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支度を済ませたレイラたちはパーティー会場に向かった。
まだ開始前だが既にかなりの人数が集まっていた。令嬢だけでなく前回同様、独身の男性貴族の姿も多い。
レイラの心は凪いでいた。
先程まであんなにも不安で、布面積の小さなドレスが心細く、そしてヨアニスのことに女々しくうじうじと悩んでいたのに、しゃんと背筋を伸ばすというだけで段々と落ち着いてくるのを感じていた。
元々本番に強いせいかもしれないし、単に心の許容量を超えたせいかもしれない。もしくは──本当に魔法のドレスだったりするのかもしれない。
そうして落ち着いてきたせいか、だんだんと周りが見えてくる。
会場内にはレイラよりも遥かに肌が見えているドレスの令嬢もいる。確か、一年中暑い国からやってきた方だったはずだ。バルシュミーデの基準から言えば、はしたないどころではないが、その健康的な濃い肌色に露出が多く色鮮やかなドレスがよく映えて輝くように魅力的である。
よく見るとドレスとひとことに言っても様々な形があると今更に気がついたのだった。髪まですっぽりと布で覆って顔以外わからない令嬢や、非常に重そうな絹のガウンを何枚も重ねたようなドレスを着た令嬢もいる。彼女達もそれぞれに違った美しさを持っている。
国によって気候も流行も異なる。着る人だって背の高さも顔立ちも肌の色もそれぞれに異なる。似合うものがそれぞれ異なるのも当然のことだ。そんな当たり前のことすら、レイラはこのヒルデガルドに来るまで理解していなかった。
しかしそんな会場内でもレイラは目立っているような気がしていた。
周囲の視線を集めてしまっている。
横にいるヘンリエッテを見るとニッコリと微笑まれた。
「大丈夫よ、レイラ」
何がかはわからないけれど、少なくとも自分の格好がおかしいからではないようで少し安心した。
顔くらいは知っている令嬢がチラチラとレイラを見て訝しげにしている。
「ねえ、あんな令嬢いたかしら?」
「バルシュミーデ風の方といるし、あの赤い髪ってもしかして……」
そういえば前のパーティーでは騎士礼装を着ていたから、令嬢たちにドレス姿を披露するのも始めてだったのだ。
しかしそれも悪意や非難が込められている風ではなかった。似合わない、という言葉でもなさそうだった。
大丈夫、とレイラは胸を張ることをやめなかった。
「ねえ、バルシュミーデの!」
聞き覚えのある声にヘンリエッテが足を止め、同様にレイラも立ち止まった。
呼びかけてきたのはブラウリオのバーニアであった。以前の狩り大会で仲良くなったのか、ヒルデガルドの貴族男性にエスコートされている。
バーニアにはその男性に断りを入れ、こちらに寄ってきた。そしてレイラを感心したようにじっくりと見ている。
「まあ随分と化けたわね」
「そうでしょう、これがレイラの魅力なのよ」
ヘンリエッテがまるで自分のことのように自慢げに言う。レイラはなんとなく気恥ずかしいが、背筋の伸ばすのはやめなかった。
「ドレスも素敵だけれど、貴方自身も本当に素敵。あまりに魅力的だから私の連れが貴方をチラチラ見て困ってしまうわ」
実際には困っていないのだろうが、そんな風にレイラを持ち上げてくる。
レイラはヘンリエッテに言われていたことを思い出し、さらに一言付け加えた。
「ありがとうございます。でも、貴方もとても素敵で魅力的な女性ですよ、バーニア様。お連れの方にとっては貴方が世界で一番美しいのは間違いありません」
勿論レイラは本気でそう思っている。女性の数だけ似合うドレスの数があるように、男性の数だけ美しいと感じる魅力にも数があるに違いない。
「まあ」
それまで余裕そうだったバーニアの頬が朱に染まる。大輪の花のような華やかなバーニアの魅力に愛らしさが足され、一層美しい。
「もう、お上手ね。誰の差し金かしら。……でもありがとう」
バーニアははにかんで連れの男性のところに戻っていった。仲睦まじげに話す姿は微笑ましく、彼女の笑顔はとても眩しい。きっと連れの男性にもそう思われているはずだ。
ヘンリエッテと、そして似た者主従のヤスミンは満足げにうんうんと頷いた。
どうやら今のやり取りは合格であるらしい。
「ああ、なんてお綺麗なんだ!」
