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わたしが鈴を知ったとき

作者: 七条夏目

 ぐー、くぎゅるるりるぐっ


 わたしの腹の虫が奏でる鳴き声です。空腹のあまり、まともに立っていられなくなりました。冷たい床に()いつくばっています。

 まあ、いつものことですね。わたしに構うもの好きはいなくて、食事のことを忘れ去られているのですから。


 いわゆるおちこぼれですから。


 わたしの種族では、目が利くことで優劣が決まるそうです。繊細な色を見わけたり、動く物を、あるいはずっと遠くになにがあるかを、いかに正確に捉えるか。それらを、連日競っているそうな。

 伝聞形式なのは、わたしがその輪に加わっていないからなのです。現場に居合わせてもわからないでしょうが。


 なぜかって?

 物心ついたころから、わたしの世界には光がほとんどないからです。視界の中央がうっすらぼんやりと白けていて、明るさで昼夜をかろうじて判別できます。けれども、それ以上はよく分からないのです。


 目を細めて口の端を上げる笑顔も、眉毛をつり上げて怒りをあらわにした様子も、知識としてそういうものだと知っているだけです。実際に見たことはありません。

 だから、わたしは劣っているどころではありません。ぼんやりと分かる、どころの話でもないのです。まさに種族のおちこぼれなのです。




 ぼんやりしていると、キィっときしんだ音が立ちました。風がだっとなだれ込んで、続いて規則正しく地面を踏み鳴らす音。

 誰かがわたしの傍に来たようです。いつ以来でしょうか。食事にありつけるのでしょうか? 心おどります。


 どこかの家庭で生み出された失敗作が、与えられるのが常です。たまにごちそうと称されるのは、全身が弾みそうなもの。あれが成功作なのでしょう。もっとも、そんなごはんは、指を折って数えられるほどしか口にしたことがありませんが。


 気づけば足音が大きくなってきました。何かがぐっと近づいたら、うせてしまう視界の白さ。影に覆われるのは、昼の領域が侵される気がして、あまり好きではありません。

 この後に空腹が満たされるから、なんとか我慢できるだけで……。


 ……あれ?


 今気づきましたが、様子が変です。拭えない違和感をおぼえます。

 そうですね、どうしてでしょうか? 最近、わたしに食事を与えてくれるのは、入れ代わり立ち代わりですから、知らない足音もよく耳にするのですが……。


 なぜでしょう、どうしてでしょう?

 あ! わかりました!


 運ばれてくる食事は、あたたかい湯気とともに、わたしの嗅覚に鮮やかに主張してきます。

 けれども、今回は無臭です。時々、においとともに、舌にぴりぴりと刺激が襲ってくるのですか、それもありません。


 わたしの食べ物を携えていない来訪者なんて、ここしばらくはありません。おかしな存在が現れたことに当惑しています。




 用件が食事ではない、となると、教養なのでしょうか?


 以前はいろいろな知識を詰め込まれるべく、教師を名乗る者がわたしのところによく来ていたのですよ。教えることはすべて教えたの言葉を最後に、彼女は来なくなったのです。

 あの時間は嫌いではありません。可能ならもう一度すごしてみたいものです。飲み込みがいいとほめられて、夢中になったほどですから。


 今はとにかく、対応を考えなければなりません。


 お父様には、あと二年ほどで皆の役にたてると言われています。それまでじっとしているよう、言い含められてもいます。基本的に、言いつけを守るつもりです。ですが……。


 いま、ドスッと床から聞こえました。察するに、なかなかの重量感がある存在のようで……えっ?



