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部屋に戻ったレイラ達は、着替えると再び居間に集まりお茶を飲んでいた。
貴族はお茶を飲んでばかりだとレイラは内心で思っていたが。
ヘンリエッテ曰く、『作戦会議』らしいがレイラにはいつものお茶会しながらの雑談と、そう変わらないようにしか見えなかった。
しかしながらクラリッサが目に見えて元気をなくしていたので、少しは心配になったのも事実だ。
クラリッサは持ち前の負けん気もどこかに消え失せたように、ぼんやりと俯いて黙り込んでいる。
若い上に元々ヒルデガルドの国王にかなり夢を思い描いていたようだったから、謁見での一件が思い描いていたのと異なりすぎ、困惑を通り越してショックなのだろう。
「困ったわね。せっかく早く到着したのに。とはいえ、わたくし達が陛下を見ることはできなくても、陛下はわたくし達を観察している。つまりはもう選考に入っているかもしれないわ。それを忘れないようにしなければ」
ヘンリエッテはヤスミンと話している。
「憶測で失礼いたしますが、もしかすると陛下はこの催しをそもそも快く思っていないのでは。あまり積極的に結婚をしたいようには思えません。この催し自体は……例えば、宰相のような方が勝手に画策したとか。そうでしたら誰も選ばれない可能性もあります」
「そうね、その可能性も否めないけれど、さすがに宰相が独断でできるような規模でもないような……。女性の割合が少ない国だったわよね……。今回のことは陛下が撒き餌であるとか……?」
そうだ、とヘンリエッテは手を打った。
「レイラはあのヨアニスという男が気に入ったみたいじゃない? 独身だとシプリアも言っていたし、いっそ彼を狙ってみては?」
「はっ……はい!?」
まさかの飛び火にレイラの声が裏返る。
お茶を口に含んでいなくてよかった。もしそうだったら噴水のようになっていたことだろう。
「ヨアニスだっておそらくは貴族か、それに連なる家系でしょう。もしも陛下にわたくしたちが誰も選ばれなかったとしても、レイラがヨアニスと結婚してこの国に残れば、我がバルシュミーデとヒルデガルドに接点ができる。これは大きいことよ」
「そんな……と、とんでもない……」
ヘンリエッテはいい案を思いついたとばかりに、得意げにその立派な胸を張った。
レイラはしどろもどろになりながらヘンリエッテの言葉を否定する。
いくら女性の数が少ないとはいえ、あんな美丈夫に好いてもらえるだなんて、レイラには思えないからだ。
「──そうですよ! とんでもない!」
唐突に声をあげたのはクラリッサだった。
見開いた目の色が変わっている。
「とんでもないことです! ヘンリエッテ様を……バルシュミーデを馬鹿にしてるんだわ!」
今まで静かだったのは謁見の一件で、ふつふつと怒りを貯めていたかららしい。落ち込んでいたのではなく、怒っていたのだ。
元々家柄がよく見目麗しいクラリッサである。気位の高い彼女がわざわざ遠方から来たというのに、あの仕打ちはひどく堪えたのだろう。
そしてそれは怒りの感情となり、爆発したようだった。
レイラはその変わりようにギョッとする。
目が据わり、わなわなと握ったこぶしを振り上げているクラリッサは尋常とは思えない。
「ク……クラリッサ? 落ち着いて……」
しかし、レイラの窘める言葉も耳に入っていないようだった。
「おかしいですよ! せっかく早く到着したのに! 苦労したんだもの、多少有利になっても当然でしょう? 抗議しましょう! ヘンリエッテ様! 断固抗議すべきです! こんな馬鹿にされて!」
「……何を言っているの? クラリッサ」
「わたしにはこんなことしている暇なんてないんです! ヘンリエッタ様だってご不満でしょう!?」
ヘンリエッテは熱く語るクラリッサとは対照的に氷のように冷たい声を出す。
「クラリッサ……。そんなことを言うのは貴方、自分が馬鹿にされたと、ないがしろにされたとそう思っているからでしょう?」
「そんな! 違いま――」
はあ、とヘンリエッテは隠しもせず大きなため息を吐く。失望した、とばかりの態度だった。
「……わたくしは言ったわよね? わたくし達からは見えていなくとも、あちらからはわたくし達が見えている。もう選別に入っているのを忘れないで。わざとないがしろにして、わたくし達の応対を見ている可能性もあるのよ。カッとなって行動したっていいことなどないわ」
「そう……かもしれませんけど!」
クラリッサはヘンリエッテに論破されて悔しそうにしているが、その勢いは止まらない。
「それにわたくしは陛下の顔を見ることができてもできなくても、どちらでも良いのです。そもそも顔なんてどうでもいい。ヒルデガルドの国王がわたくしを望んだのなら、80歳の老人でも、この世界で一番の醜男でも構わないわ。喜んで嫁ぎます。わたくしはバルシュミーデの王女なのだから」
