった子どもなのに対して、まあ、純粋と言いますか、なんと言いますか。はっきり言うと「アホの子」でした。
それがまた可愛くて。
もちろん、クレートのことも愛しています。
なんというか、彼には安心感があるので、つい甘えてしまいますが、夜寝る前にはこっそり彼の部屋に行って、抱き締めてお休みのキスをしています。もう人前では、いくら使用人の前でも甘えてくれませんので、もう来るなと言われるまでは、抱き締めるつもりです。
ミケーレは、まあ、末っ子特権と言いますか、ミケーレが「ははううぇ」と抱きついてくると、それはもう幸せな気持ちになります。
それはクレートも同じで、「あにううぇ」と追いかけてくるミケーレをとても可愛がっています。
ああ、旦那様ですが、誤解なきよう。
私たちをとても大切にしてくれています。あまり話に登場しませんが、少しばかり存在感が薄いだけですので。
旦那様はクレートが優秀な分、ミケーレのそのあほっぷりに真剣に悩んでいるご様子。
……旦那様は分かってらっしゃらない。ミケーレは「アホの子」であって、「阿呆」ではないのです。
そんな旦那様がクレートが八歳の時に良いご縁を探してきてくれました。
この国の南隣の国、トゥルンガ王国の侯爵令嬢です。
トゥルンガ王国は海に面していて、大きな港町をいくつも擁する活気のある国です。
ご令嬢は三女で、クレートと同い年。
少々変わったところのあるご令嬢のようで、正直、お国元の社交界ではご縁がなく、国外で縁談を探していたといいます。
何をもって変わっているか、そういう大事なところを聞いてこないのが、旦那様クオリティです。
縁遠いのにはやはり理由があるものです。
幸い、旦那様が治めるこの領は、気候も穏やかで領地経営も順調、治安も良く、夜は別の顔でしょうが、日中は女性一人でも町を歩けます。
私の時と同じく、政略の必要はありませんので、噂に惑わされずに、せっかくのご縁ですから会わせてみることになりました。
そうして会わせてみた二人は、話が全く噛み合っていないのに気が合うという、変な相性でした。
クレートも先方のご令嬢、レベッカ嬢も婚約をその場で了承したので、二人は正式な婚約を結び、十五歳になったら婚姻の日取りを決めることになりました。
トゥルンガ王国の貴族の子は十二歳から十五歳までの三年間、全寮制の学校に通う義務があるとのことで、婚姻時期はレベッカ嬢が卒業し、こちらに来る準備をしてからになるでしょう。
ちなみに、レベッカ嬢の変わったところは、まあ、クレートにとっては凸と凹だったのでしょう。
……話をしない静かなご令嬢だな、と思っていたら、領地の植物の話になった途端、立て板に水のように一人止まらずに話をしていました。
どこで息を継いでいたのかも分かりませんでした。
九歳にして植物オタク……。
貴族の令嬢としては珍しい部類でしょうね。
でも、ほら、クレートのアホの子を見るような愛おしそうな顔。
まっすぐな子を愛でてきたクレートとの相性はバッチリでしょう。
レベッカ嬢も、適度に相打ちを打って来るクレートを「話を聞いてくれるイイ人」ってキラキラした目で見ています。
私たち、ミケーレの意味不明な話に付き合うのに慣れていますからね。
ともあれ、良かったこと。
クレートにとって、この領地にとって、良いご縁となることを願います。
このレベッカ嬢との婚約がご縁となり、ミケーレの婚約話が舞い込みました。
レベッカ嬢の領地と国境を挟んでお隣で、我が国の西側に領地がある伯爵家です。
仕える国は違えど、お隣なので交流はあるのでしょう。私の生家と同じような関係ですね。
その伯爵家は娘が一人なので、入り婿を探しているとのこと。
我が国の貴族は、生まれた順や性別に関係なく、当主からの指名により後継者が決まります。ここのご令嬢はやがて女伯爵になる、当主から指名された後継者です。
ミケーレより歳は三つ上ですが、あの子にはしっかりした妻が良いのかもしれません。
難点と言えば、領地が遠いので、そう頻繁には会えなくなることでしょうか。まあ、それも、王宮での社交で会うことは出来るでしょう。
こちらもとんとん拍子で話が進み、旦那様がサインをすれば婚約が成立するところまできました。
あとは本人同士の相性ですが、会わないことには何とも言えません。
貴族同士の婚姻では式で初めて顔を合わせることもありますが、それでうまくいく方が奇跡でしょう。
とりあえず、ミケーレとあちらのご令嬢を会わせてみるにも、何せ領地同士が遠いので、ほぼ中間地点にある王都で顔合わせをすることになりました。
「……ムコイリ?」
旦那様に呼ばれて、ミケーレが乳母とやって来ました。
