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次の日、ヒルデガルド国王陛下に謁見するためにレイラたちは準備を始めた。
シプリアと女官がもう1人やってきて、手際よくレイラたちのドレスの着付けや化粧をしてくれる。
「レイラ様、先日は兄が本当に申し訳ございませんでした。失礼なことをしてしまったそうで……」
「い、いえ……そんな! 少し驚いてしまいましたが、し、失礼などということは……」
レイラは昨日のことを思い出してぼっと顔を赤くした。
「兄、ヨアニスは大陸共通語はそれなりには話せるのですが、敬語の習得が未熟なもので、あの通り、粗野な物言いしかできません。他国の文化の勉強も不十分で……本当にお恥ずかしい限りです。しかもあの通りの大男なので、恐ろしい思いをさせはしなかったかと……」
シプリアはほとほと困り果てたように頬に手を当てている。シプリアは女性的な面持ちの美女で、その可憐な仕草のせいもあり、ヨアニスとはあまり似ていない。しかし遠慮のない物言いは兄妹らしさを思わせた。
「いいえ、とんでもない。ヨアニス殿はよく鍛えられているような体躯でしたが、武官なのですか?」
「ええ。今は違いますが、以前は武官をしておりまして、今でも体を鍛えるのが趣味なのです。わたくしが止めても毎朝薪割りをしますし、狩りや遠駆けも好みますね」
「へえ、狩りに遠駆けですか。いいですね、私も好きなのです。最近はその機会がなくて体も鈍りそうです。せめて素振りくらいはしたいのですが……」
「あ、もしよろしければ庭園に出てみてください。多少の運動はできる広さがございます。他にもご希望があればご用意できるものはいたしますから」
シプリアの言葉にレイラは喜んだ。
バルシュミーデを出てから移動は馬車に船で、自分で動く機会がなかったのだ。室内でも素振りくらいは出来そうなほど広いが、もしうっかり調度品を壊してしまったらと思うと躊躇っていたのでシプリアの申し出はうれしい。それに元々外に出ている方が好きなので、体が鈍らない程度に散策しようと思っていた。
シプリアと話をしているうちに、ドレスを着せてもらい、化粧もされた。
「素敵なドレスですね。レイラ様にとてもよくお似合いで、本当に魅力的です。とてもスタイルがよろしいのですね」
「そ、そんな……」
普段容姿を褒められることのないレイラである。
もしかしたら魅力的などと言われたことすら、生まれて初めてかもしれない。大体親からもかわいいと言われたことのない少女時代を過ごしたのだ。
恥ずかしさのあまり思わず顔を伏せた。
「レイラ、ドレスを着たのね。早く見せてちょうだい」
一足先に支度の済んだヘンリエッテから声がかかる。
ヘンリエッテはその場に花が咲いたかのように明るく可憐な黄色いドレスだった。
ただ美しいだけではなく、いるだけでそこに光が当たっているような、不思議なカリスマ的な魅力がある。さすが高貴な血を持つ王女である。
一方のクラリッサは可愛らしいピンク色のドレスだった。最新の流行最先端なドレスが愛らしいクラリッサに実によく似合う。そしてそれを自分でも自覚しているようで、自信に満ち溢れている。
ヤスミンは濃い青で、しっとりとした色気があり大人の魅力に溢れていた。嫋やかで控えめな印象のヤスミンだが、着飾ると艶やかさがぐっと増す。
それぞれがバルシュミーデの誇る美女であった。
金髪碧眼にいかにも女性的な体型。こういった美貌の持ち主を他国ではバルシュミーデ風、と称するらしい。その中に頭ひとつ分も大きい炎のような赤毛のレイラが混じっていれば悪目立ちもするというものだ。
「あら、本当にいいわ! レイラによく似合う。モスグリーンでその髪の色も引き立つし」
「それがクレマンティ侯爵夫人のお抱えが作ったドレスなんですね。へえ縫製も凝ってる……形も珍しいですね」
絶賛のヘンリエッテと、おしゃれに興味があるらしいクラリッサはドレスに釘付けだ。
ヤスミンはニコニコとこちらを見てはうんうんと満足そうに頷いていた。
少し気恥ずかしいが、おしゃれをした姿を否定されないというのは、それだけでなんだか嬉しい。
「本当に、皆様それぞれ素晴らしい美しさです。それではまもなく謁見の時間となりますので、移動致しますね」
シプリアの誘導でレイラ達は謁見の間に向かった。
謁見の間は広々としていた。
ただ広いだけではなく、客人はレイラ達4人だけ、それとシプリア、警護をする兵士の数も多くない。
そのためになんだか寂しく寒々しいようにも見える。
その広い謁見の間の真ん中辺りまで案内される。
レイラ達の前には御簾が下りていて、向こう側は見えないようになっていた。
だが、確かに御簾の向こうには人の気配があるのがわかる。
向こう側からはこちらが見える仕組みなのかもしれない。
「バルシュミーデ王国からのお客人でございます。まず、ヘンリエッテ様──」
シプリアの案内でレイラ達の紹介がされていく。
ヘンリエッテはさすがに王女である。堂々とした礼と即興での挨拶を見事にこなした。
そしてレイラも呼ばれ、ヘンリエッテの真似をしつつ挨拶を終わらせた。
残るふたりも挨拶をしたものの、御簾は下りたままである。
ヘンリエッテもクラリッサもニコニコとしたままではあるが、それが不満なのは言わずとも雰囲気だけでわかる。
「陛下からのご挨拶がございます。……陛下?」
シプリアは御簾を潜り、そしてすぐに戻ってきた。
御簾の向こうも動いたような気配の後、声が聞こえた。
