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大河虎丸の生活

 【大河 虎丸】


 調子の良い軽快なリズムに、奏でられる俊逸なメロディー。ヘッドフォンから流れるヒップホップを聴いていると、目の前に広げられた物語を読むスピードも自然と早まる気がした。


 騒がしい教室内の音を掻き消し、俺だけの世界を作り出してくれる音楽。そのおかげで初めて読む本の世界でも俺は苦手意識を持つことなく挑めていた。


 俺は古本屋で買った『不思議の国のアイリス』のページをめくる。目の前で広げられる異世界の物語、その一文一文をしっかりと俺は脳に刻む。


 俺の通う黒柳葉高等学校の二年A組のこの教室内でこんな本を読んでいる奴なんて俺ぐらいのもんだ。他の生徒なんて友達と談笑してるか巫山戯てるか、本を読んでいても、漫画かライトノベル、芸能人が書いたって事で売り出してる流行りの小説などなど……こんな、普通小学生ぐらいまでしか読まない児童書なんて広げている生徒は俺しかいない。けれど周りの人間が俺を可笑しな目で見ることはない。これが俺の学校生活での日常だからだ。


 俺の生活は一定のルーチンワークで構成されている。朝起きて、学校に来て、勉強して、合間で『物語』を読んで、放課後にはアルバイトに行って、ストーリードミネーションが起こればそれを解決するのに一役買う。そんで家に帰って寝る。それだけ。


 そして児童書と言えど、超有名な物語『不思議の国のアイリス』を読む事は、馬鹿に出来る事じゃない。このアイリスの話のストーリードミネーションはまだ起きていない。ということはこうして『予習』をしておくことで、この物語のストーリードミネーションが起きた時、話を完結に持っていくことがとてもスムーズになるのだ。


 ストーリーを知っているか、知らないかでは雲泥の差がある。それは学校のテストに挑む姿勢と何ら変わらないと俺は思う。この学校の秀才が抜き打ちや期末のテストに向けて、学習している事と俺がその時に向けて学ぶことは同義なのだ。……と俺は自己暗示気味に思っていた。


 学校生活はほぼ『物語』の予習にあてている。この朝のホームルームが始まるまでの時間や、授業と授業の合間にある短い休み時間の中でも俺は真面目に、予習を進める。我ながらよくやっていると思う。昨晩の『猿蟹合戦』のストーリードミネーションに関しては予習なんて必要もない物語だったが、いつもそんな常識的な御伽噺や、物語が選ばれるわけではないからだ。


 と、自画自賛している時だった。俺の好きなアーティストの音楽がふと、耳から遠ざかった。


 「はっ?」


 俺の好きなメロディに入る瞬間に訪れたお預けにも似た現象に、俺は思わず声を上げ、本から顔をあげる。そうするとどうだろうか、見上げた先には冷めた目線を向けるスーツの女教師が立っていた。


 「はぁ?……じゃないでしょ」

 「先生……」


 この四月から新任で入ってきた横川先生である。俺から見ても元からこの学校に在籍している教師群とは一線を画して若々しい人だ。艶の残る長い黒髪がそれを一層際立てていた。


 「もう、ホームルームも始めてるんだけど?」

 「ああ、そうですか。すみません」

 「ああ、そうですか。 ……じゃないっつーの。大河君さ、前も言ったよね? 先生が来たことに気が付かないくらいなら、朝から本は控えなさいって」


 明らかに御立腹だった。たしかにしょうがないことだ。俺は彼女が来てから同じ事を既に少なくとも8回は言われているからな。でも、音楽を聴きながら本を読んでれば人の存在に気が付かない事も良くある事だ。そんなに立腹しなくても。