最近のこの子の流行は「騎士ごっこ」。適性の方向性を見るために色々学ばせてみましたが、魔術も学問もそこそこで、適性としてはゴリゴリ騎士属性。
いや、まだ五歳ですから、どの可能性が花開くか分かりませんし、魔術については私たちも適性がないので仕方ありません。
庭で「何か」と壮絶な戦いを繰り広げてきたミケーレは、髪はグシャグシャ、所々土と葉っぱまみれ、手には枯れ枝をそれぞれ握り締めて、鼻を垂らしています。
……母は知っています。右手に持っている枝は「ルーチェデルソーレ」、左手は「キアーロディルーナ」。この二本は彼にとっての聖剣で、戦いにはなくてならないものであることを。
ポケットには葉っぱやら木の実がパンパンに入っていて、「くらえ!」と叫びながら庭に蒔いているのを。
そして、言われた「ムコイリ」を何かの生き物か食べ物だと思っていることを。
ああ、可愛い。
旦那様は何故かドヤ顔されているし、ミケーレはアホ面しているし、笑いを噛み殺している私の肩は震えていることでしょう。
私たちの様子を横目で見ていた乳母が苦笑して、後で説明しておくとミケーレを連れて行きます。
いつも苦労をかけるわね。
その後、ミケーレったら、ムコイリの話をしてから、塞ぎがちになって、何かを考えているみたい。
まあ、この家の騎士なのに外に出されるなんて、僕は要らないのか、みたいな考えして、独りで勝手に落ち込んでないといいけど。
先方のご令嬢と会うため、王都に出掛けることになりましたが、クレートはお留守番です。
馬車に揺られること六日。
やっぱり王都は遠いわね。お尻が痛いわ。
翌日、王都の先方の屋敷に招かれて伺うと、背筋をしっかり伸ばして立つご令嬢がいました。
まあ、利発そうで、懐の深そうな子だわ。
身嗜みも整っていて、母親に寄り添う姿を見ると、大切にされているのが分かるわ。
「はじめまして、ミケーレ様。アリーチェです」
まだ八歳よね?
とても落ち着いた淑女だわ。
本人の相性次第でしょうが、この子がミケーレに添ってくれるなら、安心だわ。
母親の勘よ。
ミケーレが何語か分からない挨拶を元気一杯返したわ。雄叫びのよう。
あら、まあ。顔を真っ赤にして。
アリーチェ嬢の方も嫌ではなさそう。
旦那様は苦虫を噛み潰したようなお顔をされていたけど、先方の伯爵夫妻は微笑ましく見ていたわ。
ええ、分かるわ。
小賢しい子より、元気で素直な子の方が婿には好ましいわよね。
こうして、ミケーレの婚約は整いました。
以後、ミケーレの教育は、女伯爵の夫としての領地経営の補佐を見据え、ミケーレの才能が伸ばせそうな剣術や護身術にも力を入れることになりました。
あの子ったら、見違えるように学び始めて。
……でも、母は知っています。大切な枝は、今も部屋にしまってあることを。
アリーチェ嬢は火の魔術を得意としているらしく、月に一度、それは美しい火の小鳥がミケーレの部屋に降り立ちます。
小鳥に覚えさせた伝言を伝え、ミケーレの言葉も覚えていってくれる素晴らしい術だわ。
……火の小鳥のおかげもあって、順調に交流していた二人と思っていましたが、いえ、二人に問題があるワケではなく。
年に一回か二回、王都に行く用事がある時に併せて連れて行って、お茶会をする二人を見ながら、アリーチェ嬢の様子に心配が募っていきました。
身体に合っていないドレス。
疲れきった身体を引きずるように歩く姿。
初めて会った時の凛々しさはそのままだからこそ、年々異様になっていました。
アリーチェ嬢に妹が生まれてから、伯爵夫妻の態度が変わったといいます。領地では有名な話になっていました。
ミケーレに乞われ、定期的に贈り物をアリーチェ嬢へ送っていましたが、火の小鳥が言うには、取られて手元に残らないからもういいと。
ミケーレからは、どうにかならないかと何度も何度も頼まれたけど、同格の家から口出しは難しいのが貴族。
しかも、アリーチェ嬢と婚約した直後、伯爵夫人の妊娠が分かり、伯爵から正式に書簡を貰っています。
生まれる子の性別を問わず、アリーチェ嬢の後継指名は変えないと。そして、アリーチェ嬢とミケーレが婚姻すると同時に、伯爵位を譲ると。
この書簡があるため、旦那様も他家の教育に口は出せないと判断しました。
もしも、アリーチェ嬢が後継ぎでなくなるならば他人事ではありませんが、今はまだ、他家のこと。
しかし、そうも言ってられない現実が目の前にありました。
王都でのお茶会。
まもなく成人する娘に、子ども用のドレスを着せてきたのです。
膝が見えそうな丈を何とかレースで隠していますが、そのレースだって去年羽織っていたショールでしょう?