そう声をかけてきたヒルデガルドの貴族男性もいた。なんとなくあのアドルフ・ボーリュにも似た、若干の軽薄さを醸し出した男だ。勿論アドルフ・ボーリュの一万倍は美男子であるが。
本来であれば男性に褒められ慣れないレイラであれば、真っ赤になってしまったかもしれない。
「まあ、ありがとう。お上手ですね」
しかしレイラは先程のバーニアの返答を踏まえて余裕を持って微笑みながら返事をし、足を止めもしなかった。
今、レイラがこの姿を見せたい相手はただひとり。ヨアニスだけである。足を止める必要性も感じなかったのだ。
男性もそれ以上深追いは出来ず、レイラを見送った。しかし袖にされたはずの彼のその頬は赤く染まっており、一部始終を見ていたヘンリエッテから「レイラ、恐ろしい子……」とばかりに見守られていたことをレイラは知らない。
御簾はもう片付けられていた。
ツェノンもヨアニスもまだ会場には来ていない。
しかし奥が雛壇のように一段高くなっており、そこにはりっぱな椅子が二脚用意されていることから、ふたりは間もなくこの場所に来るのだろうと、猛禽のような目をした令嬢たちが張り付いている。
クラリッサもきっと同様だろうと思ったが、どういうわけか少し離れたところにポツンと立っている。元気もなく首を垂れ、わずかに目元が赤い気さえする。
気にはなるが、話しかけるつもりはない。レイラたちもまたヨアニスが見え、ヨアニスからも見えるであろう少し離れた場所に待機した。
続々と令嬢が集まり、広々としていた会場が賑やかになる。着飾ったそれぞれ違う美しさを持った令嬢達が集まると、色とりどりの花で溢れた庭園のように華やかであった。賑やかになるということは、そろそろ開始時間のようだ。
ワッと令嬢たちの歓声が上がり、ヨアニスたちが入ってきたのがわかった。
ヨアニスとツェノンは以前と同様にヒルデガルド風のきらびやかな装束を身にまとっていた。
今回はツェノンがシプリアをエスコートしている。シプリアも今日は女官の服装ではなく、王妃らしく美しく着飾っていた。
ヨアニスはキョロキョロと会場中を見渡していた。そしてレイラの方に視線を定めたように見えた。
ヨアニスの目が大きく見開かれる。僅かに口も開いているような気もする。
レイラもじっとヨアニスを見つめた。
彼の目からレイラはどのように見えているのだろうか。この姿はおかしくはないだろうか。
しかし立派な衣装で威風堂々としたヨアニスに、みっともなく背中を丸めた姿は見せられない。せめてレイラはない胸を必死に張った。
ヨアニスが来て欲しいと言ったのだ。レイラはその通り、この場にいる。
そんなレイラの背中をヘンリエッテが突っついた。
「ほら、笑顔! 笑って」
普段は笑顔なんて意識せずにできる。例えば騎士の仕事の時に表情を取り繕うこともある。レイラだって一応貴族の令嬢だ。好きでない相手に作り笑顔を浮かべることだってできる。
しかし本当に好きな相手へただ微笑みかけるだけのことがこんなにも難しいだなんて、レイラは思っても見なかった。とてもぎこちない笑みだったと思う。
でもそれが今のレイラに出来る精一杯だったのだ。
胸がドキドキとしていた。頬が赤く染まり、目も潤んでいたかもしれない。
ヨアニスも足を止め、レイラに向かってやはり不器用に微笑む。
距離はあったが、2人の間に確かに何かが通じた気がした。
そしてヨアニスがこちらに一歩踏み出そうとしたその瞬間――それを遮る影があった。
普通、歓声を上げはしても道を開ける。貴人の移動を妨げるのは完全なるマナー違反である。国によっては切り捨てられても文句を言えない行為だ。
しかしほんの一瞬のことでおそらく誰にも止められなかったのだろう。
小さな影がさっと駆け寄り、ヨアニスに抱きついていた。
クラリッサである。
クラリッサは雛壇から離れていたのではなく、わざとヨアニスたちの移動経路を予測して、その近くに待機していたのだ。
「お助けくださいませ、ヨアニス様! わたし……ひどい濡れ衣を着せられているんです!」
その言葉にクラリッサが何をしたいのかを察した。
「わたし、このままバルシュミーデに帰されては……殺されてしまいます! お願い助けて!」
クラリッサは演技には見えないほど必死にヨアニスに取り縋る。
宝石のような大きな瞳からはぱたぱたと涙まで溢れていた。
「やられた……!」
ヘンリエッテが小さく呟くのが聞こえた。




