不思議の国とアイリス
【大河 虎丸】
木、キノコ、木、キノコ、時折小鳥……これといって変化のない環境に辟易しかけながらも俺は森の中を歩く。先程まで俺達の背後を歩いていた猿は、最早飽きに限界がきたのか俺達の数メートル先で、木々の上をピョンピョン移り、先導していた。
「主人様、何も見当たりませんね」
俺の後ろを歩く犬が、疲れを感じさせない口調でそう言った。歩き始めて既に二時間近く経っていたが、流石は動物だ。俺なんかよりも何倍も辛抱強く体力も多い。
「まったくだよ。ここいらで何かしら見つかってもいい頃なのにな」
何も起きない状況では、いくら異界といえど歩き続けるには辛いものがあった。きっと俺には山登りなど向いてないんだろうな。
「猿ぅ〜、なんか見えるか〜」
先を行く仲間に声をかけるが、返ってきたのは頭を横に振る『何も無し』のジェスチャーのみ。消沈する期待を抱え、俺は歩を進める他なかった。
休憩を挟みながら進む俺達。主点となっている人物と落ち合えない限り進みを止めるわけにはいかない。この現象の中では一瞬の油断が命取りとなるのだ。早く見つけて護衛しなくては。
逸る気持ちで進んでいた時であった。空から鳴き声が轟く。雉である。いつもの喋り言葉ではなく、『ケーンケーン』と雉特有の鳴き声であった。
「主人様、何か見つけたようですよ!」
「みてぇだな。よし、行くぞ」
飛んでいく雉を追う俺達。すぐに雉はある場所でぐるぐると円を描き回遊しだした。その囲んでいる下に何かあるという意味だ。
木々の隙間から何かカラフルな存在を俺は確認する。すぐさま樹木の背に隠れその方に目をやった。背後を歩いていた犬も姿勢を低くし、木の上の猿も青々とした葉の陰に身を隠す。
耳を澄ますとすぐにガヤガヤとした大勢の声が聞こえてきた。……誰かいるのか? そう思って注意深く観察する。木々の隙間から見えるのは、ひらけた大地であった。というよりもなだらかになった、人の手が加わった広場のようだ。そしてその地に何か背の低い生き物が歩いていた。
よく見えないと、俺は木々を移り次第に接近する。そうして気が付く。体長20センチあるかどうかのサイズの『動くトランプ』達を。そしてそれの付近で行き交いするハリネズミやら小さなフラミンゴ達を。
ここで俺は少しだけ自分の記憶に結び付け始める。なんだかこのサイズの動物が出てくる話を最近読んだ記憶があったのだ。それも極最近の事である。
目を凝らしてみると動くトランプ達にはそれぞれ自立できるように足が生え、小さな槍を持てるように両手があり、頭は無い。トランプの体と頭部がない事を除けば人間とそう変わらなかった。
それだけで確信を得られた。ここは『不思議の国』なのだと。そしてハリネズミとフラミンゴとくれば……ここは恐らくクロッケー場であろう。主人公アイリスとハートの王族が邂逅し、すぐの場面だ。
と言うことは今回のストーリードミネーションは『不思議の国のアイリス』であり、主点となった人間はアイリスをやらされているはずだ。
俺は木々の影を移動し広場にいるであろうアイリスを探した。まさか丁度予習していた物語が選ばれるとはタイミングが良い。俺の懐にはまだこの『物語』の本がある。まさに攻略本を見ながらテレビゲームをしているようなもんだ。これは苦労なく結末まで持っていけるな、と少しだけ調子付いた。
「いた」
俺の視線の先には探し求めていた人の姿が。サイズは子供程度に小さく、分かりやすい色合いとフォルムをしていた。
後ろ姿しか見えなかったが、その人物こそ主人公アイリスで間違いなかった。漆黒のエプロンドレスを着た長髪の少女。右は金髪、左は黒髪といった頭のセンターで髪色がツートンになっている点と、右側頭に何故だか黒いリボンを着けている点を除けば本の挿絵と、大差ない格好の彼女がそこにはいた。まあ、それぐらいの違いは気にしなきゃいけないわけでもないのでスルーしよう。そんな洒落た格好の彼女の手にはフラミンゴが抱えられていた。思った通りクロッケーのシーンで間違いはないみたいだ。
よし、どうにか探していた人物を見つけはしたが、どう接触したものか……こんなサイズ感で接近したら忽ちこの場に混乱引き起こしてしまうだろうし、何より物語の成立を破綻させてしまうかもしれない。俺がやらなくてはいけないのは、あくまで物語に準ずりながらも、主点へのサポートなのだから。話を大きく捻じ曲げる行動は控えたいところだ。
