裁判の思わぬ結末
その後も少女アイリスは俺達の主張をのらりくらりと、すり抜け回避すると、掴めぬ行動によって周りを掻き回していた。
ハートの女王を煽てたと思いきや、クロッケーが上手くいかないように誘導したり、丸まったハリネズミ達をまるでビリヤードの玉に見立てて三角形に並べ、一打で多くのハリネズミ達を弾いたり、トランプ達を立たせてピン代わりにして、どこからか持ってきたキャベツを転がし投げてボーリングをやってみたりと、原作にそぐわぬ暴れっぷりを披露していたのだ。(ボーリングは女王様もひどく気に入っていて、何度もピン代わりにされるトランプ達が不憫だった)
そんなこんなで、漸く落ち着いたアイリスが海ガメモドキとグリフォンと邂逅し、思い出話や歌を聞かされるシーンへと話は進んだのだが……
「あなたね、歌を歌う時ぐらい泣くのやめたらいかが!? 重要な歌の部分が聞こえないじゃないの!」
「ひどいってもんだ。自分が死んどる歌を意気揚々に歌えというなんて!」
と、彼女のワガママの所為で、元からスムーズに進まない物語が『更にスムーズに進まなく』なっていた。
海ガメモドキはワンワン泣き、グリフォンはアイリスに文句を言ったところで、ひと睨みされると静かに萎縮させられていた。……お前はどこかのガキ大将か。
結局アイリスは弱腰のグリフォンに頼まれる形で『タルトを盗んだ者』を裁くための法廷へと連れられるシーンへと移ったのだが……
「てんで根拠もない事であなた達はよくうだうだ話してられるわね! 最初っから実の無い話なんてのはするべきではないわ。そうでしょ王様?」
威圧するように問うアイリスに王様もしどろもどろ。首を撥ねろが口癖の自分の妻。原作とはよりも何倍もお転婆なアイリス。その板挟みの彼のストレスは計り知れない。
「ではアイリス、君が実のある話をしてみなさい」
「出来るわけがないわ! 私が卵かなにかにでも見えて?」
「丸い顔だ。卵ではないのか?」
「まぁ、ひどい! それを言うならあなたも卵ではなくて?」
確かに王様の顔もまんまるだ。と言うよりも上流階級のトランプ人間達(主にキングやクイーン、ジャックなんだけれども)は皆んなずんぐりな体型に卵を乗せてその上にカツラを被せたようなフォルムなのだ。みんなが皆んな、揃いも揃って卵の衆って感じだ。
「無礼だ、首を撥ねろ!」
先程この世界に来た俺でも既に聞き飽きたハートの女王のセリフが飛ぶ。この人はそれが口癖なのだ。
そんな彼女をキングは宥め、アイリスに続けた。またも問われたアイリスは辟易としながらも返答はしていた。彼女は俺にした宣言通りこの世界を楽しんでいるみたいだ。
「しかし……ようやくここまで来たな。なぁ犬」
アイリスの話の最終盤までやってきた事を隣にいる犬に少しだけ感慨深く思えて声を掛けたのだが……傍聴席にいる俺の隣には犬の姿は無く。代わりにモヤ〜とガス状の物質で形作られている『猫の顔』がそこにはあった。
「─────犬は居ぬ」
大きな目玉でギョロリと俺の見る、声からして恐らくオスの猫は決め台詞を言うが如く、そう告げた。
「お前は知っているぞ、さっきクロッケー場で首を落とされそうになってた『チェシャー猫』だな」
「落ちない首を落とされそうとは不適切」
相手の揚げ足をナチュラルに取ろうとするのがこの猫の特徴とも言えるのを俺は知っていたから、特にこの言葉に突っかかりもしなかった。
「─────俺の仲間の犬がいねぇってのはどう言う意味だ? 場合によっちゃその首切り落としてやる」
「切れない首を切り落とそうとは不適切」
「本当にそう思うか? ……俺をそこいらのトランプ兵と一緒にしてもらっちゃ困るぞ。この座った体勢からだって、お前の可愛い髭を一本一本根元から丁寧に切り落とす事だって出来るぞ、この刀でな」
俺はそう言って右手に持つ鞘に収まっている一振りの刀を軽く見せた。それでもチェシャー猫のニンマリ笑顔は失せなかった。しかし気は変わってくれたか、ゆっくりと話し出した。
