再会
なんとも因果な話だと思った。
まさか今日転校してきたばかりの身近な人間が『主点』として選ばれるとは思いもよらなかった。所謂お姫様抱っこというやつで赤橋さんを運ぶ俺は、それがどうしてか何か理由があるんじゃないのかと思えて仕方がなかった。
この何万人と住むデカイ街で札幌から来たばかりの少女が選定させる確率は途方もなく低いはずだ。それに俺のクラスメイトという身内の要素が加わるならば更に確率は低下する。何か関係があるんじゃないか。
思い過ごしとも言える考えを張り巡らしていると、いつのまにか目的の場所であった交番に辿り着いた。昨晩5つ子を届けた交番とは異なる物だ。二日連続で眠っている人が届けられたとなると可笑しい話になるからな。敢えて避けたのだ。
中に夜勤の人間がいるのを確認して、横開きの扉の横に赤橋クラリスをゆっくり置くと、俺は扉の端をガンッと蹴る。中にいるであるはずのお巡りさんに聞こえるようにな。
蹴った瞬間に場を離れる。少し離れた場所から、扉が開かれるのを確認して俺は帰路に着いた。あとはお巡りさんに任せば万事解決だろう。
本来なら俺自身がお巡りさんに挨拶してもいいのだが、なにぶん変身を解いてないうえ、魂融合したままの格好だからどう見たって不審者にしか見えないからなぁ……それに今は変身及び魂融合を解くわけにはいかないため、今はこんな方法を選ぶ他なかった。
「主人様……」
家路を急ぐ為に家々の屋根を跳び、垣根を越えていた時、体の内側から『犬』の声が聞こえてきた。その声は心配気で俺の体を案じているのが分かる。彼女自身、俺と一体化している為に俺の体にある傷の様子が分かるからの台詞だろう。外見には露呈していないが、頭と胸の負傷は正直言って軽いものではない。普通の状態ならば忽ち動くこともままならず、痛みに呻き這い蹲っていただろう。しかし今の俺はそんな事にならず、逆に屋根を跳びこえる程に元気だ。
何故そんなことが可能なのか……それこそ魂融合のおかげである。魂融合には色々な効果があるが、犬と行なう魂融合の効果の一つには、超回復と云う自動修復術があり、それは今まさに行われている最中であるのだ。外見では無傷の姿であっても、その実は中では大急ぎで治療作業が進行しているのだ。今変身を解いたとしたら……それこそ死体の様にボロボロの体をコンクリート上に晒すことになるだろう。そして誰かに見つけられ明日の新聞の一面を飾る人気者になるか、SNS上にあげられ奇異の目で見られるか、そんな結末を辿るだろう。
生憎そんな方法で人気者なるつもりはないので、家に帰るまでは当然として、傷が完全に癒えるまでは魂融合を解くつもりはない。まあ傷が癒える分精神面には多大な負担が掛かるのだが、命には代えられない為、惜しむことは出来ない。
「大丈夫だって。その分今日一晩はそばにいてくれよ」
「当たり前です。たとえ嫌だと言ってもお側から離れませんから」
犬だけではなく俺達を追う様に、雉も飛んで自宅に着くまで俺を見守ってくれていた。猿だって姿を晒してなくても俺に危機があれば直ぐに出てきてくれるヤツだと知っていたから、少しも非情なヤツだなんて思わなかった。
俺は心の底から慕ってくれるコイツらに感謝した。
翌朝、少し寝過ぎたが、十分登校時間には間に合う時刻に目が覚めた。しかし、頭を起こした瞬間にかかる全身への気怠さに、起き上がることを諦める。最早気怠さを通り越して重圧レベルの負荷に、少しばかり恐怖を覚えた。
「犬、おはようさん」
小さな俺の部屋に雉と猿の姿は見えない。昨晩の仕事を終えて猿は自ら消え、雉も心労をかけたくない為に、実体化を解除させてやったから当然だ。俺は未だ解かれていない変身に、犬が一晩中頑張ってくれていたことに感謝した。
「おはようございます主人様。お体の方は大分治療が済んでおりますが……御心持ちの方は如何ですか?」
体の内部から響く彼女の声に倣い、自身の体を分析してみるが、昨晩は体の奥底から感じていた違和感が消え失せている。確かに傷は癒えているみたいだ。しかしながら精神面は……
「ダメだぁ……とんでもなく動きたくない。今日は学校休むしかねーな」
「それがよろしいかと」
「……無理矢理にでも行けって言わないのな」
「……私がそんな厳しい事を普段から言っておりまして?」
「いや、真面目だし、俺の為にならないから登校しろって言われても可笑しくないかなと」
「たしかに学校には行った方が良いでしょう。しかしあれほどの激闘があったのです。そんな事を言う者はいないのでは?」
「厳しいお前なら言うかと」
「……私を馬鹿にしているんですか?」
「ごめんって。冗談だよ」
取り留めない会話を挟みながらも、俺は学校に病気を装い事情を伝え、再び寝床についた。
そのチャイムの音に、反射的に俺は意識が覚醒し飛び起きる。辺りを見渡すと部屋をオレンジ色の光が染めていた。一瞬にして時刻が夕方、黄昏時である事を察する俺、チャイムは自分のこの部屋のものであると分かった。
再び鳴るチャイム。古びたアパートの聞き慣れた古びた音を出す。何度も聞いたその音も今の精神状態ではうざったらしく感じてしまう。起き上がるのでさえ、かったるい俺は無視する事にした。
荷物が届く予定も無いし、きっと新聞やら宗教の勧誘だろうさ。出てやる意味はない。
しかし俺の睡眠を妨げる様にチャイムは鳴り続け、遂には壊れるのではと思うほどの連打音に変わる。流石の俺もこれには異常感を覚え、それと同時に人の迷惑を考えない輩に対して苛立った。
重い体に鞭を打ち、俺はスウェットのズボンとTシャツを身に着けて、気持ちのままに玄関の扉を開け叫んだ。
「うっせんだよボケがぁ! こんな時間に誰だ!」
ドアスコープから訪問者を確認する事なく扉を開けた俺。訪問者はまるで乱暴に開けられるのを知っていた様に扉から距離を空けて立っていた。夕日が『彼女』を横から照らしているその姿に俺の唖然と混乱を同時に湧き立てた。
見覚えのある学校制服、黒のブレザーは間違いなく俺の高校の物だった。女子生徒用のブレザーを纏うその女の髪色は頭のセンターでハッキリと分かれており、右は金、左は黒といった異なる髪色、いわゆるツートンカラーだ。そしてその長髪を春風に軽く揺らしながら、彼女は碧眼で俺をジッと、まるで俯瞰した様な目線で見つめていた。
知らない生徒だ。瞬時にそう判断した。こんな生徒、学校じゃ見たことがなかった。でも、この特徴的な髪色と、顔には見覚えがあった。
「こんにちは」
寒い秋の日を連想するほどに澄んだ声にゾッとした。
「お前……」
「どうも。まったく……粋なことしてくれるじゃない……」
彼女の碧眼が光った。
「────ねぇ、桃太郎さん」
その言葉と共に彼女は目を細める。俺の心の靄は一瞬にして晴れ渡った。疑いが確信を覚え、俺は目を見開く。
「アイリス……」
「やっほー」
軽く答える彼女を、俺はオレンジ色の部屋の中しばらくの間、ただ見つめることしか出来なかった。