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強者

 

 テーブルに立て掛けていた刀も宙を舞っていた。しかしこんな状況だと言うのに、俺はそれをキャッチした後でも抜刀する気にはなれなかった。


 呆れたかのように漫然な様子で座っているアイリスに敵対心はすぐには湧かなかったのだ。


 「……やはり君はこの世界のキャラクターなのか?」


 既に分かった事でも無意識のうちに口に出していた。


 「その表現は正しくはない。けれど、この世界がある事で私という存在が生まれたのだったらそうかもね。で、何かしらお馬鹿さん」

 「だったらもクソもないだろう。さっき旦那がお前に言った通り、俺達はこの現象を何としても明かさなくてはならない。世界の様子も人々の時も止まったままには出来ねぇだろ」


 猿が俺をそうフォローした。


 「今すぐお前の依り代になっている人間を解放しろ。それだけで話は済む」

 「嫌だと言ったら?」

 「……なに?」


 アイリスが組んだ足を組み替える。十代に差し掛かった辺りから十代前半ぐらいの年齢層の見た目からは想像が出来ない程に大人びた仕草であった。


 「嫌よ、私」

 「何故だ?」


 今度は俺が問う番だ。


 「理由なんて簡単じゃない、私自身消えるのが嫌だから。この世界がなくなってしまえば私は存在出来なくなっちゃうわ。そんなの苦しくて悲しいもの」

 「だから外の世界は犠牲になればいいし、君の依り代の都合だってどうだっていいって言うのか?」

 「そんな明確な悪意はないわよ。────私、気がついたらこの世界にいたの。私自身、自分が何者なのか、どういう役割を与えられた存在なのか、この世界に降り立った時から理解していた。でもこの世界が作り物であり『不思議の国のアイリス』と言う物語を模倣して作られた存在だとも理解していたわ。だから自分がどんなキャラクターで、周りのキャラクター達がどんな立ち位置なのかも、フローチャートさえも分かっていた。客観的に見れたのよ。だから私が本物のアイリスではないことも知っていた。でも私は『彼女』の真似をすることで私自身がアイリスであると思えた。存在する意味があるのだと思えたわ! たとえ偽物だとしても、『世界』に選ばれたのなら、私には『アイリス』になる資格があるのよ! そしてこの体もその資格があるからこそ与えられた物! そうでなくて!? ……それらが対価になってしまうというなら仕方がないじゃない。私は消えたくない、それだけよ。その代わりに世界はこの『私の世界』に上書きされる。 ……それだけの話じゃなくて?」


 自らの都合の為に世界をこんなにも容易く犠牲にすると判断を下せるのか。驚愕する他ないなと感想を抱きながら俺は鯉口を切る。


 「私を殺すつもり?」

 「仕方がないだろ。全世界の人間の人生がかかっている」

 「私を殺せば依り代の子の魂と肉体も死ぬわよ」

 「そんなもん承知の上だ」

 「人でなしな決断ね」

 「世界を元に戻せるのは俺しかいないもんでね、俺が心を鬼にするしかないのさ。待っていたって誰かが代わりに決断を下してくれるわけではないからな」


 俺だってそんな選択肢を選びたいわけじゃない。過去にもこの様な事はあった。勿論今の様にキャラクターが自我を持ち、反抗してくるようなケースは今回が初めてではあるが、似たように俺自身が決断しなくてはならない状況下に置かれた事が。


 この役割を自覚したのはいつだったか。残酷であり、どこまでも現実的なこの物語の世界で俺はいつのまにか自覚し、俺がやるしかないのだと何となく理解した。


 戦いが辛くても、悲しい出来事があっても、このストーリードミネーションという現象を解決出来るのは俺しかいなかったのだ。


 それからというもの誰かにこの役割を代行してもらった事はないし、押し付けられる人間なんているわけがなかった。


 この体に桃太郎の力を授けられた時からこの役目は俺だけに押し付けられたのだ。だからこそ今回だって同じこと。相談に乗ってくれる先生はいない。手を差し伸べてくれる友達もいない。裁いてくれる法もない。


 俺がやらなきゃ誰がやる。やるしかないのだ。


 いつの日か救えなかった『一寸法師』の姿が脳裏にチラつく。小さな物語の主人公。救えた筈の命は俺の一瞬の油断で儚く消え去った。


 ────いや、それとは違う! 断じて違う。あの人にはストーリードミネーションを抜け出したいという明確な意思があったし、なによりも人としての意思があった。物語という偽りの世界で生み出された『人格』に捉われ執着することも支配されてもいなかった。あの人には害意も敵意もなかった筈だ。だからこそあの人は救うべき人間だったのだ。でもこの目の前の女は違う。己の存在意義の為に全ての人間を代償にするつもりなのだ。それは……それは明確な悪意な筈だ!


