新人竜騎士と使えない魔法使い
「竜が出て困っているんだ!」
彼らは領主の衛兵だろうか。私はぶかぶかのマントのフードを引っ張り、顔を隠してドアの隙間から覗いた。
「……どちら様でしょうか」
すると、相手は苛立ったように足を踏み鳴らした。ガチャガチャと鎧が鳴る。そのうるささに、私は思わず身を縮めた。
「この姿を見てわからんのか! 我らはこの北の土地の領主、ズルチン様の衛兵であるぞ。ここ一ヶ月、領主は竜に悩まされている。お前の主人はどこだ? 魔法使いを住まわせてやっているのだ、こんな時に使えなくてどうする」
竜は管轄外だ、と言っても仕方がないのだろう。魔法使いならなんでもできると思ってる。
「……竜騎士様がいらっしゃるのでは?」
リーダーのような男が眉をひそめた。
「彼らに頼むわけにはいかない。あれは野生竜だ。王都でも花形の彼らの手を煩わすことはできん」
「でも……今……師匠はおりません。外出中で……」
私が身を縮めて言うと、彼はドアをどんと叩いて威嚇した。
「どこにだ! 連れ戻しに行く!」
「……わ、わかりません」
「なんだと?! あの女……知らぬうちにこんな幼い弟子など雇った上に、雲隠れとは……ふざけたやつめ」
吐き捨てるような言い方に、私はさらに怯えた。
竜だけ? 竜が来ているだけ? 他に何もないなら、問題はない……竜ならきっと、そのうち飽きたら帰るはず。自分より弱いものに、彼らは長いこと興味を抱かないから。
「……すみません」
私が謝ると、彼は舌打ちをして唾を吐いた。
「お前に謝ってもらったところで、なんの足しにもならん!」
「はい……ごめんなさい……」
「だから」
「はいはい、ごめんなさいよー」
苛立ちでざらついた衛兵の言葉を、誰かが止めた。衛兵の肩を掴んでいる。
私からは逆光で見えないけれど、髪は透ける金色だ。着ているのは軽くて丈夫そうな鎧で、太陽に反射してキラリと輝いていて、音も軽やかだった。
「衛兵のお兄さん、こんな小さな子を怯えさせて、楽しいんですかね?」
「なんだお前は……竜騎士か?!」
焦った衛兵の声が、その男を一歩進ませた。顔が見えた。思ったより幼い顔、けれど随分と整っている。年は二十歳くらいだろうか。
「ご名答。俺は竜騎士のロジェ・モネリン。竜関係のトラブルは、俺たち竜騎士に相談のことって、国の決まりでもあるんですけどね。なんで教えてくれなかったんですか?」
衛兵が一歩下がった。ドアから彼らが離れ、威圧的な雰囲気がなくなった。私はほっと息をついた。
「ロジェ……モネリンだと?! あの若くして竜騎士に認められたという精鋭か? お前が?」
「わぁ。覚えていただいてたんですね。嬉しいです。そうです、入ったばかりの下っ端ですから、休暇中にもかかわらず、こうして辺境の地までやってきたわけでして」
ロジェ・モネリンはニコニコと手をもみながら、話を続けた。
「自分たちで片付けようなんて……無理ですよ。魔法の種類が違います。確かに、この家の魔法使いは竜に好かれるようですが……資料によると、彼女は竜に効く魔法を使えません。倒すようなこともできません。なのに、どうして彼女なのですか? それに、おかしいですよね? 野生の竜は近くにいますが、最近まで、この家を好きではあっても、領主の家を攻撃などしたことはなかったはずです」
ロジェの笑顔に圧が増した。衛兵たちが顔を見合わせ、言葉を濁した。
「それは……」
「言いたくないですか? それなら言ってあげましょう。竜たちは怒ったんです。領主があまりにもクソだから。この家の魔法使いを……無理やり言いなりにしようとしたから。でしょう? だから連れに来たんだ。彼女が姿を見せれば、竜がおとなしくなると思って。お願いする立場なのに、その上から目線、気に入らないなぁ」
すると、衛兵たちはいきり立って口々に叫んだ。
「領主は! あの女に魔法をかけられているんだ! だから……!」
「そうだ! あの女は魔性だ! 美しい顔で領主を惑わした!」
「逃げるなんてやましいことがあるからだ!」
「領主の妻になったら領主を殺し、この土地を取り上げるつもりなんだ!」
「そうだ! だから危ないのだ」