言いながらヘンリエッテは怒りか興奮か、頬が紅潮し、キッとクラリッサを睨みつけた。
「でもクラリッサは違うのね。貴方はどうせ、国王が美丈夫でなければやる気が出ないのでしょう? それならば陛下のやり方は賢いわ。見た目で選別したり、態度に出す愚かな女を切り捨てるおつもりね」
クラリッサは言い返すこともできず、唇を噛んでいる。
レイラはヘンリエッテとクラリッサの女の争いについていけず、ただオロオロとしていた。さすがに暴力にでもなれば止められるが、口喧嘩ではレイラにもどうしようもない。
ヤスミンはスッと空気のように気配を薄くしている。
その技術、教えてほしい……レイラは切に願った。
「そんな……わたしは……」
「見た目がなんだというの? クラリッサは自分に大層自信があるようだけれど、数日を共に過ごしてわかったわ。貴方よりもよほどレイラの方が美しいわ」
思わぬ飛び火にレイラはギョッと目を剥いた。
そんなことを今のクラリッサに言うのは火に油を注ぐようなものだ。
当然クラリッサという炎はカッと怒りで燃え上がった。
「は!? どこが!? 赤毛のロウソク女じゃない!」
クラリッサがこちらをキッと睨む。
何故……私を、とレイラは頭を抱えたくなった。完全にとばっちりだ。
「ほら、そういうところよ! クラリッサは何もわかっていないのね! ドレスを着たレイラはとても美しかったわ! それはバルシュミーデ風ではない、わたくし達とは違う魅力よ! 大体何故老人会は貴方を選んだの!? わたくしと貴方なら競合してしまうことが何故わからなかったのかしら!」
ヘンリエッテの言う老人会とは、おそらくクラリッサを推薦したお偉方や大臣達のことだろう。そもそもヘンリエッテは自分と同じタイプの美人であるクラリッサが選ばれたことから不満だったらしい。
「貴方は他の国よりいち早く、陛下の御前でニッコリと微笑めばうちの国の老人達と同じようにメロメロにでもなると思ったのでしょうけど、そうはいかないわ。これからも各国からそれぞれに魅力的な美女が山ほど来るのよ。せめて陛下の顔などどうでもいいと腹をくくれるなら違ったかもしれないけれど、ああも陛下の顔にこだわるなんてね」
そこまで一息に言い切ったヘンリエッテはふう、と疲れたようにため息を吐いた。
「……お茶会は解散にしましょう。少しきついことを言ってしまったけれど、腹をくくれないなら諦めて大人しくしておいた方がいいわよ、クラリッサ。帰ったらちゃんと貴方の縁談にも口を利いてあげるから。ね?」
ヘンリエッテは最後には優しく、甘く――ある意味ではクラリッサに餌をちらつかせた。
「はい……申し訳ありません……」
その言葉は確かに効いたようだ。
クラリッサも借りてきた猫のように大人しくなり、ヘンリエッテとそれからレイラにも頭を下げた。
「頭を冷やすために今日は部屋におります……」
クラリッサは自室に戻り、ヘンリエッテも疲れたように立ち上がった。
「わたくしも戻ります。ヤスミン、レイラ。後は自由にして構わないわ」
ヤスミンは飲んだカップ類の後片付けをしている。
レイラはなんだか非常にくさくさした気分だったので、思い切って外に出るとこにした。
シプリアから教えてもらった庭園に出てみようと思ったのだ。
それに隣室からボスンボスンとクッションを叩きつけるような音も聞こえていた。ヘンリエッテにやり込められたクラリッサが、ストレス発散にクッションを叩いてでもいるのだろう。そう気になる音でもないが、部屋にいても気が休まらない。
レイラは動きやすいラフな服装に着替えて部屋から出た。
シプリアから聞いていた通り、離宮内を少し歩いたところに庭園に出ることができる場所があった。
思ったよりも広そうで、通路にはタイルが敷き詰められ、雑草の一本もないほど整えられている。植え込みは芝が植えてあり木々も多く、小さな池まである。
東屋も遠くに見えたので、ここでお茶をすることも出来そうだ。天気の良い日には気持ちがいいだろう。
木々や植物もレイラには見たこともないものばかりで、ぶらぶら歩いているだけでもなんだか楽しい。
気分が少しずつ晴れていくのを感じた。
レイラは通路から外れ、手頃なスペースに陣取り、軽く柔軟体操から始めた。
身体中を血液が巡り始めるのが自分でも分かる。
帯剣するのもどうかと思って持って来なかったので、木の足元に落ちていた枝を一本拝借し、軽く素振りと剣の型の練習をした。
「ふう……気持ちいいな」
久しぶりに体を動かしたのだ。
ようやく体が温まってきた頃合いで、レイラの背後に人の気配を感じた。女官か従僕か、それとも他国からの令嬢かもしれない。挨拶をするべきか、と思い振り返ったところでレイラは固まった。
「あ、やっぱりレイラ様か! よく会うな! ここで運動してるのか?」
「あ、はい……ヨアニス殿……」