ドレスが買えないわけではないはず。夫人は至って流行に乗った普通のドレスを着ているもの。
ドレス一枚買い与えないほど虐待しているの?
そして、それを隠しもしなくなったの?
「総領娘であるアリーチェ嬢には似合わないドレスですこと。ドレスも買ってやれない事情があるなら相談していただきたいわ。当家の息子が入る家なのに、身体に合った服も誂えられないなんて」
あら、トゲが出てしまったわ。
伯爵夫人は、一瞬呆けたように私の言葉を噛み砕いて、アリーチェ嬢を見てギョッとしていたわ。
え、今?
気分が優れないとか言って、アリーチェ嬢を引っ張って出ていってしまったけど、ここ、お宅の屋敷なんですが……。
それから、伯爵夫妻は、アリーチェ嬢を王都に連れてこなくなってしまった。
私としたことが、言い方、しくじったわね。
でも、あの時、「ギョ」っとして慌てた夫人は、……「正気」に見えたのだけれども。
ミケーレも焦っているけど、アリーチェ嬢本人から「時間が解決するから」と言われてしまえば、出来ることは殆どなくて。
成人の披露目もやらないときました。
これは伯爵位にある家としては有り得ないことです。
周囲の家からも、その家、大丈夫なの? と心配される始末。
私も親戚が同じ境遇なら心配しますわ。
これは流石に一度顔を見なければと、魔術師に手紙を飛ばしてもらって訪問伺いを出せば、断られる始末。
業を煮やしたミケーレが、アリーチェ嬢に会いに行くと言い出しまして、旦那様も思うところがあったのか、身軽に動けるように、護衛と侍従だけで送り出しました。
侍従には路銀をたっぷり持たせます。
旅立って行ったミケーレを見送り、聖剣を置いて行ったことに成長を感じて、少し寂しくなりました。
行きはアリーチェ嬢の誕生日に間に合うように急ぎ、無事にアリーチェ嬢に会えて、なんと、あの鼻垂れミケーレが白バラを渡して愛の告白をしたとは!