私はゾッとして身を震わせた。ロジェも衛兵の話を信じるのかしら。資料を読んだと言っていたけれど、人となりについての資料などなかったはずだ。私がフードの下から盗み見すると、ロジェも私をチラリと見て、目が合った。
ロジェは頷いた。そして、衛兵達に顔を向けた。
「ほう、ほう。だから、君たちも、彼女を殺してもいいと思ってる?」
「違う! 竜を大人しくさせたいだけだ」
彼らは慌てて否定した。そう、そのようなあやふやな憶測を理由にして人を殺すことは、認められていない。
ロジェはニヤリと笑い、目を光らせた。
「本当かな? 領主は何をした? 彼女に、……彼女を、どうしようとした?」
衛兵たちは答えなかった。答えを知っているのか知らないのか、私にはわからない。
「知ってるかい、君」
不意に、ロジェが私を向いた。私が驚いて目を丸くしていると、ロジェは優しい声で微笑んだ。
「弟子なんだろう?」
私は頷き、ロジェをじっと見た。信じていいのかな。本当のことを言ってもいいのかな。でもどちらにしろ、私は発言を求められていた。ここで言わないことには話が進まなかった。
「眠り薬で眠らせて、手篭めにしようとしたんです」
きっぱりと言った私の言葉に、騒ぎそうになった衛兵たちをロジェが一睨みする。そして、促すように私に頷いた。
「し……師匠は領主のプロポーズを断りました。一年間、断り続けたそうです。そして、領主は諦めてくれて、……その日、お詫びの証にと、ワインをくださいました……」
「その中に、眠り薬が?」
私は落ち着いて頷いた。
「そのようです。師匠には薬の耐性があったので、効かず、起きることはできました。ですが、具合が悪くなる後遺症があって……師匠はすぐに解毒剤を求め、私を置いて旅に出ました。その夜中には、……侵入者があったようで、竜が騒ぎました」
「つまり、身柄を奪いにきたら、いなかった、と」
「さぁ……その翌朝から、竜がこちらに来なくなってしまいましたので、わかりません」
私が答えると、ロジェは確認するように何度も頷いた。もしかして、その話を知ってるの? 誰も知らないはずなのに……
「そして、竜たちが怒り、領主を攻撃した……これねぇ、書類だけじゃ済まないよ。君たちの領主様は、牢屋行きどころじゃなく、……地位剥奪されるかもしれないね?」
ロジェの言葉に、衛兵達が青くなって動揺した。
「そんな!」
「どうしてそこまで」
「魔法使い一人」
しかし、ロジェは鼻で笑った。
「だが、この魔法使いは特別なのさ。お前たちの知らない理由でな」
ロジェの後ろから、いつの間にか人影が現れた。ロジェは振り返らず、鋭い声で命令した。
「ひっ捕らえろ。そして連れて行け」
衛兵達は逃げ出そうとしたが、できなかった。相手の方がずっと素早く、強かった。竜騎士の仲間だろうか。鎧がロジェのものと似ている。
「や、やめ!」
「どうせお前達の領主様も、今頃捕まってるさ。野生の竜であろうと、騎士と共にいる竜であろうと、変わらない。彼らはいつでも情報共有ができ、助けを請うことができるのだ」
そしてロジェは捕まった彼らを見送りながら、声をかけた。
「大事な友達を助けてくれってな」
誰に伝えようとしたのだろうか。憂いを帯びたロジェの立ち姿は、絵のように綺麗だ。
不意にロジェは振り返り、にっこりと笑った。
「さて、お嬢ちゃん。フードをとってもらおうか?」
「だ、ダメです」
私はとっさにフードを目深にかぶり、ドアを閉めようとした。だが、ロジェはそれを見越したように、たやすくドアの隙間に足をはさんだ。
「どうして? 俺は助けたんだよ? 顔くらい見せてくれてもいいだろ?」
「ダメです。日の光を浴びてはいけないのです」
私が力づくでロジェの足を外に出そうとしても、なかなか動かなかった。たかが十歳の力では、無理な話だ。
「それなら、家の中に入ろう」
「ダメです。片付いていないから」
「片付ける必要が? さっき少し見えたけど、綺麗だったよ」
「ダメです。入れません」
「頑なだなぁ」
ロジェはやれやれと肩をすくめた。
「仕方ない、諦めるか」
私がホッと肩の力を落とした時だった。ロジェが素早く動き、ドアが開いた。その反動で私は玄関を出てしまい、マントのフードがハラリと落ちた。
しまった……!
