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「ドレスが切り裂かれていたのは狩り大会の日のことです。私は狩り大会に参加をするため、早くから部屋を空けていました。朝はいつもとなんら代わりはありませんでしたし、鍵もかけて部屋を出ました。しかし、戻ってみると持ってきたドレスの2着の前面が切り裂かれていたのです」
レイラはきわめて感情的にならないよう、心を落ち着けて当時の説明を始めた。
「破損はわたくしも確認いたしました。完全に破壊し尽くすのではなく、ドレスが使い物にならない程度の破損でしたので、女性の力でも小型のナイフや裁縫バサミを用いれば簡単にできるかと思います」
そう補足してくれたのはヤスミンであった。
「また、それ以前にクラリッサの態度をこのレイラ様が窘めていたこと、ヘンリエッテ様がレイラ様のドレス姿を褒めていたことにクラリッサはかなり逆上をしていたように見受けられました。そのためドレスの惨状を見た瞬間に逆恨みをしたクラリッサがやったのではないか、とわたくしも判断いたしました。わたくしたちは居間でお茶会をしていたので、姿がなかったのはクラリッサだけです」
ヤスミンの冷静な報告に、レイラも頷く。
そんなレイラたちにクラリッサはわめき立てた。
「ひどいわ! わたしはやってないと言ったのに……みなで寄ってたかってわたしがやったのだと責め立てたじゃないですか! それにおふたりとも大事なことを言い忘れてます。……レイラ様の部屋には鍵がかかっていたとおっしゃいましたよね? それなら、わたしだって入れないじゃないですか!」
「そうですわね、世の中には鍵開けの技術もあるにはありますが……」
アナスタシアの言葉にクラリッサは首を振った。
「まさか、ただの小娘のわたしがそんなことできません。曲がりなりにもわたしはバルシュミーデの伯爵家に生まれております。鍵開けなど泥棒ではあるまいし、まさか教えられるはずもないです」
「人は出来ることに関しては証明できます。それをやってみせればいいだけですもの。しかしながら出来ないということは証明できないのです。出来ないフリをしているのだと言われては、なんの意味がありませんもの。ですからここは一旦、このクラリッサ様は鍵開けができない、と仮定をすべきでしょう」
「はい。部屋にこもっていろと命令されたからこもっていたのに、姿を見せなかったから今度はお前がやったと責められてはたまったもんじゃないです。レイラ様は、本当にちゃんと鍵をかけていたんですよね?」
「え、ええ。確かに鍵を開けて部屋に入りました。鍵は確かにかかっていました」
「それに、もしもわたしがスペアキーを持っているとか、鍵開けが可能だったとしても、レイラ様の部屋には入らなかったという証人がいるんですもの! それはイグナーツの方々です!」
ヘンリエッテはまずい、という顔で口元を押さえた。取り繕ってはいるが、焦っているといった風である。
確かにまずい。アナスタシアの助けもあり、完全にクラリッサのペースに乗せられている。レイラたちは完全に後手になってしまっていた。
呼ばれたイグナーツの令嬢たちは比較的後方にいて、突然呼ばれたことに驚いたように、そして不安げに辺りを見回している。しかし呼ばれたものはしかたないと、代表であろう女性が前に進み出てきた。
「わ、わたくしたちが何か……?」
「狩り大会の日のことです。イグナーツの方々はヘンリエッテ様と居間でお茶会をなさっていましたよね? 確かレイラ様が狩り大会に出発されたすぐ後にいらして」
「え、ええ。レイラ様とは入れ違いになってしまって、ご挨拶が出来ずに残念ですとお話した記憶がございます」
イグナーツの令嬢はおずおずと頷く。
「わたしも最初に挨拶だけはさせていただいたんですが、覚えていらっしゃいますか? その後は部屋に戻るように言われて、ずうっと部屋にこもっていたのですが」
「貴方のことも勿論覚えておりますが……」
「わたしの部屋は居間の入り口から見て向かって左側の奥。居間に直接出入り口があるんです。そしてレイラ様の部屋は左の手前で、わたしの部屋と同様に居間からしか出入りできない造りになってます。勿論、他の建物と同様に窓もありません。居間は広いとはいえ、わたしが部屋を出て、レイラ様の部屋の前でスペアキーで開けようとしたり、鍵を力付くでこじ開けようとしたら、さすがにお茶会をしていた方々の目にだって留まったと思うのですが……わたしが出入りしたことは、ありましたか?」
イグナーツの令嬢はしばし考えているように目を閉じた。
「いいえ……そういったことはありませんでした。このクラリッサ様は、確かに挨拶以降はお部屋から出ていなかったと思います」
「そんな!」
悲痛な声をあげたのはヘンリエッテであった。イグナーツの令嬢により、クラリッサは自分の部屋から出ていないと証明されてしまった。
「しらじらしいですこと。部屋の造りをわかっていたくせに、姿がないのがわたしだけとよく言ったものですわ」
「そ、それなら、一体誰がレイラのドレスを……!?」
クラリッサは冷たい目でおろおろとするヘンリエッテを……いや、それを通り越し、レイラのことを睨んでいた。
その視線に令嬢達の視線も自然とレイラに集まっていく。
自作自演を疑われているのだ、と背中に冷たい汗が滑った。
「大方、ご自分でやったんじゃなくて?」
