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想像以上

 

 血が吹き出して彼女のエプロンドレスは赤く染まる。意識の失せた瞳が何かを映すことはなく、力無く地面へと落ち伏せる。それが彼女の最後の姿。


 ────そうなると思っていた。


 「────きっと貴方は強い人。幾百の世界を渡り、幾千の悪者達と戦ってきたのね」


 消えないアイリスの声、それを俺の聴覚は依然キャッチしていた。


 「私が戦ったとしても、直ぐに殺されることでしょう」


 その声を辿る。アイリスは刀を振るった後の残心を取っていた俺の背後に忽然と立っていたのだ。全身の毛穴がブアッと開き嫌な汗が噴き出す。


 「な……に……!?」


 思わず飛び出す言葉。確実に実体は捉えたはず。刃が彼女に触れる瞬間まで俺は目を離さなかったし、あの距離とスピードでは突然の回避体制に入ることは不可能な筈だ! それなのに傷一つ負うことなく彼女は平然としていやがる。


 「────なら、戦わずしてこの場を凌げば良いだけの話ではないかしら?」


 アイリスの口の端が得意げにクイッと上がった。何かこいつには秘密があるな。俺は瞬間的にそう判断して飛び退く。俺と仲間達との間に現れた彼女を見て、彼らも俺と同じように飛び退き距離を取った。


 猿も犬もその顔には漏れなく驚愕が張り付いていた。


 「一体何が!」

 「旦那、シクッたのか!?」

 「いや、確かに切った筈なんだ! ……でも確かに触れる瞬間の……手応えは無かった」


  俺は床に転がる真っ二つに切れた、先程までアイリスの座っていた白色の椅子を一瞥する。椅子は切ったのに、その前にいたアイリスには傷一つ無いのがとても引っかかった。そうだ。切ったと確信した瞬間、その確信はまるで階段を踏み外した時のような感覚に染まり、肉や布を切る感触は無く、木材を切り裂いた乾いた軽い感覚のみが両手に伝わってきたのだ。不安と気持ち悪さ、その混濁が恐ろしく俺を責める。


 そして間髪入れずに俺に届いたアイリスの言葉、それが際立って異様だった。


 「何をしたテメェ……」


 ニヒルに笑うアイリスは腕を組んで俺を見た。


 「なんでしょう。なんだと思う?」

 「聞いてるのは俺だから」

 「ふふん、そんな怖い顔しても無駄よ。今のカラクリが分からないなら貴方に私を捕まえる事は一生無理、残念だけど明けない世界で平穏に暮らした方が楽しいわ」


 勝ち誇った顔に苛立つ。一体何をされたのか分からなかった、その事実に敗北の予感を覚え、焦りが生まれた。コイツを倒さなくちゃこの世界はこのままなのだ。それは……それは絶対に免れなければ!


 「冗談じゃねぇぞ……!! 何がなんでもテメェには死んでもらう! 皆んなの人生が賭かってんだ!」

 「明確な殺意が宿ったわね。恐ろしい……けれど貴方って少し素敵よ。素晴らしいほどに英雄気質、多くの人間の為に自らが罪を犯す事になろうとも構わないと覚悟をとうに決めている。それって普通の人には不可能なことよ。それほどまでに貴方には守りたい対象がいるのかしら」

 「当たり前だ、沢山いる」


 世界中の人々は言わずもがな、学校の先生やクラスメイト、それ以外の知り合いもいる。育ててくれた祖父だって。その人達を守るのが俺の務めだ。


 そして元の世界に戻らなければ成し遂げられない『目的』だって……


 「そうなの、きっと貴方は強くて幸せを沢山貰って生きてきた人なのね」

 「…………何が言いたい」

 「疑問なのよ」

 「ああ?」

 「貴方が世界を救っている人だってことを知っている人間は果たしていくらいるでしょうか?」

 「なにを言ってる……」

 「ただの質問よ。貴方、自分が世界を救う活動をしているって誰かに打ち明けたりしてるのかしら?」


 意味の分からない質問だった。故に答えなくても良いかとも思うが、一応答えることにした。


 「するわけがないだろ。ストーリードミネーションが起きている間は他の人達の時間は止まっている。そんな事を打ち明けたところで俺は精神異常者と言われて終わりだ。打ち明ける意味がない」