私は慌ててマントを引っ張ったが、ロジェはそれを許してはくれなかった。ロジェの手はマントを抑え、私をぐっと側に寄せた。
「やっぱりだ」
抱きかかえられるように、私はロジェの影に隠れていた。おそらく、日の光に浴びてはいけないという嘘を、万が一のために信じたのだろう。私の倍くらいの身長のロジェが、私の頬をふんわりと抱え、私をじっと見ている。
「銀の髪、紫の瞳、……絵姿そっくりだ……」
「絵姿……?」
「王都にある……」
言うと、ロジェは真剣な表情になり、パッと私から離れると、私の前で膝をついた。
「な」
「お助けできて光栄です、トレハロース様。あなたのお力が永久にあらんことを」
私の肩がびくりと動いた。
「この国で唯一、完全なる治癒魔法を使える、大魔法使いエレアノール・トレハロース殿」
言って、ロジェは恭しく頭を下げた。
「違います」
とりあえず私は言ったけれど、多分、あまり意味はなかった。おそらく、その絵姿には魔法がかけられていて、わかる人には特定できるようになっているのだ。
「何をおっしゃいます。あの絵姿は、どう見てもあなた様の成長した姿。もう何年も前に代替わりしていたと聞きましたが、かように若い方だとは……みつからないはずです。領主にお会いする時は、成長魔法を使われたのですか? なかなか難しい技術を習得なされて、先が楽しみです。あなた様の力を魔法院でも欲しております。ぜひ一緒に」
「ごめんなさい」
私は遮るように言い、申し訳ない気持ちで頭を下げた。すると、ロジェは驚いた顔で私を見あげた。
「どうしてそのようなことを」
助けてくれた人だ。その上、私の力を信じてくれている……さすがに言わなくては。私は意を決して彼を見た。
「誰にも言わないでくださいね」
「何をです?」
「絶対ですよ」
「は、はい」
私に気圧され、ロジェは頷いた。
そう……正直に。
「使えないんです」
「何がですか」
「魔法が使えないんです」
ロジェは首を傾げた。
「……使えない?」
どうか、彼に伝えることが、私の判断間違いではありませんように。
「その……眠り薬の中に、一時的に使えなくなるような薬が混ざっていたんです」
「一時的なら、問題がないのでは」
「ところが、眠り薬と反応して……私の魔法の力が眠りについてしまったようなんです」
ロジェは言葉を失って、少し考え込むように顎に手を当てた。
「……なんと」
「それで、おそらくその副作用で……体が幼くなってしまったんです」
「なるほど」
さらにロジェは頷いた。
「つまり、そのお姿は元の姿ではなく、魔法で変わってしまったということなのですね?」
「はい、そうです。実際の私は、王都にある絵姿で合っています。おそらくそれより多少、年を取ったのが正しい姿になるかと」
多分。数年前の絵なら、きっとそうだろう。私に助けを求めてきた者がいたのは覚えているから。絵を描かせて国に献上していてもおかしくはない。私の所在は、それまで知られてなかったから。
「となると、あの者たちの言っていた、領主が魅了されたというのは……」
「全くのデタラメです。私の力が欲しかっただけだと思います。かなり欲の深い方でしたから……」
私は思い出すだけで気分が悪くなった。領主に初めて会った時の顔から態度から、何もかもが気持ち悪かった。私の魔法の性質上、よこしまな気持ちや欲の深い悪気を持つ人のそばにいるのが辛いのだ。
だが、ロジェは違う。とてもきれいな空気だ。こんな人は初めて。
