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これは結構ハードな体験です

お読みになる前にあらすじの注意点をご確認ください。



 名を呼ばれた後で読み上げられたのは生きてきた中で積み重ねられた罪とわずかながらの善行。


 聞き終えた後で閻魔さまは眉間に皺を寄せ「ううむ」と唸る。


「あの、私は地獄行きでしょうか」


 殺人を犯したわけでも暴力で誰かを傷つけたわけでもないけれど、長い人生の中で深く考えもせずに口にした言葉によって人を泣かせたこともあるし、その時の気分でつらく当たったこともある。


 しかも我が身を大事にすることで一生懸命で、困っている人を助けることも――悪いと思いつつ――してこなかった。


 そして私の中にはあることに対して負い目がある。


 死んだ人を裁く閻魔さまが気づかないわけがない。


 閻魔さまはギョロリと大きな目をこちらへ向けて「行きたいのか?」と聞いてきた。

 私は「いいえ」と答え、逃げる視線をなんとか正面へと戻す。


「ですが、ご存じでしょう?」

「そうだな。ならば一度経験してみるか」

「……地獄を、でしょうか?」


 お試しで地獄体験ができるなんて聞いたことはないけれど閻魔さまがいうのだから可能なのかもしれない。


 でも試してみて辛くて痛いからどうか極楽へ行かせてくださいなんて後からいえるわけがない。


 私の恐怖を見抜いて閻魔さまは眉を下げてなぜだか悲しそうに笑った。


「お前の後悔をお前自身が受けるのだ」

「私の後悔を私が?」


 理解が追い付かず頭が真っ白になっている私の目の前で閻魔さまは右にいる補佐官に指示をだしてさっさと処理を済ませていく。


「あの、閻魔さま、私はどうなるのでしょうか?」

「言葉通りだ」


 私の腕を鬼が引いて奥の扉へと歩き出す。


 でもちょっと待って。

 もっと詳しく教えてくれないと。


「記憶だけは残しておこう。お前のために」

「ちょ、閻魔さま!?」

「しかと見てこい」


 主従を入れ替え全うした一生のその先を――。




 暗闇の先にうっすらと光が見えた気がした。


 なんか色んな匂いがするし色んな音が聞こえてくる。

 温かくてふわふわしたものが近くを行ったり来たりして、たまにぐにゃぐにゃした湿ったものが顔やら身体やらを撫でていく。


 自分の置かれた状況を確かめたくて目を開けようとしたけど瞼がぴったりと糊で固められたみたいに動かない。


 手や足も力が入らなくて頼りないし、動こうとするとお腹がこすれるのでどうやら体に比べて短いらしい。


 お腹が空いたと泣いてもお母さんがおっぱいを飲ませてくれたりするわけじゃないから私は人ではないものに生まれ変わったんだろう。


 しかも兄弟がいる。

 見えなくても複数の気配や声、心臓の音がつねに近くでしているからね。


 見えないなりに頭や手で押しのけ、時には体を割り込ませて食事にありつかないと成長が遅れるだけじゃなく死んじゃうからみんな必死だ。


 もみくちゃになりながらおっぱいを飲んで、もみくちゃになりながら寝て。


 お尻を舐められて排泄を促されるのだけは人間だった記憶と自覚があるのを恨んだけれど、それ以外はほかほかと温かくて幸せだった。


 目が片方細く見えるようになり、やがて両目がぱっちりと開いて見えたのは青と黄色とグレーだけの味気ない世界。

 視界はぼんやりとしていたけど元々目が悪かったから眼鏡なしよりはわりと見えているので問題ないかな。


 ただお母さんや兄弟の頭の上にピンッと立った耳と鼻、丸い目やふさふさの尻尾があるのを見てやっぱりと納得した。


 私は犬として一生を送ることになるらしい。


 これは結構ハードな体験だよ。

 閻魔さま。


 確かにこれなら私の後悔を私自身で受けることができる。

 でもそれを私が受け止められるだろうか。

 自信がない。


 それでも生まれてしまった。

 始まってしまった。


 落ち込んでしまった私の顔をお母さんがペロペロと舐めてくれると、羨ましがった兄弟たちがドドッと寄ってきてなにがなんだか分からなくなってほんの少しだけ大丈夫になる。


 濃厚で甘い時間は長いようで短い。


 兄弟たちがもらわれていくという形で欠けていくとお母さんは悲しそうに泣いて探し回る。

 その間にまた減り、連れていかれ。


 最後に残ったのは私。


 子育ての時期を過ぎてしまったお母さんも私をどう扱っていいのか分からず、その飼い主さんも困り果てているご様子。


 そんな時に鳴った一本の電話。


 数日後にやってきた母娘の姿に私は震えた。


 優しそうなお母さんと高校生の娘さん。

 差し出された手から逃げるように体を引いてしまったのは――そう、怖かったからだ。


 彼女はあの時と変わらず穏やかな瞳で私を見ていたから。

 じっと真っすぐに。


 あの頃とは違う小さな口が動くけれど私には人の言葉は分からない。


 「はじめまして」だろうか。

 それとも「こんにちは」だろうか。


 ずっとこっちへ出されたままの指先に鼻を近づけるとどこか懐かしい匂いがした。


 彼女は笑ってお母さんを振り返る。

 一生懸命話している彼女の声は弾んでいて楽しい気持ちが伝わってきた。


 呼吸も心臓の音も少し速い。


 ふさり、ふさり。


 知らない間に私の尻尾は動いていた。

 それを見て彼女は嬉しそうに笑う。


 主従を入れ替えやり直す。


 犬に生まれたと気づいた時から彼女と出会うことになることは覚悟していたけれど。


 ああ閻魔さま。

 なんと残酷な罰でしょうか。


 彼女の腕に抱かれて出た外は春の匂いに満ちていた。

 不思議なことに彼女と初めて出会った時と同じ季節。


 雨の湿った空気にひらひらと花びらが舞う。

 私があなたに贈った名前の花が満開に咲いていた。


 今の私の目にはその色を正確に映さないけれどやっぱり美しい。


 悲しいほどに。

 狂おしいほどに。



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