プロローグ
2XXX年、東京都は世界に先駆けてアルファ地区と呼ばれる実験都市に選出された。
アルファ地区内の中学生以上の住民は成績順にアルファベットのついた認証バッジを付与され、最優秀成績者であるAAAには未成年者であっても、成人同様の権利(選挙権・婚姻権・飲酒喫煙権・ポルノの視聴権等)に加え、アルファ地区内限定で使える通貨1億アルファ(日本円で1億円相当)の年収を約束されていた。
学校と都市が一体化したアルファ地区では、教室を一歩出るとそこはストリートだ。
教室から別の教室に移動する際には一般道を通る。
光の通学する池袋では、路上でパフォーマンスを披露する者、アクセサリーを売る露店、色鮮やかなストリートファッションに身を包む人の群れが雑多なエネルギーを醸し出している。
光は足早に昼食を調達しにトルコ料理の屋台へ向かう。
大好物のケバブを首尾よくゲットして光がほくほくで歩いていると、AAAの俳優でクラブDJ鬼塚涼介がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
今日はついてる!光は小躍りするような気持ちで涼介の姿を目で追った。
抜けるように白い肌、淡い金髪に染めたウェービーヘア、英語の書かれたゆったりとした白のTシャツに、オレンジと黒の幾何学模様のハーフパンツ、それにシルバーアクセサリを身に着けていた。
あまりにもしげしげと見つめていたのだろう。
涼介は光と目が合うとニコリと笑顔でこう言った。
「サイン?それとも握手?」
光のようなコドモの扱いに慣れているらしく、涼介は実に気さくに光に声をかけてくれた。
「あ、握手お願いします。」
光が上がり気味にあたふたと右手を差し出すと、涼介は躊躇なく手を握ってくれた。
涼介は思いのほか体温が高い。
光が夢見ごこちで全神経を触れている手に集中させていると、涼介はもう片方の手で包み込むように光の手を握り、ぶんぶんと手を揺らした。
あっけにとられて、光がぽかーんとしていると、涼介は「寺門光くん、またね」そう言い残して去っていった。
何で名前を知られているのかわけがわからない。
光は混乱する頭で、涼介の背中を見送った。
鬼塚涼介の名を聞くと人々は様々な反応を示す。
俳優としての力量は認められているものの、言動が危なっかしい人物としても知られている。
その一番の要因はマンションの高層階から転落して、無事だった事件が挙げられるだろう。
もう一つは医療用大麻を肯定する言動を公にしていて、マンション転落事件もクスリをやっていたのではと、一部では囁かれている。
だが運び込まれた病院ではクスリの反応は出なかった様で、その後逮捕されることもなかったため、その噂は立ち消えになった。
とすると、自殺未遂だった疑惑が浮上するも、涼介本人はマンション転落時の事は覚えていないし、自分は死にたいと思ったことはないと否定している。
自殺説の要因は、涼介の当時の妻が結婚前に風俗勤めをしていた時の写真が、週刊誌にすっぱ抜かれた件が挙げられる。
子供も生まれており、ハイハイする子供を見ていて、発作的に転落したのが実情のようだ。
助走をつけて飛び降りたため、マンションのフェンスに当たり、衝撃が和らいでいたことと、落下した地点が芝生であった事から命を取り留めた。
涼介が頑として自殺説を否定する裏側には、それを認めてしまえば、妻子を含めて傷つく人間がいるからだろうと光は考えた。
生き延びてしまったからには、人として男として貫き通さねばならない、筋というものがあったのではないかと思うのだ。
順風満帆だった鬼塚涼介の俳優人生に陰りが出たのは、転落事件以降だった。
今ならどんなふざけた役でもやるだろうと、言わんばかりの役ばかり舞い込んだ。
涼介は歯を食いしばってそれらの役を断った。
テレビの仕事から退き、映画を中心に活動し、クラブDJとして活動し始めたのもこの頃からだった。
俳優としての残影を引きずりつつ、クラブDJとして活躍する涼介の姿を動画サイトで見て、光は憧れを募らせるようになった。
その涼介が折からアメリカで数多くのオーディションを受けていたのが実を結び、ハリウッド映画の重要な役を獲得し、みごと演じて見せた事で、国内での評価も一転した。
涼介がAAAに選ばれたのだ。
もともとクレバーな人物だったが、挫折を知った涼介は、輪をかけて自身を熟成させていた。
まるで地を這うような、遅れてきた下住み時代は着実に彼を成長させていたのだ。
一回の離婚と再婚を経て、二児の父でもある涼介は懐が深い。
涼介は自身を時代遅れの役者と称するが、一周回って旬の役者になりつつあった。
一方、本作の主人公・寺門光は、平凡なサラリーマンの父と地方公務員の母を持つ十五歳の中学生で、兄弟はおらず一人っ子だ。
CCCという平凡な成績で、これといって突出した才能があるわけでもない。
アルファ地区に住んでいることを除けば、どこにでもいる中学生の少年だ。
本来出会うはずのない二人が出会ったのには、少々込み入った事情がある。
元々、成績順に人を選別するというシステムそのものへの世論の批判があり、それでは心の知能指数EQ(Emotional Intelligence Quotient)も採用しようという話になった。
EQのテストだとは告げずにテストを行い、成績上位者には特待生として、AAAと同様の特権を与えることになったのだ。
AAAと特待生を接近させる事で、相互にどのような影響が生まれるのかという実験でもあった。
鬼塚涼介と寺門光のファーストコンタクトは、こうして仕組まれた。