「だけど……あなたはきっと、美しかったのでしょう。絵姿を思い出せば、妻としても手に入れたくなるのは道理です。衛兵たちだって言っていました。『あの女は魔性だ』『美しい顔で領主を惑わした』って。つまり、そういうことでしょ? ね、お嬢さん」
言って、ロジェが微笑んだ。竜騎士って、みんなこんなにきれいな空気を作れるのだろうか。だから竜はみんな、彼らに従ってくれるのか……
「わかりません。みんな好き勝手なことばかり言うのです。それより、私が実際はそれなりの年齢であると、理解していただけました?」
「そうだね。話し方も理知的だし、内容もそれらしいし……」
「理解したのなら、いい加減、子ども扱いはやめてください」
私がフードをかぶりなおして言うと、ロジェは腕を組んで唸った。
「でも見た目、小さな女の子ですしねぇ。本当は何歳なんですか?」
「三百は超えています」
「嘘」
「嘘です」
私が言うと、ロジェはがくりと地面に尻もちをついて、呆れた顔をした。
「は……はぁ?」
「二十五ですよ」
「その若さで、大魔法使いに?」
「代替わりしたとおっしゃったでしょう。大魔法使いとして得られる知識と技術を習得する正しい方法は、二つあります。魔力の高い者が自ら習得するか、その器を持つ者が、魔力を継ぐか、です。魔法使いは、弟子を自分の後継者候補として育てますが、最終的に地位を継ぐのは一人だけ。私は、師匠が引退する時に、魔力を継ぐ儀式をしたんです」
何人も候補はいた。けれど、その中で、私が耐えうる”器”として選ばれ、儀式を通して、正式に継いだのだった。
ちなみに、正しくない方法には、魔法使いを倒して、その力を奪い取るという方法もある。同僚だった弟子たちは、私を選んだ師匠を倒そうとしたし、私のことも倒そうとしたけれど、結局、できずに、散り散りになってしまった。師匠は私を教育し、そして、今に至る。
「それはいつなんですか?」
「十歳です。それから十年修行して、五年前、ようやくコントロール出来るようになったばかりなんです。私が思うに、多分、魔法が使えなくなって、魔力を継ぐ前の、その年齢に戻ったのでしょう」
「そうでしたか……」
私は肩をすくめた。
「なので、三百を超えているのも、二十五歳なのも本当です。実際の見た目は、十歳ですけど」
「そうですか。事情はわかりました。それで、治す方法はわかっているのですか?」
「実はあまり。実際、よくわからないんです。眠り薬の回復剤などを調合してみたんですが、うまくいかなくて。カネルという街をご存知? 薬関係の魔法使いがいるようなので、訪ねていこうと思っていたんです」
「その姿で?」
「仕方ないでしょう。それとも、他に解決策が?」
「王都は? こっちには、王宮付きの魔法使いもいるし、魔法院もあります。相談に乗れると思うのですが」
私は首を横に振った。
「ダメです。今の状態で、魔法院に頼るわけにはいきません」
「どうしてですか」
「知られてはならないんです。私が力をなくしてしまったことを。私は大魔法使いトレハロースですから……私を倒しにくる魔法使いも出てくるでしょう。魔物や、前代のトレハロースに恨みを持つヴァンパイアも少なくありません。”トレハロース”はあらゆる魔法を使えるので、誰も敵わなかったので……取り込もうとする魔法使いもいるだろうし、権力者もそうです。魔法院だって、例外ではありません」
私が一気に言うと、ロジェは厳しい表情で私を見た。散り散りになった弟子の中には、魔法院に行った人もいる。どこにも属さない私をよく思わない人もいるだろう。魔法院を批判したわけじゃないけど……そう聞こえてしまったらどうしよう。あの剣で殺されてしまうかしら?