気が抜けた三人は、ゆっくり帰ってくると、侍従の報告が飛んできました。
大きな町には魔術師が常駐しており、少々値は張りますが、手紙を飛ばしてくれるので便利です。
旅立ってから一月以上経って、ようやく帰ってきたミケーレ。この旅は彼にとって得るものが多かったようです。
幼さがすっかり抜けていました。
……息子をお嫁さんに取られたような気になるとは、私もまだまだです。素直に息子の成長を喜ばなければなりませんね。
それから、より一層、様々なことに挑戦し、逞しくなっていくミケーレ。
この頃、クレートとレベッカ嬢の婚姻の時期も決まりました。
実は少し揉めていたのです。
レベッカ嬢、十五歳で卒業する学校を、卒業しませんでした……。
いえ、義務の部分の課程は修了したのですが、まだ学びたいと、王宮に勤めるような男子が通う上級学校に進んでしまったのです。レベッカ嬢の父侯爵にとっては晴天の霹靂だったようで、あちらでとても揉めていました。
レベッカ嬢は植物学の大家になる可能性を秘めているとのことで、教師陣からも嘆願書が出された程だそう。
まあ、まだ旦那様も引退するお歳ではないし、今ではなく、十九歳になったらこちらに来て婚姻をすることで落ち着きました。二十歳過ぎると適齢期も過ぎ、要らぬ憶測を呼びますからね。
ミケーレが巣立つのと入れ違いになる時期です。寂しさを感じずに済みそうですわね。
そうして時は過ぎ。
クレートもミケーレも親の欲目かもしれませんが、好青年となりました。
ミケーレも十五歳になり、成人しました。いよいよ、ミケーレの婿入りについて具体的に取り決めるため、アリーチェ嬢の屋敷に向かいます。
ミケーレの成人の披露目は、婚姻式と兼ねることになっています。
ミケーレはこのままアリーチェ嬢と住むつもりでいるので、どれだけアリーチェ嬢が好きなんだよ、と侍従に笑われています。
侍従は乳母の子で、ミケーレにとってはもう一人の兄のような存在です。
クレートにとっては悪友で、二人して夜に抜け出して悪所通いしていたのを母は知っていますのよ。もちろん乳母もね。
和やかな往路。
今思えば。
私たちはアリーチェ嬢の周りのたくさんの違和感をかき集めて、きちんと対応すべきでした。そして、警戒するべきでした。
伯爵邸に着き、応接室に案内されて驚いたのは、アリーチェ嬢より上座に座る子どもがいること。
驚きの後、総領娘よりも上座に座ることを許す伯爵夫妻に不快感が沸き上がります。つまりは、アリーチェ嬢と婚姻するミケーレもその子どもより下に見ているのです。
「私がミケーレ様と婚姻したい!」
突然子どもが叫びました。
「そうかい? じゃあそうしよう」
挨拶もなく、突然始まった何かに、頭の中で警鐘が鳴り響きます。
おかしい。
この人たち、おかしいわ。
アリーチェ嬢ではなく、ヴィオラ嬢とミケーレを婚姻させる?
当人同士を踏みにじって、家同士のメリットも何もないわ。
旦那様も同じ思いか、はっきりと断ってくださった。
……この家にミケーレを残すことは無理ね。
ミケーレも唖然としているわ。
アリーチェ嬢は、……様子がおかしいわね。貴族の娘とは思えない粗末なワンピースを着て、一番下座に座って、ただ一点を見つめているわ。……何かの術にかけられている?
「なんでお姉さまばかり! ずるい! 先に生まれただけで伯爵位もミケーレ様もお姉さまのものだなんて! ずるい!」
一瞬、心が白くなった。
何この子?
市井の子だってこんなに傍若無人な人はいないわ。
これは、これ以上話にならないと、旦那様を見て退室しようとした時。
アリーチェ嬢の父伯爵がにこやかに宣言しました。
「では、当伯爵家はヴィオラと婚姻する者に継がせよう。可愛いヴィオラに大変な領主などさせられんからな」
衝撃でした。
女伯爵の夫、ではなく、ミケーレが伯爵になる?
……うちの息子は素晴らしい子だもの。領民に愛される領主になるわ。
そう思った瞬間。
何かに意識が乗っ取られたのが分かりました。
それから、私の意識が表に出ることはありませんでした。
しばらくして、私が私に戻る瞬間が増えて、表面上は普通に過ごしていたらしいけれど、私という思考は停止したまま。魅了の術の影響がある限り消えない徴も額にあるまま。
完全に意識を取り戻したのは、ほぼ全てが終わり、ミケーレが東の国に旅立った後でした。
窶れたクレートと、私より早く復活した旦那様から聞かされる顛末は、とても聞いていられるものではなかったわ。
ミケーレの初恋。
アリーチェ嬢の尊厳。
私は、それらを叩き壊した一人なのだわ。
泣く資格などない。
どうしたら償えるのでしょうか。
……償える、と思ってしまう時点で、きっとダメね。
「母上、もう一つ、報告があります」
沈痛な面持ちで告げるクレート。既に目を潤ませている旦那様。
これ以上、何が……。
「私とレベッカとの婚約は白紙になりました。侯爵が強く反対され、一方的な破棄とも言える形でした」
あ、あああああああ!
クレートは何も悪くないのに!
貴族として苦しい立場になる我が家に娘は嫁がせられないと?