 「だいたい……君、ヒップホップなんて聴きながら童話を読んでたの?」


 横川先生が俺のヘッドフォンを耳に軽く当てながらそう言った。先生もヒップホップ好きかなと思い、俺は嬉々として肯定した。


 「そうっす。かっこいいでしょ? その曲。あ、因みに不思議の国のアイリスは童話じゃなくて児童小説らしいっすよ。俺も最近知ったんですけど、意外っすよね?」

 「どこの世界にヒップホップ聴きながらアイリスを読む子がいますか」

 「……ここに」

 「ふざけないで」


 俺の意外っすよねって意見は無視かよ、つらいな。


 「大河君。きみ、私のこと馬鹿にしてるわよね? 何度注意しても音楽聴きながらの読書は止めないし、不真面目な受け答えもするし」


 いや、読書は俺にとっての大切な役割だ。今後人を助ける為に役に立つし、人間的にも読書は好印象だと思う。そしてそれのお供に音楽は欠かせない。一流の劇に音楽が欠かせないように、ヘッドフォンから流れる音楽は俺にとって物語を際立てる演出家なのだ。まるでオペラのようにな。だから不真面目とはまた違うと思った。


 「俺は真面目ですよ。言われればちゃんと止めます」

 「止めてないじゃない」

 「……今から止めます」

 「もう何度目よ!」


 少しだけ語気を強める横川先生。ちょっと驚いた。女の人が気を荒立てそうになると俺は少し緊張する。どうすればいいか分からなくなるからだ。これ以上彼女の気を損ねることはしたくないと、俺は迅速にヘッドフォンを先生から掻っ攫い、本と一緒にカバンにしまい込んだ。そうして平静を取り繕う。


 「まったく……」


 これ以上は何を言っても無駄かと諦めた彼女は教壇に戻ろうと踵を返した。ふぅ……朝からとんでもねぇな。


 「────髪だっていつまで経っても染めてこないくせに。クラスの風紀が乱れるじゃない」


 もう面倒事は去った筈だった。俺が言う事を聞いて、先生が呆れ気味に今日の所は許してくれて、それで終わりの筈だった。


 けれど、その横川先生の去り際に吐いた台詞が俺の頭をカーッと熱した。もう止めておけばいいのに。荒立てる事もないのに。心の何処かでは自制心が働いていた。けれど……言葉は俺の口を突いて出た。


 「────テメェ今なんつった」


 ようやく教師が叱る緊張感から解放されたのも束の間、俺の一言によって教室にピシリと再び緊張が走った。そうしたのは俺本人なのだが、俺は止まれなかった。


 「……別に何も言ってないけど」


 侮蔑するような横川の目がこちらを見た。その目線は俺の『明るい茶髪』へと向いていた。

 俺は席から立ち上がり、自分の顎程度の背丈の彼女を睨んだ。


 「嘘つくなよコラ、はっきり聞いたぞ」


 まだ続けるのかと言いたげな顔。彼女は分かっていない。先程までの話はたしかに終わった。だがこれは新たな開戦だ。自分自身が地雷を踏んだ事によって噴き上がった俺の怒りを目の前の教師は解っちゃいなかった。


 「はいはい、髪を染めなさいって言ったのよ。当然でしょ、君みたいに茶髪の子がいると周りにも──」


 横川は黙った。ようやく俺が本気で怒っていると理解が追いついたらしかった。


 「風紀が乱れるってか?」

 「…………」

 「髪を黒染めしろって言うのは分かる。中学の頃から理由も知らねー教師にも散々言われたからな。だから再三反抗してきた。これは生まれつきだってな。それにこれは初日にもアンタにも言っただろうが。生まれつきの髪質をどうこう言われる筋合いは無ぇ」

 「きみ! 先生に向かってアンタって────」

 「うっせぇ!どーでもいい事で人の意見を妨げるんじゃねーよ!俺がいいてぇ事はまだ終わってねーぞ! ……髪を染めろと何度言われるのはいい。やりたくねぇ事はやらなきゃいいだけの話だからな! しかしオイ、風紀が乱れるってぇのはどう言う意味だコラ! 俺が両親から貰ったこの髪色がクラスの風紀を乱すだと!? 言い掛かりも大概にしろ! その程度で乱れる風紀なら最初から乱れてただけの話だ! テメェの職務怠慢を生徒に押し付けてんじゃねぇ!!」