今日に限って冴えているのか、俺にある考えが浮かぶ。辺りを見渡して木の幹に生えている赤いキノコが目に入ると、それを臆する事なく採取した。
「主人様まさかそれを召し上がるつもりではないでしょうね?」
「そうだけど?」
声を小さくして問う犬に、俺は軽く答えた。そうすると犬は吃驚したように俺に言った。
「いけません主人様! 得体の知れぬキノコには手を出さぬと言うのは、私達犬の間でさえ戒められている事ですよ! 貴方に召し上らせるわけには……」
「犬よぉ、郷に入っては郷に従えだぞ」
「……はぁ?」
「この状況、先人の知恵とも言えるかもな」
「あ、主人様……私にも分かるように言っていただけると……」
催促に応え、俺は懐にあった本を開き犬に見せた。
「いっぽうの側は背が高くなり、もういっぽうは低くなる……? これは?」
「まさしくこの世界においてのキノコの役目だ。アイリスもキノコの端を食べて伸び縮みしてんのよ。その証拠にそこにいるアイリスは俺の靴の先から踵ぐらいまでの大きさしかないだろ」
「にわかには信じられませんね……」
「まあ見てろって」
俺は手本を見せようとキノコの傘の端を摘みちぎると、口に放り込もうとした……のだが。
「待ってください。それでしたら私が試しましょう。貴方はこの現象を治める為に必要な人、何かあったら大変です。私にそのキノコの毒味をさせて下さい」
犬がそう言って俺を制止したのだ。
「大丈夫だって。きっと毒じゃないって」
「きっと……ではいけないのです。主人様はそういうところが悪い所ですよ? 貴方が主点となる人間を救う事に余念や、慢心が無いように、自分自身を大切にすることを心掛けなくてはなりません。私の場合、それが毒でダウンしても猿や雉が貴方をサポート出来ますから、些事に過ぎないのですから、どうかその役目を与えて下さい」
お前も人の事言えねーだろ……と思う俺だが、このまま毒味の役を引き受けあっても話が進まないのは明白だ。俺は意を決してちぎったキノコのカケラを掌に載せて犬に差し出した。
彼女の大きな舌がペロリとそれを舐め掬った。
その瞬間──────
まるで風船を膨らませるように、犬の体がみるみるうちに巨大化し始めた。ヤバイ。
「あ、主人様ぁ!?」
「口開けろ!」
予想していた事とは逆の現象が起こってしまった犬は軽くパニックになるが、この世界の『出来事』を全て知っている俺はすぐさま食べさせた方とは逆のキノコの傘のカケラを犬の口へと放り込んだ。咀嚼する間もなく飲み下した犬。俺はその様子を見守った。すると───
今度はマトリョーシカを開けていくように、段階を踏みながら犬は縮んでいく。そして約30センチ程になるとその縮小も止まったのだった。
「やりましたね主人様」
「ああ、犬のおかげでそのぐらいのサイズになる方法が分かった。サンキューな」
犬は笑ったりはしないが、尾を激しく振っていたので悪い気はしていないようで良かった。
俺も犬に倣い、まずは大きくなるキノコのカケラを食べ、大きくなる途中に犬がもう片方のキノコを食べたタイミングに合わせるようにして、小さくなる方のカケラを口に含んだ。
彼女と同じように段階を踏みながら縮まる俺の体。自分の視点から縮む様を見ると中々に奇怪な様子だった。
犬と人間の体では作用や効果が違うのでは……もし違ったらどうしようなどと、今更の不安を抱き始めた俺に反して、体は犬と同じく元の大きさの比率のままに小さくなっていき、彼女と同じような大きさで留まった。
「────上手くいったな旦那」
その様子を木の上から見ていた猿が声を掛けてきた。
「猿の番だぞ。早くキノコを食べろよ」
クロッケー場に乗り込むぞと猿に言うが、彼は頭を横に振った。
「いや旦那、それはあんたらだけで行ってきな。俺はこのサイズのままでいる」
「なんで?」
「何かあった時の秘密兵器さ。あんたらがあの小さい輩共に敵対視されないとも限らないだろ? そんな時、俺があいつらをこの巨大な体で蹂躙してやんのよ。最高だろ?」
なんて乱暴なヤツだ。呆れるぞ。でも彼がそう言っているのも納得は出来た。確かに俺達が歓迎されるとも限らない。確実に守ってくれる存在は大切だ。
「……分かった、猿頼んだぞ」
「あいよー」
猿はそう言うとまたも木の上に戻って行った。そして俺の目が正しければ、そこで寝転び始めたように見えたが……大丈夫だよな?
