大海の一滴
ロウアは、マフメノが教えてくれたお陰でツナクトノに保存されていた自分のデータにアクセス出来るようになった。自分の情報と言っても、魂が宿る前の元の身体の情報だった。だが、ロウアが、これからもこの世界で生きていく上で、この情報は役に立つと考えていた。
彼は、自室に到着して机に向かうと、早速マフメノに教わった方法で情報を閲覧し始めた。すると、魂のロウアが藪から棒に話しかけて来た。
(言っとくけど、俺は日記なんて書いてないからなっ!)
(何を言うかと思ったら、聞いてもいないことを……)
ロウアは、彼が何が言いたいのだろうかと思った。
(なんだよ、どうしたのさ)
(……)
(あぁ、分かったぞ、ロウア君)
(な、何だよ……)
魂のロウアが自分の事を調べられるのを酷く嫌がったから、そう言って誤魔化したのだとロウアは理解した。
(何か恥ずかしい情報でも保存されているんじゃない?)
(けっ!んな恥ずかしいもんなんかないってっ!)
(じゃぁ、なんで今まで教えてくれなかったんだよ)
(それは……。
お前ねぇ、今から見ようとしているもんが何だか分かってるのかよ……)
(分かってるよ、君の情報だろ?)
(だからさぁ、お前が言うところの"ふらいはしぃ"の侵害って奴がイヤなんだって……)
(プライバシーのこと?
まあ、それはそうだけど、僕が君になるために必要な事だろ?)
(分かってねぇなぁ……。
こ・れ・は、自分の情報をわけの分からん奴に開けっぴろげにするって事なんだぜ?
俺じゃなくっても嫌がるってっ!)
(う~ん、それほど見られたくない情報なの?)
(見てみれば分かるって……。くっそ……)
昨日の魂のロウアは自分の情報へのアクセスを諦めたようだったが、この期に及んで見せたくないと、もがいていた。
(まぁ、君の気持ちは分かるけど……。見るよ?いいね?)
(もう勝手にしろっ!)
魂のロウアは諦めてそっぽを向いた。
ロウアが、マフメノに教えてもらったが、その情報を見るのは別に難しくはなかった。今まで気づかなかったのが不思議なぐらいで、メニューの奥を少したどっていけば良いだけだった。
ロウアは、ディレクトリ構造となっている情報を探っていくのだが、調べれば調べるほど驚きと衝撃が彼を襲った。ロウアは横でふてくされている魂のロウアの嫌がる理由が分かった。
ツナクトノに集まっている情報は、メモとか、写真とか、ドキュメントなんて小さな情報ではなかった。それは、人生のログと言って良いぐらいの内容で、歩いた場所、立ち寄った場所はもちろん、出会った人、そこで会話した内容など、一人の人間の見聞きした内容全てが保存されていた。つまり、一年前の何時何分にどこで誰と会ったかまで分かるということだった。
(日記どころかじゃない……。
それこそ君に関する情報は何でもかんでもあるじゃないか……。こんな情報どうやって保存しているんだ……)
(んなことは、神官に聞けよっ!!)
ツナクトノは身体に組み込んでしまうタイプと腕時計のようなデバイスとして装着する二種類があった。海で溺れる前のロウアは、身体に埋め込むタイプを使ってた。そのツナクトノは、溺れたときに右腕と共に失ってしまった。つまり、ツナクトノに保存された個人情報は、すでに失っているはずであった。ロウアは腕の再生と共に腕時計タイプのツナクトノを装着していて、そこには失われた情報がしっかりと残っていた。
つまり、いずれかの場所に情報が保存されていて、その情報がリストアされたということを意味した。
(この情報は何処に保存されていたの?)
(あん?あぁ、神殿だぜ?)
(神殿に……)
(こ、これは、ものすごい管理社会なのでは……?)
魂のロウアの話では、ツナクトノの情報は、ムー国の中央に存在する神殿に自動的に保存されているということだった。ロウアは、個人の生活に関わる全ての情報が政府に集まっていることに恐れを抱いた。
(全くだぜ。一応自分以外は閲覧出来ないって事になっているが、そんなの嘘に決まっている。現に犯罪者がこの情報を元に逮捕されているからな)
(そ、そうなのか……。もしかして、テロを計画したら、すぐに捕まってしまう?)
(てろ?てろって何だ?)
(政府を転覆させるような計画ということだよ)
(あぁ、そりゃすぐ捕まるわ)
(……う、う~ん)
ロウアはこんな管理社会でみんな息苦しくないのかと思った。だが、自分の周りの人間達は、皆幸せそうに見えていた。
(個人情報がこんなに管理されていて、みんな幸せなの……?)
(何を持って幸せかって言ってるのか分からんが、こんな何でも管理されている世の中でも、首都ラ・ムーが機能している限り、仕事は楽に出来るし、食事にも困らないから幸せなんじゃないか?)
(う、うん、なるほど……)
(あと、お前はテロって話したけど、ラ・ムーへの信仰心をみんな持っているから政府を転覆する奴が現れるなんてあり得ないって。
あぁ、昔はあったか……教科書に載ってたな。んだから、こんなに管理するようになったってことか)
魂のロウアは何かを勝手に理解したようだった。
(ま、そんな大昔とは違って、み~んな精神的にも幸せだってことだぜ。)
(え……?みんな幸せ?)
ロウアは、精神的に幸せだと断言した言葉に驚きを隠せなかった。
(何驚いているんだよ。ラ・ムーへの信仰があるからな。お前は信仰なんて無いんだっけ?)
(う~ん、僕の居た日本は……信仰心があるような無いような……。この国ほど明確じゃないかも……)
ロウアは、彼が何で信仰の話をし始めたのだろうかと思った。
(信仰心を持っていない未来社会の方が驚きなんだよなぁ。信仰が無いって事は動物と変わらないって授業で教わったぜ?