 リィーン  リーン  リィン



 足音らしき音とともに、耳慣れない甲高いものが響きました。うまく言い表せないけれど、小さな硬いものどうしがぶつかる音。研ぎ澄まされていて、わたしの魂ごと震わせてきます。

 思わず肩を抱きました。飲みこんできそうな感覚に、ただ目を見開くだけ。


 そうかと思いきやサッと軽やかな足音も混じってきました。どうやら、わたしのそばには複数いるようです。足音を聞く限り、おそらく、三名。正面と右と左からそれぞれ聞こえるから、わたしは囲まれているのでしょう。



 リィン  チリーン  リンッ



 ムダに抵抗する気はありません。お父様の言うところの『価値が下がる状態』になったとしても、わたしは死にたくはありませんから。もっといろんなことを知りたいのです。ささやかなことから、意外な新事実まで、古今東西、津々浦々。


 誰にも言ったことのない、わたしの願いなのです。



 リリン  チリッ  リィン



 この場から逃げ出すなんて選択肢もありません。羽根を広げて悠々と空を舞う種族だけど、わたしは飛べません。地面が、それどころかすぐ先が見えないわたし。飛び上がったとしても、高い確率で死が待ち受けています。

 周りが見えないのですから、そもそも駆け回るのも厳しいのです。動き回るような体力が備わっていないので、なおさらです。


「キみ、は……?」


 真上から降ってきたのは、抑揚のない、男性らしいバリトンボイス。知った声ではありません。初めて耳にします。

 通じるけれど、この言語に不慣れな感じの言葉づかいです。


 彼の目的は何でしょうか? 考えても、わたしにはわかりません。情報をとるには? 言葉を発しましょうか? 黙ったままでしょうか?


 ……しばらく、沈黙してみましょう。少し開いてしまっていた口をぎゅっと閉じます。

 うまく言い表せませんが、場に緊張感がないのです。もっと肌をやきそうな、ピリピリとした空気になっても不思議でないのに。彼らには、すくなくともわたしに対する害意がないようです。


「おいおーい。こっちが名乗らないと、彼女だって心を開くわけがないだろう?」


 もっともなセリフは左側から、ちょっと軽い声で紡がれました。よどみなのない、なじみの部族語で語りかけてきました。

 足音からして、体重もいちばん軽い存在。でも、声を聞く限りでは、少年というよりは、細身の青年なのでしょうね。


「タシかに、そうだナ。おまエカラ、かのじょニ、いっテくレ」

「はいよっ」


 気配から察するに、この場には最低三人います。そのうち、二人の男性が口を開いてくれました。一番の重量級は、存在をしっかり主張すれど、一言も発しません。不思議な感じです。


 彼らの言葉に耳を傾けて知ったこと。

 流暢(りゅうちょう)な部族語を話す男性は、もともとわたしの同胞なのだそうです。

 一族の閉塞感に我慢ならず、集落を飛び出したとのこと。癖のある厄介な部族語をここまで操るのですから、彼の話はうそではないでしょう。仮に詐欺だとしたら、彼の言語センスを褒めたいくらいですね。

 三人は出自や目的がまったく違うとのこと。互いにそれなりに心を開いて、ともに世界を駆け回っているのだとも、楽しそうに語ってくれました。


 正直なところ、わたしは彼らが気になって仕方がありません。外の世界を知る者たち。わたしが渇望するものの一端を見知ってきた者たちなのですから。


 目的や正体が何であれ、もう少し言葉を引き出したくなりました。

 それならば、わたしも何か話す必要があります。

 第一声は、非常に大切。彼らがひとしきり話し終えたところで、訪れた沈黙。ここで切り出すべきでしょう。


『……バリトンの彼は、どんな言語なら話しやすいのでしょうか?』


 精いっぱい、絞り出しました。過去に少しだけ習った公用語を。


 彼らを名前で呼びたいけれども、呼べません。話の流れで名乗ってくれたけれど、耳になじまなかったのです。だから、バリトンの彼のままなのです。

 その彼は、イントネーションを聞く限り、公用語を使っていそうな気がしたのです。


 心臓がばくばく激しく打ち鳴らしてきます。果たして、これでよかったのでしょうか? 緊張のあまり、指先が冷たくなっています。


『君……公用語が分かるのかい?』

『あまりうまく話せません。聞き取りならある程度は』


 思ったとおりです。部族語での片言がうそのように、伸びやかで美しい言葉が紡がれました。


「いやぁ、そいつの部族語よりはずっときれいさ。聞いていて心地いいねぇ。公用語の発音だけでなく、君の声自体も」


 耳がカッと熱くなりました。同胞の彼は、美しい声でなんという言葉を吐くのでしょう。

 彼みたいに美しく鳴く者の多いわたしの種族。その中で声は平凡のわたし。目の不自由さだけでなく、声すら褒められたこともないため、落ち着きません!