まあ、今まで上手くやってきたんだから彼を信用するとして……俺は犬に目配せするとクロッケー場へと乗り込んだ。
改めて会場を観ると中々に阿鼻叫喚な光景であった。生きたトランプ達は忙しなく往き来し、ブリッジ体勢を取りクロッケーのゲートの代わりをしたり、何処からか金切り声が聞こえたと思いきや、トランプが他のトランプ達に引きずられ何処かに連れて行かれていくなど、なんだか昔観た映画の奴隷を使って建造物を作っているワンシーンに似ている光景だなと思った。
デコボコしたクロッケー場を何かが低い高さで飛んでいく。地に落ちた後、それがモゾモゾと動きだすと、ハリネズミだということが分かる。こいつ達がクロッケーのボールの代わりなのだ。可哀想に。動物虐待ですよ。俺が哀れみをもってその飛ばされてきたハリネズミを持ち上げた時だった。
「─────分かったわ! 分かったわよ私!」
嬉々とした女の子の声が聞こえてきた。女性ではなく、『女の子』の声としたら思い当たるのは一人しかいない。俺は犬と共にその方を見る。そこにはエプロンドレスのアイリスがいた。近づかない理由は無かった。
腋に抱えていたフラミンゴを彼女は地に降ろすと、溌剌として語りかける。
「あなた、しっかりと立ちなさい。水辺で立っているように片足立ちするのよ」
「へぇ」
フラミンゴはアイリスの言うことに従い、彼らのよく知れたポージングをする。
「そのままでいなさい。いい? あなたは今からマレットになるの。 固くてしっかりと伸びた一本のマレットよ。嵐が起ころうとも、食事の時間であろうとも如何なる時もマレットに徹する心意気が大切だわ」
「へぇ。 へぇ? アイリス、僕を一体どうしようって言うんです?」
目だけを彼女に向け、問うフラミンゴ。その目は懐疑的だ。アイリスはフンスと鼻息を吐き出した。
「こうするの」
その声と共に彼女は両手でフラミンゴの体を支えている一本足を握ると、まるでバットを振るうようにフラミンゴをスイングした。……あまりにも粗暴な行動をとる彼女を見て、俺の頭に疑問が浮かぶ。こんなシーンあったか?
俺の疑問を余所に、切り返すようにフラミンゴをブルンともう一度振るアイリス。その後は満足気にフラミンゴを肩に担いだ。
「ほら、思った通り! あなたの体は一本のマレットのように真っ直ぐ硬直しているじゃない!」
「いやはやどうしたことか。凄いよアイリス、僕も自分の体じゃないみたいだ。足を持たれているのに少しも辛くないんだ。持たれてるけどやろうと思えば少しも君の肩に『凭れない』ことも出来そうだ。興味深いねぇ」
なんのこっちゃ。こいつらのノリにはついていけん。俺は堪らずアイリスに声を掛けた。
「おい、お前」
俺の声掛けに振り向くアイリス。その顔の青い瞳が俺を見つめていた。幼さがバッチリ残る顔に、俺の腹部辺りまでしかない身長。いっていても十代前半って所の見た目だった。
訝し気な彼女は俺の全身を舐めるように見た後、重々しく口を開くのだった。
「……なんだかヘンテコなヤツが出てきたわね。こんなやついたかしら」
その言葉で分かる。このアイリスにされた人間は、この世界が物語の中の世界であると認識出来ていると。
「……だぁれ? いや、こんな鎧をつけた人見たことないわ。もしかして中国の方? まいったなぁ中国のお話は分からないわ、私」
これみよがしの独り言に俺は少し呆れるが、これがアイリスというキャラクターの特徴なのは事前に予習済みである為、突っ込む気も起きない。
「残念、俺は日本人だ。まぁそんなことはどうだっていいんだ。 ……アイリスだな? 俺達は君を助けにきた」
単刀直入気味だが俺はそう告げる。こんな世界観だが、この世界でも命が危険に晒されることもあるのだ、説明するなら簡潔に尚且つ正確に済ませないと。
「……可笑しなことを言うのね。あ、ここじゃ皆んな可笑しい事しか言わないんだったわ」
アイリスはキョトンとしながらもそう答えた。
「俺はこのイカれた世界の住人とは違う。アイリス、君はこの世界が現実世界じゃないことは分かっているはずだ。そうだろう?」
「……わぁ…夢の中の登場人物にここは現実じゃないと言われることなんてあるかしら。とても貴重な体験だわ。きっと猫のダイナだって体験したことないもの」
「君の飼い猫の話は今はいい。いいかい? だいいちに、ここは夢の中じゃない。 これはストーリードミネーションと俺が呼んでいる現象だ。君や俺が住んでいる街に起こる摩訶不思議な出来事で、現実世界に御伽噺が飲み込まれる現象なんだ。そして今回その主役となっているのは『君』だ。君自身なんで自分がアイリスになっているか不思議でしょうがないはずだ。違うか?」
俺の説明にアイリスは再度キョトン顔を俺に晒した。
「……え〜……と?」
「だから、これは夢なんかじゃなく現実世界なんだ。君は不思議の国のアイリスの主役、アイリスに選ばれた被害者であり、君を完結まで持っていくのが俺の役目なんだ。君が終わりまで行かないと街は元に戻らないし、時間も進まない。世界は静止したままになっちゃうんだよ」
「はー……大体分かったわ!」
「良かった」
「でも大丈夫よ、お兄さん」
アイリスは人差し指を立ててみせた。
「ここは夢の中だもの! 直に覚めるわ!」
「分かってねぇじゃないか!」
ダメだこいつ! 能天気すぎる!