……あんまりだわ。
「なので……おいで」
クレートが誰かを呼ぶと、部屋に入って来たのは、他でもないレベッカ嬢でした。
「……あの、クソ親父が本当にごめんなさい。あいつ勝手に婚約破棄しやがりまして……というわけで、家と縁を切って来てしまいましたが……平民で持参金もなくなってしまいましたが……クレート様の側にいても良いでしょうか?」
そう言ってモジモジするレベッカ嬢の肩を抱くクレート。
クレートを慕って、その身一つで来てくれたというの?
「……あなた、研究はどうしますの?」
するとレベッカ嬢は、曇りのない笑顔で言い切りました。
「草はどこでも生えていますから!」
いや、そうでしょうけど……。
やっぱり変わったご令嬢だこと。
「……ありがとう。レベッカ嬢、いえ、レベッカ。私たちのことは父母と呼びなさい」
「はい! ……よかったぁ! 生まれる前にお義母様が回復されて、お許しをいただけて!」
生まれ……。
「ク、クレート!?」
「まあ、そういうことです。母上の許しがなかったら、家を出るところでした」
この子はしれっと……!
そういうところ、昔からあったわね……!
「クレート」
「はい」
「きっとあなた、いつか娘を授かるわ。そして、年頃になったらクソジジイと呼ばれ、出奔され、いつの間にか子どもを産んでるわよ」
「……っ!」
狼狽える息子に、レベッカは、「子どもが幸せなら良いじゃない!」とトドメを刺しているわ。
良い娘だわ。
……胸が痛い。
ミケーレを思うと、胸が張り裂けそう。
ミケーレとアリーチェ嬢も、こうやって笑い合っていた筈と思うと、死んでしまいたい程申し訳ない気持ちになります。
私たち大人がきちんと対処していれば、あの子たちが望んだままの未来があった筈なのに。
「守ろう」
旦那様が私の肩に手を置いて続けます。
「私たちは、皆それぞれ間違えた。……もう、こんな間違いはしないだろう」
「旦那様……」
「しばらくこの家には厳しい目が向けられるだろう。だが、皆で耐えて乗り越えよう。クレートたち親子が健やかに暮らせるように。領民たちが下を向いて暮らすことがないように。……ミケーレが帰りたいと思った時に迎えられるように」
旦那様……!
ええ、そうですわね!
思えば私は今まで流されるままに生きてきた人生でした。
このまま嘆き悲しみ、厳しい人の目に晒される位なら、人知れず隠居するのもやむなしとも思いました。
けれど、そうではありませんね。
私たちは、私たちに厳しい流れに抗って、クレートを、レベッカを、生まれてくる孫を、いつか帰るミケーレを、大切な領地に暮らす民を守らなければなりませんね。
目が覚めた思いです。
いつも影が薄いとか存在感がないとか、物事の見方が見当違いな人かと思っていましたが、訂正します旦那様。
旦那様の決意に、私も覚悟を決めましょう。
「……嬉しいよ、で良いのかな?」
ん?
「母上、全部、漏れていましたよ」
「お義母様素敵!」
あら……?
まさか、口に出ていましたの?
「……そんなに薄いかな」
旦那様は頭を掻きますが、そこはまだ大丈夫でしてよ。薄いのは存在感です。
「……母上」
……魅了の影響がまだあるのかしら。
ミケーレのいなくなった部屋を眺めていると、あの子が幼い頃の声が聞こえてきそうで、とても懐かしくなります。
世間の風はやはり冷たくて、時々挫けそうになるけれど、ここに来たら、また頑張れるの。
ははううぇ!
ふふふ……。
覚えているわ。右手に「ルーチェデルソーレ」、左手は「キアーロディルーナ」。
頼もしい私の騎士。
そういえば、流石に剣はもう処分したのかしら?
大事に箱に入れて、クローゼットのここに……あるわ。
開けてみると、ボロボロになった枝だったものと、一枚の紙が入っていました。
『ははううぇとあにううぇをまもるせいけん るーちぇときあーろ』
ミケーレ……!
涙が溢れて止まりません。
私の愛しい息子。
母はもう迷いません。
あなたの帰る場所を守り抜いて見せます。
だから、次に帰ってきた時には、「ちちううぇ」も書いてあげてね。
私たちの家族。
読んでくださり、ありがとうございました。
ミケーレの母は、息子可愛さにつけこまれ魅了の術にかかってしまいましたが、他でもない息子可愛さで乗り越えていくことでしょう。