看破
三人称視点です。
無情なる時が訪れた。
虎丸、犬、猿……三者の目の前からフッと、ブランドヘアーと青と白のエプロンドレスが印象的な少女アイリスの姿が消えた。
そして消えたと認識した瞬間に襲ってきた体への衝撃に、虎丸は痛みと動揺を覚える。
「ッッグッハァァ─────!!」
叫び声が上げられたのが意外な程に、大量の血を吹き出し、壮大に虎丸は吹き飛んだ。
犬と猿がハッとした時には既に、自分達の仕える主人は自分達の上空を通過して吹き飛んでいくところであった。
虎丸の予想通りの事が起きた。その事実を瞬時に受け止める猿は目線を周囲にこらす。するとどうだろうか、アイリスの姿を見つけたのだが、彼女姿は遥か彼方、先程よりも遠くにいるではないか。先程の30メートル程の距離が今では50メートルは開いている。しかし、その手に持つフラミンゴのマレットの先には赤々とした鮮血が滴るほどに付着していた。猿の人間とは異なる発達した視力でそれはハッキリと見えていた。
(ヤツめ、本当に旦那を殴ったのか。そうだとして……どうやってあんな距離まで一気に離れやがった。やはり超スピードによる移動を備えているのか?)
異様な光景に様々な可能性を膨らませてしまうが、猿は自分の役目を果たす為に後退し吹き飛ばされた虎丸の側に寄った。
「旦那ァ生きてっか!! ……ッッ!」
思わず息を飲む猿。先に側に来ていた犬を避けて主人の姿を見てみれば、その有様は酷いもんだった。
アイリスから食らった攻撃は二度だった。胸部……そしてまさかの頭部だ。胸部の鎧はひしゃげ割れていて意味をなしていないのが見てわかる程。そして頭部に至っては凄惨な有様だった。
「主人様!! しっかりしてください!!」
犬の声に反応を示さない虎丸。それも当然と思えた。左上顎から頭にかけて打撃跡が著しく、血が吹き出した頭部の髪は濡れ、上顎の肉は皮膚が引っ張られたかめくれ上がり、赤々とした内肉がテラテラと覗いていた。
生きているわけがない。そんな無意識の説得力が生まれる。必死に呼びかける犬に猿は静止の声を掛けようとするが踏み止まる。
(そうだ、まだ戦いは終わっちゃいねぇ……今は距離が開いているがアイリスがまたいつ攻撃してくるか分かったもんじゃない。くそ、旦那……本当に大丈夫なのか)
虎丸から言われていたことを実行する為、猿は無意味だと思ってしまえて仕方がないが、二人に背を向けて遠く離れたアイリスに対し身構えた。
後ろで虎丸に何度も呼びかける犬の声を聞いて、諦めろと犬を諭したくなる。彼はもう立ち上がれない。明らかに彼の予測の甘さが結果として表れているじゃないか。そう言いたかった。
虎丸は一度攻撃を受ければタネが分かると言っていたが……その一度で確実に殺されてしまえば意味が無いだろう。そんな事は猿自身も分かっていた。分かっていたが、止めるに止められなかった。大河虎丸と云う男がそれを達成出来る男であると彼が信じてしまったからだ。頑として止めておけば……! そんな後悔が自分を責めた。
こうなれば犬と二者で一気に攻めてみるか? 主人の最後まで捨てられなかったストーリードミネーションの解除という役目を、俺達が果たしてやるか? その殊勝とも言える考えが猿に浮かんだ時であった。
猿は見た。犬と主人の様子を確かめる為に振り向いた時、死んだと思われた主人の左手が震えながらも動き出し、ゆっくりと自身のめくれ上がった左上顎へと向かっていたのを。
そしてその手はめくれ上がった皮膚をガシッと握り締めた瞬間、なんと引き千切ったのだ。辺りにはブチリと鈍い音が響き、虎丸のめくれていた皮膚は根元から切れた。空いた隙間から白い歯と歯茎が覗いていた。
「……邪魔クセェ」
言葉と共に仰向けになっていた上体を起こした虎丸。血に濡れた瞼を開けば、そこには闘志の燃える二つの瞳が光を放っていた。
「主人様!」
「この野郎! 心配させんじゃねぇ!」
二人から安堵した声が漏れる。まさかの生存は二人の不安をどこまでも拭い去る程だった。猿の心の内には「やはり旦那はマジにすげぇ人間だ」と尊敬にも似た賞賛があふれていた。
「くそ……思った以上にやられた……猿…っどんな状況だ……」
体を起こす事自体辛いはずなのに虎丸は状況説明を求める。彼の勝利に対する執着が見て取れた。
「アイリスとの距離は40メーター程、何故かは知らねーが気が付いたらさっきよりも遠くにいやがった。そんでもってゆっくりとこちらに向かって来ている途中だ。因みに俺も犬も傷は負っちゃいないぜ」
その貪欲な欲望に答える為に状況の説明を施す猿。それを聞いた虎丸はどこか安心したように少しだけ笑った。
「旦那?」
「……よかったよ」
「どういう意味です、主人様」
不敵に笑む自分達の主人に二匹は怪訝さを拭えない。しかしその不敵さは確信から来る、喜びの笑みだったのだ。
「……お前達が生きていて良かった。そして俺もな」
ジロリと虎丸の目線が犬に向いた。
「────犬、お前に聞きたい」
「なんでしょう」
「俺が吹き飛ばされる瞬間……最後に見たアイリスはどんな行動をとっていた? 俺がお前達の前に立っていたのに、いきなり後方まで吹き飛ばされた、その寸前の彼女の行動だ」
その問いに犬は幾許の間を置いた。彼の問いがどんな結論に辿り着くか想像がつかない故の困惑だった。
「ど、どういう意味ですか? 」
「大切なことなんだ。アイリスが再び姿を消す前に……ッ……全てお前達に説明しなくちゃならない。恐らく……俺の今頭に思い浮かべている答えが彼女の能力の秘密だと思う。だから犬、君の意見が直ぐに必要なんだ、答えの確信としてな。だから早く答えてくれ、手遅れになる前に」
虎丸の言葉に犬は意識を変えた。今自分に求められているのは彼への理解ではなく、情報を提供することのみなのだと。自分は見たものをそのままに伝えるべきだ。無駄な意識などするべきではないと理解した。
「────私が最後に見たのは、彼女が体勢を前傾にして私達の右側へ走り出す瞬間でした。そこから先は見えませんでした。気が付いた時には主人様が吹き飛ばされていて……」
犬の言葉を受けた時、虎丸の口元が緩んだ。
「俺が見た光景とは違うな────」
「え?」
「俺が最後に見たアイリスの姿は棒立ちしていた。そして気が付けば俺の体には二つの衝撃と痛み……頭に攻撃は食らったが記憶はハッキリしているぜ。俺が見たアイリスはたしかに立ったままだった筈だ」
「それって……」
「俺達の意識に遅延が起きている。そして犬……ありがとうよ、お前の意見で確信した。あのアイリスの不思議な能力の正体をよ」
虎丸はやってやったぞと笑み、嬉しげに言葉を繋げた。
「アイツには時を止める能力がある」