19
「す、すみません、最初に言うべきでした。あの、ご、ごめんなさい」
タチアナは3人から一斉に詰め寄られたことで、これ以上ないほどに怯えてしまっている。胸の前で手を握り、すっかり半べそ状態だ。
どう見てもいたいけな少女に詰め寄る、恐ろしい女3人の構図である。幼い少女が怯えてしまうのも当然だろう。
「いえ、そうではないのです。ドレスがあるとはどういうことなのかしら?」
ヘンリエッテが代表して聞き返す。
しかしすっかり怯えてしまったタチアナはヘラルダの服を握りしめ、目を潤ませながらすんすんと鼻を鳴らしている。12歳にしては少し幼いほどの仕草ではあるが、タチアナは箱入りの王女である。同じ年頃、兄のお下がりを着て泥だらけで馬で遠駆けばかりしていたレイラに言えることではない。
ヘラルダはそんなタチアナを見て困ったように語り出した。
「ええ……では私が代わりに……。私達は嵐で船が出せないと、イグナーツの港で足止めを食っていたのはご存知ですか?」
ヘンリエッテは頷く。
元々の立地や出発日の都合で、遠方のテレイグやダーランはイグナーツの港への到着が遅れ、そしてタイミングも悪いことに航路が嵐になり、船が出せない日が続き、ヒルデガルドへの到着が更に遅れることになったのだという。
「ようやく出発することになった時のことです。タチアナ様の姿を見て話しかけてくれた方がいらしっしゃいました。この髪の色が友人に似ていると」
ヘラルダはべそをかいているタチアナをあやすように、その炎のような赤い髪を優しく撫でた。
「それって……!」
「ええ、バルシュミーデのクレマンティ侯爵夫人と名乗られました。レイラ様のお知り合いで間違いございませんか? その方からドレスを預かっております。確認してからお渡しをしようと思い、それでこのようにご連絡を致した次第です」
「あら、では今日の用件は最初から本題はドレスのことでしたのね」
「は、はい。……泣いてしまって、ごめんなさい」
タチアナはこっくりと頷いた。
ヘラルダの服を握り締めたままではあるが、ようやく涙も乾いたのだろうか。
レイラは胸に熱くせり上がる思いに胸を押さえていた。
アニエス、とレイラは心の中で大切な友人の名を呼ぶ。
アニエスはレイラに3着のドレスを作っていた。しかし、出発の見送りで2着しか間に合わなかったと、確かに言っていたのだ。その遅れて完成したドレスをなんとかレイラの手に届けるため、バルシュミーデからは遠い道のりだというのに、わざわざイグナーツの港まで運んで来てくれたのだ。
そういえばアニエスは騎士として現役の頃、馬の早駆けが得意であったのを思い出す。勿論、現在侯爵夫人であるので、まさか単独で馬に乗ってきたなんてことはないだろうが。それにしたってあの長い道のりは相当大変だったはずなのに。
しかし、ヒルデガルドにはそこから船が必要である。
いくら交流のあるイグナーツであろうとも、ヒルデガルドに向かう船は今回の催しに参加する令嬢のためにしか運行していない。しかも結界があり、荒れた海域を通るためには普通の船では無理である。
アニエスではヒルデガルドに向かう誰かに託すことしかできない。
その時にたまたま嵐で船が出せずにイグナーツに残っていたタチアナを見かけたのだろう。
髪色や見た目からレイラに似ていて目を引いたからだろうか、それとも子供であれば言われた通りにレイラに渡してくれると思ったのかはわからない。
しかし何という偶然だろうか。
勿論偶然だけではなく、アニエスの努力と、面倒な頼み事を受け入れてくれたタチアナの優しさがあっての結果ではあるが、いくつもの幸運に恵まれていなければあり得ないことだっただろう。
「実は、もう船が出るところだったんです。また嵐になる前に大急ぎで出発するから、と私たちも乗船を急かされていて。だから慌てて受け取ったはいいのですが、恥ずかしながら誰宛なのかを聞きそびれてしまって。ですけど、この髪を見て声をかけてくれたのと、バルシュミーデの方というのを聞いてましたから、昨日のパーティーでレイラ様を見て、この人だ! ってすぐわかったんです」
後でお持ちしますね、とタチアナは預かりものをようやく渡せる安堵にか、ホッとしたように言う。
「……ありがとうございます。タチアナ様」
レイラは感謝の意を込めて、深く頭を下げる。
タチアナにアワアワとさせてしまったが、その感謝の気持ちは本当だ。
泣いても笑っても明日のパーティーで最後。それならばせめてヨアニスに見せて恥ずかしくない姿でいたい。
モスグリーンのドレスを着た時の様に、綺麗だと言って欲しい。バルシュミーデに帰ることになっても、その思い出さえあれば、きっとレイラは顔を上げて生きていけるだろう。
