二の生__圭太。
耳を劈くほどの大音響の中、足元もおぼつかない暗闇にも目は慣れた。
クルクルの前髪を茶髪し、わけのわからないチェーンを首に巻き付け、人影から顔だけを出したり引っ込めたりキョドりまくりの彼を見つけた。
圭太!
……ったく、どんなけビビってんだよ。
けど、それは私も同じ立場で人の事を言えた義理ではない。
とにかく……。
やった! 圭太……だ。 圭太だ、圭太だ、圭太だ、圭太だぁ!
よかった……。
もう……ひとりぼっちじゃない。
よかった……よかった……よかった……。
「ん? 知世、アンタ泣いてんの?」
「え?」
友達にそう言われ、慌てて頬を撫でた。
分かっている、あまりの懐かしさと嬉しさに涙が溢れたのは知っている。
だけど、見ていたかった。あの懐かしい姿から、目を離すのが嫌だった。
少しでも目を逸らすと、圭太が消えてしまいそうで怖かった。
「あっぶなかったねぇ。あそこに座ってた子達、補導てかれたみたいよ」
「ちょっとぉ。もう帰るべぇ」
「大丈夫っしょぉ。あんなの見せしめみたいなもんだからぁさ。あのオッチャン達が戻ってくることないべ?」
「だよなぁ。もうちょっと遊ぶべ?」
友達のそんな会話を耳にしながら、私は席を立つ。
「知世ぇ。帰るのぉ?」
「いや……、ちょっと……ベンジョ」
「キャーハハ。女の子は『お手洗い』って、言いなさ~い」
圭太を捕まえなきゃ……。
アイツは来週に私に声を掛けてくる。
だけど、今回補導された中に私はいない。
それなら、こっちから声を掛けるしかない。先手を打たなければ__。
―――――ドン!!
「キャッ!」
「うわぁ」
ヘタな芝居だが……暗闇の中はぶつかり放題。
きっかけは腐るほどある。
「ごめんなさい。大丈夫だったぁ?」
「え? あ、あぁ、大丈夫だよ。キミこそ大丈夫?」
「うん。エヘヘヘ、ちょっと隠れててさぁ」
「え? かくれんぼ?」
「違うよぉ。ホラ、パクられてた……」
「あぁ、ヤバかったよなぁ。俺もヒヤヒヤしたぜぇ」
「え~! アンタもぉ? そうは見えないんだけどぉ?」
「あ~。俺、17。ギリだけど高校だから……ヤバイ」
「じゃぁ、タメじゃん! あぶなかったねぇ、お互いぃ」
「マジ? しぇ~、助かったよなぁ」
「ホ~ントぉ」
オシ! 掴みはオッケー!
圭太と私はお互いの無事を喜び合い、連絡先を交換して別れた。家電だけど……。
よし! これで、オーケー、オーケー。
あとは……、たしか、圭太から連絡があったハズ。
いつ頃だったかなぁ? あの時は、あんまり興味がなかったからなぁ。
待つしかないか……。
3週間後__。
遅~い!!
何やっとんじゃい! あのアホはぁ?
前もこんな長いこと連絡なかったのかなぁ?
そう思いながら、来る日も来る日も学校から早く帰っては、電話の前にちょこんと座っている私……クスン。
おかげで、忠犬ハチ公の気持ちが分かるよう気がしてきた。
“ご主人しゃま~、私はここにいますよぉ”
RRRR・・・RRRR・・・RRR
――――ガチャッ。
「はい、もしもし沢田です」
「あ、沢田さんのお宅ですか?」
圭太だ……。
あの時圭太は、まず女の子に電話させてきた。
家電って、これが難儀なのよねぇ。
最初にお父さんが電話に出たら『間違えました……』なんて、切るときもあった。
「知世さんいらっしゃいますか?」
「わたしですが……」
「あ、ちょっと待ってね」
やっぱり……。
「もしもし? 俺、圭太。覚えてる?」
「うん。覚えてるよ」
「やりぃ~!」
こっちも、やりぃ~だわさ。
あぁやっと、あの世界と繋がれる。本当には繋がっていないのだろうけど……。
でも、これからは圭太と、も少しあとで出会うタカシと、同じ時間を過ごすことができるんだ。
あの世界と同じように……。もう、寂しいと思わなくていいんだ……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
この時代、やっぱ連絡網が不自由で……圭太と会ったは半年で4回くらいだった。
話題もつまらないものばかりで、学校の友達がとか、流行りのディスコがとか……。
イライラするほど音楽の事やバンドに興味があるとかの話にはならない。
これから先、本当にタカシに会えるのか不安になった。
ま、私の記憶だってあやふやだったから、圭太に出会えたことだけでも結果オーライな感じなんだけど……。
ある日、あまりの焦りから__。
『ねぇ、ねぇ、圭太の友達にタカシって子いる?」
なとど、先走ってしまい、
『誰だ? それ』
って、返されて死にそうになった。
えぇー! 学校の友達とかじゃないのぉー?