 ぐきるるるる  ぐぐっ  ぐうぅっ!



 大地の慟哭(どうこく)が聞こえたかと思ったら違ったようです。わたしの腹の虫。初対面の人の前で、このていたらく。恥ずかしいことこの上ありません。


『ス……スマナイ』


 ぎこちなさとはうらはらに、木々の間を風が抜けるような、じんわり染み渡る声。穏やかさが、わたしの羞恥心を一瞬で吹き飛ばしました。

 ずっと無言を貫いていた、三人目(寡黙な彼)のようですね。


『携帯食糧のこと、伝え忘れていた。君の目が見えないから、言わないと分からなかったんだよね』


 どうやら、わたしの目の不自由さは、初対面の人が見てわかることのようです。彼らの洞察力が、良い方だというのもあるかもしれません。


 「はい」とバリトンの彼から手渡されたのは、紙に覆われた何やら硬いものでした。ビリッと音が立つとともに、ふわりと香ばしい匂いが飢えたわたしの鼻を刺してきます。思わず上体を起こしました。


『食べながら話していいよ』


 彼の言葉が終わる前に、わたしはすでに固形物を口につっ込んでいました。まろやかな甘さが、口いっぱいに染み渡ります。こんなの食べたことありません、けれども、好みです! 常温にもかかわらず、過去に与えられたどんな食べ物よりも、おいしいです。


『いつもは黙っている男がね、珍しく騒いだんだ。君の心の声を拾ったとね。空腹をうったえるものと、外を知りたいって強い願いを聞いたって。だから、古ぼけた家屋に秘匿された君を見つけることができたんだよ』


 しっかりと噛みながら、バリトンをぼんやり聞いています。やはり、ここは古い家なのですね。以前いた場所に比べてすきま風が多いから、そんな気はしていました。


『そうだったのですね』

「ねぇ、君のその願い、俺たちと一緒にかなえてみないかい?」


 少し高めの声が紡ぎだしたのは、甘美な文句。

 彼らとともに、世界に繰り出して、いろいろなものに触れて……。


『無理ですよ』


 食べる手が止まります。

 これは、一時の夢。夢はしょせん夢にすぎません。わたしの現実ではありません。


『何が君にそう言わせるのかな?』

『わたしは、何もできませんから』


 目も見えない、飛ぶどころか一人でまともに動けないのです。そんなわたしに、何ができるというのでしょうか?


──誰かの夜伽(よとぎ)以外の。


 知らないふりをしていたけれど、わたしが将来、どのように扱われるのかは、見当がついていました。お父様はあいまいな言葉でわたしに期待を持たせていたけれど、それよりほかに何があるというのでしょうか?


『そんなことはない。君の瞳が、目の前にあるものをうまく映し出してくれないだけだよ。君の同胞たちは、君が何をみるのか、ちっとも気づかなかった。だから、おちこぼれだと決めつけて君にすり込んだ』


 低い公用語で紡がれます。わたしをするするとどこかに招くような文句。

 わたしがおちこぼれではなかったら。ずっと願ってきたことを、そうだと言う言葉に、迷いながらもつい耳を貸してしまいます。


『これでも、何もみえないと言うのかな、君は』


 温かいものが、わたしの手の甲に触れました。これは、人の手でしょうか?