「よかったわね、レイラ。明日のパーティーはうんと綺麗にして行きましょうね! あ、このことはクラリッサには内緒よ。またあんなことになったら……」
レイラもそれには同意見であった。
前回、ドレスが切り裂かれていた際のクラリッサの侵入経路がわからないままだ。3着目のドレスをそのまま置いておくのも不安である。
「そうね、着付けの時間まで、わたくしの部屋のドレッサーに置いておきましょう」
それにはヤスミンも頷いている。
その会話になんとなく不穏な空気を感じたのか、首を傾げているタチアナにヘンリエッテは微笑む。
「そうね……いっそ巻き込んで……いいえ、なんでも。タチアナ様、ヘラルダ様、ご相談がございますの」
「えぇ……」
タチアナはヘンリエッテの『相談』と言いつつも、聞いてしまっては断ることの許されない提案だとわかったのか、非常に困り顔をしている。
一方のヘラルダはそれすら察していたかのように諦め顔だ。
「大丈夫です。ダーランにも……もしくは貴方がたにも利のあることですわ」
レイラはヘンリエッテが何を言いたいのか分からず、首をひねり過ぎて回転してしまいそうなほどだった。脳みそが筋肉で出来ているとよく言われるレイラは、基本的に察しも悪く人の企みには疎い方である。
それでもおとなしく聞いていれば意味もわかるだろうかと聞く体制に入ったところでヤスミンから肩を叩かれた。
「レイラ様は他に大事なご用がございます」
「え……」
これはどう考えてもレイラには聞くなということなのだろう。
「ねえヤスミン、ほら、あの温泉というのにレイラを連れて行ってあげてちょうだい。ヤスミンもゆっくりしてきて構わないわ」
「かしこまりました。さ、レイラ様、参りましょう」
「えっ……!」
心なしかウキウキとした声のヤスミンに手を引かれる。
レイラもだがタチアナも思わずといった様子で声を上げる。ヘンリエッテはそれを押し留めてニッコリと微笑んだ。その笑顔に、裏があると、察しの悪いレイラにも分かるほどの黒い微笑みであった。
「ふふ、タチアナ様はわたくしと、ゆーっくりお話いたしましょうね」
「えっ、あの……レイラ様ぁ……」
非常に心細そうにレイラを見上げてくるタチアナはまるで捨てられた子犬のようであった。きゅうんきゅうんと泣きそうな様子に思わず抱きしめたくなってしまう。
しかしレイラもヘンリエッテには逆らうこともできず、ヤスミンにズルズルと引き摺られるままであった。
温泉とは薬効成分の入った風呂のことであった。
この離宮に温泉という施設があるというのは、最初のシプリアの説明で聞いていたが実際に見て驚いた。水ではなく、お湯が湧き出る泉なのだという。
そしてその成分で体が温まったり、肌がツルツルになるのだという。
疲労や怪我にも効くというのだからすごいものだ。
確かに少し熱いくらいのお湯が大変気持ちよかった。
ヤスミンもなんだかんだで楽しみにしていたのか、肌にいいという言葉を聞いて、温泉成分が浸透するように真剣な顔をして叩き込んでいる。
「さあ、レイラ様もやるんですよ! あと3年もしたら肌に来ますからね……! ええ、経験則ですとも!」
いつもの穏やかなヤスミンと大違いだが、そのしっとりとした美貌と色気は本人の密かな努力によるものであったらしい。
レイラもヤスミンと同じように肌に叩き込むと、ヤスミンは実に満足気に頷いた。
こういうところはヘンリエッテと似ている。似た者主従なのだな、とレイラはしみじみと思った。
温泉から上がると湯女が待ち構えていて、化粧水やクリームやらをたっぷりと擦り込まれる。それも全身にだ。
コンプレックスの元である貧相な体にベタベタと触られるのが得意でないレイラは必死に歯を食いしばり「くっ殺せ……!」という言葉を飲み込むしかなかった。
全て終わってレイラの肌は見たこともないほどのつるつるのピカピカのモッチモチであったが、その代わりに完全に疲労困憊していた。しかしながら同じことをされていたはずのヤスミンは上機嫌でむしろ体力が回復したのか元気いっぱいの様子である。何か理不尽なものを感じるレイラだった。
フラフラで戻るともうタチアナたちは帰ったという。さすがにそうだろう。レイラが温泉に連れ出されてからかなりの時間が経過していた。
「レイラ、今は何も聞かずに部屋で早めに寝てしまいなさい」
「ええ、そうさせていただきます……」
レイラはとにかく疲れきっていたのだ。狩り大会の後の方がよほど疲労が少なかった。
狩り大会の思い出と共にヨアニスを思い出して胸がぐっと詰まる。
ヘンリエッテの前だというのに変な顔になってしまいそうで、何よりもそんな女々しい自分が嫌でレイラは急いで自室に駆け込んだ。
「……レイラ、貴方のことはわたくしが絶対に幸せにしてあげるわ」
そんなヘンリエッテの声がレイラの背中にかけられたが、聞こえないふりをして扉を閉めた。