どうすんのよぉ。私達、卒業してすぐくらいにバンド組むんだよぉ。
それじゃ、間に合わないじゃない!
ん? 間に合う?
私は、いったい何に間に合わせようとしていたんだろう?
圭太がいることでタカシは絶対に入ってくると思ってるだけで……。
分からない……。 ただ、不安なだけで何もわからない。
タカシが必要? 本当に必要?
それは私の……ただの欲?
結局それから1年……タカシの“タ”の字も見つからないまま時が過ぎた。
高校を卒業し、私はめでたく“フリーター”になった。
圭太は音楽に興味がある訳でもなく、小さい頃に嫌々習わされていたピアノなんか見たくもないと言い、私が思い描いていた以前の世界の再現は夢の果てに散ってしまった。
所詮、こんなものなんだ。
前の世界のときだって、私は自分から何かをしよう、起こそうなんて考えた事はなかった。
圭太と知り合ったから、タカシが音楽をしていたから、たまたまどこかのイベント会場で歌を歌っただけ……。
ただ時間に流されて、人に背中を押されて……すべてが受け身で生きていた。
目標とか、やりたい事とか、ましてや何かに期待したり希望に胸膨らませてなんて、私には無縁だった。
今さら、何かを欲するなんて……笑っちゃう。
ただ自分が以前の世界と同じパターンで生きる為に、駒を揃えようとしているだけだ。
駒……。それは人……なんだ。
アハハハ……傲慢だわ。傲慢にして強欲__。
でも、でも、諦められないんだよう!!
だって、だって、嫌なんだ。
36才の私が中坊相手にして、成績ガタ落ちで、グータラした女子高生とつるんで、親の顔色見ながらチマチマと生きているなんて嫌なんだよぉ。
自分が生まれ変わってるなんて誰にも言えないから、人に合わせてその年代に合わせてきた。
そこに自分なんてなかったんだ、以前の世界の自分の方がまだマシだった。
受け身のように生きていたけど、瞬間、瞬間で選択していた。
自分で選んで、自分で決めたときだってあったんだ。
けど、今はない……何もない。
それが、堪らなく嫌なんだよぉ。
考えろ! 思い出せ! あの時、何を選んで何を決めたのか。
傲慢でもいい、強欲でもいい!
私は今ここで、あの時を取り戻すんだ!
ん? イベント会場?
圭太とタカシ、3人で何かのイベントに足を運んだ。
たしか、タカシが皆を誘ったように思う……。
が、問題は何のイベントだったのかだ。
あの時……。イベントに行く前に……どこかに寄った気がする。
どこだ? どこへ行ってたんだろう。
微かな記憶を必死で辿っている時、圭太が電話してきた。
「お~い! 知世、競馬行かねぇかぁ?」
「競馬?」
「おぅ! 先輩に誘われた。けど、その先輩ちょっと苦手でさぁ。競馬には興味あるから行きたいしぃ」
「なにそれぇ、断ればいいじゃん。私ゃ、肝と財布の口が小さい男は嫌いだよ」
「そうはいかないってぇ。今のバイトの口、世話してもらったんだから」
「バッカじゃないのぉ」
競馬……? そうだ、競馬だ!