お前らは何を信じて生きてるんだよ。考えの柱が無いってのと変わらんだろ?不安にならないの?)
(動物と一緒……?欲望のままって事……?だから、不安になるって事……?)
ロウアは考えの中心がない動物のように欲望のままに、自己中心的に生きていたのではないかと思い、彼の言葉が胸に刺さった。
(人間ってのは、必ず何かを信じているって神官様が言ってたぜ?)
(何かを?僕らの時代では、科学的に証明できないものは信じないって人が多いよ?)
(だから、それがお前らの信仰じゃね~の?)
(ど、どういう意味……?)
(科学を信仰しているんだよ、お前らは)
(な、なんだって?科学を信仰している?)
ロウアはそれを聞いて驚きを隠せなかった。自分は科学的に証明できないことは信じないと、"信じていた"のだと思ったからだった。
(まあ、見方を変えれば、神様が作ったもんの法則を信じているって訳か)
(い、いやいや……。天国や地獄を信じていない人が居るんだ。だから科学を……信じて……)
ロウアは自分で言いながら、自分は科学信仰していたのだと改めて分かって言葉に詰まった。
(天国や地獄を証明できないからってか?でも、俺はこうしてここに居るんだぜ?)
(そうだけど……。それは僕がたまたま霊体を見えるからだけであって……)
(つまり、お前らは実際に魂が見えないと信じないのか)
(そ、そう……かもしれない……)
(んじゃ、なんで生きてるんだ?)
(えっ?!ど、どうしてそうなるんだよ)
魂のロウアは、生きている意味を問いだしたので、何故、そう言った話しになったのかとロウアは驚いてしまった。
(まあ、それは言い過ぎたかもな。
死んで何もかも無くなっちまうって"信じている"ってことだろ?
ってことは、頑張る必要なんてないんじゃねぇか?)
(そ、それは……)
ロウアは、更に言葉に詰まった。何故努力して生きるのか、その答えは科学には無いと思えたからだった。自分は一体何を信じて生きてきたのだろうかと思い悩んだ。だから、未来世界で出会った人達は死を選ぶこともあった。
(死んでも俺が居るってことは、来世もあって、生きてきた努力が無駄になるってことはねぇってことだ……、まあ、俺は早々に死んじまったが……。まあ、そんでもちょっとは勉強したり、ロネント組み立てたりって経験は来世で活かせるってもんだぜ?)
(生きている意味があるということ……)
(なんか話が逸れちまったが、俺達はラ・ムーっていう神様を信仰して、神殿だけは裏切らないって信じているから、幸せであって、つまり、"てろ"ってのを起こす気が無いってわけだ。)
(……そういうことか。分かったよ)
(てか、お前は信仰が無いとか言ったけど、たまにナーカルの神官みたいな事を話すから、何かを信仰しているんじゃねえの?この前も神様に近い人がいたとか言ってたし、わけ分からん魔法を使うし、本当に信仰がないのか?こっちが驚きだぜ)
(……僕は、信じるというよりも、知っていると言った方が良いぐらいだから……。実感しすぎてしまって、"信じる"という感じじゃ無い……)
(まあ、どっちでも良いけどさ。
俺らだって、みんなで信仰していることでこれだけの幸福を享受しているわけで、まあ、これが"実感"かもな~)
ムー文明は、政治、経済、科学、学問などは、信仰を中心としている。ラ・ムーはすでに亡くなっていて、数千年経っているが、首都の中央では女王がその信仰の中心にいて、神の啓示を今でも承けていた。その女王を中心にラ・ムーへの信仰は、この文明には染み込んでした。魂のロウアは、21世紀では科学にのめり込んで神の存在など信じていなかった永原とは似ても似つかない考えを持っていて、ロウアは驚きの連続だった。
(あぁ、日本人は"わ"だっけ?これが共通認識って言ってたか)
(う、うん)
(そか、勘違いしていたわ。あるんだったな、信じているもんが)
(……)
ロウアは、世界中の人が同じように"和"を重んじているわけじゃ無いと説明出来なかった。そして、一体何が大切なことなのか、分からなくなっていた。
彼の話す信仰とは、生きる指針としてのラ・ムーが説いたとされる思想を信じるということでもあり、ラ・ムー自身を信じるということでもあった。つまり、日本人のような年に数回、神社などにお祈りに行くだけの信仰とは何かが異なっていた。
ラ・ムーの思想をみんなで共有しているからこそ統一された国家だと思っているし、尊厳も、自信もあるし、幸せも感じている、ロウアはそんな気がした。ただ、21世紀では、国や人が、それぞれの信念、信条、信仰などを持ち、理解し合うことが出来ないから争っているという負の面もあると思った。
ロウアは、この時代のムー国以外の人々はどうやって生活しているのだろうかと思い始めていた。まだ自分が見ている世界は、このムー大陸の一部だけでしかなかった。つまり、自分は、また大海の一滴しか知らないということだった。
ロウアは、今まで考えたこともないような深い問題が投げかけられたような気がして気が重くなった。しかし、もっと自分は"世界"を知らなければならないと思い始めていた。
(おいおい、真剣に考えすぎるなって)
(うん、だけど、勉強になったよっ!)
(取りあえずさ、お前のデータ、てか、俺のデータか、それを見てちゃんとした"俺"になってくれよっ!ホントは嫌だけどさ……)
魂のロウアは、少し言い過ぎたと反省しているのか、珍しくロウアを励まそうとしていた。
(まあ、色々知りたいことはあるけど、まずは調べたいことがあったんだ)
(そっか)
2022/11/03 文体の訂正、文章の校正