「つくづく……ここの領主は何も知らなかったんだな」
「そうですね。大魔法使い”トレハロース”と、魔法使いエレアノール・トレハロースは、別人だと思っているでしょう。私もそのつもりで生活していましたし」
「でも、力がなくなってしまっては……それでは均衡が保たれません。一大事ではありませんか」
「ええ、本当にそうなんです」
私がため息をつくと、ロジェは同じようにため息をついた。
「仕方ありません。俺がお供しましょう」
「……どこに?」
「その、薬の魔法使いです。その人なら、治せるかもしれないんですよね?」
「ええ、でも……」
「その姿では旅も難しいでしょう。何が起こるかわかりません。俺がついていった方が安全です」
「でもあなたの仕事は」
「休暇中なんです。それなのに、無理やりここへ連れてこられて、先ほどまで不服だったんですが、……そのため、休暇を続行します。あなたの師匠を探す旅に付き添うという名目で。そう報告すれば、上だって、休暇を伸ばしてくれると思います」
「そんな……大丈夫なの?」
私が言うと、ロジェは私の頭をグリグリと撫でた。
「つべこべ言わずに、荷物をまとめて、竜に乗ってください。すぐに出ましょう」
「いいんですか?」
「もちろん。カネルの街には竜で飛び続けても二日はかかるでしょう。それでも、他の手段で行くよりずっと早いですよ」
「……わかりました。よろしくお願いします!」
私は急いで家に入ると、手当たり次第に荷物をかばんに詰め込んだ。最低限必要なものがあれば、大丈夫。大した旅ではないもの。
私が鞄を抱えて玄関に戻ると、ロジェは竜を連れて、玄関前で待機してくれていた。
竜がつぶらな瞳で私を見る。まだ若く、いかにもロジェと相性が良さそうな利発的な顔をしていた。
「可愛い! こんなに可愛い竜に乗れるの?」
「アロイスと言います」
「よろしくね、アロイス」
私が手を出すと、アロイスは私に頭を撫でさせてくれた。何て可愛いの。抱きついちゃおう。私がアロイスの首筋に手をまわすと、ロジェが可笑しそうに笑うのがわかった。
「親しんでくれて何よりです。荷物はこれだけですか?」
「ええ、長旅にならないのでしょう?」
「そうですね。わかりました」
荷物を竜に乗せ、ロジェはしばし私を見た。
「ところで……そのアホみたいに大きなマントは何なんですか? 裾も地面スレスレですし、全身をすっぽり覆ってしまって、動きにくそうなんですが」
「そうかしら。でも、必要なんですよ」
「どうしてですか?」
言いながら、彼は私の脇からひょいと抱き上げて、竜の背中に乗せた。
この人、さっきから、言葉遣いは大人向けなのに、態度は明らかに子供向けだわ。見た目上、そのようになってしまうのは仕方ないけど、そうしたら、言葉遣いも子供向けにしてもらった方がいいのかしら?
私が思った時だった。
「よし、いい子だ」
ロジェは幼い子に親しみを見せるように、自然に私の額にキスをした。しまった。大事なことを言ってなかった!
「も、モネリンさん! 私」
「ロジェで結構ですよ。乗り心地は……ん?!」
竜の背中に乗った私を見て、ロジェは目を丸くした。
「え……えぇ?!」
私はマントをしっかりと抱え、うつむいた。
「言ってなくて、申し訳なかったです……私、キスをされると、元に戻ってしまうの」
マントの裾からは、二十五歳の私の足が伸びて見える。マントは太ももまでしか私をカバーしてくれない。でも、突然そうなってしまうのは仕方ない。これを見越して、このマントの下も、ぶかぶかのワンピースなのだ。
「ロジェ? 本当にごめんなさい。驚いたでしょう?」
唖然としていたロジェは、私の足を見て真っ赤になり、慌てて自分の上着を取り出して私の膝にかけた。
「驚きますよ! と言うか……魔性って本当じゃないですか。これじゃ旅なんて……どうやったら戻るんですか?!」
「すぐに戻りますから。五分もしないうちに」
話してるそばから、私は先ほどのサイズに戻った。ロジェの上着がパサリと落ちる。
十歳の姿の私を前に、ロジェの目が点になった。
「……ひどい」
「でしょう?」
「持続しないなんて!」
そこ?