 リィイン



 今までで一番近いところ、わたしの手のあたりから例の音が聞こえました。


「ぅわっ!」


 思わず悲鳴を上げてしまいました。音に浸る間が、わたしにはありません。何か大量の情報が、頭の中を巡ったからです。知らない匂い、音に混じって、映像も。

 ぼんやりと薄明るい世界ではないものが、わたしの脳裏に浮かびました。色まで明確に、シルエットの全貌がはっきりと。さわさわと揺れるものや、しとしとと降り注ぐもの。音と感覚で風に揺れる枝葉や、雨なのだとわかりました。

 小さくてまぶしいものが揺れると、動きにあわせてあの音が響きます。


 気になっていた音や匂いを、視覚で触れました。


 そのなかでも明るい中に暗く浮かぶものが二つ、わたしを捉えて離してくれません。と思えば、細くなっていきました。それとともに、下に動く暗いものの端がゆっくり釣り上がります。


 これって……もしかして、人の顔でしょうか? 多分、笑っているのですよね?



 リィン  リンッ



 近くで響く音と相まって、どうしてか、わたしの鼓動が激しくなります。血が沸騰しそうな、こんな感覚は知りません。

 手が震えて、気づけば食べものを落としてしまっていました。


 何かを映像として捉えたものの、わたしの目が見えるようになったわけではないようです。足もとにあるはずの落としものを見つけられないのですから。

 それなら、この情報は一体……?


『泣いてる。いきなりでつらかったかな?』


 手からぬくもりが離れ、わたしは心細くなりました。あたたかなものが膝を打ち、冷たくなったことで、わたしが泣いているのだと気づきました。

 彼の問いかけに答えるべく、頭を横に振ります。

 わけのわからない現象にただただ驚いただけです。


 それに、今までのつらさなんてあなたたちによって吹き飛ばされましたから。こんどは頭に、ぬくもりが優しく触れてくれます。その動きとともに、リィン、チリンと頭上から鳴る音。

 再びわたしの前に現れた映像とともに、わたしの心を浄化していきます。


「いいえ、ただ、少しびっくりしたのです」


 事実、驚いています。公用語で話すのを忘れるくらいには。

 でも、はじめて耳にした音に、懐かしさとやすらぎを見いだしています。おもわずこぼれた熱いものは、安堵(あんど)ゆえに。


『エイゾウガ ミエタカラ?』


 わたしは再び驚きました。それと同時に、寡黙な彼に、わたしの心が筒抜けになっていると悟りました。

 そういえば、わたしに気づいたのは彼だと説明を受けたのでしたっけ。


『君がみたのは、僕の未来だよ。君は、触れたものの未来がみえるんだ。僕は、目に留まった人がどんな能力を持っているかわかるから、君の能力を正しく把握できたけれど、ね』


 言われてみて気づきました。

 過去にこんな映像を見たことなんてありません。わたしが物心ついてから、誰かに直接触れられたことがないのですから。言葉を交わしたり、食事を受け取ったりはすれど、わたしのからだに触れたのは、わたし自身の手足くらいでした。


 同胞はだれも、彼らのようにぬくもりを与えてはくれず、わたしを見ようと、知ろうとしてくれませんでした。わたしに笑みを向けてくれたものがいたかどうかも、定かではありません。


 事実に気づかされた瞬間、わたしは決めました。彼らの言葉に乗ってみましょう。自ら何かを選び取ってみましょう、と。

 たとえこの先に、何が待ち受けていようとも、後悔はしません。


「目の色が変わったね。どうするかい?」

『よろしくおねがいします』

『こちらこそ』


 ここからいろいろ覚えていきました。

 彼らの名前はもちろん、小さく高く響いていたのが鈴というものの音だとも。血が沸き立つような気持ちの正体も。


 他にもたくさんあって、すべてを挙げられません。




 わたしが鈴の音を知ったとき。優しさに満ちた彼に触れられて、涙をこぼしたこと。

 今思えば、これがすべての始まりだったのでしょうね。

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