 俺は体の内側から溢れ出る怒りを、全ての言の葉に乗せて目の前の女にぶつけた。女に暴力を振るう事はいけない事。それは俺だって知っている。だからこそ思いの丈を全てぶつけてやった。後からウジウジ言うのは性に合わないから。だからこそスパッと全て言い切るのだ、今ここで。


 「………………」


 俺は全て吐き出し、ゆっくりと席に着いた。俺の席の前でショックを受けた様子の横川先生。少しの沈黙の後、俺にとっては悲しい言葉が飛び出してくる。


 「……先生に向かってそんな口の利き方……大河君、君の態度は目に余ります。学校に不満があるならすぐに教室を出て行きなさい」


 そう告げられた言葉は中々に心が痛かった。学校自体には不満はない。両親が亡くなり、田舎の祖父の家で育った俺が、祖父の金で入学したのがこの学校だ。格安のアパートに住み、アルバイト代で何とか凌げる現状があるのも育てて支援してくれている祖父のお陰。その祖父が入れてくれた学校に不満を持つ事など贅沢極まりない。


 別にこの目の前の先生に不満が募っているわけでもない。そりゃ教師なんだから生徒である俺に物申すのは当然だ。そういった立ち位置の存在なんだからな。しかし、それにしたって髪の色は関係ないだろう。しかもそれだけでは飽き足らず髪の色が風紀を乱すなどという、根拠も無い言いがかりは怒ると言うものだ。俺の両親との絆がそんな悪評の的になるなどと、言われて黙っていられるほど大人じゃない。


 けれどそんな俺の意思がこの場に相応しくないなら従うしかない。この教室のルールは横川先生かのじょが作ってるっていうなら。


 俺は黙って席から立ち、鞄を持って教室の戸を開いて出た。先生の顔は見ないようにして。


 「キャッ───」


 戸を開いた矢先、俺の視界外から短く小さい悲鳴が上がる。釣られて目線を向けると、廊下に立つ一人の女生徒の姿があった。戸の付近に立っていたせいで、俺の開いた戸に驚いたらしくたじろいでいた。


 黒縁眼鏡にモヤモヤした黒い長髪が印象的な、ちんまい女子だった。そんな女子が怯えた様子で俺を見ていた。こんなヤツ教室にいたかと考える俺だが、その身の制服の真新しさから、多分転校生か何かなのだろうと結論付けた。


 大事な転校初日にこんな騒動を起こされたんじゃ、自己紹介もやり難いだろうに申し訳ないな。そう心の中で謝罪しながらも俺は視線を外し、教室から出ていった。






 「こんちはー」


 俺がその言葉と共に部屋の戸を開けると消毒液の匂いと、何だか分からないけれど落ち着く香りが混じり、俺の鼻腔へ入り込んでくる。


 「はい、こんにちは」


 デスクに向かって座っていた保健室の先生が椅子を回転させ俺の方へと振り返った。少しだけ小皺の有る顔にショートカットの女性。その目は中々に鋭く、初対面であれば睨まれているのかと思ってしまいそうな顔……の割にはとても優しく皆んなから人気を集めている人だ。


 「大河君、今日は朝一で来るとはね。最高記録じゃないかしら」

 「西城にしじょう先生、最高記録は登校して直行パターンだ。校門でゴリ山に髪のことをウダウダ言われた時よ」

 「そういえばそうだったわね」


 そう言って西城先生はクスクスと少女のように無邪気に笑った。西城先生は保健医だ。俺は一年の頃からよく教師と対立した際、ほとぼりが冷めるまでこうして今と同じ様に保健室に避難してきていたため、彼女とは仲が良かった。


