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結局その後、レイラとアニエスは前後不覚になるまで飲み続けた。
そのまま泥のように眠り、レイラが痛む頭を起こす頃には太陽はもう中天に差し掛かろうとしていた。
湯を借りた後は慌てて実家に戻り、両親のお小言もなんのその、酒臭い息を吐きながら二日酔いで再びベッドに舞い戻るのだった。
非番の日にはこんな生活をしているから結婚できないのだと詰るのは、今のレイラには少しばかり酷だろう。
そして目が覚めた頃には全ての根回しは済んでいた。
勿論アニエスのおかげである。
同じだけ酒を飲み、すっかり酔いつぶれていたと思ったのだが、抜かりなく頼んでいた根回しを行ってくれたらしい。
成り上がりのくせに気位ばかり高い父母はボーリュ家との縁談を破棄したことに文句タラタラだったが、レイラが公務としてヒルデガルドに行くことが決まってしまった以上、文句以上の口出しはできないようだった。
そもそも両親が良い縁談を持ってこれないからこそ、レイラが苦労しているのだ。
さほど家格の良いわけではない、むしろ歴史が浅く、成金だの成り上がりだのと軽く見られるショーメット子爵家である。こんな家と好き好んで親戚付き合いをしたがるのは、没落しかけのボーリュ家くらいのものだ。それ以前に、レイラの兄の縁談で両親の使えるコネの全てを使ってしまったのだそうだ。
レイラがもっと美人で小柄で愛想がよければ、いい相手から見初められたのにとは言うが、この顔に産んだのは母だ。身長だって父方に平均身長の高いダーランという国の血が入っているからだし、愛想が良くないのもそうなるように育てたからだろう。
文句を言われるだけならレイラにとっては屁でもない。好きなだけ垂れ流してくれとばかりに惰眠を貪るのだった。
出立の日は早かった。
なるべく早くヒルデガルドに到着して、少しでも多く王女のアピールをしたいというのが国の方針だ。
ヒルデガルドへの行き方は、数少ない交流のあるイグナーツという、海に面した小国まで陸路で向かい、そこから船でヒルデガルドに向かう。大体2週間はかかるだろうか。
これでも陸路で馬車が使える街道が通っているため、近い方であろう。
一か月後には出発と決まり、アニエスが慌ててドレスを用意してくれた。
なんだか申し訳ないと思っていたレイラも、採寸時にはかなりの苦労があった。レイラはそれをまだ若干は根に持っている。
そして当日。
両親には前日に既に挨拶は済ませてあった。
「──帰ってきたらもう断りようもないだろうから、見合いを用意しておこう。確か……いただろう。ほらあの親戚の、友人の叔父とか言う……確か今50歳だったか? 私とそう変わらないが、もうこれしかない」
レイラはさすがにいくらなんでも、ふた回り以上も年が上の相手に嫁ぐつもりはない。
しかも死別でもあまり再婚をしないこの国において、妻が2.3年で死んでは再婚するを最低でも5回は繰り返しているような男だ。見た目も蟇蛙のようだという噂である。
ヒルデガルドから無事に戻ることができたとしても、もう実家に帰ることはないだろう。
そう決心をした。
レイラは真っ白な騎士団礼服に袖を通した。
炎のような赤毛とスレンダーな体が相まって、ロウソク女と揶揄される服装だが王族の前であるし、騎士にはこれが正装だ。
装飾が多く、真っ白なせいで汚さないようにと気を使うが、それでもドレスに比べればはるかに動きやすい。
「レイラ!」
まずは馬車で陸路を行くので、自分の荷物を積み込んでいたレイラに、見送りに来てくれたアニエスが駆け寄ってくる。
その横にいる侍女の手にはドレスの収納バッグがある。
「レイラ、ごめんなさい。ギリギリになってしまったわ。しかも3着作ったのに、2着しか間に合わなかったの」
「アニエス……貴方が見送りに来てくれただけでうれしいわ。ドレスをありがとう。一応自分の物を持ってきているし2着もあれば十分過ぎるもの」