 だから……こんなにも手が震えるのはただの勘違いの筈なんだ。


 「何か残す言葉くらいは聞いてやる」


 心の迷いを振り払うように俺は出来るだけ冷たく言い放った。彼女はジッと俺を見ていた。


 「お兄さん」

 「なんだ」

 「怯えているの?」

 「そう見えるか?」

 「……そう見えるわ」


 見透かされている、その事実に生唾を呑む。幼な子に見えても彼女は幾分も年を重ねている様な雰囲気だ。何故だか俺よりも何倍もの物事を知っている様な気がした。


 「これから殺す相手に言うことじゃないがな、俺は人を殺すことが怖い。とても怖い。いままでいくつもの『物語』の世界を渡り歩いたが、殺めてきた対象は所詮は紛い物の命だ。躊躇はあっても後悔はしたことも無い。けれど……きっと君を殺めた後、俺はとても後悔するだろうさ。アイリス、君を殺すことじゃ無い。君の中にいる『人』を殺めるのが怖いんだ。 ……君はこの世界が生み出した作り物、ストーリードミネーションという現象によって出来上がった副産物にしか過ぎない。所詮本物の命じゃない。それに本物のアイリスでも無い。ただの現象から出来た模造品だ。でもそんな出来合いの姿を被っていても……本物の人を殺めるのは……怖い」

 「それならば止めればいいじゃない。貴方のすることはマトモな人のするやり方じゃないわ、情けをかけて私を見逃して頂戴な」

 「それが出来れば苦労もない。心苦しいが俺は君を殺めなくてはならない」

 「酷い強迫観念に捉われているのね、可哀想……もう少し貴方は自分の意思を尊重した方がいいわよ」


 そう憐れむ彼女の声に言いようもない遣る瀬無さを思う。彼女を殺すことに義務は無い、命令されたことも無い。ただ一つの真実、ストーリードミネーションが明けなければ世界は侵食され、止まったままの状態になるという事柄が俺の行動理念だった。


 「────主人様!」


 強く噛み締めた歯の感覚が随分とハッキリ感じたそんな時だった。俺の前にいつのまにか二つの従者達の後ろ姿があり、振り返り俺を見つめていた。


 「こんな女子おなごの戯言に深入りする必要はありません。貴方の今までしてきた事に間違いはなかった。そしてそれは今回も同じこと。世界を元に戻す、それの何が間違っていると? ヤツの口車に乗せられる意味はありませんよ!」

 「まあ、そうさな……今回ばかりは俺も犬と同意見だ。ヤツの言う事に耳を貸す必要も無し。俺達の役割は人々の世界を取り戻すこと、そこに偽りの世界のキャラクター達の救済など考慮してなどいられない。一人の人間の命と全世界の人間の命……天秤にかけたならどちらを取るかなど明白だろ?」


 犬と猿がそう諭す。


 そうだ。俺には救わなくちゃいけない世界があるんだ。例え一人の人間の命が彼女の内側にあったとしても、それを投げ捨てなければならない。今はそんな状況なんだ。


 覚悟を決めた俺は今一度アイリスに向き合う。


 「分かっているさ。 ……アイリス、辞世の句は決まったか?」

 「生憎そんな高尚な物は持ち合わせていなくてね。考えつくまで待ってはくれないかしら?」

 「どのくらい」

 「10年は欲しいわね」

 「残念だがよ、時間切れだ」


 俺は足を踏み込むと一気に地面を蹴り上げ、アイリスとの間合いを詰める。前に立っていた従者達の姿は一瞬で過ぎ去り、目と鼻の先に、椅子に座る彼女の姿があった。


 鯉口を切っていた刃は何の滞りもなく鞘から解き放たれ、銀色の光の軌跡が彼女を切り裂いた。


 「─────本当に残念ね」


 心の底からそう思っているのが分かる彼女の声が俺の耳に届いた。

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