 「それにしても毎度ながら保健室は避難所じゃないと言わせてもらうわよ大河君。ここは体調が優れなかったり、怪我をした人が来る場所ですよ?」

 「だったら正に今の俺の来るべき場所だよ。俺は今傷心中なの。心の傷です」

 「なーにが心の傷ですか、一方的に先生を困らせたんでしょう?」

 「一方的じゃないよ、あの新任の横川が俺の髪色を馬鹿にしてきやがったんだ。俺と両親の繋がりの証なのによぉ……酷くね?」

 「確かに酷いけれど、横川先生もまだ来たばかりで緊張している部分もあるのよ。きっとそれで失言しちゃったんじゃない?」

 「せんせ、大人が緊張だの慣れないだの言ったらダメなんじゃないっすか? 少なくとも俺達生徒の前でそれを理由にしちゃダメでしょ。それに大人の癖に失言って……」

 「お馬鹿ね。色々抱えている分、大人の方が間違った事を言ったり、してしまったりすることの方が多いのよ。それに君がそうやって分かっているなら、それに対して寛大になってくれればいいんじゃない?」

 「ええ〜……生徒にそれを委ねるんすか?」

 「あら、『子供扱い』してほしいの? 大河君は」


 子供扱い……その言葉に何だか息苦しさを感じる。俺自身、高校生は子供とは言い切れない気がするし、されたくもない気がする。けれど、大人でもないと思える。それ故に子供扱いって言葉が何だかすげぇ卑怯な言葉に感じていた。


 そんな言葉を引き出してきた西城先生を少し憎く思う。この人はなにかと俺を丸め込むのが上手いのだ。会話で逆にこの人を丸め込めた事は無く、言いくるめられたためしも無い。好きな先生だが、こういう部分では凄く苦手なタイプの人間であった。


 「……まあ、俺も子供ではないし……頑張ってみますよ」


 相応しい返す言葉が思いつかないと、俺はやむを得ずにそう口にする。西城先生は誇ったように笑いながら「よろしい」と嬉しそうに言った。


 「けれど、それは今のほとぼりが冷めてからね!」

 「まあ、悪い子ね」


 俺はそう言って頭を掻いた。そんなすぐに人は行動に移せないんですよ。


 「────大河、あんまり西城先生を困らせないでね。酷いと私がお前に復讐するから」


 そんな時、調子づいた細い声が俺と西城先生の談笑に参入してきた。声を辿ると、保健室の奥に並ぶベッドの三つの内の一つがパーテーションが閉められ誰かが利用していると分かる。そしてその閉じられたパーテーションの隙間から頭を出して俺達をジーと見ている存在がいた。


 「よぉ、薬師寺やくしじ、来てたのか」


 俺を見つめる茶色い瞳。焦げ茶色の長い頭髪を三つ編みにした明るい表情が良く似合う女生徒、『薬師寺やくしじ みちる』がそのベッドの使用者であった。


 「まあね、てか、また名字で呼んだ。やめてって前に言ったよね? 私この名字嫌いなのよ」

 「なんでさ、ありがたーい感じじゃん」

 「ヤダよ、古風な感じがなんかダサい」


 自分の名字をそこまで貶すかと、俺は少し呆れる。薬師寺はパーテーションをシャッと開いた。ワイシャツにカーディガン姿の彼女はベッドに女の子座りしていた。


 「せんせーありがと。もうだいぶ良くなったから教室戻るよ」

 「良かったわ満ちゃん。今日は少しでもご飯食べてこれたの?」

 「えへへ……実は寝坊しちゃってぜんぜん……」

 「ダメじゃない。貧血で倒れやすいんだからエネルギーはしっかり入れとかないと」


 そう言い西城先生は薬師寺のデコに手をやる。少しだけ薬師寺は恥ずかしそうだった。


 「熱も無いみたいだし、大丈夫そうなら教室に戻って良し」

 「わーい、ありがと」

 「……薬師寺も災難だったな。朝会中に貧血で倒れるなんて」

 「もう慣れっこだけどね」


 それは慣れていいもんなのか?と俺は疑問に思った。薬師寺は貧血持ちだ。活発そうな身なりや顔つきに比べてその体は繊細らしく、入学当初から朝会で貧血でへたり込んだり、最悪倒れたりすることが度々あった。俺も彼女を知ったのも、朝礼で良く倒れる子という、申し訳なくも、そんな特徴的な箇所があったからだ。そして俺は保健室に逃げてくる常習犯。保健室で休む彼女と顔見知りになり、仲良くなったというわけだった。そんな彼女も最近はしっかり朝食を食べてくるようになったらしく、貧血騒動も治まっていたが一度朝を抜くとすぐこれだ。しっかり朝は食べなきゃダメだと俺も先生に倣って告げた。


