夏のヒルデガルド7
「レイラ様すごいです! すごいです! まるでお魚のようでした!」
岸辺で待ち受けていたタチアナが、水から上がったレイラに飛び付く。頬が林檎のように真っ赤である。
「ああ、ほら、飛び付いたら危ないよ。レイラ様も疲れているんだから、少し休ませてあげよう」
「セレステ様、私もあんな風に泳げるようになるでしょうか」
「そうだね、練習すればきっと出来るよ」
セレステは随分と面倒見がいいらしく、タチアナに笑顔でバタ足や息継ぎのコツを教えていた。タチアナもそれに真剣に頷いている。
「うん、出来る。でも、その前に、休憩、しましょう」
ロティはそう言い、せっせと持ってきたピクニック道具をセッティングしていく。
「そうね、疲れたもの」
バーニアは岸に上がると疲れきったように日向の岩に寝そべる。濡れた体も暑さで乾ききった岩の上であっという間に乾かされていく。
「久々に本気で泳ぐとクッタクタになるわ」
「ええ、水分も取らないといけませんし、日に当たりすぎるのも良くありませんものね」
「何か手伝いますか」
「いいえー、ロティの方は私が手伝いますから、シプリア様達は休んでてくださいねぇ」
ケイトの言葉に甘え、レイラ達は疲れた体を休める。
そこにシプリアから声をかけられた。
「……レイラ様、先程の勝負の件ですが」
「はい」
「わたくしは負けました。ですので、レイラ様に新しい水着を着せるのは諦めます。それと、これ以上の意見も差し控えますね。……本当は、身内として、兄へ謹言すべきなのは分かっていたのですが……今まで失礼を致しました」
「いえ、そんな謝るようなことは……」
「兄に……ヨアニスに、何度言っても何を言っても、あの人は変わりませんでした。ですがレイラ様相手になら変わるかと思ったのですが……そもそも身内ですら変えることが出来ないわたくしに、他人のレイラ様を変えることなど出来るはず、ありませんものね」
「シプリア様……」
「シプリア様、レイラ様、お茶にしましょうよ!」
「ほら、そんなところで話し込んでないで、こっちの木陰が涼しいわよ」
「甘い水菓子もありますよぉ!」
「行きましょう、レイラ様」
レイラの言いかけた言葉を遮って、シプリアは立ち上がり、皆のいる方へ行ってしまった。
女性陣だけで湖に遊びに行ってから、数日が経った。たかだか数日ではヒルデガルドの長い夏に変化はなく、その日もまたうだるような暑さだけがある。
「それでは、今日はここまでに致しましょう。レイラ様、暑いですから水分を取ってゆっくり休まれてくださいね」
今日の分のヒルデガルド語の勉強も終わり、シプリアが静かに部屋から立ち去ろうとしている。
シプリアはいつも通り優しい微笑みを浮かべているし、声も柔らかでレイラにも細やかに気を配り、普段と何ら変わりはないように見える。
「あ、あの、シプリア、来週の会食に着ていくドレスなのですが……」
「ああ……それでしたらイーラーが夏の会食に相応しいドレスを何着か用意してくれますから、案じずとも大丈夫です。その中からお好きなものをお選びください。レイラ様でしたら、どれもお似合いになりますよ。わたくしは用事が済んでおりませんので、これで失礼致しますね」
そう、スルリとレイラの手から逃れるようにシプリアは去って行った。
これまでであれば、会食に来るゲストの兼ね合いや、その日のメニューを想定し、一番良さそうなドレスを薦めてくれたものだが、あの湖での勝負以降、それはなくなった。
「やはり、シプリア様を怒らせてしまったのでしょうか……」
「……レイラ様って……はあ、まあいいわ。大体、そうなるのが嫌だったら、水泳勝負で負けてしまえば良かったのに。そうしたら水着もシプリア様に負けて仕方なく、という体で着られたでしょうに」
その場に居合わせたバーニアに思わず愚痴れば、その数倍になってキツイ言葉が返って来る。