「これは夢じゃねぇーっつってんだろ! 覚めるのを待っていても覚めないの! 終わりに君自身が向かわなくちゃならないんだ」
「もう……うるさいなぁ……言っていることは大体分かったわよ。ここは現実で私の元々住んでいた街だと言うんでしょ? それでこの物語を完結しなくちゃ街は元に戻らないと」
「そうだ」
「で、私はアイリスだけど本物のアイリスじゃないと」
「そう」
「へんてこりんな夢ね」
夢じゃないと言うてるのに。
「そしてあなたは私にその終わりまで行って欲しいと言うのね」
「まあ、広く言えば俺だけじゃないんだが……そうだ」
「なら安心してよ」
アイリスは胸を張ってみせた。
「私も不思議の国のアイリスは読んだことあるの。だから完結までの導き方は分かっているわ」
おお、それは好都合だ。それならば俺はその身を護衛するだけでいいからな。少しだけ安心した。
「……それにしてもあなたの言っていることが正しければ、私少し勿体無いことしちゃったなぁ。てっきり夢だと思っていたから、アイリスの行動をなぞってきたけれど、夢だからこそアイリスとは違う行動をとってみればよかった。最初から鍵を握って小さくなっていれば、庭園への扉を通った時、きっと違う場面にだって遭遇出来ただろうし、キノコを食べる順番だって色々試してみればよかった。そうすればいつかはスラッとした大人の女性のスタイルにもなれたかもしれないのに」
「はぁ」
この子は黙っていればいくらでも話せる人種なんだろうな。聞いているこちらが少しだけ嫌気をさしてしまう程に饒舌だった。
「でもでも、このクロッケー場では少しだけ私の意思で楽しもうと思っているのよ」
「なに?」
「私、クロッケーってやったことないのよね。原作でもアイリスはまともにこのゲームに取り合ってはいなかったから、どんなもんかと思っていたのよ。それにマレットがフラミンゴだなんて……現実じゃ可哀想だからやらないけれど、この世界なら問題はないわよね!」
そう言うと彼女は丁度俺達の間を通り過ぎるハリネズミを見つけると、声をかけた。
「ねぇねぇ、あなた、ボールになってはくれないかしら?」
どこかのいじめっ子のような持ち掛けだ。そんな言葉に従う奴などいやしないと俺が静止しようとしたが、「かまいやしないよ。すでにね」とハリネズミは諦めたような台詞を吐き捨てると大人しく丸まったのだ。自殺志願者か何かかと問いたくなるほどに哀愁に満ちたボールに俺は不憫さを禁じ得ない。
きっとここにいるハリネズミ達はハートの女王に調教され尽くしたか、自らの役割をこなすことに可笑しいとも思えなくなってしまったのだろうな。そう彼らに可哀想と思う俺の傍で、アイリスはゴルファーのようにフラミンゴを構える。フラミンゴの頭側を一度ハリネズミに接近させ、スイングの間隔をシミュレーションすると、一気に振りかぶり、一切の躊躇なくハリネズミボールを振り飛ばした。
「あだ!」
インパクトの瞬間にボールからそんな声が聞こえたのはきっと聞き間違いじゃない。飛ばされたボールは空中を舞うと、ブリッジしていたトランプ兵へと衝突し、事故を起こした。
なんとも悲惨な有様だが、アイリスはてんで、ケロッとしていた。
「あれ? 思ったよりも飛んじゃった。 このゲームってゲートの中に通さなきゃならないのよね? ゲートに当たっちゃったら点数になるのかしら」
アイリスは俺に聞くが、そんな事を俺が知っているわけがないだろう。クロッケーなんて日本に住んでたらやる機会なんて無いし。
「さあな。でも、このクロッケーってゲートボールの元になったスポーツだろ? 君のスイングはゴルフって感じだったぞ。もっと優しく打たなきゃダメなんじゃ? スポーツ的にも……その…動物愛護的にも……」
「夢の中なのに厳しいのね」
