二の生~歩~
”しまほっけ一丁で~す”
”あいよ!”
ガヤガヤガヤ___。
「お客様、お飲み物の追加はいかがですか?」
「あっ、俺は同じ物で。お前は?」
ハッ……。
「え?」
突然、脇腹をつつかれて……我に返った。
えっ? なに?
「お前は何にする?」
飲むって……? え? 何を?
俺は何してるんだ?
よく見ると、目の前の小さなテーブルには、酒と食べ物が所狭しと並んでいる。
ここは……どこだ?
寝てた…のか?
いや……俺は普通に……椅子に座ってテーブルに肘をついている。
「おい!」
隣りに座っている男が、もう一度脇腹を軽くつついた。
「え?」
「飲み物だよ。ビールでいいのか?」
「え? あ、あぁ……」
「じゃ、ビール二つねぇ」
「はい。ありがとうございます」
女店員はそう言うと、レシートを持ち上げ注文を書込んでから、二枚重ねになっている上の方の紙をちぎり、軽く頭を下げて去って行った。
居酒屋……。
「どうした一条ぉ。酔ったのかぁ?」
「あ? あぁ……い……や」
「マジかぁ? まだ一杯目だぞ」
「そ、そうか……」
酔いが回ってついウトウトし、一瞬意識が飛んだのかと思ったんだが、そうでもないのか……。
状況から見て、友達と飲みにきて一杯目を飲み干し、一息ついたところ……という態のようだ。
いや……。そもそも、それ以前俺は何をしていたんだ?
俺は薄暗い店内に目を凝らした。
ここは……。
以前通っていた大学の近くにある……居酒屋?
他のテーブルを見ると、多勢の学生(?)達が思い思いに飲んで騒いでいる光景が目に映った。
”ふぅー”
俺が目の前の光景に目を凝らしていると、隣りに座っている男がタバコの煙を吹きかけてきた。
俺は顔をしかめながら煙を手のひらで払い、男に向き直った。
男は、
「何だ一条。 お前、あんな子が好みか?」
と言い、下卑た笑いを浮かべながら灰皿にタバコを押し付けている。
「……。」
「優香みたいな可愛い彼女がいるくせに、余所見なんかしやがって」
「優香?」
「おいおい、何が”優香?”だよ、白々しいぞ。じゃ、あれか? 別行動の時は一人者気取りってやつか?」
「い、いや……そういう訳じゃ……」
何だ? 何が起きた?
「で? この間の会社訪問どうだったんだ? 手応えありか? ま、お前は堅い仕事に向いてるからな。別に人間が堅いって言ってる訳じゃないぞ。ま、あれだ……」
隣りに座っている男が、馴れ馴れしくペラペラと俺のことを語りだした。
会社訪問?
男の話を一方的に聞いてはいるが、たしかに男が話す内容に間違いはない。
だが、それは……。
うーん、何がなんだか訳が分からない。
男が矢継ぎ早に話しかけてくるおかげで、頭の中を整理することができない。
で、お前はいったい誰だ?
俺は横目で隣りの男の顔をそっと確認した。
ひっ!
お、お……大崎!?
あまりの驚きに思わず立ち上がりそうになったが、どうにか堪えた。
俺は夢を見ているのか?
にしても……リアル過ぎる。
「ん? どうした? 豆鉄砲くらったみたいな顔して……」
た、確かにそんな気分だ。
何で……お前がここにいる。
ってか、俺は何で?
恐る恐る、声をかけてみる……。
「なぁ、大崎……」
だよな……?
「あ? なんだ?」
やっぱり、そうか……。
「いや……。えっと……」
俺が言葉に詰まっていると店の扉が開き、髪の長い……遠目でも可愛いと分かる女子が、入り口に立ち店内をグルッと見渡した。
そして、お目当てを見つけたのだろう、素晴らしい笑顔を浮かべると歩きだす。
俺達に向かって……。
「あゆむ~。もう、やっぱりここにいた。一緒に本屋寄りたかったのに、さっさとどっかに行っちゃうんだからぁ」
「よっ! 悪いな優香。今日は男同士、大事な話があってな」
「大崎には訊いてないぃぃ」
彼女はそう言いながら、腰に手をあて大崎に向かい、口を思いっ切り”い”の形に広げた。
優香……。
「で? まさか、今からコイツをさらっていくんじゃないだろうなぁ」
「そんな野暮な事しないわよ。それに、行く行かないはあゆむが決めることよ」
「ちぇっ、何だよ。エラく強気じゃんか」
「そう? そう聞こえたのなら、それでいいけど? 私には”強気”の意味がサッパリ」
優香は言いながら両手を広げ、肩を竦めた。
「へいへい、わかったから早く座れ。一杯奢ってやるよ」
「やった!」
「言っておくぞ! 一杯だけだからな!」
ちょ、ちょっと待て……。状況に頭がついていかない。
なんで彼女が俺の前にいるんだ?