 「やっぱりね」

 「なんだよ、なんなんだ!」

 「それってさ……」

 「あん?」

 「悲しくない?」


 憐れむ瞳が俺を見つめていた。


 「悲しい……? なにが?」

 「悲しいじゃない。貴方が命を張って救済している現実世界で、それを知っているのは誰もいない。それって虚しさを通り越して哀れよ」


 彼女の言っている意味は分かったが、故に理解をしてしまった事が悔やまれた。なまじ理解してしまった分、全く理解が追いつかなければとっくに彼女との戦闘を再開していただろうに、俺の勢いは完全に彼女のペースに飲まれる。


 「…………俺は別に誰かに理解してほしいから戦っているわけじゃない。負けられない責任があるから戦っているだけだ」

 「今はそれでも良いかもしれない。けれどそれではいつかは限界がくるわ。あなたの精神は疲れ果て『止まれる』場所を求めて、それなりに都合の良い理由を作り上げて、戦う事を放棄する。 ……承認欲求の磨耗は活動力源の枯渇と同等よ。貴方は誰にも理解されない現実に疲れ果て、誰にも惜しまれることもなく消えていく。そしてそれ自体誰も知らない。まさに哀れな未来ではなくて?」

 「もしそうだとして、だったら何だってんだ?」

 「簡単なことよ」


 アイリスはフンと鼻で笑う。


 「────私と一緒にこの世界で生きていきましょう」


 その言葉に俺の険しかった顔は、意表を突かれ皺が緩和する。


 「……なに、言ってる」

 「あれ、聞こえなかった? 私とここで暮らしていきましょうって言ったのよ」

 「そんな事は聞こえていた! 何故そうなるって言ってんだ!」

 「この世界はいいわよ〜 住人は変な者ばっかりだけど、平和だし暇にならない。 争っても口喧嘩ばかりだし、貴方のように世界を救う責務なんて背負わなくていいのよ。それだけで素敵だと思わない?」

 「……こんなもの偽りの世界だ」

 「あら、貴方の住む世界が偽りでないとでも? 貴方がそう思っているだけで、本当はあちら側が偽りかもしれないよ?」

 「屁理屈だ。たとえそうだとしても俺の生まれた世界はあの世界だ。あの世界の肩を持つのが当然だ」

 「こちらの世界にくれば、少なくとも貴方のやってきた事を理解している存在……私がいるわ。辛かった出来事も、誰にも分かってもらえない気持ちも、私なら分かってあげられる。私なら貴方の言うストーリードミネーションで止まった世界でも変わらず貴方を認識してあげられるんだよ? ……お友達になりましょう桃太郎さん。話を聞いてあげる、紅茶も入れてあげるわ。お菓子は好き? 沢山食べてもいいよ、だからこの世界を壊すのは止めましょう」


 宥めるアイリスを俺は見つめた。彼女の俺を慮る気持ちはヒシヒシと伝わってきた。彼女は俺と友達になってくれると言った。それはきっと素晴らしい事だろうな。そして同時にこのストーリードミネーションを解決する仕事がなければどれほど心休まる事だろうか。毎日紅茶を飲んでお菓子を食べて、自由に大きくなったり小さくなったりするのも楽しいかもしれない。飽きたらアイリスと語るのも良いかもしれない。


 ……けれどそれはありえない。


 俺にはやるべき事がある。世界を救うだけじゃなく、憎むべき『ヤツ』をぶち殺す、その役目が。


 それに────


 「────お前……透けて見えるぞ」

 「はあ?」

 「俺の事を思って言っているように聞こえる言葉だけどさ……自分の生き残りたい意思が透けて見えるって言ってんだよ。お前……本当は俺の事なんてどうでもいいと思っているだろ? この世界が壊されない為のこの場しのぎの『咄嗟』の言葉としか聞こえないよ。お前が言っているのはそれだ」

