18
次の日。
約束の時刻になり、ダーランの令嬢が姿を現した。
その姿を見てヘンリエッテは小声でまあ、と言う。
レイラも驚いて目を見開いた。
ダーランの令嬢は12歳であると言う。まだ正式に社交界デビューもしていないだろう。
そしてその容貌は、レイラ自身が見てもまるで少女時代の自分が目の前にいるかのようで、ひどく驚いたのだ。
顔立ちが、ではない。レイラと同じ、炎のような赤い髪をしていた。ダーランの王女だそうなので、髪の艶もよく手入れも行き届いているが、そうではなく色合いがそっくりだったのだ。
体格も12歳にしては大きいだろう。小柄なバルシュミーデ人である16歳のヘンリエッテよりも少し大きいくらいだ。
手足もにょきにょきと細く長く伸び、頬には微かにそばかすが浮いているところまでレイラによく似ている。
瞳だけは明るい緑だったのでレイラとは異なるが、レイラが今まで言われて来たダーランの血を引くせいだろう、という言葉を心底納得した。
当のレイラでさえ生き別れの妹だと言われたら信じてしまいそうなほどだからだ。
「は、はじめまして、わ、わたくしは……ダーランの王女、タチアナと申します」
緊張しているのか、少したどたどしい挨拶も愛らしい。
「タチアナ様、よくいらっしゃいました。わたくしはバルシュミーデ王国の王女ヘンリエッテと申します。今日は楽しいお茶会に致しましょうね」
ヘンリエッテが優しく微笑むと、ホッとしたのか緊張した頬が緩む。
レイラも名乗って着席をした。
タチアナの付き添いはヤスミンよりも年上らしいスレンダーな女性であった。同じくダーランの女性のはずだが、その髪はレイラやタチアナほどの赤さではなく、赤褐色といった程度である。いわゆる一般的な赤毛の範疇に入る色合いだ。
しかしタチアナがちょくちょく目線を送っているので、かなり信頼している人間なのは間違いない。ダーランからは他にもふたりいるはずだったが、そちらはヨアニス狙いなのかお茶会には来ていない。
「実は今、タチアナ様を見てとても驚きました。私の少女時代によく似ていたもので」
レイラがそう言うと、タチアナもコクコクと頷いた。
「は、はい。私も驚いたのです。昨日のパーティーでお見かけして、ダーランの方がいる、と思って……」
「ええ、確かにレイラ様もダーランの特徴が濃く出ていらっしゃるようですが、どなたかお血筋に……?」
付き添いの女性はヘラルダと名乗った。
レイラはヘラルダに頷いた。
「ええ。私の祖母がダーランの貴族だったそうです。私が幼い頃に亡くなったので、ほとんど覚えてはいないのですが。この容姿はずっとダーランの方の特徴だと言われてきました」
「まあ……お祖母様が……。そのくらいの年齢の方ですと……、50年ほど前に我が国でクーデターがおきまして、他国に亡命する貴族も少なからずいたそうです。その中のどなたかかもしれません」
「あの、私以外にこんなにハッキリとした『太陽』を見たのは初めてなのです」
「太陽?」
タチアナの言葉にレイラは首を傾げた。
「太陽というのは、ダーランの古い言い伝えで、こういった炎のような赤毛のことを言うのです。朝や夕方は太陽が真っ赤な色に染まるでしょう?」
タチアナは己の髪を触りながら嬉しそうに言う。確かに夕陽にも近い色だ。
「なるほど。しかしそれではここまでの赤毛はあまりいないのですか? 恥ずかしながらダーランの方は皆このような色なのだと思っていました」
その言葉にタチアナは、あっと言う顔をして黙り込む。
いくら鈍いレイラにも流石に察するものがあった。
「す、すみません。何か悪いことを聞いてしまったのでしょうか?」
ヘラルダは首を振った。
