秋のテレイグ 上
テレイグは冬の国。
そう言われるほどに冬は長く、そして寒い。
一年の半分以上が冬なのだ。季節で言えばまだ秋。バルシュミーデであればまだ木々が色付き始めた頃合いだというのに、テレイグでは既に霜が降り、雪が降り始め、早朝には水が凍り付いている。もうバルシュミーデの真冬より寒い。
だからなのか、テレイグの住居は基本的に地下や半地下が多い。地表には出入り口部分が僅かに顔を出し、住居の大部分は地下。地下路もあり、薄暗いことを抜きにすれば、冬でもそこらの国の冬よりは断然住み心地がいいらしい。
特にこの街に至っては、ほとんど街ごと地下にある。
そんな場所があるなんて、クラリッサはこの国に来て初めて知った。
そうはいっても、寒いものは寒い。
それはクラリッサのいる、このテレイグ王立学校の教室でもそうだった。それほど広くもない教室内は、壁の上部に小さな窓しかない。魔法石のランプはあるが、気が滅入るほどに薄暗い。そしてストーブから離れたクラリッサの場所は、着膨れてテレイグ風であるもこもことした毛皮の外套まで着込んでもなお寒い。
クラリッサは物憂げに顔を上げた。
はあ、と溜息を吐けば、僅かに白く染まる。
──うんざりする。
「──つまり、この大部分が地下のこの街も、元々は魔法石の鉱山だったわけです。さて、どうして今はここが街なのだと思いますか?」
教師の問いに、クラリッサから少し離れた席の少年が当てられる。クラリッサはテレイグ出身ではないから、聞かれてもろくに答えられはしない。当てられたのが自分ではないことにホッとした。
「ええっとぉ、魔法石が取れなくなったから?」
「そうだね。取れる魔法石は有限です。この国はまだまだ採掘場があるけれど──」
教師が魔法石の採掘についてツラツラと述べる。その最中、遠くから笛の音が鳴り響いた。
「じゃあ、今日はここまで。明日は街の成立までやるからな。今日も寒いから、ちゃんと乳茶を飲むんだぞー」
「はーい!」
教師の言葉に教室にいた子供の大半が、勢いよく扉から飛び出して行った。まるでポンポンと弾ける煎り豆のようだ。
クラリッサはそれを横目に見る。椅子に座ったまま、手持ち無沙汰に教科書を揃えているふりをしていた。
そう、子供だ。この教室にいるのは10歳からせいぜい14歳くらいまでの子供。その中にもう16歳になるクラリッサが混じって勉強をしなければならない。全てが憂鬱でうんざりする日々なのだった。
「なあ、行かないのか」
そう言いながらクラリッサの頰を指で突き、顔を覗き込んで来たのは隣の席のパーヴェルだった。
「うわっ、冷たいじゃんか」
「気安く触らないで」
クラリッサはパーヴェルの無遠慮な手をはたき落とした。
クラリッサからすれば、彼もまたうんと年下の子供だ。身長は小柄なバルシュミーデ人のクラリッサの方が幾分か低いが、パーヴェルはまだひょろひょろと身長ばかり伸びただけの少年だ。その金髪は少しだけ懐かしい故国を思い起こすけれど、瞳の色は榛色で、おまけにそばかすまである。まったくもってバルシュミーデ風ではない。
何故かやたらと懐いてくる──正しくはちょっかいをかけてくる──このパーヴェルにもクラリッサはうんざりなのだった。
「なあ、ほら、早く行こうぜ」
「……分かったわよ」
しかしパーヴェルはいつまで経っても立ち上がらないクラリッサを待ち続け、そこから動こうとしない。
たまたま行く方向が同じなだけ。クラリッサはそう思って立ち上がった。だがパーヴェルはクラリッサの手をぐいぐいと引っ張ってくる。
「引っ張らないでよ」
「でも早くしないと、なくなっちゃうだろ。そんな冷たい肌してんのに、乳茶飲まなきゃ風邪引いちまう」
引っ張らないでと何度言っても手を緩めないパーヴェルに嘆息して、クラリッサも渋々と教室から出た。
教室も廊下もそれほど気温の差を感じないほどに寒い。
やがてパーヴェルが足を止めると、そこにはサモワールと呼ばれる金属製の給茶器がある。今もほかほかと白い湯気を吐き出していた。
「間に合ったな。まだ残ってる」
パーヴェルは鞄から金属のカップを取り出して、サモワールから茶を注いでいる。
スパイスと茶の香りがふんわりと漂う。それだけならいい香りだけれど、生臭い乳の匂いもしてクラリッサは辟易した。
早々に乳茶を飲み終わったパーヴェルは、自分のカップを取り出そうともしないクラリッサに、先程まで口をつけていたカップに、なみなみと乳茶を注いで手渡してくる。
「ほら」
──余計なことを。
けれど寒さは多少ましになる。少なくとも受け取った手のひらに温かさが伝わり、冷え切った指先に温もりが生まれる。
けれどもクラリッサはこの乳茶が嫌いだった。
茶と体が温まるスパイスやハーブ。それを煮出して冬鹿の乳と砂糖がたっぷりと入った甘い乳茶は、体が温まるからとこの国では1日に何度も飲むことを半ば義務付けられている。
けれど飲み慣れない冬鹿の乳は癖があり、やたらと生臭く感じるし、脂肪が多くて口の中でベタつく。そのせいで砂糖の甘さまで気持ち悪く感じるのだ。
一口だけ飲んで、緩やかに手の中で冷えていく乳茶をぼんやりと眺めていた。
「飲まないのか」
「欲しいならあげるわよ」
どっちにしろこのカップの持ち主も、なみなみ注いだのもパーヴェルだ。
「ちぇっ、可愛くねーの」
クラリッサはパーヴェルの言葉に唇を噛み締めた。
かつて、クラリッサには可愛さしかなかった。微笑んで、甘えて、小首を傾げて、たまに小さなわがままも言って。
──そして、それだけだった。
だから今、こんなところに来ている。
震えてしまいそうなほど寒くてたまらない、この国に。
クラリッサには、もう何もない。
「──クラリッサ!」
遠くからでもわかる声量と、こちらに近づいてくる力強い足音に、クラリッサは顔を上げた。