レイラは侍女からドレスの収納バッグを受け取り、馬車に載せた。
「あちらの天幕に王女殿下御一行がいらしておりますので、ご準備が整いましたらご挨拶をお願いいたします」
侍女の言葉にレイラは頷き、アニエスの方に向き直った。
「アニエス……本当にありがとう。行ってくるわ」
「ええ。貴方の実力はよく知っていますが、ご無事の帰国をお祈りしています」
アニエスはプライベートでの態度とは裏腹に、侯爵夫人然として友人であるレイラのことを激励してくれたのだった。
それは子爵令嬢で女性騎士という、さほど高くない身分のレイラには侯爵家夫人が付いているぞ、というアピールであり、彼女なりの思いやりでもあることをレイラは承知していた。
天幕をくぐると、確かに見覚えのある王女殿下ヘンリエッテが1番奥に鎮座していた。
この国一番の美女と言われているが、まだ年若いせいかあどけない美少女と言った風情である。
しかしながら、艶やかな金髪に澄んだ青空のような瞳、そして女性らしくか細く華奢な体であるのに、ドレスを着ていてもわかるほどの豊かな胸部の膨らみ。日焼けなど一度もしたことのなさそうなミルクのような白い肌。
近くで見ると確かにこの国一番の、と形容されるのもわかる美しさだった。
その左右には見覚えのない女性がふたり。
服装から今回の同行者である、ヘンリエッテの侍女たちであろうとレイラは判断した。
「ヘンリエッテ王女殿下、この度御身を護るために共にご同行させていただきます、騎士団の――」
しかし、言いかけた言葉は遮られた。
「知っているわ。レイラ・ショーメットでしょう? まあ、近くで見ても本当にロウソクのようね。聞いていた通り、とても大きいわ。何を食べたらそんなにも背が伸びるのかしら。でもその紺青の瞳は素敵」
ヘンリエッテは愛くるしくころころと笑う。邪気のない笑顔だった。
レイラは王女の口から出た『ロウソク』の言葉に、石のように固まった。
まさかヘンリエッテにまでそんな噂が届いているとは思いもしなかったのだ。
レイラがロウソクと呼ばれる時は大抵陰口だ。時にアドルフのような例外もあるが、面と向かって、しかもこんなに悪びれなく言われたのは初めてだった。
「あら、気を悪くしたのならごめんなさい。そんなつもりではなかったのよ。貴方のことを噂に聞いていたものだから、つい。許してくださるわよね? 仲良くしたいわ。だってヒルデガルドでは4人だけなのだもの」
「そんな、王女殿下に怒ってなど……とんでもございません。言われ慣れておりますから。この身長は父方にダーランの血が混じっているからと言われております」
アニエスがヘンリエッテを王族としては普通と言っていたことにレイラは納得した。
王族は普通の人間なら表立って言わないことも平気で口にしてしまう。本音で傷つけ、人間関係にヒビが入っても困ることは早々ないからだ。
彼女は本当に悪気はないのだ。そして糾弾されるような悪人でもない。思慮が浅いまだ子供なだけで、時にそれは天真爛漫とか天衣無縫なんて言葉で誤魔化される程度の。
それよりも、ヘンリエッテの横の侍女の片割れが口元を押さえてわざとらしく笑いを堪えている。そちらの方がよほど意地悪げに見えた。悪意のある笑い方というのは分かるものだ。
ヘンリエッテは子猫のように愛らしく小首を傾げる。
「ダーラン? ずっと北方にある国よね。風車がたくさんあるという……。一度見てみたいの。いいえ、そうではなくて、何故ダーランの血が混じると大きくなるのかしら?」
「ダーランの民は、男も女もこのバルシュミーデ王国の人間よりも身長が高いのだそうです。優に手のひらひとつ分は違うのだとか。そして親が大きいと子も大きいことが多いのです。私の祖母はダーランの貴族で、この国に嫁いで来たものですから」
「ふうん……国が違うとそうなのね。ヒルデガルドはどうなのかしら。わたくしの倍もあったら恐ろしいわ」
