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【コミカライズ】女騎士の婚活物語  作者: シアノ
女騎士の婚活物語

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16/44

15

 ツェノンは話し始めた。その繊細な美貌に相応しい静かな声であった。


「エパミノンダスは王になってからの名、ツェノンが私の生まれ持った名である。そしてディオニシオスが我が生家である。この場の客人には特別にツェノンの名を呼ぶことを許そう」


 ヨアニスで言えば、アレクシオスが王としての名前――正式な場で使う役職名のようなものだ。そして、ヨアニスが本来の名前であり私的な呼び名、バルベイトスは家名である。

 そして彼がツェノンという私的な名前をこの場で名乗ると言うことは、無礼講とまではいかなくとも、この場での多少の不敬には目を瞑るということを暗に言っているに違いない。


「ヒルデガルドでは、王は完全な世襲制ではなく、特定の家柄から王候補者を選出し、全ての民からなる選挙で決まる。あくまで国を代表する元首なのだ。そしてそして考え方の異なるふたりの王で政務を分担し、独裁することなくこの稀有なる資源を有するヒルデガルドを治めている。今回の催しの参加者が全て集まってからの説明になったのは、我が国特有であるこの制度の複雑さにある。許せ」


 つまり、彼らは王とはいうが、バルシュミーデにおける国王や王族とはその根底から異なるのだろう。他国には王ではないリーダーを戴く国もあるというが、ここヒルデガルドにおいても名称は王ではあるがそちらに近いようだった。

 以前ヘンリエッテたちが言っていた、王はどうもこの催しを快く思っていない風だが、家臣が独断でできるような規模でもない、と評していたのをレイラは思い出す。最初から王がふたりいて、それぞれ異なる考え方をしているのならそれもありうる話だった。



 次いで、ヨアニスが口を開く。


「アレクシオス3世・ヨアニス・バルベイトスだ。身を欺き、黙っていたことを謝罪しよう。この催しはいつまでも結婚しない俺のためにツェノンが執り行ってくれたものだ。しかし俺はどうしても自分の目で結婚相手の真実の姿を見たかったのだ。そして、我が国は他にも多くの男性貴族が独身である。できればそちらにも目を向けてもらいたいと思ってもいる。だがどうしても謀った俺のことを許せんという者は帰国してくれて構わない。交易権も保証するし、今後においても冷遇もしないと誓おう」


 しかしどの令嬢も立ち去ろうとはしなかった。

 ヨアニスを汚い格好をした従僕として鼻であしらっていたような令嬢も、そんなことはすっかり忘れた様子でヨアニスを熱く見つめている。


 クラリッサもそのひとりであった。

 それだけ着飾ったヨアニスの美丈夫っぷり、そして威風堂々とした姿に皆が見惚れるほどであったのだ。

 レイラもまたヨアニスを見つめていた。しかし先ほどまで伸びていたその背筋は以前のように不恰好に丸まり、視線はどんどんと下を向く。


 ツェノンは令嬢たちからの熱気にか、少しばかりたじろいだようではあったが「何か質問があれば答えよう」と言った。


「あの、よろしいですか?」


 それを聞いた令嬢が声を上げる。

 ツェノンが許可をし、その令嬢は口を開いた。


「ヨアニス様の正妃を探すためと仰いますが、ツェノン様にはもう正妃がいらっしゃるのですか?」


 彼女はツェノンの方が好みなのか、にこやかでありつつも猛禽のような目でツェノンを狙っているのがわかる。ツェノンは繊細そうな美麗さがあり、同じ美丈夫でも男性的なタイプのヨアニスとは全く雰囲気が異なっている。


「ああ、ここにいるシプリアが我が妻だ」


 シプリアはツェノンの隣に並び、レイラたち令嬢に頭を下げた。

 ああ……と悲痛な声が少なからず上がる。しかしそれで令嬢のターゲットの全てがヨアニスに集まったようだ。

 あの猛禽のような目でツェノンを見つめていた令嬢も既にヨアニスに熱い視線を送っていたほどに。

 