全然俺の話を信用していない口ぶりに何だか嫌気がさした。
「なあ、君は信用してないみたいだけど、ここは本当に─────」
「夢の中って言うんでしょ? もう分かったわよ」
アイリスが言葉を遮った。
「別に疑っているわけじゃないよ。でも何だか実感湧かなくてね。貴方も所詮夢の中のキャラクターで、そういう役回りなんじゃないかと思っちゃうのよね。ほら、この世界って変なこと言う住人ばかりじゃない? ……だから尚更ね」
たしかにそれは一理ある。不思議の国のアイリスに出てくるキャラクターといえば、どのキャラも突拍子もなくて常識外れ……喋る事も会話を成立させようとしていないのではないかと疑ってしまうほどに自分勝手な事ばかり。俺のような、この世界にそぐわない格好の人間が現れると逆に登場人物の一人なのでは? ……と考えるのも無理はなかった。
「でもそこは柔軟に対応してもらえないかね。今までいくつかの世界を回ってきたけれど皆んな分かってくれたからなぁ……君もそうであると思いたいんだけど」
「柔軟かぁ……苦手だなぁ……」
「……はぁ?」
「私、スポーツは苦手なの。体が固くってね。お風呂上がりに体をマッサージしたり伸ばしたりすると体が柔らかくなるって言うのは本当なのかしらね。まあ、面倒でやらないんだけど。あ、因みにお風呂っていうのはアイリスの話じゃなくて私の話しね。この体はそんな心配ご無用だから。体は軽く心は晴れやか、まさに清らかな少女の体ってなもんなの」
「……柔軟って柔軟運動のことじゃないんだけど」
的外れな解釈をするアイリスにそう吐き捨てるが、彼女は新たなハリネズミに語りかけているところであった。
「ちょっと、ちょっと、ハリネズミさーん」
「おい! キミ、聞いているのか!?」
俺の気持ちなんかこいつは知らないんだろう。というか興味もないんだろうさ。自分のやりたいようにやって動きたいように動いてやがるからな。
「うーん、大丈夫〜 だって完結まで行けばいいんでしょ? ならこの後の流れも分かってるから安心してよお兄さん。 海ガメモドキとグリフォンと出会って裁判に出るのよね。それでアイリスのお話は終わり。なんてことないじゃない、逆にもうお話は終盤なんだから少しくらいこの世界を楽しませてほしいわ」
こいつ……自分がどんな状況に巻き込まれているかてんで分かってねぇ。俺は悲しくて自分の後ろにいる犬に目を向けた。彼女も不憫そうな視線を俺に送っていた。そして諦めたように首を横に振ると俺の前に出た。
「──すまないアイリス殿、私の主人様は少々説明下手でな、この状況の危機感が貴女には通じていないようだが、本当にまずい状況なのは確かなのだ。我々の言葉に従ってはくれないか?」
あくまで下手に出て犬はアイリスに語り掛ける。俺とは異なる声の登場に、弾いたハリネズミの行く末を見ていたアイリスは再び俺達に目を向けた。
「……綺麗なワンちゃん。お名前は?」
「ありがとう。しかし名はない」
「あら可笑しな趣味ね。世の中全てのものに名前はあるのが普通なのに。お兄さんのワンちゃんよね?」
「俺の……とはまた違うけど、仲間の一人だ」
「そう、お名前は?」
「だから彼女に名前はつけてな───」
「────そうじゃなくて貴方の名前よ」
俺は言葉を遮られバツが悪くなるが、喉奥から絞り出すように答えた。
「桃太郎」
この『姿』の名前を。
その名前を聞いたアイリスの表情はなんともヘンテコだった。恐らく日本人の大半がこの名前を聞いたら昔話の主人公の名前を連想するんだろうが、彼女の顔はなんとも言えないピンと来てはいない顔だった。
「ユニークな名前ね」
まさかアイリスの世界に桃太郎がいるとは思ってはいないのだろう。下手なフォローの言葉に俺はただ口の端を無理矢理釣り上げ、笑顔をつくるのみだった。