思い出した! 競馬に行ったんだ。
「い、行こう! 圭太、競馬、行く!」
「な、なんだぁ? いきなり、どうしたぁ?」
「競馬だよ、圭太! 絶対、行く!」
思い出したぁ! よっしぁ~、もらったぁ!!
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……。
生まれ変わって、約5年。
これまでにこんな好機はなかった。
いや、圭太を見つけたのはかなりデカイ収穫だったけど。
けれど今、向かっている競馬場にはもっとデカイ収穫が待っている!
そう……あの世界でも競馬場へ行った。私の20才の誕生日のすぐ後だ。
どんな経緯だったかは忘れてしまったけれど、あの時はタカシがいた……。
今、彼がいないことが、これから起きることになんらかの影響を与えるのか、そうでないのかは分からない。
けれど、行く価値はある!
待っててね~、お馬ちゃ~ん。
「圭太ぁ!」
「おう! 知世、こっちだぁ」
待ち合わせ場所に行くと、圭太の横にヒョロっとした背の高い男の人が立っていた。
私はペコッと頭を下げ、元気よく挨拶した。
「こんにちは! 初めまして」
圭太とその先輩が面食らっている。
それもそのはず、私は圭太にでさえこんな笑顔を見せた事がない……と、思う。
ウッシッシッシ~。
これが笑わずにいられるかっての!
でも、圭太たちには言えないのがつら~い!
まさに今、これから起きようとしていることに、私の胸はバックンバックンで、踊り出しそうだった。
いや踊れと言われれば、きっと私は踊っただろう。ブレイクダンスでも、ランバダでも__。
もしかしたら、圭太の目にはもう踊っている私が見えていたかも知れないくらい、私は興奮していた。
「アハ、キミ元気いいなぁ。いつもそんな感じ?」
そんな、超ゴキゲンな私を見たヒョロっと先輩は、今にも吹き出しそうだ。
「そんなことないッスよ。コイツ、女のくせに無愛想で……」
「おい! 女のクセにって発言はセクハラだよ! 圭太、ダッセ~」
「セクハラ?」
「セクシャルハラスメントじゃん。知らないの?」
「知らん」
うっ……。
そうなのか?
「ハハハ、キミって面白いねぇ。博打に女は禁物って言うけど、キミになら一口乗ってもいいかなぁ」
来ったぁ~! このセリフ。
『知世の好きな数字言えよ。俺、買うからさ』
あの時、タカシがそう言った。
これって同じ意味だよね♡
さぁ頼むよぉ、お馬ちゃ~ん!
競馬場に着くと、先輩が新聞を渡してくれた。
私は必死で探した。
第5レース 2枠 “アテナジムニー”
あ、あった!
新聞を持つ手が、ブルブル震える__。
「ヤバイよ……圭太! 私、この馬に5000円!」
うりゃ~! あり金全部、持ってけぇ!
「はぁ? 何言ってんだ? ヤバイのに買うのかよ、それも5000円って。お前のオツムがヤバいよ、初心者なんだから100円にしとけ」
「いや! 私は、これしか買わない、だから5000円でいい!」
「おいおい、知世ちゃん、この馬は……あんまり見込み無いよ?」
「いいんです! 2-8。よろしく! 負けたら……それまでってことで!」
「アハハハハ! 君、気合入ってんねぇ」
「あ? あ……ははは」
グゥ……。
ダメダメ! 土壇場で逃げ腰になるクセ……。
最後まで自分を信じるんだ!
