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令嬢たちとのダンスが終わる。
まだ物足りなそうな令嬢もいたが、さすがに連続で踊りっぱなしのレイラは少し息が上がり、喉も渇いていたからだ。
レイラは体を動かした後の心地よい充足感に浸っていた。
「お疲れ様、素敵だったわ、レイラ」
ヘンリエッテとヤスミンがレイラを取り囲む。
気の利くヤスミンの差し出したグラスを受け取り、喉の渇きを癒した。
「楽しいですね、舞踏会でこんなに楽しいなんて初めてです」
「……バルシュミーデは少し排他的な者が多いのよね。レイラはこんなに素敵なのに、バルシュミーデ風ではないというだけで。わたくしね、ヒルデガルドに来る機会があって良かったと思っているの」
レイラはそんなヘンリエッテに頷く。
最初は如何にも物を知らない典型的な王女であったヘンリエッテが他国に出て、砂漠の砂が水を吸収するように、この短期間で知識と多角的な物の考え方を得ることができたのは、将来を考えればプラスに働くだろう。
そして、それはレイラも同様である。
「私も、私のこの容姿でも、笑われず侮蔑もされない場所もあるのだと知りました。バルシュミーデに帰っても、この気持ちを忘れず、背筋を伸ばし自信を持つことを忘れないように、と。中々に難しいですが」
ふふ、とヘンリエッテは笑う。その微笑みは実年齢よりずっと大人びている。
「そんな風にしていたら、きっと、バルシュミーデでも令嬢にモテてしまうかもしれなくてよ。でもね、わたくしは貴方はヨア――」
突如、ヘンリエッテの会話を遮るように周囲が騒ついた。
どうやら出入り口付近で何事かが起きたようだ。
「ヘンリエッテ様、お下がりください」
レイラは何が起きたかを確認するよりも早く、さっとヘンリエッテの姿を己の背中に隠す。
バンッと大きな音を立てて会場の扉が開かれた。
「遅くなりましたわ!」
見知らぬ女性の高らかな声が会場中に響き渡る。
広い会場内に響き渡るほどの声量であった。
「ですが、主役は遅れて来るもの。この、テレイグのアナスタシアが今参りましてよ! 陛下!」
テレイグ、それは北方にある超巨大国家の名であり、ダーランと共に未だ到着していなかった国であった。
テレイグはとにかく国土が広大なのだ。それ故に、他国よりもヒルデガルドからの知らせも遅れただろうし、テレイグから出発してもかなりの時間がかかったことだろう。
そして厳しい北の地出身であり、声からしてもかなりパワフルな女性に違いない。
レイラはそう思い、騒つく人混みの隙間からテレイグから来た令嬢アナスタシアを覗き見て……そして目を丸くした。
「レイラ、見えないわ。テレイグの令嬢がいらしたのでしょう? どんな方なの?」
小柄なヘンリエッテはレイラが前に立つと見えないようなので場所を譲る。
隣を見るとあの平静なヤスミンも驚いたように目を丸くしている。
ヘンリエッテもまたテレイグの令嬢を見て、「まあ」と声を上げた。
テレイグの令嬢、アナスタシアは扇を構え、実に威風堂々としていた。
銀に近い淡い金髪は柔らかく波うち、非常に豊かでボリュームがある。瞳も青い宝石のようだ。そして肌は白く肌理細かく、まるで光り輝くようにさえ感じる。
そして彼女を鮮やかに彩る真っ赤なドレスは、一見刺々しいほどの色彩であるものの、アナスタシア自身の魅力に全く見劣りはしない。むしろ引き立ててすらいるのだ。
それを見事に着こなしている彼女は、非常に肉感的……ムッチリと肉付きがよく、実に豊満である。
少なく見積もっても、小柄で華奢なヘンリエッテの倍以上の体重があるだろう。
ドレスから露出した腕もヘンリエッテの太ももほどはありそうだ。
しかし、それでいて決して彼女は醜くなどないのである。
鮮やかなドレスを着こなし、輝くように微笑み、人の視線を集める吸引力を持っている。
光り輝くような自信。
自分ことを世界で一番美しいと信じ切っているのであろう。そしてそれは間違いではない。
事実、レイラも目が離せない。見惚れてしまっている男性も多い。
現れただけで会場の空気が一変する。
鮮やかな大輪の花。まさにレイラの正反対のような女性であった。
そして誰も注目はしていなかったが、アナスタシアの横には同時に到着したダーランの幼い令嬢もいて、それはそれは恥ずかしそうに縮こまっていた。
アナスタシアの元にシプリアと女官が駆け寄る。
何事かを話しかけているが、アナスタシアはそれを振り切り、のしのしと前へ進む。あまりに堂々としすぎて誰も阻むことはできないようだ。