レイラはなんだか気恥ずかしくなり、ぺこりとヨアニスに頭を下げた。
ヨアニスは太い原木を数本手に抱えている。
この人はいつも薪をもっているな、とレイラは思った。
「俺はちょっと薪割りをしちまおうと思ってね」
手にした太い原木のことだろう。
「そういえばシプリアから聞きました。毎日薪割りをしているそうですね」
「ああ。昔は武官をしていたんだが、辞めてから体が鈍ってしまうのが嫌だったんだ。薪割りはいいぞ、剣の振りにも近い」
「へえ! そうなのですか!」
レイラは下の方とは言え都会育ちの貴族のお嬢様なので流石に薪割りはしたことがなかった。特にバルシュミーデでは女性は力仕事の類はほとんどしないものである。
「見学してもよろしいですか?」
「物好きだな。構わないけど、よその国の貴族のお姫様に薪割りを見られるなんて思っても見なかった」
ヨアニスの言葉にレイラはパタパタと手を振った。
「いえ、私など、下級貴族の出ですし。騎士をやっているので、ヘンリエッテ様の護衛として……ただのオマケで来たようなものですよ」
「そりゃあすごいな。ヒルデガルドでは女は武官になれないんだ。女の方が少ないから、結婚すると家に入ることが多い。……優秀なのに働けない女も多くてな。シプリアにだっていつまで働いているんだって言う輩も少なくない」
「ああどこも同じなんですね……。我が国では、最近ようやく結婚後も働く女性が増えましたね。それでもまだ多くはありませんが」
薪割りの場所まで歩きながら話していた。
ヨアニスはなるほど元武官なだけあって、レイラが話しやすいタイプのようだ。
所謂竹を割ったような性格であろうか。気取らない性格が話していても伝わってくる。
「俺はいつもここいらで薪割りをしてるよ」
ヨアニスは慣れたように斧で太い原木を割り始めた。スパン、スパンという軽快な音が響き、太かった原木が、あっという間に見慣れた薪の形になっていく。
「薪を見たことは勿論ありましたが、薪割りは初めて見ました。これが普段使っている薪なのですね」
「このままじゃまだ使えない。乾燥させないと、煙がすごく出るんだ」
「え、そうなのですか!?」
「今切って、このまま乾燥させて、次の冬に使えるってくらいか? 昨日運んだ薪も去年のものだ」
「いや……全くの無知で……お恥ずかしい限りです」
「じゃあ薪拾いなんかもしたことないのか」
「ええ、ないです。公務で野営をする際は全て用意して向かっていたもので……」
レイラは自分の無知さに恥ずかしくなる。
レイラのような女性騎士は貴族の令嬢しかなれない。そして仕事のほとんどは、女性の王族や上級貴族の警護である。つまりサバイバルに近いような状況での野営は滅多にしない。戦争のない平時であれば尚更だ。
どうしても野営が必要な際には平民の男性兵士がいることも多く、火の焚き付けなんかは彼らの仕事になっていたからだ。
何が騎士であろうか。女であるということに甘えて、それに疑問を持ったことすらなかったのだ。
「……すみません、騎士などと偉そうな肩書きを持っていながら……知らないことばかりです」
そんなレイラに、ヨアニスは細い枝を拾ってみせる。
「こういう枝をな、曲げた時にぱっきり割れるのは乾燥してるからすぐに焚き火に出来る。曲がる奴はまだ生木だから駄目だ。崩れるほど脆くなってるのも駄目だな。焚き付けにはああいう細い葉や乾燥した木の実なんかを使う。油を含んでいるからよく燃える」
そう言って地面に落ちている葉や松かさに似た木の実を指差して教えてくれる。
レイラはせめて、ヨアニスの教えてくれた知識をしっかりと記憶した。
「とは言っても、バルシュミーデとは植物が違うから、それほど役には立たないだろうが」
「いいえ、とてもタメになります。……駄目ですね私は。実務以外は本当に無知で……」
レイラは顔を伏せる。
騎士として身を立てるなら、腕っぷしの強さだけを鍛えるのではない。こうしていざという時のことをもっと知っておかねばならないと身に染みたのだ。
「別に、知らないことは今から知っていけばいいさ。レイラ様は若いんだ、遅くはないだろう。俺だって敬語が覚えられなくて、シプリアに怒られたばっかりだ。いや、改めてこんな口調で申し訳ない」
「いいえ、その方が私も緊張しません。お気遣いありがとうございます、ヨアニス殿」
おどけたように言うヨアニスのそれが優しさだと気付き、レイラは微笑んだ。
レイラはヨアニスと別れ、自室に戻った。
体を動かしたからか、ヨアニスとの会話が気分転換になったからか、随分とスッキリした気分だった。
居間に入るとヘンリエッテがテーブルの上に何か招待状のようなものを広げていた。
「いいところに戻ってきたわね。一応貴方にも意見を聞きたいと思って」
ヘンリエッテは顔をあげるとレイラを近くまで呼び、その招待状を指差した。
「ブラウリオからの招待状よ。お茶かお食事をご一緒しませんか? ですって」




