夏のヒルデガルド2
水着を用意し、馬に乗り少し行ったところにある森は、王城から比較的近いこともあり、王城関係者以外には禁足地となっているらしい。それでも一応は、と付いてきた護衛の武官は馬と共に森の入り口で待っていると言う。
レイラとヨアニスはその森へと踏み込んだ。
それでも最低限の手は入っているようで、獣道よりははるかに歩きやすい道がある。
気温は高いが、森の中は木陰になり多少は涼しく感じる。レイラは吹き抜ける風の心地よさに目を閉じた。
「気持ちのいいところですね」
「ああ、そうだろう。もう少し歩くと湖が見える。そこまで大きくはないが……」
ヨアニスの言った通り、すぐに森は開けて明るい場所に出た。
どことなく懐かしい水の音、水の匂いがする。
確かにバルシュミーデの大きな湖ほどではないが、透き通った湖面が光を弾いて美しい。
「あまり奥まで行かなければ、それほど深くもないんだ。手前の辺りは膝くらいまでで、子供でも遊べる。俺も子供時分によくここらで遊んだんだ」
「綺麗なところですね」
レイラはウキウキとしながら湖に近寄り、その水面に触れる。
「ああ、冷たくて気持ちいい!ヨアニス様、私はそこの木陰で水着に着替えてきますね」
「こ、木陰、そ、外で……」
「大丈夫です。被る布もありますから」
レイラは木陰で頭からすっぽりと大きな布を被る。外で着替える際、わざわざ天幕を張るのが面倒な時や時間のない時にはこうして布を被り、その中で着替えることはままあることであった。
そして持参した水着を着る。バルシュミーデで元々持っていたドレスは全方向からけちょんけちょんに貶されたが、水着はおそらく大丈夫なはずだ。友人のアニエスが結婚前に一緒に仕立てたものだから、少しばかり古いかもしれないが彼女のセンスはお墨付きである。それにレイラはここ数年、特に体型も変わっていない。本当は胸部にもう少し脂肪が欲しいくらいではあるが。
水着は深い緑色をしている。水に濡れればほぼ黒に見えるかもしれない。袖は短く、子供の着るワンピースと同じような形状をしており、ウエストでリボンを結ぶ。裾は膝より少し上くらいで丈は短い。それに同色のズボンを履くのだが、これがかなりぴったりとした代物で、脹脛も半ば以上覗いてしまう。
そして水に入って、布が体にまとわりつくために、もともと体に沿ったぴったりとした形をしている。体のラインが出ており、少しばかり恥ずかしい気もするが、それでもアニエスが用意してくれた魔法のドレスの露出具合から考えればただ手足が出ているだけである。
「お待たせしました」
「お、お、おう」
ヨアニスはあからさまに挙動不審になっていた。
「何かおかしいでしょうか。少し古い水着ではありますが……サイズ的には問題ないはず……」
「いや、あの、大丈夫だ! さあ泳ごう!」
「え、ヨアニス様は水着などは大丈夫なので……」
ドボン、と湖面に激しい白波が立つ。
レイラが最後まで言うより前に、ヨアニスが服のまま湖に飛び込んだのだ。
「よ、ヨアニス様! 服、服のまま!?」
レイラはヨアニスが突然水に飛び込んだ理由も分からず首を傾げた。
「よほど暑かったのか……それともヒルデガルドでは水着などないのか……後でシプリア様に聞いておこう」
しかし突然飛び込むのは体によくはない気がする。先ほど触ったが、気温が高い割に冷たい気がした。湖は底の方はかなり冷たく温度差が激しいことも多い。いきなり水に入らず、軽く運動をしてからでないと心臓が驚いてしまう、と言われるものだが、ヨアニスは元気に水飛沫を立てて泳ぎ回っている。服のままであるからかなり重いだろうに、元武官であるヨアニスは体力も凄いのだろう。
レイラも軽く体を動かしてから、ヨアニスが水飛沫を立てている方へと向かった。
湖の冷たい水で火照った体が急速に冷やされる。
「はあ……気持ちがいい! 待ってください、ヨアニス様!」
ヨアニスを追いかけてパシャパシャと泳ぎ回る。泳ぐのも久しぶりではあるが、体は泳ぎ方を忘れてはいないようだ。
しばらく泳ぎ、上がってしばらく休憩し、持参した軽食を食べ、また軽く泳いだ。
暑さで体を動かすのも億劫で、ここのところ運動もさぼりがちだったレイラは、こうして心ゆくまで泳ぎ、その心地よい疲労感に久しぶりに体が覚醒したような感じさえあった。
ヨアニスも同じようで、最初こそおかしな態度ではあったが、子供のようにはしゃいで泳いだせいか、随分スッキリとした顔になっている。
そのヨアニスは、少し傾いた太陽の方を見て言った。
「そろそろ頃合いだな。帰って仕事をしないと、ツェノンに怒られてしまう」
「はい。連れてきてくださって、ありがとうございます。いい気分転換になりました。恥ずかしながら運動不足でして」
「ああ、俺もだ。楽しかったな……それに、レイラの水着も見れて、あ、変な意味ではなく」
レイラは己の体を纏う、しっとりと水気を含み暗い色合いになった水着を見る。
凹凸の少ない己の体……以前ほど嫌いではないが、それでもまだ、引け目を感じてしまうほど女性らしさがない。
「み、水着……どうでしたか? 似合って……ませんでした?」
恐る恐るそう聞いてしまうのは、ドレスを着た時に、綺麗だと褒めてくれたのが他でもないこのヨアニスであったからだ。好きな人に肯定されて嬉しくないはずがない。
「んッ……ゴホ、うん、その、そのだな……ええと……あれだ。ホソウリのようだな、と、思う」
「……ホソウリ」
ホソウリは、その名の通りつるっとした細長い瓜である。冷やした未成熟のホソウリは料理の彩りに使われたり、そのまま調理をせずに食べることも出来る。味も薄い甘さがありアッサリとしていて暑くて食欲がない時でも食べられる。
しかし、細く長く、濃い緑のホソウリは、確かに言われてみれば水着を着た凹凸のないレイラに似ているかもしれない。
ひどく複雑な気分になった。
ホソウリは悪くない。ここのところ、どうしても食べられない日は冷やしたホソウリを齧ることもあるくらいホソウリが好きだ。
しかし、ホソウリに似ていると言われたのはあまり嬉しくはない。
「ええと……か、帰りましょうか」
「あ、ああ……」
お互い、なんとも言えない空気で帰ることになった。