「……法廷の窓から中を覗いていたら、犬が私を見つめていた。無視したが、ヤツが近付いてくるので挑発してやったら、法廷の扉を開けてくれたので、入れ替わるようにして私は中、ヤツは外へと」
「ということは犬は法廷の外か」
犬は居ぬってそういうことか……
「ついでに施錠しておいた」
「外道だな。最初からそのつもりだったんだろう?」
「違う。そうなったから、そうしただけ。犬が扉を開けなければ『そう』はならなかった」
「捻くれてんなぁ。その上揚げ足取りだもんなぁ……」
「猫ではなく犬こそ揚げ足取り。猫は立ったまま上品にする。犬は片足を『上げてする』。上げ足は犬しかしない」
誰もマーキングの方法なんか聞いちゃいないんだけどな。こいつとまともに遣り合おうとする方が無駄だと思った俺は、チェシャー猫の話には答えず、コッソリと周りから目をつけられないように法廷の扉に近付き開けた。
外ではショボくれた背中を扉に向けて座る犬がいた。
「おい、ドジっ子。そんなところにいないでサッサと入れ」
俺の声に犬は素早く振り返る。少しだけ嬉しそうに見えた。
「あ、主人様! も、申し訳ありません……私、矮小なる不気味な猫に騙されまして……」
「知ってるよ、まんまと釣られたな。気が付いたらチェシャー猫が調子こいて俺の隣に座ってた」
「おのれあのドラ猫め……噛み殺してやろうか」
「大人しくしててくれ。もう少しでこの世界も終わるからな」
犬と共に俺はコッソリと元いた椅子の場所まで戻っていく。そこにチェシャー猫の姿はとうに無く、犬は静かに唸った。
アイリスは未だ証言台に立っていて、ハートの王を始め、多くの外野と雑言を交えながら、自らに不条理に着せられそうになる罪を片っ端から論破していた。
俺はそれを見ながら少し違和感を覚える。
実は『不思議の国のアイリス』はあまり知られていないが、結構唐突に終わる。と、いうのも実はこの裁判でのやり取りがこの世界での最後のシーンになり、主人公アイリスと女王らの会話劇により場が白熱、遂にはトランプ達がアイリスを襲うのだが、その瞬間、現実のアイリスの目が覚め、全ては夢の中のお話だったのだという幕切れになる。
そしてその夢から覚める瞬間のアイリスは実はキノコの効果が徐々に切れ始め、姿が元の人間のサイズになっている筈だったのだが……
「うっさいわね! このおタンコナス!」
気が強い発言をする彼女は未だ俺達と同じミニマムサイズだった。
何か本来の物語とは違う出来事が起きていた。
しかし場はどんどんと盛り上がりを見せていく。
「この小娘の首を刎ねなさい! タルトを盗み食べたのはこの子に違いないわ! どんな味だったかも証言させなさい!」
「少女アイリスよ、味を述べよ」
「食べてないから味も香りも分からないわよ! 分からず屋!」
女王とアイリスに挟まれる王の目は既に死んでいた。嫌気しか感じていないのだろう。もうどうにでもなれと思っているようにも見える。早く終わってくれればいいと希望しているようにも見える。それに答えるかの様にアイリスが叫んだ。
「うるさいわよトランプのクセに!」
その瞬間だった。それが引き金になったのか、女王や王の命も無く、法廷にいたトランプ兵達が一斉に動き出したのだ。手に持っていた槍や弓矢を構えアイリスに襲いかかった。
狼狽えるアイリス。だが、彼女も知っているはずだ。この瞬間彼女の目は覚めて、現実の世界に戻り、川べりでお姉さんの膝枕から起き上がるのだ。だから命は取られる心配はない。その筈なのだが、未だに小さいままのアイリスの現状に、俺は言い様もない不安を抱えていた。
トランプ兵の一人が放った矢がアイリスへと飛ぶのが見えた。それに当たった瞬間に恐らくはアイリスの目は覚めるのかもしれない。俺はそれを願う様に見届けた。
しかし俺の目に入ったのは矢が腕を掠め、鮮血を流しながら怯えて呆然とするアイリスの姿だった。
「え……」
何が起きたか分からないと、驚いてへたり込む彼女を見た瞬間、俺は傍聴席を飛び出した。
嫌な予感が的中した──────
この『物語』は 既に物語をなぞってはいなかったのだ。