 「…………そんなこと」

 「普通、出会ったばかりの人間にそんな言葉がかけられるわけがない、一緒の空間に暮らそうだなんて。そんなもんは現実で言われれば危険な宗教に勧誘されるか、詐欺られるかの前兆でしかねぇ。そんなもんについていく人間はいない」

 「私はただ貴方に安息の地を用意するって言っているのよ。そんなゲスなモノと一緒にしないで!」

 「だったとしてもだ。 ────俺にはやるべき事がある。君とは生きていけない、悪いな」


 俺はこれ以上話すことはないと、刀を構え直す。こんな所で安息を得るのが俺の望みではないのだ。安息なんて俺にとっては贄にする対象でしかない。その贄を捧げなければ両親を殺した『ヤツ』に辿り着くことは出来ないと分かっているから。今一度自分の見つめる先を改めると俺は覚悟を決め直した。


 一呼吸を置くと一気に距離を詰め、刀を横に振るう。しかし思った通り、刃は空虚を裂き、手応えのない感覚が手に残る。


 「分かり合えないみたいね、私達」


 瞬間的に向けられる言葉を辿れば、一瞬で移動したアイリスが、俺の位置から30メートル程開いた距離に生えていた木陰から顔を覗かせてそう告げてきていた。


 「どうやらな」

 「はぁ……私も逃げてばかりもいられないみたいね。それじゃいつかは捕まって殺されちゃうもの……不安の芽はここで摘んでおかなきゃ」


 そうしてピョンと木陰から身を全て現したアイリスは片手の親指と人差し指を咥えると、甲高い口笛を鳴らす。何かを呼んでいるのは明白だった。


 俺は警戒を深める。彼女が何を呼んだのか、それはすぐに分かることになる。空を羽ばたく音が聞こえたと思いきや、一羽の桃色の鳥が飛来してきた。


 その鳥には見覚えがあった。クロッケー場でアイリスや他の者達にマレット代わりにされていたフラミンゴの一羽だ。それがアイリスの側へと降り立った。


 「お呼びで」

 「ええ、私たちの世界を守る為に力を貸して下さいな。フラミンゴさん」

 「ええ、ええ、私は貴女様の専用マレットと女王様に言われていますからね、望むままお使い下さい」

 「ありがと」


 フラミンゴはそう言うと徐に一本足立ちをする。そして彼女は疑問に思うことなく、その足を握り持つ。そして次の瞬間にはアイリスはその体に似合わず片腕の力だけで自分の体ほどもあるフラミンゴを持ち上げ、肩に担いだのだ。まるで農作業をするときに鍬を担ぐようなフォームだった。フラミンゴも先ほどの活動的だった動きから一変、片足を上げた姿が硬直し、手で持たれてもその姿は崩れることはない。クロッケー場で見た光景の再来だった。


 「さて、準備は出来たわ。覚悟して下さいね桃太郎さん、私は貴方を殺します。そうしないとこの世界が奪われてしまうと言うならそうするしかないですもの」


 まさかそのマレットで戦うつもりかと意表を突かれるが、ここはストーリードミネーションの中だ、そんなヘンテコな理論があろうとも可笑しくない。


 覚悟を決めたアイリスに俺はマズイなと思う。まだ彼女のあの瞬間的な移動のタネがわかっていないこの時点で彼女に攻められるのは劣勢の極みだ。


 こちらの攻撃が簡単に避けられてしまうのに、向こうは戦う意思まで持っている。負けてしまう香りがプンプンするが……いや、所詮彼女は幼い子供、それにあのフラミンゴをそのまんま武器にしたブツで俺達にまともにダメージを与えられるとは思えない。攻めることは出来なくても負ける事はないのではないだろうか。


 ドガァァッッ────!!


 バリバリ!! ズンンンッッ!!