「それに、いくら文化が違うからと言って、最初は兎も角として、未だにドレス選びまでシプリア様におんぶで抱っこはないでしょう。デビュー前の小娘でないのだから、もっと自分で考えるとか調べるとかすればいいのではなくて?」
「そ、そうかもしれませんが……私は女らしいことが苦手で……ドレスの良し悪しも分からないし……」
「女らしい、ねえ。私にはそれこそよく分からないわ。どんな女性だって生まれた時からドレスや化粧に興味があって、最初から詳しかった訳ではないでしょう。レイラ様から見て女性らしい人だって努力してそう装っているだけかもしれなくてよ。綺麗に化粧をしてドレスを着て夜会で踊るより、布団の中に篭って本を読んでいる方が一番幸せ、だなんてそんな方だってザラにいるでしょうに」
バーニアはレイラには少しばかり厳しくハッキリと物事を言ってくれる。しかしどれも正論であり、むしろハッキリと言ってくれる方が鈍感なレイラにも分かりやすく、彼女と話していると故国バルシュミーデの大切な友人、アニエスのことを思い出す。
「そうですね……バーニア様、ありがとうございます」
「もう、たまには怒らせようと思ったのに」
そう肩を竦めるバーニアに微笑んでみせた。
確かに離宮に居た頃からシプリアに頼り過ぎていたかもしれない。
「でもまあ、これを機にそろそろシプリア様離れをなさったら? シプリア様もお忙しいのだから」
「う……そうですね、善処します」
バーニアと立ち替わるようにやってきたのはヨアニスであった。
毎日ほんの少しでも顔を合わせるようにしていたが、ヨアニスの王としての務めのために、ここのところはあまり長時間共に過ごすことが出来ていなかったから、レイラも思わず笑みがこぼれるほどに嬉しい。
彼は珍しく興奮し、足取りも軽やかにレイラの下へとやってきた。
「レイラ、見てくれ! ずっと前に頼んでいた剣がようやく出来たんだ!」
ヨアニスが嬉々として差し出して来たのはヒルデガルド風の意匠が施された、中くらいの長さの剣である。
黒っぽい鋼に、刃紋には独特の縞模様がある。
「黒縞鋼の剣なんだ、これはすごいだろう。3年以上前に武官の時の給料を丸っと注ぎ込んで専門の鍛治師に頼んでいたんだが……ようやくこの手に取ることが出来た。見ろ、この刃紋……綺麗だろう!?」
「黒縞鋼ですか!? 初めて見ました……本当に凄い……! 切れ味はもう試したのですか?」
「いや、まだだ。届いたのが嬉しくて、真っ先にレイラに見せようと思って、飛んできたんだ。ああ本当に綺麗だ。この模様、絶対に同じにはならない、世界でただ一つだけの美しさで……いや模様だけじゃなくこの形も美しいんだ。他より細めのシュッとした形で、これがまた独特の雰囲気で……神秘的ですらあると思う」
ヨアニスはうっとりと手の中の剣を見つめ、何度も綺麗だ、美しいと黒縞鋼の剣に向かって囁いている。
レイラも最初は初めて見る珍しい剣に興奮しつつも、それを手にした子供のように喜ぶヨアニスを微笑ましく思っていた。そして次に、武器についてこれだけ盛り上がるだなんて、まるきり男女の会話ではないと心の中で苦笑し、そして今度は段々と心の中がもやもやとしていく。
レイラはヨアニスに綺麗だと言われたことは何回かはある。しかし、こんなにも熱っぽく見つめられ、美しい、綺麗だと連呼して賞賛されたことなどなかったというのに。
レイラが慣れないヒルデガルド風の衣装を着てめかし込んでも、少しばかり頬を染めてソッポを向くか目線を逸らされていた。レイラもマジマジと見られるのが気恥ずかしく、それで構わないと思ったこともあったが、ヨアニスから欲しかった賞賛の言葉はレイラにではなく、彼の手の中の剣にだけ浴びせられている。
レイラの水着にはホソウリという感想で、いくら素晴らしい銘作とはいえ、剣に向かい美を讃えているだなんて。
レイラは思わず、剣に嫉妬をしてしまっていた。




