私たち
優しく吹き抜ける風が、花びらを散らして、私たちの頬を撫でる。
悪戯に髪を乱すこの風が、無邪気で愛おしい。
自由自在に舞った桜は、まるで駆けっこをしてるみたいで。
頭上の澄み渡る蒼は、大きな海みたいで。
真っ直ぐ降り注ぐ光は、私たちを照らしてくれる。
ああ、なんて綺麗なんだろう。
気持ちが暖かくなって、止まらなくなっちゃう。
まるで、いつかの私たちみたい。
これから、私たちの三年間の歴史は終わりを告げて、この高校とは、さよならをする。
ここで、嬉しいことも、怒ったことも、悲しかったことも、楽しかったこともある。
私たちにとって、濃密な三年間だった。
いろんな人と巡り合えて、いろんな場所で遊んで。
特に、私たちの地域は自然が豊かで、交通の便もよく、遊ぶ場所には、事欠かなかった。
揺れる草木の中を走り回って。
緩やかに流れる川の中で水浴びをして。
木漏れ日の中で、愛し合ったことも、ある。
愛の定義は、未だに良くわからなかったけど。
感傷に浸りながら、観賞する。
桜の木下で、先生と他の子たちが泣きながら、嬉しげに、楽しげに話している。
彼女たちは、仲がよかったのかな。
校舎の裏では、胸に紅花を付けた男子が、3人の女子に言い寄られてる。
告白でもしてるのかな。
四階の教室の窓際でキスしてる男子と女子。
羨ましいな。
派手な髪色をした男子と女子が、顔を真っ赤にして、角刈りの先生に花束を渡してる。
先生泣いてるじゃん。
柵の軋む音と、隣で微かに漏れる笑い声が、心地良い。
つられて、私も笑っちゃう。
いつまでもこうしていたいな。
ふと、私は思う。
私たちの、喜怒哀楽で満ちるこの空間は、
私たちの人生で、何度目の体験なのだろう。
十八年間、犬や猫と比べれば長く生きた方だと思う。
鳥も種類は沢山あるけれど、一年以上生きるのは、稀じゃないかな。
彼らと比べれば、寿命は人間の方が長いのは確かだし。
動物も、人間に飼われれば、長生きができるけど。
だって、人間の庇護下にあれば、飢えや病に苦しまずに済むもの。
それは、私たちも同じ。
人間の大人に養ってもらっているから、生きてられる。
でも、生きていられても、自由じゃない。
人間の大人は自由が与えられてる。
人間の子どもである私たちは、規則に縛られて、生きている。
そのうちの一つ、校則から、私たちは逃れようとしている。
卒業という区切りで、校則は私たちを縛れなくなった。
スカートの丈は気にしなくていいし、下校途中の買い食いも怒られない。
深夜に出歩いても、警察も先生も怒らない。
予鈴が鳴っても、急いで着席をしなくいい。
ブラウスのボタンを、大胆に開けても先生は追ってこないし。
ただ、校則に縛られない、だけで。
誰も、私たちを追わない、わけではない。
悪い事をしたら、警察は追いかけてくる。
肌を露出したら、おじさんが寄ってくる。
家を飛び出したら、親が追いかけてくる。
逃げても、最後には捕まってしまう。
でも、法律は私たちを守ってくれる。
捕まってしまっても、生きていられる。
私たちが未成年だから。
私たちが守るべき、存在だから。
でも、あと二年で大人になっちゃう。
私たちが大人になったら、誰も守ってくれない。
法律も、親も、学校も。
私たちはひとりで、生きていかなくちゃいけない。
それはまるで、24時の鐘がなるように、無慈悲にやってくるの。
シンデレラは王子様と結婚するよね。
でも、私たちは?
私たちの魔法が解けたら、どうなっちゃうの?
私たちは、ずっと見えない鎖で繋がれている。
それこそ、私たちの全身に纏わりついて。
私たちに翼はあるようで、鎖の重さで翔けない。
私たちは、この広い空の下で、生きていかなくちゃいけない。
でも、私たちは、大空を翔べない鳥。
私たちは人間が作った箱の中で、生きていくしかない。
操り人形みたいで、なんだか可笑しいや。
私たちを縛り上げている規則は、
誰が決めたんだろう。
誰も、お願いしても、いないのに。
私たちの価値は、私たちで決めるべきなのに。
先生は、進路相談で決まってこう言う。
就職をするの?
進学をするの?
先生はただ繰り返し問うけれど、私たちはこの生きている、瞬間以外の事はわからない。
私たちは、人生が初めてなんだ。
RPGでいうところのLvだって、駆け出し冒険者だよ。
だけど、先生は知らない。
先生には、私たちの気持ちは関係ないんだ。
就職するの?
進学するの?
まるで、壊れたロボットみたいだね。
先生にとっての私たちの存在なんて、箔を付けるものでしかないんだ。
だから、私たちに自由は許されない。
私たちが選べるのは、大人たちにとって都合の良い選択肢だけ。
私たちが選べるのは、就職か進学の、たった2択。
本当に、人生って面白いや。ねえ?
先生は頼りにならないから、私たちはね。
だから聞いて回ったの。
あなたは、卒業して、何がしたいの?
私は、人を助ける仕事をしたい!
俺は、馬鹿だけど、先生になりたいな!
僕は、世界一の投手になるんだ!
うちはな、家業を継ぐんや!よかったら食べにきてな!
君は、卒業して、何がしたいの?
