夏のヒルデガルド3
「ということがありまして……いえ、ホソウリは悪くないのですが……」
「……ホソウリ……」
その話をしたシプリアも、なんとも言えない顔で頬に手を当てた。
「ええ、その……まず最初に、兄が申し訳ありません」
「えっ、シプリア様、頭など下げないでください!」
「いえ……兄がなんて失礼なことを……レイラ様が気分を悪くされるもの当然です。ですが……兄はその、あの通り、ただひたすらに……モテないのです」
よく磨かれたテーブルに、シプリアはがくりと力が抜けたように顔を伏せてそう言った。
「モテ……あ、そういえば以前そんな話を」
「ええ、あの無作法さは昔からでして。レイラ様はおかしいとは思いませんでしたか? 身内ながら、顔立ちはそう悪くはないとわたくしも思いますし、王を輩出するバルベイトスの家系、言わば貴族なようなものです。武官として、日々恥ずかしくない活躍も致しておりましたが……それでもモテないのです」
「確かに、ツェノン様とは違った魅力をお持ちですし……私の目には素晴らしい方に映るのですが」
しかし、モテない。それは何故なのか。
「ええ、兄には決定的に出来ないことがあるのです。それはヒルデガルド流の女性の褒め方が、とにかく出来ない、ということなのです」
「ヒルデガルド流の……?」
シプリアは頷いて、少し恥ずかしそうにその続きを語る。
「例えば、ですね。ツェノン様はわたくしを黄色のコノハナの蕾のよう、とかテマリ花のよう、と言ってくださいます。それから、唇は桃色の花弁に付いた朝露の玉のようとか、クロアオバの羽根のような髪だとか……ですね」
もの凄い惚気話をされている、とレイラは思った。友人のアニエスからもよく聞かされたものである。
しかしすぐに別のことに気がつく。
「ああ、比喩で褒めることが、この国では愛情表現ということなのですね」
「はい、その通りです。女性を身近な美しい物、綺麗な物、可憐な物に当てはめて例え、讃えるのです。そしてそれは、個性を出すというか……よくある表現も使いますが、独自のものがあればあるほど良い口説き文句とも言われております。そして、もうお分かりでしょうが、兄はこう言った褒め方が非常に下手なのです……。元々武骨なもので、細やかな美への興味関心が薄く、花の名前などもいつまでも覚えませんし、いえそもそも色の違いくらいしか分かっていないかもしれません……」
「な、なるほど、では」
「ほ、ホソウリはおそらく兄なりの褒め言葉のつもりでしたのでしょう。本当に……レイラ様が寛容でいらっしゃるからこの程度で済んだのです。この国の女性でしたら頬が腫れ上がるほどに引っ叩かれてもおかしくないというのに……兄のこと、どうか見捨てないでくださいね」
「ほ、頬が腫れ上がるほど……いえ流石にそこまで怒ってはいませんし、大丈夫です! 少し自信を無くしかけたくらいで……」
「本当に申し訳ありません……! 以前など、長い睫毛が自慢の女性に、ゲジゲジ虫の足のようだ、などと申して、頬の腫れがしばらく引かないほどでしたのに……!」
シプリアに再度深々と頭を下げられ、慌ててそれを止めた。
シプリアは全く悪くない。いや、ヨアニスだって武骨なだけで悪気はないのだ。レイラはそんな武骨なヨアニスだからこそ好きになったのだから。
「また湖にも行きたいですが、ヨアニス様もまだ気まずいでしょうから、それはおいおい。そうだ、今度は女性だけで向かうのはどうでしょう。タチアナやバーニア様達も誘って! 泳がずとも水遊びすれば楽しいでしょう。果物や菓子を持って、ピクニックもしましょう」
「まあ……それは楽しそう。タチアナ様もこの暑さに参っているようですし、バーニア様達もきっと喜ぶでしょう」
シプリアもふんわりとした笑みを浮かべた。
数日後、人数が多いために馬車を使い湖までやってきた。
レイラとシプリアとタチアナ、そしてブラウリオの4人である。
「湖、楽しみです。私は泳いだことがなくて……水着も今日が初めてなのです」
頬をその赤毛のように紅潮させて微笑んでいるのはタチアナである。タチアナの故郷、ダーランにも海はあるはずだが、寒冷地であるからかもしれない。
「そうなのですかぁ。私達の国、ブラウリオには海がありますし、私は海の側で働いていたので、泳ぎは得意ですねえ。良ければ泳ぎ方を教えますよ」
「でも、海と違って、湖は、浮かないらしい、です」
「ええー! でもぉ基本は変わらないでしょう?」
ブラウリオのケイトと、同じくブラウリオ出身の、長い髪を三つ編みにした大人しそうな美少女、ロティはタチアナに話しかけ、和やかに会話を続けている。
ケイトのふわふわと間延びした話し方や、ロティの独特の間がある話し方は大陸共通語を話す際の訛りのようなものらしい。彼女達はブラウリオの平民出身で、ケイトは湾岸監視の仕事を、ロティは実家の宿屋で働いていたのだという。そして今はバーニアと話している背の高いセレステは元冒険者であったそうだ。彼女は冒険者といった仕事柄か、訛りはほとんどないようだが。そしてバーニアは本人曰く王族の末席であるそうだが、当然流暢な大陸共通語を話すし、物覚えも良くヒルデガルド特有の言葉も随分と流暢に喋ることが出来、レイラは一歩と言わず出遅れてしまっている。
彼女達はその出自のせいもあるのだろうがとても気さくで、タチアナもすぐに打ち解けて楽しげに話していた。
「私、新しい水着を用意したの。今年の新作よ。今年は柄物が来ているらしいわ。わざわざカルネから取り寄せてね」
「あたしは泳ぎやすければなんでも」
「そう言いつつ、ちゃっかり新作を用意してるのがセレステなんだから。シプリア様はどうですか?」
「わ、私は去年のものですけれど……忙しくてつい後回しにしてしまって」
「まあ! 私達との時にはそれでもいいかもしれませんが、ツェノン様には新しいのをお見せしなきゃ!」
「そうですよ! シプリア様はお綺麗だけど、もっともっと綺麗な姿をお見せしなきゃ! 油断禁物ですよ!」
「え、ええ。そうですね……」
女性が多く集まれば、とにかく姦しい。ファッションが絡めば尚のこと。
女性陣の乗った華やかな馬車は、湖までの然程長くない道のりを、馬の蹄の音をかき消すほど賑やかに進んでいった。