優香……。大学時代の彼女……。
卒業後、俺は大崎の言う”お堅い”ところの会計事務所に就職し、彼女は大手企業に就職した。
一年くらい経った頃『好きな人ができたの』って言われて……フラれたよな? 俺。
それから二ヶ月程して、同じ企業に勤めているエリートと結婚した。
別れて二ヶ月って、どんなんだよ。式場の予約とか招待状とか……。
そういうのって、一年以上前から計画するもんだろ。
教会で式を挙げて、そんでもってキッチリ披露宴までしやがった。
あの男と俺は、どんなけ被ってたんだ?
って、腹が立ったというか……情けなかった。
後から聞いた話では、女子の友人のうち何人かは出席していたとか。
俺だけが知らなかったってか?
何にしても、俺には苦い思い出だ。
「おい! 一条。どうした? ネボケてんのか? それとも、突然の彼女登場に焦ったか?」
「焦るって何が?」
彼女はネキョトンとした顔をして俺の方を見た。
「あははは、コイツさ……」
大崎はテーブルに両肘をつくと、意味ありげに上目遣いで優香を見た。
「おい、やめろよ」
俺は大崎を遮った。
大崎は薄ら笑いを浮かべ、スッと片眉を上げると、
「あは、うそうそ。やっぱ、かぁちゃんが怖いってか?」
と、チラッと俺を横目で見て、素早くウィンクした。
その様子を見ていた優香が、少しムクれた顔して言う。
「いやぁねぇ。何なの二人ともぉ」
「あはは、何でもないよ」
「うそ! かぁちゃんって何よ」
「はは、優香ちゃん食いつくとこそこ?」
「じゃ、どこよ」
いや、食いつきどころは合っている。
だが、それが問題ではない。
分からない……。
俺は二人の会話を他所に、脇腹をつつかれて気づくまでの事を必死で思い出そうとした。
このままでは居心地が悪過ぎる。
すると、不意に電柱が浮かんだ。
電信柱?
道端に立っている何の変哲もない電信柱……。
だが、思い浮かんだのは、歩いている時の目線にある箇所ではなく、そのずっと上の電線が絡まっている辺り……そう、クロージャ。
クロージャ? クロージャって何だ?
突然頭の中に飛びこんできた単語の意味を考える。
クロ―ジャ……。ドロップ……。スプリッ……タ。
そ、そうだ……俺は、さっきまでバケット車に乗って電柱で作業してた。
それから……なぜか車止めが外れて……。
「――ぅわ!!」
突然、破裂音が聞こえバケット車が転倒するシーンが頭の中に浮かんだ__。
耳の奥に弾かれたような痛みを感じ、思わず耳に手を当てテーブルに蹲った。
「どうした! 一条!」
すると、いきなり走馬灯のように過去の記憶が蘇る__。
多分、目覚めてから今まで、脳は目の前の状況を把握することだけに集中していたのだろう。
作業中の事が頭に浮かんだ瞬間、あらゆる情報がコマ切れの映像とともに物凄い勢いで流れ込んできた。
え……。
もしかして、俺は死んだのか?
「大丈夫か? いきなりどうしたんだよ」
「俺は……俺は。あ、いや、すまん。ちょっと……」
「ちょっと?」
大崎に向き直った俺の目に、驚きの表情を浮かべた二人の顔がまともに映った。
これは、夢じゃない。
「あ……気にしなくていい」
俺は平静を装い立ち上がった。
「おい! どこ行くんだよ」
「え? あ? どこだろう……」
「あゆ……む?」
優香が、心配そうな顔をして俺を見上げている。
「ト、トイレだ」
そう言って、取り敢えずその場を離れた。
トイレの鏡に映った、自分が覚えているより少し若い顔を見つめながら、現実では絶対考えられない事を口に出してみた。
「もしかして、生きかえってる? 俺……」
時間を遡って__。
自分でも馬鹿な事を言っているのは分かっている。
分かっているが……。
じゃ、これはどう説明されるんだ?