「……余はアレクシオス3世・バルベイトス ・ヒルデガルドである。バルシュミーデ王国から遥々来てくれたこと、誠に感謝する」
キンキンとした不思議な声だった。
洞窟で反響させた声に近いだろうか。また、その声量はひとりの人間が簡単に出しえるようなものではない。謁見の間に恐ろしいほどの大声が響き渡るのだった。
レイラは反射的に御簾から距離をとり、背後にヘンリエッテを隠すようにした。
その声の大きさにはヘンリエッテも怯えたように身を小さくしている。
ヤスミンも不安そうであったし、クラリッサは意味がわからないように固まってポカンと口を開けている。思っていた陛下像と異なるからだろう。レイラだってそうだった。
ひとり慌てているのはシプリアだ。
「も、申し訳ありません。今のは魔光石を利用した音声の増幅装置、というものだそうで……。ここはまだ4名しかおりませんが、お招きした国々から全員が集まった場合は100名ほどとなりますので、その際に陛下の声が聞き取れないなどがないようにと、陛下が作らせたそうでございますが……」
なるほど、今のは肉声ではないらしい。レイラには仕組みなどわかるはずもなかったが、魔法石や魔光石を使った道具類も、技術の高い国ではよく作られていると聞く。その類の装置なのだろう。
「あ、あの! 直接お姿を見ることも、肉声を聞くこともできないんですか!? わざわざバルシュミーデから来たのに!」
真っ先に噛みついたのはやはりクラリッサだった。
しかし今回ばかりはヘンリエッテも同様のようで眉をひそめている。
わざわざ正妃になれるかもしれない催しとして他国から独身女性を集めておいて、まさか会わせてすらもらえないとは思ってもみなかったのだろう。
王女であるヘンリエッテからすれば、愚弄されている気分なのかもしれない。
シプリアはクラリッサやヘンリエッテの様子にオロオロとしている。
「す、すみません。お待ちください」
シプリアは再び御簾をくぐる。
ヘンリエッテ達とは異なり、レイラはヒルデガルド国王陛下の顔はせいぜい個人的興味で見てみたいという程度の望みしかない。
別段正妃になりたいなどと思っていないし、そもそもヘンリエッテやクラリッサ含む各国からの美女達の中で選ばれる自分という想像など全くできないからだ。このようなロウソク女が選ばれるなど天地がひっくり返ってもありえないだろうとさえ思っていた。なのでただヘンリエッテが危険でないならいいと、どっしりと構えて様子を伺っていた。
「……すまなかった。この装置の使用にまだ慣れぬゆえ、声量が大きすぎたようだ。驚かせたことは謝ろう。また、他の国が揃うまでにしばしの時間がある。全員が揃ってから改めて顔合わせを行うので、もう少し待っていてほしい」
音量は普通になったが、その音声の増幅装置とやらを通した声のままであった。キンキンとした声だけではその姿を想像することも出来ない。
シプリアも御簾から出てきて頭を下げる。
「申し訳ございません。陛下にも色々と思惑があるようですので……。本日はご容赦ください」
「……わかりました。それが陛下のご意向であるのなら。では、戻りましょう」
ヘンリエッテはおとなしく従った。
クラリッサは未だに御簾の方を目を凝らすようにして、じっと見つめている。そうしたところで何も見えないだろうに、その仕草になんらかの執念めいたものが感じられた。
しかしヤスミンに戻ろうというように肩を叩かれ、諦めたように後ろを向いた。
レイラはなんとも思っていないので、ヘンリエッテに従い、謁見の間を早々に後にした。
離宮の廊下を5人でぞろぞろと歩いていると不意に声がかかった。
「レイラ様! いやあ、綺麗だ」
振り返った先にいるのはヨアニスだった。昨日と同じような服装である。
そして手には昨日ほどの量ではないが一束分の薪を持っていた。
ヨアニスの姿にレイラの胸がどきりと高鳴る。
しかし綺麗と言ったのはレイラにではないだろう。
ヘンリエッテやクラリッサ、そしてヤスミン。バルシュミーデ風の美女がここに3人もいるのだ。もしくはレイラの新しいドレスのことだろう、そうレイラは認識していた。
それでも褒められるとうれしいのは当然だ。
「ヨ、ヨアニス……! そのような格好で皆様の前に出るなど」
妹のシプリアは兄の様子に怒っているようだ。
しかし兄のヨアニスはどこ吹く風といった顔でヘラっと笑う。
「いや、急にブラウリオの客人に頼まれてしまったんだって。薪が湿気たみたいで煙が出るってな。昨日もだが、今日もこんな小汚い格好で悪いな」
シプリアは自分のことのように恥じているのか顔が赤い。
いや、それだけ怒っているのか。
「敬語! 何故ちゃんと覚えなかったのです……!」
ああもう、とシプリアは頭を抱えていた。
途中から母国語に変わり、ヨアニスとシプリアの会話が全く理解できなくなった。ヒルデガルドは独自言語を使っているので、母国語だとレイラたちにはさっぱりわからない。しかしヨアニスが滅茶苦茶に叱られているというのだけは分かった。
それでもなんとか決着が付いたようで、ヨアニスは頭を下げて薪を持って去っていった。
「も、申し訳ございません。本当に不調法で……あの通りの男なので、結婚もまだでして……」
「へえ、そうなの。そういえば、シプリアは結婚は?」
ヘンリエッテは無邪気に問うている。
「ええ、わたくしは結婚しております。まだ子供はおりませんが……。この国は女性の方が少ないもので、適齢期にはほぼ相手が定まっていることが多いのです」
なんとも羨ましい限りだ。
しかしヨアニスは独身であったのか。
レイラは少しだけ浮き足立つものを感じた。
あくまでほんの、少しだけ。