レイラはヒルデガルドのことをよく知らない。
さすがに倍はないと思ったが言葉に詰まりかけたその時、ヘンリエッテの隣にいた侍女のひとりが声を上げた。先程笑いをこらえていた侍女ではない方だ。
レイラよりも年上に見えるし、物腰も落ち着いている。
「──恐れながら、よろしいでしょうか?」
「あら、何か知っているの? 許可します」
「口を挟むようで申し訳ございません。ヒルデガルドの民もこの国の民よりは少々大きいようですが、倍ということはございません。肌は浅黒く、髪も黒か褐色が一般的、しかし、その面貌は整った者が多いそうでございますよ」
「まあ、そうなのね。ヒルデガルドの国王様もお顔立ちの素敵な方だといいわ」
ヘンリエッテはうっとりと夢見るように両の手を合わせた。
「ああそうそう、レイラに挨拶させてなかったわね。ちょうどいいわ、ヤスミンから挨拶なさい」
「はい、ヘンリエッテ様の侍女で、今回ご同行させていただきます、ヤスミン・カーフマンでございます。わたくしは若い頃に夫を亡くしておりまして……。その為、今回はヘンリエッテ様にご同行叶うことになりました」
「レイラ・ショーメットです。よろしくお願いします」
ヒルデガルドのこの催しには独身女性しか入国できない決まりだが、現在独身であれば、過去に結婚したことがあってもいいらしい。
ヤスミンは20代後半だろうか。落ち着いたタイプのようで、侍女歴も長いとのことなので、ヘンリエッテがヒルデガルドで不便にならないようにと付けられたのだろう。金髪をきっちりと纏めた髪型にしている。目鼻立ちも整っていて、十二分に美人の範疇に入るだろう。
「では、次はわたしですね」
そう声を上げたのは、先程笑いをこらえていた方の侍女である。
「クラリッサ・アムルスターですわ。アムルスター伯爵家の娘です。レイラ様もアムルスター伯爵家はご存知でしょう? 歳はヘンリエッテ様と同じ16歳。侍女……というか、行儀見習いで王城に上がった中から選ばれましたの。行儀見習いの令嬢たちの中でわたしが最も美しいから、と。あ、でもここではヘンリエッテ様の次、ですわね」
ヘンリエッテの次だなんて絶対に思っていないような口調で言うクラリッサ。随分と自分に自信があるようだ。
ヘンリエッテはその言葉の裏には気がつかないようでニコニコとしている。
アムルスター伯爵家は確かにレイラも知っている名門貴族だ。そしてそこの令嬢で、更に見た目もよいと気位も高くなるのかもしれない。
確かにぱっと目を惹く美少女であった。ふわふわとした金髪をゆるいお団子にまとめている。
華があるというのか、歳の割には色気も感じさせる。媚を売り慣れているとレイラは直感した。女が嫌うタイプの女だ。
例によってレイラもこういったタイプはあまり得意ではない。レイラの身長を笑い、野蛮だのロウソク女だの言い出すのはたいていこういった女性だったからだ。
また、当然のようにこの国の美女の基準にぴったりと合う。つまり、ほっそりと華奢で巨乳だ。国のお偉方の肝いりなのは間違いない。本命はヘンリエッテだが、クラリッサがヒルデガルドの国王の目に止まっても構わない、むしろ狙って来いということなのだろう。確かに積極的に甘えたりできそうなタイプに見えた。
それにしても……ヘンリエッテもだが、何故16歳でこんなに胸が豊かに育つのだろう。
レイラは自分のかなりフラット寄りな胸板を見て心の中でため息をついた。
そしてこの4人でヒルデガルドで過ごすということに、若干の不安を覚えたレイラであった。
なお、余談だが、伯爵家のクラリッサと、そしてヤスミンもヘンリエッテ付きになれる程度には家柄の良い貴族の出身に間違いない。
少なくともレイラのショーメット子爵家より家格が上の貴族だと思われるが、騎士と侍女だと騎士の方が上の立場ということになってしまう。
それ故に、本来の家格とは逆だというのがまた、レイラにとっては複雑でやり難いのであった。