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目が覚めると、辺り一面ガソリンの匂いが立ち込めていた。
速水聡は光の手を握って瞑想でもするように目を閉じていた。
「一緒に死んでくれないか」
速水の台詞に、光は速水が自らガソリンをまいた事を悟った。
生き延びるためには逆上させてはいけないと思い、光は努めて優しく言った。
「事情を聞かせてもらえませんか?速水さんの事知りたいです。」
光の申し出に速水はとつとつと話し始めた。
難病を患い余命いくばくもないと宣告された事、Applemeetの撮影終了を待たずに逝く可能性が高い事、光に対して年甲斐もなく叶わぬ恋をしてしまった事、前途のある若者を巻き込んだ、自分の心の醜さ弱さを、泣きながら訴える速水に光も心を動かされた。
「だったら、映画の話は断ります。速水さんと残り僅かでも一緒に生きたいから。僕と一緒に生きてくれるでしょう?」
速水に同情した光は笑顔で速水に訴えかける。
速水は泣き崩れ「すまない」と繰り返した。
恋する相手からのこの上ない申し出に、速水は光に縋り付いて子供のように泣いた。
「ここを出ましょう。ねっ」
光の笑顔に引きずられるようにして、速水はとぼとぼと寝室を出た。
速水はつきものが落ちたように清掃会社に電話して、「部屋にガソリンをこぼした。秘密裡かつ迅速に部屋を清掃してほしい。お金で済むならいくらでも出す」と早口で言った。
特殊清掃の会社から8名のベテラン清掃員が到着して、処理が終わるまで寝室を含めた部屋は立ち入り禁止になった。
しばらくの間速水はホテル暮らしになり、家政婦の野村には臨時休暇と口止め料を含めて数十万円が手渡された。
光は速水についてホテルに行き、速水が落ち着いたのを見計らって、ヴァルガス監督に直接会って辞退を申し出た。
ヴァルガス監督は事情を聴きたいと言い、光は速水の名は伏せて事情を懸命に説明した。
ヴァルガス監督は暫し考え込むようにしていたが、「そういう事なら待つ」と言う。
ますます君は修一役にふさわしいと言って、ヴァルガス監督は光を抱きしめてくれた。
光は張りつめていた糸がぷっつり切れたように、ワアワア声をあげて泣いた。
それを受け止めるように優しく背中を撫でて、光が泣き終えるまでヴァルガス監督は光を支えてくれた。
この事件を経て絆が深まった二人は再会を約束して、ヴァルガス監督はアメリカに帰国した。
特殊清掃の終わった速水の部屋へ、速水と光は二人で帰った。
速水は「死ぬまでに行きたい絶景100選」とか「死ぬ前にしたい100のこと」という書籍を何冊か買い込んでいて、光はそれにつきあって一緒に「したいことリスト」を埋めていった。
速水は改めて光に謝罪すると、頬を染めてデートしてほしいと言った。
光は笑顔でうなずいて、速水の好きなようにさせてあげようと思った。
来る日も来る日も、三ツ星レストランに食事に行ったり、ブランドショップでお揃いの指輪やアクセサリをあつらえたり、週末を利用して温泉に泊まったり、贅沢の水で洗われて光は一際綺麗になった。
光が学校に登校中は、速水は光に着せるドレスや服をデザインし、スタッフに制作させていた。
弁護士に遺言状を作成させ、それは全財産を光に相続させるという内容のものだった。
光は速水邸に向かう途中、ふと池袋の街中で立ち止まった、
光が鬼塚涼介と初めて出会った場所。
『これで良かったんですよね。鬼塚さん。』
声にならない声でつぶやいた。
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