これからの君へ~ポケット一杯のワン・シーン
これからの君へ~ポケット一杯のワン・シーン
おやつのビスケットを小さな右手にしっかり握りしめたまま、麗
らかな日差しの毛布に包まれて、君は一心不乱に眠りこんでいる。
口元がビスケットの食べかすとよだれで汚れているけれど、それは
許そう。なんてたって、今は春だ。土手の桜並木の桜が咲き誇る特
別な一週間。川だって金色に光りながら嬉しそうにさざめいている。
一枚の桜の花が舞い落ちてきて君の額に張り付いた。僕は読みか
けの本をシートに伏せ、花びらをそっととり、口元もぬぐってあげ
る。ついでにほっぺを軽く突く。うそのように柔らかくて温かい感
触に、思わず笑みがこぼれる。
僕は今、リチャード・フォティの『生命四十億年の歴史』を読ん
でいる。この本によると、生命は、飛行機の部品の山に風が吹き付
けたら飛行機が完成していたというくらいの偶然によって誕生した
そうなんだ。信じられるかい? 四十億年という気が遠くなるよう
な昔から綿々と続く生命の轍の先に僕が居て、そして君がいるんだ。
そのことが僕にはとてつもなく不思議なことに思える。そして、な
ぜだかこの世界に感謝と祈りを捧げたくなるんだ。
これから君はどんな人生を歩んでいくのだろう。将来何になるの
かな。君は元気だからアクションスターかな、マイケル・ディヴィ
アスのようなジャズ奏者なんてどうだろう、スペースシャトルに乗
って宇宙を駆け巡る宇宙飛行士・・・・。
いやいや、まだ早すぎるよね。
君が大きくなる頃、世界がどんな時代になっているか、僕にはわ
からない。それでもいずれ君は、恋の歌を歌うことを覚え、そして
共に歌を歌ってくれる人と出会うだろう。そして、奇跡を授かるだ
ろう。
その日が来るまで僕は、君の歩く道に道標をつけてあげよう。君
に洋々たる前途が開けることを願いながら。
終