「シプリア……上級貴族だとは思ったけれど……。けれどヨアニス様の妹でしたものね。ツェノン様と家柄も釣り合うわ」


 ヘンリエッテは冷静にそう評するが、レイラはもう何も考えられなかった。

 ヨアニスをじっと見つめるが、ヨアニスの瞳にレイラの姿は映っていない。レイラとヨアニスの間にはただの距離だけではない。ふたりの間には花畑よりも美しい妙齢の令嬢達がまるで壁のように阻んでいる。


 麗しの令嬢たちは、淑やかな態度は崩さずに、次々にヨアニスへの質問を礫のように投げかけていた。

 レイラからみたヨアニスはまんざらでもないようで、令嬢たちの質問に答えている。


 ヘンリエッテもレイラに行けとばかりに背中を押すが、レイラはその場に石のように留まり、一言も発することはできなかった。


 ヘンリエッテは嘆息する。


「ねえ、レイラ。自信を持つんじゃなかったの? ほら背筋を伸ばしなさいな」

「無理……です。やっぱり、私なんかには……」


 レイラはかぶりを振る。


 ヨアニスと話していて楽しかった思い出が次々と蘇る。

 庭園の薪割り場で、狩り大会で……。

 何故、あんなに馴れ馴れしくしてしまったのだろうか。

 きっとヨアニスも呆れていただろう。散々に無知を披露してしまった。



「ヨアニス様、好みの女性のタイプはありますかしら?」


 ちょうどその時ヨアニスに質問を投げかけていたのはクラリッサだった。

 気がつけばヨアニスは左右をクラリッサとアナスタシアに挟まれ、その周りに令嬢による垣根ができていて、もうレイラには絶対に手が届かない存在なのだった。あの中に混じるだなんてレイラには到底無理な話だ。