 「うん、悪くないわね」


 ……俺の考えが甘かった。アイリスは先程自分が隠れていた木に向かってフラミンゴマレットを振るう。その結果、木はマレットの衝撃により幹がひしゃげ、そこからパックリ折れてしまったのだった。


 フラミンゴのマレットには傷一つついておらず、振った本人にも手の痺れやらは全くなさそうだ。そんなものいくら変身していると言っても食らってしまえばひとたまりもないのは明らかだった。



 くそ、どうしたってアイリスの温情には預かれそうにもないな。一度でも食らってしまえば敗北確定の雰囲気である。しかし……勝てる可能性がないわけでもなかった。俺にはある考えがあった。彼女の不思議な能力の看破とその打開策が。俺はその可能性に賭ける事にした。様子を見て戦ったところで、マレットによる攻撃を一度……当たりどころが良ければ二度かもしれないが、食らってしまえば俺は死んで何もかも終わるのだから、可能性に賭けるしかなかった。


 「犬、猿」


 俺の背後にいた彼らに声を掛ける。


 「主人様如何なさいました、攻め時ですか?」

 「いや、このまま攻めた所でやられるのがオチだ。……俺に策がある、そのまま動かず聞いてくれ」


 黙り込む犬と猿。俺の予想が当たっていれば時間の余裕はない、早急に伝えなくては。


 「次あのアイリスが消えた時、俺は恐らくぶっ飛ばされる。多分突然の事に反撃も何も出来はしないだろう」

 「いきなり何を言っているのです、三人でかかればそんな事はありえません。主人様が吹き飛ばされる前に三人で組み倒してしまえばいいでしょう」

 「それは不可能だ、現に俺達3人はさっきのヤツの動きを誰も目で捉えられていなかった。組み倒すなんて無理だよ」


 二人は反論しない。それが答えだった。


 「……しかし一撃、彼女から食らえばそれを解明できると言ったら?」

 「分かるのか旦那」

 「ああ、まあ仮説でしかねーけどな。お前達二人がアイリスから目を離さなければもしかしたら分かるかも」

 「ダメです、主人様。そんな事をすれば貴方のお命が危ない!」


 思った通りの犬の反論だった。

 

 「もしも死んだらどうするおつもりですか! 命に代わるモノはありません。そんな事をするならば三人で一度に攻撃を仕掛ければ……」

 「したいのは山々だけど、それもきっと無理だ。どうせ避けられる。あの不思議な回避方法の謎を解かなきゃ俺達に勝利はない」

 「それはそうかもしれませんが……」


 犬はそう言って黙り込む。彼女は優しい子だから俺の身を案じてくれている。その気持ちは嬉しかったが、今は『これ』しかないと俺は思う。俺は彼女に振り向き頭を撫でてやった。


 

 「────二人に頼みがある」

 「おう」

 「……はい」

 「アイリスから目を離さないでほしい。いきなり消えるような出来事がまた起こるだろう、その瞬間まで彼女を観察していてほしい。それが重要だから。 ……そして俺がもし攻撃を受けた時、彼女を探したり迎撃する様な真似は止めてくれ。攻撃された俺の側まですぐに来てほしい」

 「どういう事だ、迎撃するなとは」

 「分かる事があるはずだ。それをお前達に伝えたい」


 猿と犬は困惑した表情で互いに顔を見合わせるが、無理矢理に納得した様に俺に同意の意思を示した。


 「よし……頼むぞ二人とも。チャンスは一度しかねぇ、俺の命も一個っきりだからよ」


 俺はそう言って再びアイリスを見る。予想通り、彼女は未だ先程の位置から少しも動いていなかった。あんなにも素早い動きが出来るにも拘らず俺達を最速で仕留めにこない。それは何故だ……


 「……なーんか不自由そうじゃねぇか、アイリスさんよぉ」


 俺は小声でそう零す。何か彼女の能力の核心に直ぐに辿り着ける。そんな確信が拭えなかった。

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