 「大河に言われるとムカつく」

 「ひでー、俺も心配して言ったのに」

 「アンタは教室を抜けてくるその悪癖を直したら」


 そう言われると耳が痛いな。俺は逃げ込む様に薬師寺の隣のベッドに飛び込むように上に寝転んだ。


 「大河君、キミは戻らなくていいのかな?」

 「せんせ、俺は少しだけほとぼりが冷めるまで休憩してくよ。大丈夫、保健室を使う人が大勢来た場合はすぐに出てくさ」

 「せんせーサボリ魔がいまーす」


 薬師寺が優等生ぶった調子で言う。俺はサボリ魔じゃない。けれど西城先生は呆れながらも「一時間だけよ」と許可をくれた。


 「じゃあね不良生徒」


 小馬鹿にした台詞で去る薬師寺に、俺は軽く手を振り見送った。そして西城先生も自分のデスクワークに戻る。俺は鞄からヘッドフォンと本を取り出すと先程の続きを始めるが、保健室の程よい暖かさと、ベッドの心地良さに知らぬ間に意識は落ちていった。






 「──……き───…い───……起きなさい」


 体を揺する感覚に一瞬にして意識が覚醒した。西城先生が天井をバックに俺を見下ろしていた。いつのまにか寝ていたらしいが、それにしてはあまりにも直ぐに起こしてきたなと思った。


 「せんせ……まだ一時間経ってないでしょうにどうしたんですか」


 上体を起こす俺を先生は軽いため息と共に馬鹿馬鹿しいと言った調子で答える。


 「何言ってるの。もう一時間経ちましたよ。寝ていたから時間の感覚が可笑しくなっているのよ」


 その言葉の通りだった。保健室の壁掛け時計は先程の時間からおおよそ一時間経過していた。本当にあっという間に時間が経ったのだなと少し感慨深くなる。しかし……まだ俺は眠いぞ、もう少し寝ていたい。


 「もう一時限だけ駄目ですか先生?」

 「駄目です。怪我や体調不良ならいいけれど、貴方はどこも悪くないのよ? 精神的に教室にいたくないってわけでもないでしょ。約束した一時間は経ったんだから教室に戻りなさい」


 くそ……厳しい。一度作り上げたベッドの温もりから脱出するのはとても名残惜しいのに。


 「それにキミが戻らなきゃいけない理由もあるのよ」

 「どうせさっき言っていた横川先生とのいざこざの云々でしょ? それは後でも大丈夫だって〜」

 「違うわよ。クラスから迎えが来ているの。貴方が起きなくちゃ『彼女』が待ちぼうけ食らっちゃうんだから」

 「はぁ?」


 クラスから迎えだと? 今までにないパターンに俺の意識が否応にも微睡みと現実の境から、現実側に戻る。


 西城先生は保健室の戸を開けて、廊下にいるらしい生徒を中へと入れた。入れたと同時に俺は、アッと思った。だって入ってきたはさっき教室の扉の所ですれ違った黒髪のモヤモヤした女生徒だったから。


 「ほら、この子よ。えー……とお名前なんだったかしら……ごめんね、まだ覚えられてなくて」


 西城先生が気軽にそう問うと女子は頭をふるふると横へ振った。


 「赤橋あかはし……ク、クラリス…です……きょ、転校して来てお世話になります……よろしくお願いします……」


 所々日本語がたどたどしいその女生徒の自己紹介に俺は何も言えず、ただジッとその子を見ていた。そうすると彼女の眼鏡の奥の目が怯えたように、いそいそと下へと向いた。視線があからさまに逸らされている。