 レイラはただの成り上がり子爵家出身の騎士。そして赤毛で、張る胸もない上に身長ばかり高い。

 まして今は令嬢のようなドレスすらないのだ。令嬢は花、レイラはロウソク。決して混じれはしない。


 まさかこんなロウソク女が、大国の王であり、驚くほどの美丈夫であるヨアニスに釣り合うはずがない。

 最初から叶うはずなどなかったのだ。

 ヨアニスが自分を好いてくれるはずなどないと言いつつも、話をするたびにほんの少しだけ期待してしまっていた自分がいた。

 騎士として身を立てるといいながら、ヒルデガルドに残ってヨアニスと結婚できたらいいと夢想しなかったとは言えない。

 レイラの心を占めていたのは羞恥──そして絶望感であった。



「……女神のような女がいい」


 ヨアニスは言う。

 それがクラリッサに問われた、好みの女性への返答だった。

 照れているのか、はにかむように笑っている。そんなヨアニスに周りの令嬢たちもうっとりと微笑む。


 レイラは目眩がするかと思った。

 女神だなんてレイラから最も遠い。

 ここには美丈夫のヨアニスに釣り合う、女神のように美しい女性ばかりなのだ。


 クラリッサやアナスタシア、それから他の自信に満ち溢れた麗しい令嬢達。女神とは自分のことであるとばかりに胸を張ってヨアニスにしなだれかかり、微笑みかけている。



 ――もう見ていたくない。


 レイラは踵を返す。

 ヘンリエッテまで置き去りにして、衝動的に親睦パーティーの会場から飛び出した。

 背中にヘンリエッテやヤスミンが投げかけてくる声を聞きつつも、それを振り切って走り、自室に逃げ込んだ。

 ヘンリエッテ達はドレス姿だ。レイラを追ってくることはできない。


 自室に逃げ込んで鍵をかけて、ようやくレイラは息を吐いた。




 騎士礼装のままでいるわけにもいかない。動きやすい普段着に着替えをしようと服を脱ぎ、大きな姿見に映る自分の姿を改めて見た。


 背ばかりが目立つほど大きい。女性らしい丸みの薄い体。炎のように鮮やかな髪であるのに、卑屈に丸められた背中。


 レイラは唇を噛んだ。


 なんてみっともない。

 こんな女をヨアニスが好きになるはずがない。

 レイラは目をつぶって適当な服を身につける。



 こんな自分が惨めだった。

 レイラの目の前がじわりと滲む。みるみる溜まった涙の玉はすぐに決壊した。


 レイラは両親に不美人と言われようと、少女時代に初恋の幼馴染の少年から赤毛のノッポと笑われても泣かなかった。すると余計に可愛くない、と言われたのだ。だからレイラは絶対に泣けなかった。


 可愛くない自分は泣くわけにはいかない。

 だから、騎士見習い時代にいじめられても、舞踏会でロウソク女と嘲笑われても、婚約を破棄した時でさえ泣かなかった。


 けれど今は涙を止めることができなかった。


 レイラはヨアニスが好きだったのだ。

 立派な武人であることへの尊敬と、異性への好意。ヨアニスと話すことが楽しかった。毎日ほんの少しでも会話が出来たら嬉しかった。


 あまりにも今更すぎる。

 レイラの恋は始まる前から終わっていた。




 レイラは唇を噛み締め、腕で涙を拭って立ち上がった。

 ここでただポロポロと泣いていられるレイラでもなかった。


 体の中をぐるぐると激情が駆け巡っており、ただ座っているなんてレイラには出来ない。

 レイラは悲しみや鬱憤などのマイナスの感情を昇華させたい時は、いつだって体を動かしていた。

 野を駆け、がむしゃらに剣を振り回した。騎士になってからもそう変わらない。

 それがレイラにとって泣くことの代償行動だったのだ。


 そしてずっと部屋にこもっているわけにもいかない。そのうちにヘンリエッテ達がレイラに追いついて、部屋のドアを開けろと言うだろう。

 だがレイラにだってなけなしのプライドくらいはある。ついさっきまで泣いていたような顔など誰にも見せたくなかった。



 結果、レイラは部屋からも飛び出した。


 そもそもここで我慢が出来たのなら、レイラはあのアドルフ・ボーリュの浮気行為を見て見ぬ振りしてそのまま結婚をしていただろう。激情を我慢できないからこそ、レイラはレイラなのだ。


 鍵をかけるのも忘れていたが、そんなことは気にならなかった。

 部屋から出たところで、パーティー会場からドレスとハイヒールで一生懸命に追いかけてきたのだろうヘンリエッテとヤスミンが追いついた。はぁはぁと息を切らせてレイラに呼びかける。


「ま、待って……ちょうだい……! レイラ……」

「レ……レイラ様……!」


 しかしそれすら振り切って走り出した。

 本気で走るレイラに追いつける者はそうそういない。ましてドレス姿の令嬢なら尚更だ。


 レイラは走った。

 とにかく動いて動いて何も考えないようにしたかった。


 どこか遠くへ、誰も知らないような場所へ行きたかったが、このヒルデガルドでそんなことできるはずもない。だからせめて、誰も来ない場所を探した。幸いかは分からないが、警備もそのほとんどが会場の方に集中しているらしく人気がない。