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。言いにくいことでしたので……。その赤毛は貴族……それも王族の血を濃く引く女性ほど強く出たそうなのですが、50年ほど前にあったクーデターで、このタチアナ様のお祖母様以外の王族は全て……処刑をされたために……近年ではタチアナ様しかいらっしゃいません」
「……ッ!」
レイラはさっと血がひく。大慌てで頭を下げた。
「申し訳ありません! 不躾な話をしてしまいました」
「いえ、とんでもございません。ですから、レイラ様にその太陽が出ていることが……我々にはとても嬉しいのです」
「……あの、よろしくて?」
ヘンリエッテは出来るだけレイラに話をするように譲ってくれていたが、何か引っかかるところがあったのか、口を挟んできた。
「そのダーラン特有の赤毛は王族の血が必要だということですわよね? では、このレイラのお祖母様も王族、もしくは王族と縁戚関係にある貴族の可能性ということかしら」
ヘラルダは頷いた。
「ええ、可能性だけですが。昔の王家は褒賞として優秀な貴族の家系に王女を降嫁させていたそうですから。レイラ様はお祖母様の家名はおわかりになりますか?」
レイラは首を振る。
「いえ、家名は聞いたことがありません。父に聞けばわかるかもしれませんが……。名はエステルと言います」
「エステル様……」
ヘラルダは首をひねった後、力なく振った。
「すみません、やはりお名前だけでは分かりかねます。そのお名前はダーランでは広く使われている名ですので、家名がわからないとなんとも……。私の母がやはり王家にお仕えしていましたので、生きていれば何かが分かったかもしれませんが……」
「いえ、とんでもありません。詳しい事情も存じ上げず、口を挟んで申し訳ありませんわ」
そもそも50年前ではヘラルダも生まれていないし、ヘラルダの母も子供であった年齢のはずだ。クーデターであれば資料や家系図なんかも焼かれてしまい残っていない可能性も高いだろう。
バルシュミーデでも歴史が長く名家の多い北方貴族と新興貴族の多い南方貴族は仲が良くないことも多く、王族もそれには頭を痛めてはいるだろうが、それでもまだ内乱になるほどではない。それが起きてしまったのがダーランなのだ。タチアナ達にとってもクーデターの歴史は腫れ物のようなもので、楽しいお茶会の会話にはあまり相応しくはないだろう。
ヘンリエッテもそう思ったのか、話を変えるという意味でか新しいお茶を淹れされ、甘い菓子をタチアナへと勧め、ニッコリと微笑んだ。
「失礼かもしれませんが、レイラとタチアナ様が並ぶとまるで姉妹のようで素敵です。せっかくの御縁なのですもの、バルシュミーデとも仲良くしてくださいましね」
タチアナもヘンリエッテの言葉に顔をほころばせた。
少し話すうちにタチアナは随分と打ち解けたようで、ヘンリエッテに自国の風車の話をしている。
以前、ヘンリエッテも見てみたいと言っていた風車だ。まあ、と実に興味深そうに聞いていた。高低差の少ないダーランの緑地に立ち並ぶ風車は、元は灌漑や製粉などに使われていたそうだが、今では色とりどりに塗られ、観光的な意味合いでもあるそうだ。
ヘンリエッテとタチアナが楽しげに話すのをヘラルダは優しい眼差しで見つめていた。
風車の話がひと段落したところでヘラルダはタチアナの肩を叩いて促した。
「そういえばタチアナ様。ほら、レイラ様に言うことがおありでしょう」
「あ、そうでした。あの、レイラ様──」
そのタチアナがレイラに何事かを告げようとした時、扉の開いた音がして、クラリッサが戻ってきたのだとわかった。
クラリッサはパーティーでもないのにピンクの華やかなドレスを着ていた。いつのまにか離宮の女官でも呼んで着付けをさせたのだろう。