手洗いの水でジャバジャバと顔を洗うと、少し水を含み口の中の粘りをすすいだ。
ふぅ、とにかく今は口数を少なくしてやり過ごすしかない。
席に戻ると、二人は心配そうに俺の顔を伺った。
「どうだ? 一条、大丈夫か?」
「あ? あぁ、すまん。大丈夫だ」
「あゆむ、ちゃんと寝てる? レポート進まないって言ってたけど……」
「あ? いや、大丈夫。進んでるよ」
「そう? ならいいんだけど」
それから小一時間程して、俺達は店を出た。
って、俺は今からどこに帰ればいいんだ?
二人と別れた俺は街中を少し歩き回った。
ポケットに手を入れると、部屋のカギがあった。
独り暮らしの部屋__。
大学に入学してからすぐに一人暮らしを始めた。もちろんバイトをしながら。
仕送りをしてくれる親の負担を少しでも軽くしたかったからな。
ってか、今日は何年の何月何日なんだ?
行き当たったコンビニに入って新聞の日付を見た。
199○年5月29日__。
約20年前……。
そっか……、だよな。
大崎が言ってた会社訪問……。
”3回生からやっといた方が良いらしい。先輩がそう言ってた”
俺は、少しでも親に負担を掛けたくなかったので、すぐさま行動に移した。
だが結果は芳しくなく、焦りだけが積るなか4回生になった。
人より早く行動しているにも拘らず結果を生み出せない自分に嫌気がさしていた。
もうこの頃は、周りの学生殆どが就活を始めていて、結局俺は皆と同じスタートラインに立った。
そう言えば今日の飲み会は、そんな俺を思って大崎が誘ってくれた場だったように思う。
記憶を辿りつつ、昔の部屋の前に立つと変な感覚に襲われた。
自分が自分でないような、宙に浮いたような、背筋がゾクッとしてしばらくそこから動くことができなかった。
深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す……。
ポケットから鍵を取りだし、鍵穴に挿し込み回すとカチッと音がして扉は開いた。
懐かしい部屋……。
殆ど物がなく、閑散とした部屋。
〝私はコタツ派だよ”
優香はそう言ってホットカーペットに座り、自分と俺の膝に毛布を被せた。
〝ホントいつ来てもなにもないね、あゆむは片付けの天才?”
〝そんなんじゃないよ。出したら元あったところに戻してるだけ”
〝う~ん。そう言われれば簡単なように聞こえるんだけどさぁ”
頭を傾け、舌の先をチロッとのぞかせてテヘッっと笑う可愛い優香。
彼女との思い出がこの部屋には沢山ある。
だが俺にとって一番懐かしい場所は、チィちゃんと過ごしたあの部屋だ。
突然、掻き毟られるような痛みが胸を襲った。
耐えきれなくなった俺はその場に膝から崩れ落ち、床に頭を押し付けて泣いた。
チィちゃんが死んで一年以上、俺は死んだも同然の精神状態だった。
会社の同僚達のおかげで何とか立ち直ることはできたが、胸の痛みとポッカリ空いてしまった穴を塞ぐまではいかなかった。
その苦しかった思いが蘇る。
再び、壮絶な悲しみと、遣り切れなさと、寂しさが押し寄せてきた。
チィちゃんに会いたい__。
彼女を失ったとき……、いやそれ以上に切望した。
翌朝、身震いしながら窓から差し込む朝日の眩しさに目が覚めた。
どうやら床に寝ころんだまま眠ってしまったようだ。
というか、寝ていた気がしない。
繰り返し見る夢に何度も目が覚めた。
机の上に目をやると、時計は8時を10分程過ぎたところだった。
硬い床に寝ていたせいか、体中がガチガチに痛い。
首を回すと、ゴキゴキと音がした。
膝を立て、手を添え勢いをつけて立ち上がる。
「イテッ……」
腰の辺りに重い痛みが走った。
痛む体を引き摺りながら洗面所に向かい、トイレで用を足したあと歯を磨いた。
鏡に映る少し若い自分の顔を眺めながら、俺は決めた。
チィちゃんを探そう__。