 せっかくヘンリエッテが帰ってから騎士として身を立てる力添えをしてくれそうだったが、きっと棒に振ってしまっただろう。

 それを悔やむ気持ちもあるが、レイラは止まらなかった。広い離宮中をガムシャラに走り回って、そして気がつくといつもの庭園に来ていた。


 ヨアニスがよく薪割りをしに来ていた場所だ。結局いつもの場所しかないのがレイラらしい。

 ヨアニスのことを思うと胸がズキンと痛む。ひび割れたばかりの傷のようだ。



 ここは庭園の中心からも外れていて、他の令嬢は来たこともないだろう。


 庭園もだんだんと薄暗くなり、あっという間に辺りは薄闇に包まれる。

 ここでなら却ってひとりになれていいかもしれない。

 レイラはそんなことをぼんやりと思って、腰掛けるのにちょうど良さそうなサイズの切り株に腰かけた。


 しかしすぐに後悔をすることになる。


「うぅ……寒い!」


 レイラは吹き付ける風にぶるりと体を震わせた。

 日が落ちるとヒルデガルドはぐっと冷え込む。特に遮るもののない屋外なら尚更だった。


 頭が冷える分、多少は寒い方がいい。誰も邪魔する人もいないし、ここにはレイラを傷つける者もいない。


「でも、さすがにちょっと……」


 くしゅん、とひとつくしゃみを落とした。


 適当な服だったのも悪かった。防寒には適していなかったようだ。

 日が完全に落ちてしまえば、寒すぎて考え事に没頭することもできそうにないだろう。



「そうだ」


 レイラは地面に落ちている小枝や木の葉、松かさに似た乾いた球果を拾い始めた。

 まだ真っ暗ではないからこれくらいの夜目は効く。

 確か、これだったはずだ。ヨアニスが火の焚き付けにいいと教えてくれたのを思い出す。

 ここは薪割り場なので当然切ったばかりの薪はある。しかしこれは乾燥していないから使えないとヨアニスも行っていた。少なくとも焚き付けには向かないだろう。


 よく乾いた細い枝を組み、木の葉と球果を置く。そして薪を割った時に出る木屑を火口(ほくち)に使うことにした。

 レイラはいつも身につけている小型の折りたたみナイフを取り出した。刃渡りはレイラの指ほどしかないごく小さいものではあるが、このナイフの背と石を打ちあわせれば簡易的な火打金として使えるのだ。

 レイラは硬そうな尖った石を拾い、ナイフの背と打ち合わせる。

 何度も打ちあわせれば火花が散り、上手くいけば火がつくはずだ。


 何度かの失敗の後、ようやく木屑から薄く煙が立つ。

 その煙に息を吹きかけながら少しずつ大きな火種にし、組んだ枝に移すと、じわじわと炎をあげてくれる。


「本当に付いた! ……無駄な知識なんてないんだな」


 レイラは独りごちる。

 たったひとつの成功体験でなんだか嬉しい。


 ヨアニスが割った薪も、古いものなら多少は乾燥しているだろうと、並べてある薪の奥の方から取ってきて火に焚べる。

 確かに暖炉に使うものより煙は出ている気がするが、屋外だから多少の煙たさは気にならないし焚き火があるだけで暖かい。


 薪が爆ぜてパチパチ、と優しい音を立てる。

 赤い炎はまるでレイラの髪のようだ。

 けれどレイラはこの焚き火のように誰かを暖めることなどできない。


「はあ……本当に私って駄目だな」


 見た目だけではない。

 中身もこんなにも未熟だ。

 騎士として身を立てると言いながら、恥ずかしいほどに無知だ。精神も安定してるとは言い難い。

 そのくせ、他の令嬢の『普通』ができない。我慢もできないし、結婚や子育てにも多分向かないだろう。根っこが子供のままなのだ。


「私は……何もできない」


 薪がまた爆ぜてパチリ、と音を立てる。

 その音が『その通りだ』と相槌を打ったようで虚しくなる。


 ちょっと腕が立つだけ。それだって男性と真っ向勝負をしたら簡単に勝てるとは思わない。アドルフ・ボーリュのような小柄なお坊ちゃんになら別だが、体格の良い兵士には勝てないかもしれない。

 女としての体力や力の限界がある。けれど女らしくは生きられない。

 レイラはどっちつかずなのだ。


「──そんなことはないと思うが」


 レイラは顔をバッと上げた。

 幻聴かと思ったのだ。

 もしくは夢か。


 しかし幻聴でも夢でもない。


「……邪魔をして悪い」

「ヨアニス様……」


 ヨアニスがバツが悪そうに顔をかいていた。

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