月が満ち 潮が大きく動く
犬の出産シーンがあります。
ご注意ください。
それからしばらくして体がだるくなって、ご飯が食べられなくなった。
私の変化に一番に気づいたのはやっぱり彼女で、散歩もボール遊びとかの激しい遊びもしなくなった。
かわりに夜は玄関に入れてくれて世話を焼いてくれる。
家猫の彼は自分のテリトリーに侵入者がいることが不満らしく彼女の足元で可愛らしく鳴きながらなにかを訴えていたけど、ほとんど丸くなって動かない私など敵ではないと思ったのか次第に興味を失って近づいてこなくなった。
彼なりに私が通常の状態ではないと本能で分かっていたのかもしれない。
夜だけ居候している間、彼は遠巻きにしつつも私を気にかけていてくれたから。
動物病院で妊娠していると診断された日から食事が変わり、たくさん食べることを求められた私はただひたすら食べに食べた。
そして週末の散歩が再開され穏やかな日常が戻ってくる。
体重が増え、お腹が大きくなっていく。
そこに子どもがいるんだと思うと不思議な気持ちと喜びがごちゃ混ぜになってわけが分からなくなる。
でも命を育んでいるんだという使命感と漠然とした母性のような温かいものに満たされて誇らしかった。
妊娠後期になると重い、寝返りも簡単に打てない、すぐに息切れを起こすという三重苦になる。
胎動を感じられるようになったけど、それが複数しかも違う場所であるのでおちおち寝てもいられなかった。
寝不足からイライラするし、ちょっとしたことがストレスになる。
こんなに辛いなら早く産んで楽になりたい。
だけど私に出産なんてできるんだろうか?
痛みに耐えて何匹も産んで、その全ての子たちの膜を破り、へその緒を噛み切り、顔や身体を舐めて息をさせて、胎盤の処置をして――なんて、無理だ。
できない。
恐怖に震えていても、どんなにいやがっても来るものはくる。
月が満ち、潮が大きく動く。
その日に。
激しい痛みと共にお腹の中が大きくうねった。
痛みから気を紛らせるために出産のために用意された囲われたスペースの中をウロウロと動き回る。
血の微かな匂い。
抵抗できない苦痛と動き。
彼女が出産した時に立ち会っていたからやるべきことは分かっていた。
必死になって産み落とし、羊膜を破って顔と身体を舐めてへその緒を噛み切って――もちろん抵抗はあったけど命が目の前で助けを求めているのだからやるしかない。
他の誰でもない私の子なんだから。
痛みの波を乗り越えて家族に見守られながら産んだ子は男の子が二匹、女の子が三匹。
大小の差はあったけどみんな元気におっぱいを飲んで折り重なるようにして眠っている。
私も疲れ果てて子どもたちをお腹に抱えるようにして目を閉じた。
子どもたちは日に日に成長してあっという間に目が開き、喧嘩をしたり遊ぶようになった。
それぞれの性格の違いや甘え方、鳴き方や寝相の良し悪しまで分かるようになった私はすっかり子どもたちに夢中だ。
いつまでも寝ている子を起こしてお尻を舐めおっぱいを飲ませ、ろくに歩けもしないくせにジャンプのまねごとをする子を眺め、脱走を企てる子を咥えて引き戻し、私の身体をよじ登る姿を見守り、彼女の腕の中でおとなしく抱かれている子を見上げて。
幸せだった。
とても。