看護師、警察官、野球選手、居酒屋。
仕事は沢山あるし、できる事は、この世界に溢れてる。
でも、高校で勉強以外に、何も教えられてないの。
楽しいのかな。
きっと、苦しいんだろうな。
いつも、私は、逡巡して、最後は、
答えられない。
私は、何も知らないから。
仕事なんて、生きる為に就くんだし。
だって、生きるためにはお金がかかるんだ。
お金は、どうやって稼ぐかわからないけれど、
生命を削って、一生懸命する事なんだと思う。
知らないけどね。
そういえばね、面白い思い出話があるんだ。
でね、2年前の夏に、瑠花と水着を買いに、繁華街を歩いた時なんだけどね。
その日はとても暑くて、汗でシャツが濡れちゃうぐらいにさ。
2人でお互いに買ってあげよう、って並んでお喋りしながら見て回ってたんだ。
そしたらね、小太りのおじさんに声をかけられたことがあるんだ。
額から汗を滝のように流して、でも上等なスーツを着ててね。
日差しで金色に光る腕時計を付けた左手を、私たちに伸ばしながら、
膨らみすぎたパン生地みたいな顔で。
お金をあげるから、気持ち良い事をしよう、って。
口も体臭も臭くて、息が荒くて、髪の毛は薄くて、生理的に気持ち悪くて。
でも、なんだか良いかなって、思っちゃったりして。
その手を、握りそうになっちゃった。
その時、
瑠花が助けてくれたんだっけ。
パン生地にめり込む右ストレート。
今でも思い出せるよ。
懐かしいなぁ。
その後、ぷりぷりしっぽりと、怒られたんだけどね。
今だと良い思い出だよ。
もう二度としないでね、と。
でも、楽しいまま、終える事ができなら。
手の内から伝わる彼女の体温が愛おしい。
三年間を、ありがとう。
楽しい月日だったなぁ。
またどこかで会えると良いなぁ。
私は、愛花愛香。
白百合学園高等部、三年生の18歳。
両親共に健在で夫婦円満、仕事は共に医師をしてる。
妹がいて、勉強も気遣いもできるし、何より顔が端正。
困っている人がいたら、駆け寄ってしまう優しい妹。
そして、私の隣には静香瑠花がいる。
柵を軋ませて遊ぶ、怖いもの知らずの彼女。
彼女とは家が隣同士で、幼馴染みだ。
動くのが大好きで、肌は綺麗な小麦色。
強気な眼に、日差しを照らし返す金の髪。
真夏の太陽が、人間の女の子になったような、そんな子。
何かと私を気にかけてくれる、良い奴。
彼女のお陰で、いじめがなく過ごせて、ずっと笑っていられて、恋を、初体験だって......。
私は、友達にも、彼女にも、妹にも、親にも恵まれて、容姿も悪くない。
私とすれ違う女の子も男の子も、例外なく、みんなが私を必ず、直視してしまう。
肌、顔、髪、胸、腰、お尻、脚。
いろんな人に、何度も舐めるようにみられた。
憧れ、嫉妬、羨望から、情欲に満ちた感情が混ざっていたことも知ってる。
みんなが、私に魅入ってしまう。
生理的に気持ち悪くはあったけれど、生きることを認められているようで、嬉しかった。
私の、存在の証明。
私の高校は進学校、風紀も知能指数も高いと思う。
それに、私はお金に不自由を覚えた事はない。
私が欲しいと思ったモノは、全て手に入った。
男子に声をかければ、上擦った声で返事をしてくれる。
女子に声をかければ、うっとりした表情で見返してくる。
何が不満なのか。
私の心がもやもやする。
それはきっと、私に困難や試練と呼ぶべきものがなかったから。
私は、与えられた事はそつなくやり遂げる。
私への、罵声や叱責は誰の口からも発せられない。
私は良い子なのだ。
品行方正の、綺麗なお嬢様。
両親に、悪い事はしちゃダメだって、教えられた。
妹からは、お姉ちゃんは可愛いから、変な人についていっちゃダメ、なんて言われて。
瑠花には、何かあれば私を頼って欲しい、なんて言われて。
私は、何様、なのだろう。
私は、何故、生きているの。
私は、一体、誰なのだろう。
鏡に映る、濡れた黒髪に、艶やかな眼差し、なだらかな曲線を描く肢体。
真珠のような光沢を含んで、絹のようなきめ細かな肌に、雫が滴る。
胸にある、陶器のような、綺麗な丸みを帯びつつも、張りのある線は、
女子に羨望され男子を釘付けにする。
上気した頬には、紅が差していた。
それはまるで......なんて。
鏡の中の私と、手の平を合わせる。
私に、生きる意味なんて、あるのだろうか。
淫らな悪魔のように、生きる目的があれば良いのに。
だから、終えるには良い人生だったと私は思う。
十八年程度しか生きていない、生意気な小娘だけど。
私にしか、体験できない人の生を、堪能し尽くした。
だから、次に生まれるなら。
私は、この広大な海を、自由に翔べる翼が欲しい。
この無邪気な風を孕んで、自由に。
ふわり、と空中に一瞬浮いて。
浮遊感の直後、重力に引っ張られる。
急速に、柵が軋む音が遠くなる。
瑠花の悲痛な声を最後に聞くなんて、悲しいな。
お願いだから。
楽しそうに、笑っていてよ。
みんな、私をみて、どんな反応するかな。
わかんないや。
人間の大人たちが提示した選択肢以外を選んでやった。
まるで悪戯を成功させた、悪ガキみたいだなぁて。
口元がニヤついて、笑顔が止められない。
けれど、頬を伝うこれは、なんなのだろう。
なんだか、暖かいな。
私の生命が、身体から溢れ出してる。
それはきっと、器が壊れてしまったから。
私の、綺麗な器だったモノ。
ありがとう。
ああ、愛しの瑠花、泣かないで。
ごめんね。
ごめんね。
また、どこかで、あなたに会えたなら。
また、木漏れ日の中で。
きっと。
さようなら。