そもそもシプリア達の体格でアナスタシアを押さえられようはずもない。
男性の兵士もいるが、ただ歩いているだけのドレス姿の女性に手をかけて触れてしまってもよいものか迷っているらしく、まごまごとしており、一方のアナスタシアはその間にもどんどんと前に進む。
アナスタシアの進路に立つ人は自然と道を譲った。そうせざるを得ない迫力があるのである。
アナスタシアもそれを当然のように受け入れていた。
とうとう御簾の前にたどり着いたアナスタシア。さすがのクラリッサも思わず数歩下がり、御簾の最前列を譲ってしまったようだ。
「テレイグから参りました。アナスタシアでございます。陛下、貴方の妻になるアナスタシアですわ!」
どうやら自信は美貌にだけではないようだ。
絶対に自分が選ばれるであろうという自信に満ち溢れていた。
バサッと艶やかな銀の髪をかきあげ、御簾の向こうにいるであろう陛下に秋波を送る。その仕草も実に様になっている。
「はあ!? なんなの!」
横にいるクラリッサはさすがに憤慨して声を上げているが、アナスタシアは露ほども気にしていないようだ。視界にも入っていないかもしれない。キーキーわめくクラリッサも、アナスタシアの前では象の足元の子鼠のようなものだった。
シプリアがようやく追いついてアナスタシアを止めようとしているが焼け石に水であった。
アナスタシアはただ真っ直ぐに前しか見ていない。
そんなアナスタシアだが、御簾の中に反応が薄いのを見て首を傾げる。
「あら? おかしいですわね。陛下、わたくしです! アナスタシアですわ! どうか貴方の妻になるわたくしに可愛いお顔を見せてくださいまし!」
アナスタシアは、シプリアが止めるのも聞かず、更に数歩前に出て御簾に手をかける。
バサリと音を立てて御簾が外れ、床に落ちた。
シン、と会場中が静まりかえる。
令嬢としては信じられないような行動ではあるが、アナスタシアにとっては当然の権利のようであった。何者も彼女を止めることなどできない。
そして落ちた御簾に、集まった令嬢たちの視線は自然とその奥に向かう。
ここにいる令嬢のほとんどは気になっていたはずだ。
陛下のお顔はどんな風なのかしら、と。
それがようやく晒されるのであった。
ブラウリオのケイトが声を上げる。
「あ、あの方ですぅ! 私が前に見た陛下ですぅ!」
同じくイグナーツの令嬢も声を上げる。
「あら、もうよいのかしら? あの方が陛下です。式典で見たので間違いありませんわ」
しかし、ケイトは右を、イグナーツの令嬢は左を指していた。
「ふたり……? どういうこと?」
どこかの令嬢が呆然と声を上げる。
御簾の中は一段高くなっており、そこに陛下らしい服装の男性がふたり、並んで椅子に座っていた。
どちらもヒルデガルドの上級貴族の着るような服装。どちらも背が高く、どちらも顔立ちの整った美男子であった。
――そう、まさに、噂の通りの。
右側、ケイトが指差した方の陛下は、確かにケイトの言っていた通り、僅かに浅黒い肌に繊細で美麗な顔立ちの男性であった。
アナスタシアの行動に僅かに眉を寄せ、突然のことに対処できないのか、困惑した表情で固まってしまっている。
そして左側、イグナーツの令嬢が指し示した方の陛下は、普段のラフで動きやすそうだが少々小汚い服とは全く違う、ヒルデガルド風の綺麗な装束を身に纏っていた。健康的な艶のある肌の男性的な美丈夫である。
レイラと会うときはよく抱えていた薪も、当然今は持っていない。
肩をすくめ、困ったように頭をかいている。
その仕草は何度も見たものだ。
「嘘……ヨアニス……何故?」
ぽつりとレイラが呟いた声は令嬢達の騒めいた声でかき消された。
「やはり……。もしかしてとは思っていたのだけれど……。でも目撃したブラウリオのケイトは違うと言うし……最初からふたりいただなんて……レイラ? ねえ、大丈夫?」
レイラは呆然とヨアニスを見上げていた。
肩を揺するヘンリエッテにもされるがままであった。
「……大変申し訳ない」
音声増幅装置を使い、陛下は話し始めた。
ヨアニスではない方の彼だ。
確かにこの人が多く騒ついた場で話すのに、音声を増幅する装置は有用なようだ。
「私の名はエパミノンダス1世・ツェノン・ディオニシオス。このヒルデガルドの王である。そしてこちら、アレクシオス3世・ヨアニス・バルベイトスもまたこのヒルデガルドの王。この国では太古の昔より、ふたりの王による二頭政治を行ってきた。今日まで黙っていたことは詫びよう」




