目に入れても
今日は愛娘であるアリスの誕生日だ。
大事な娘になにを贈ろうかと、一か月ほど前からずいぶんと悩んだものだ。
なんといっても大事なアリスへのプレゼント、金などいくらかかろうがかまわない。フランス製のドレスか、ダイヤのネックレスか、あるいはブランドものの時計か。
妻に相談したら、――あなた、アリスはまだ2才なのよ――と、笑われてしまった。
なかなかむずかしいものだな。
アリス、おまえはなにが欲しいのだね?
そのやわらかな体を抱き上げて問うと、アリスは「バナナ」とこたえた。
バナナか。それなら誕生日に限らず、いつだって買ってやる。だが、すまないが、バナナを誕生プレゼントにする気にはなれない。
三輪車か、自転車はどうかしら? と妻はいう。たしかにそのあたりは無難なところだ。
しかし、わたしはいま一つ釈然としないのだ。
もっとほかに、かわいい一人娘のアリスにふさわしいプレゼントはないだろうか。
私の宝であるアリス。ぷっくりとした頬はピンク色にかがやき、黒く愛らしい大きな瞳は澄んで、ゆるくウエーブのかかった髪がやさしく私の頬をなでる。
ああ、なんとかわいい娘よ。
何をあげたらおまえはよろこんでくれるのだ?
どうか、バナナなど切ないことを言わないでおくれ。
バナナなら、そら、キッチンにあるからひとつあげよう。そういうと、さっき朝ごはんを食べたばかりよ、と妻が不満そうな顔でいう。
まあいいじゃないか。なあ、アリス。おまえのお願いにはかなわないよ。
そう緩んだ顔でアリスに頬ずりすると、幼い子ども特有の、甘いにおいがした。
そのまま娘の髪に鼻をこすりつけ、においを満喫する。アリスはバナナに夢中で気づかない。妻はそんなわたしに呆れて、別の部屋へ行ってしまった。
アリス、アリス、かわいい娘……。
と、とつぜんアリスの手からバナナがポロリと床に落ちた。うっかり手を放してしまったらしい。
おや、と思うまもなく、アリスがギャーと火がついたように泣きだし、かんしゃくを起こして体をそらした。
その拍子に、娘のあたまが私の顔に直撃し、鈍い音がしたと同時に鼻に激痛がはしった。
娘の泣き声にあわてて飛んできた妻が見たのは、血だらけで暴れる幼子と、鼻から大量の血を流し、半分白目になっている私の姿だったという。
ああ、愛娘よ、我が目に入れても痛くないと思っていたのは儚い幻想だったのか……。
終わり