お茶会に水を差したと言うのに、謝罪どころかクラリッサはまるで自分こそがバルシュミーデの主人であるような振る舞いであった。ヘンリエッテに促されるまで挨拶すらしようとしない。
「クラリッサ、ご挨拶なさい。こちらはダーランの……」
「クラリッサですわ。今、ヨアニス様に会って参りましたの。わたしを快く迎え入れてくださって、楽しい時間が過ごせましたわ」
「クラリッサ!」
クラリッサは無作法にもヘンリエッテの言葉を遮り、タチアナの挨拶を聞こうともしない。
しかしレイラはクラリッサの口からヨアニスの名が出てきたことに衝撃を受けていた。あからさまに顔に狼狽が出てしまっていることだろう。
クラリッサもそんなレイラをチラリと見てふふんと鼻で笑う。
レイラは目を伏せて、クラリッサが視界に入らないように努めた。
「も、申し訳ありません……我が国の者が失礼な振る舞いを……」
ヘンリエッテの謝罪に、クラリッサの傍若無人な振る舞いに目を丸くしていたタチアナもプルプルと首を振って小声で言った。
「いえ、あの……私と一緒に来たふたりも、あんな感じだったものですから……」
ああ……となんとも言えない空気が流れる。
どこの国もそれなりに大変であるようだ。
「ちょっと! ヨアニス様にお会いして来たのです! 聞いてらして? ヨアニス様はわたしが腕を組んでも嫌がらず受け入れてくださったの。明日のパーティーではきっとわたしが指名されますわ。楽しみですこと!」
ヘンリエッテとタチアナに自慢したつもりが相手にされていない空気を感じ取り、クラリッサはひとりでカッカとしている。
それからレイラを再び見て唇を吊り上げた。ヘンリエッテ達に相手にされないから、レイラをターゲットに変えたのだ。
「レイラ様、ご機嫌いかが? 明日のパーティーは楽しみですわね。わたしも今からどのドレスにするか迷っていますのよ」
そして、わざとらしく、あっと口に手を当てた。
「レイラ様はドレスがないのでしたっけ」
タチアナが顔を上げ、あ、あの、と言いかけたが、クラリッサは声の小さいタチアナの言葉は聞こえなかったのか、無視している。タチアナもそれ以上は二の句が告げず、おろおろとしてしまっていた。
「でも、昨日の服もよーくお似合いでしたわ。まるで王子様のようでしたものね。令嬢にも女神にも見えませんでしたわ」
先日、騎士礼装で出席し、視線を集めていたレイラを揶揄しているのだ。
レイラはなにも言えずに目を逸らした。
令嬢でも女神でもないだなんて、そんなことはレイラが一番よく知っている。
しかしヘンリエッテはクラリッサをキッと睨みつけ、ヤスミンもクラリッサの振る舞いが我慢ならなかったのだろう。クラリッサを力尽くで自室に押し込んでいた。ヤスミンは存外に力持ちなのである。その迫力にクラリッサもなす術ない。そのまま扉を閉めると手をパンパンと払うように叩いた。
「──本当に申し訳ございません」
ヘンリエッテは改めてタチアナに謝罪をし、レイラも頭を下げた。
「ええと……す、すごい方でしたね。あの、レイラ様がドレスがないと言うのは……?」
レイラはタチアナにパタパタと手を振った。
「いえ、大したことはないのです。持ってきたドレスが……その、使えなくなってしまったので、騎士礼装を着ていたんですよ。昨日着ていた白い衣装です」
「ええと、あの……ねえヘラルダ」
「え……ええ」
タチアナとヘラルダは顔を見合わせ頷きあう。
「あの、あります」
「え?」
タチアナは言った。
しかしその意味がわからずに、レイラはタチアナに聞き返してしまった。
「だから、あるんです。レイラ様のドレス。私、お預かりしているんです」
「えっ? ……えーっ!?」
レイラとヘンリエッテとヤスミンが同時に聞き返した。