 「そうそうクラリスちゃん。ん〜見た目に相応しいなんて可愛い名前なんでしょ。大河君羨ましいわね、こんな可愛い子がクラスに転校して来るだなんて」


 どう反応したものかと考えあぐねる俺を無視してテンションが少しだけ上がっている西城先生は、赤橋クラリスを名乗る女生徒の頭に、同意も無しに手を置いてナデナデしていた。


 「名前からしてハーフか何かなのかな? クラリスちゃんは」

 「は、はい……父がイギリス人です」

 「あらー! かっこいいわねー!」


 あからさま過ぎる反応に、素なのか演技なのか怪しい西城先生は放っておくとして……やっぱり転校生だったのか。初めて見た時そんな予想はしていたが、当たるとは……今日は勘がいいのかもな。


 「でー……その『赤橋』さんは俺に何の用なのよ」

 「ほんとお馬鹿ね! 君を呼びに来たって言ったでしょ」


 辛辣な物言いを俺にする西城先生が赤橋を見ると、彼女はコクリコクリと頷いた。


 ……まじ?


 「ふつー転校初日の生徒に教室を出てった生徒呼びに行かせるかね?」


 俺は横川の無神経さを疑った。


 「敢えてなんじゃないかしら?」

 「あえて?」

 「転校初日の子を向かいに行かせて、仲良くなれたら良いなーって思惑なんじゃないの? それと初対面の人を迎えに行かせることによって、断りにくくするって言う効果もあるわね」


 ……恐らく後者の方が理由としてはデカイだろうな。それにしたって無神経さ。俺がこの子なら1日でこの学校を嫌いになるね。


 「それで君はその横川先生のあからさまな思惑には乗るのかしら?」


 俺は視線を西城先生から赤橋クラリスに移す。彼女はチラリチラリと、下げている視線を時折上げて、俺を上目遣いに様子を見ている。本人は意識してはいないだろうが。彼女は中々に恥ずかしがり屋さんみたいだ。


 俺はそんな彼女の様子に、無理に断るのも悪いなと思ってしまう。なるほどな……こうやって人の心理を揺さぶるってわけね。客観的に分析したような事を思ってみたけれど、やっぱり俺の心は彼女に対し、『悪い』と思うことが拭えなかった。


 「……戻りますわ」

 「それが良いわね」


 にこやかに言う保健医に俺は少し苦笑して、ベッドから降りると靴を履いて赤橋の前に立つ。そうすると彼女がちんまいことに気がつく。いや、最初見た時から小さいなと思っていたが、改めて思った。152センチってところかな……


 「じゃ行くか赤橋さん」

 「う、うん……」


 そうやって返事まで小さいとなんだか小動物のような印象を受ける。なんつーか可愛らしい感じがした。


 ひらひらと手を軽く先生に振り、保健室を後にする俺達。時刻から考えるに、今は授業と授業の合間の休み時間だった。


 「なあ、赤橋さんってどこから来たの?」

 「え」


 教室に戻る為に横並びで廊下を歩く俺達の間には妙な距離感があった。中休みということもあってその間を廊下を歩く他の生徒が抜けていく。それがなんだか落ち着かないので、俺は赤橋さんとの距離を詰めてとりとめない事を話しかけた。


 「前いた街の話だよ。どこ住んでたの」

 「い、一応北海道の札幌に……」

 「いちおう?」

 「いや、ちゃ、ちゃんと札幌に住んでました」


 何が一応だったのか。疑問を口にしたのだが、ただの言い間違いのようだった。なんだか面白い子だなと俺は思った。


 「へー……北海道っていいとこじゃん。あれでしょ、海産物とか美味いんでしょ?」

 「うん、まぁ……」


 それだけ言って赤橋さんは口を閉ざした。え、その後は? 何が美味しいとか、オススメの店とか教えてくれないの? 突然の会話の途切れに俺は赤橋さんを見るが、彼女は俯きがちに廊下を歩くのを続けている。いくら待てど、会話の続きをくれそうもない彼女に俺は不安を抱く。