私は肩をすくめた。でも、説明できなかったのはそんなに悪くないと思う。突然キスされるなんて思わなかったんだもの。
「仕方ないでしょう。メカニズムがさっぱりわからないんですから。もしかしたら、薬は効かないかもしれないので、そうだとしたら、違う魔法使いに聞いた方がいいかもしれないですね」
「……そんな……」
「これでもよくなった方なんですよ。初めはなんともならなかったんですから。薬を試していた時に、たまたま猫にキスされてわかったことでしたけど、犬でもうさぎでも、竜でもそうだったから、きっと人間もとは思っていたんです。これで証明されました」
ロジェは私の言葉を聞きながら、深呼吸を何度かすると、息を整えて空咳をした。
「……了解しました。これは思ったよりも、難しい旅になるかもしれませんね」
「嫌なら……」
「いいえ! 絶対に俺が行きます。俺でなければダメです。他の人に知られたら、どう使われるか分かったものじゃありませんから」
「それならありがたいけど……」
私は困ってロジェの顔色を伺った。使命感に駆られた、曇りのない瞳。でも……本当に嫌ではないのかしら? 今はキスだけだけど、今後、どうなるかわからないのに。
「ロジェ、キスのことは秘密ですよ。体質も変わる可能性があります。今後はどうなるかわからないから、何かあったら教えますね」
するとロジェは少し考えて、私の膝に拾った自分の上着を置くと、私の手を取った。
「うーん……挨拶の……手にするキスでもダメなんですかね?」
ロジェは言うと、不意に私の手にキスをした。
……案の定、私は元の姿に戻ってしまった。
「ちょっと! ロジェったら、遊ばないでください」
私がむくれて言うと、ロジェは笑いながら、すぐに幼い姿になった私の頭をポンと叩いた。
「これじゃ、あなたに挨拶をすることすらできませんね」
そして颯爽と竜にまたがった。ロジェがすっぽりと私を抱えるように包み込む。十歳くらいだと、持ち運びは逆にちょうどいいのかもしれない。私はロジェに抱えられる格好で、竜騎士本人を見上げた。
「いい? ロジェ……二十五歳の大魔法使い”トレハロース”なら、困るかもしれないけど、弟子の私……十歳のエレアノールには無用の心配だと思います。キスするほど近づく人なんて、いないと思うし」
「そうなる前に、俺が全て阻止しないとならない、というわけですね」
「警戒するまでもないと思いますが……そうですね。ありがとうございます、ロジェ。頼りにしてます」
私がホッとして言うと、ロジェは手綱を整えながら、思案気に口を開いた。
「となると……引っ込み思案で俺の後ろに隠れてばかりいるけど、魔法使い見習いで、……魔法院に行きたがって、俺の休暇につきまとっている、って設定はどうでしょうか?」
「いいけど……通用するの?」
「大丈夫ですよ。竜騎士なので、保障はされますし、なんといっても、子供を無下にすることはできません」
「なるほど……でも、私がロジェにくっついて回っていてもいいの?」
十歳の幼女だけど。
すると、私の心配をわかってか、ロジェはふわりと笑った。
「問題ありません。むしろ……光栄と言ったほうがいいでしょう。何しろ、こんなに可愛らしい大魔法使いのお供ができるんですから」
そういうものなのかしら? 妹設定のほうが良さそうな気もするけど……でもロジェは竜騎士で、竜騎士と言ったら花形職業、有名だから家族は調べられやすいし、バレたら困るものね……
私が思っているうちに、ロジェが手綱を強く握った。ロジェの鎧がカタカタと鳴った。これ、竜の鱗でできているのね。とても綺麗だわ。
「さぁ、飛びますよ。捕まっていてください」
アロイスが飛び立つその瞬間、風がびゅうと吹いて、私の髪をなびかせた。