「わ、私が? まさか、そんなはずはありません! あれは私の友人が作ってくれた大切なドレスです! 何よりドレスがなくなって困るのは本人である私ではないですか! 事実、一昨日には着れるドレスもなく、代わりに騎士礼装を着ていました」
「でも、いまはご立派なドレスを着ているじゃないですか。最初から1着隠して、要らない方を切り裂いたのではないんですか。大方それをヨアニス様に言いつけて同情を引こうとしたのでしょう」
「そんなことありませんっ!」
レイラはヨアニスの名前を出され、思わずカッとなり大きな声になってしまった。激昂した自らの声に我に返ったが、既に遅い。
「怖いわ……こうしていつも怒鳴られて、ちゃんとわたしの話を聞いてもらえないのです」
「そんな!」
クラリッサが怯えたようにレイラから距離を取りふるふると震えていた。
確かに女性同士とはいえ、体格差のあるレイラがクラリッサに怒鳴りつける様子は恐ろしく見えるのだろう。周囲の令嬢たちがレイラを見てひそひそと何かを言い合っている。雰囲気が急激に冷えていくのを肌で感じる。
そこに間に入ってきたのはアナスタシアであった。余裕の表情でカッとなっているレイラを止めた。
「貴方、怒鳴らないで普通に話してくださる? 話し合いであれば大声をあげる必要はないでしょう。貴方に疚しいことがなければ、ですが」
冷静にそう諭される。つまり、レイラが激昂するのはその疚しさのわけだといいたいのだ。
その言葉からも現状、分があるのは間違いなくクラリッサであると、会場の人々はそう感じたであろう。見た目の強烈さ以上にこのアナスタシアは冷静で頭が良いのだろう。そしてそんな彼女がクラリッサ側についていることが今は恐ろしい。クラリッサが煽り、弱々しく怯え、アナスタシアが冷静に嗜めアピールする役目なのだ。
レイラも冷静になろうと深く息をするが、クラリッサはなおも煽ろうとしてきた。
「きっとレイラ様はヨアニス様の正体にいち早く気がつき、そしてより親しくなるためにわざとこのようなことをしでかしたのだと思うのです。現に狩り大会でも他の令嬢を蹴落として、ヨアニス様とふたりきりで過ごしたと聞きましたが」
聞き捨てのならない言葉にレイラはクラリッサを睨んだ。
「け、蹴落としてなど……!」
「でも、現に一昨日の親睦パーティーでは、ドレスではなく騎士の衣装をまとって非常に目立った様子だったでしょう。そこまで作戦だったとしたら、ねえ?」
周囲の冷たい視線がレイラに突き刺さった。
レイラは唇を噛む。狩り大会でヨアニスとふたりだけで過ごしたのも確かに事実ではあった。そしてその当時はヨアニスの正体を知らなかった、と言ってもそれを証明することはできない。
それだけではなく、ドレスの件もそうだ。たまたま友人が出発時に間に合わなかったドレスを遠い異国のイグナーツの港まで届けてくれて、それをたまたま居合わせたダーランの令嬢が持ってきてくれた、などと幸運が重なり過ぎていて、事情を把握している自分にもまるで魔法かなにかのように、出来すぎているように感じるのだ。説明したとしてもクラリッサや他の令嬢もこれでは納得しないだろう。
レイラは必死で反論の糸口がないかを考え、声をあげた。
「待ってください! ドレスが切り裂かれた件は我が国の不祥事であると、他国の方には漏らさないようにしていました。当然ヨアニス様にも話していない事柄です。それに私は……ヨアニス様のことを王とは関係なく……!」
レイラはこの場でとんでもないことを口走りそうになり、慌てて口を噤んだ。
頬がかあっと熱くなる。
「す、すみません、なんでもありません……!」
「レ、レイラ殿……」
ヨアニスがレイラの名を呼ぶ。
恥ずかしさにヨアニスの顔を見ることができない。
本当にそれどころじゃないというのに。
クラリッサは苛立ったように爪を噛んだ。ここに来て彼女が始めて見せた苛立ちは、レイラたちがヨアニスにこのことを告げていなかったことが予想外だったからだろうか。
「ゴホン……た、確かに俺はドレスの件については何も聞かされていない。つまりレイラ殿には今のところ利点がないということではないか」
ヨアニスは仕切り直すように軽く咳払いをしてから話し始めた。
「それよりも、そのレイラ殿の部屋の扉をこじ開けようとしている姿を見た者は誰もいないのだろう。それは正規の手段で入ることは誰にも出来なかったことになる。被害はドレス2着だけではあるが、犯人の正体や目的がわからない以上、刃物を持った危険人物が離宮内に潜んでいる可能性だってある。それは非常に危険なことだ。俺としてはこちらの方が重要であると思うし、ただの身内トラブルと思わず、まず報告をしてほしかった。こちらは他国からの大切な客人を預かっている身だ」
「はい……それについてはおっしゃる通りです。大変申し訳ございません……」
ヘンリエッテ、そしてレイラもそれにはただ頭を下げるしかなかった。
ヨアニスの言うことは正論だった。国の面目のためだけに隠匿していいことではなかった。クラリッサがやったのだと盲目にならず、まずシプリアに相談するべきだったのだろう。
「とりあえず、この場に客人が揃っている今こそ、侵入者がいないかの確認させておこう。それから侵入ルートやなんかも虱潰しに調べさせる。どこから入ったかすら分からないのは怖いだろう」
「お待ちください。レイラ様の部屋に、居間を通らない別の出入り口があるのを存じております」
そう言ったのは、それまでレイラの話の補足をする以外はヘンリエッテの影のように一言も発せずに付き従っていたヤスミンであった。