 もしかして嫌われているのではないかと。


 「赤橋さんさ……もしかして俺の事嫌い?」

 「え!」


 驚いたように俺を見る彼女。この反応、まさかの図星か。


 「あー……そか、なんかごめん」

 「い、いいい、いや、そんな事ないですよ! 別に嫌いとか……そんなんじゃ…」

 「うそー、 気ぃつかってない? なんか俺とあんまし会話したそうじゃないし、なんか余所余所しいじゃん」


 俺の言葉に赤橋さんは立ち止まり口をモゴモゴとし出した。何か言いたげだったので、俺も足を止め、彼女に振り返る。


 「赤橋さん?」

 「……あの……な……名前」

 「え」

 「名前も……知らないから……話しにくいと言うか……それが要因というか……ごめんなさい」


 あ……そうか、俺一方的に赤橋さんに話しかけていたけれど、まだ自己紹介もしてなかった。そりゃ話しにくいわな。


 「悪りぃ悪りぃ……俺、大河。大河ドラマとかの大河って書くの。で、名前は虎丸。動物の虎に、日の丸の丸の字で虎丸。簡単でしょ」

 「大河君?」

 「そうそう。てか、横川のヤロー、俺の名前も教えてなかったの?」

 「……保健室に行けばいるから連れて来いって。……それだけ言われた」

 「クソだな」


 最低かよ。まあいいや。


 俺が再び歩き出すと赤橋さんも小走りでついてきた。


 「……大河君、先生のこと呼び捨てにしてるの?」


 ん? それがなんか可笑しいのかな。不思議な質問をしてくる子だなと思った。普通、如何に先生といえど、本人がいない場面で呼び捨てにするのは可笑しな事では無いだろう。


 「そうだけど?」

 「気が強いんだね」

 「ええ? 普通だろ。女子も男子も先生のいない場じゃ、呼び捨てしてるし」

 「そうかな?」

 「そうそう」

 「でもさっき授業前にクラスの人達と話した時は、先生がいなくても皆んな先生付けで呼んでたよ?」


 なんじゃそら。恐らく転校生というニューフェイスの前だからって皆んな猫被っていたんだ。


 「アイツらめ……なんか嵌められた気分」

 「ご、ごめん……」


 また謝られたよ。なんも悪いことしてないのに。


 「赤橋さんって面白いね」

 「え」

 「さっきから謝ってばっかじゃん」

 「う……」


 あからさまに引きつった声を漏らした。


 「……癖でしょ、それ?」

 「……分かります?」

 「はは、なんで敬語なの?」

 「うう……」


 色々他人に壁を作っちゃう子なんだなと思った。俺としては仲良くなりたいから、敬語も、よく謝る癖も俺の前では取っ払って欲しいくらいだった。もしもそれが他の人にもしてしまう癖ならば、尚更俺で練習して慣らしてほしいとそう思った。


 「いいよ、気ぃ使わなくて」

 「え」

 「俺大したことじゃ怒らないし、気にしないからさ。失言……? とかしても大丈夫だから。敬語もいらねーよ」

 「……うん、頑張りま……頑張る」


 俺の顔を見て言葉を言い直す赤橋さんに俺は少し可笑しくて笑った。でもこれで第一の壁はなくなっただろう。良い傾向だと思った。


 「なんでも気軽に話しかけてくれていいから」

 「うん、ありがと。じゃ、じゃあさっそく一つ聞いていいかな?」

 「お、こいこい!」


 意外な積極性を見せる赤橋さん。


 「大河君って、不良なの?」


 しかしその予想外の言葉に俺は固まった。何故ならそれが俺の一番気にしているクラス内での陰口だったからだ。あっけらかんとした顔で人のデリケートな部分にいきなり突っ込んでくるとは……


 「赤橋さん」

 「うん?」

 「……ノーコメントで」


 俺はそれだけ答えて、キョトンとした彼女を残してそそくさと歩を進めた。


 天然なのか、察しが悪いのか……この女子……意外と度胸があるぞ。


 そう、感想を抱きながら。

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