「へいへい、分かったよ。負けても知らんぞ? 俺、金もってねぇし貸さないぞ」
「いいよ! そんな事考えてないよ! 電車賃は残してるから大丈夫」
「チェ……」
圭太は、私に言われた通りの馬券をしぶしぶ買いに行った。
当時、競馬に興味がなかった私は、馬がスタートしたことさえ知らなかった。
スタンドの椅子に座ってマンガを読んでいたら、突然タカシが立ち上がり目を丸くして私を指さした。
『何? どうしたの?』
『は、は、入っ……た。知……世、お前、スゲェ」
『そうなの? よかったね。で? いくら買ったの?」
『100円……』
『なんだよぉ。ショボショボじゃん、信用してなかったから100円なんだろ?』
『あぁ、で、でも、可能性はあったんだ。だから、俺は捨てなかったんだ。俺……スゴイ』
『なんだよそれ。自分ホメてるだけじゃん。で? いくらになるの?』
タカシは、ごくりと唾をのみ込み……。
『に、にまん……はっせんえん。万馬券だ』
と、言った。
『は? 100円が28000円? って、ことは……何で1000円買わなかったんだよ!』
『だから、可能性が薄かったって言ってんだろ!』
あははは……。
まったく、私って強欲だな。前の世界でも、今の世界でも……。
でも、これは一つの賭けなんだ。
この先、私の人生に以前の世界で起きた事が通用するのかどうかの賭け__。
この結果によって、この先勝ち続けられるかどうか見極めるんだ。
“各馬ゲートに入りました!”
―――――ガシャンッ!!!
ゲートが開き、一斉に馬が飛び出した。
「ど、どれ? 私の馬はどの馬?」
「ピンクだよ。けど、枠だから……これと、これ……」
あぁ! そんなのいきなり分かんない!
勝ってるの? 負けてるの? 先頭に走っている馬は私の馬?
あーー! 追い越されたぁ。追い越した方が私の馬なの? 追い越された方?
どこが、ゴールなの? ゴールテープなんて張ってないじゃん!
私は圭太の袖がちぎれるぐらいに引っ張りながら、身を乗り出して食い入るように駆け抜ける馬を追った。
―――ワァァァー!!
急に、もの凄い歓声が沸き上がた。
あちこちで、空に向かって放り投げられた馬券が、ひらひらと花吹雪のように舞っている。
終わったんだ! レースが……。勝負がついたんだ。
どっち? 勝った? 負けた?
「け、圭……」
「ウォー!! や、や、やったぜ、知世!! お、お、お前、スゲェ!!!」
圭太は興奮のあまり、私の背中をバンバン叩いた。
「い、痛いよ圭太。自分の頭叩いてよ!」
「知世ちゃん! す、凄いよ、大勝ちだ! こ、こんなの初めてだよ!!」
満面笑みを浮かべたヒョロ先輩が、両手を差出し握手を求めてきた。
や、やった……? 勝った?
これからの運命を賭けたこの一戦に、私が勝った?
大興奮状態の先輩と圭太を横目で見ていると、目の前の電光掲示板に配当が掲示された。
2-8 22630円
アレ? 28000円じゃない……。
やっぱ、多少のズレはあるのね。どうせズレるなら、金額上げて欲しかったなぁ。
ダハハ……、どこまでいっても知世ちゃんったら強欲ぅ♡
よっしゃぁ!! 始まるぞぉ、ここがスタートだぁ!
こうして、この世界での私は齢20にして、1,131,500円を手にしたのだった。
「お、おい……知世。どうするつもりだ? その金……」
「ふふ……。使い道は決まってるんだぁ。ってか、圭太は買ってなかったの?」
「い、一応100円……」
「はっ! ひ、ひ、ひゃくえ~ん?」
「し、しかたないだろ! お前と共倒れなんてシャレになんないだろ!」
「にしても……100円って。クククク」
「う、うるさい!」
まぁ、たしかに圭太の判断は懸命だ。
何気なくヒョロ先輩の方を見た。
ん? 先輩?
「先輩? 買ってたんですか?」
「えぇ? な、なに?」
しげしげと馬券を眺めている先輩に声をかけると、彼は明らかにキョドった。
「も、もしかして、買ったんッスか? 先輩!」
圭太が先輩の馬券を見ようと乗り出してくる。
すると、先輩はヒラヒラと馬券を圭太の前にぶら下げた。
「へへ~。俺は、500円買ったもんねぇ」
「エエー!! 500円でも10万超えッスよ~! チキショー!! クヤシイー!!」
「ハハハ、覚悟の違いだな」
「なんッスか、それ?」
アハハハハ! おっかしい!
でも、こればっかりは、ホント分からないもんだ。
だって、これといった確信なんて何もなかったんだから……。
圭太の100円は無難な保険ってとこだろうし、先輩の500円は勇気の欠片程度。
私が36才の世界と、今の時代とでは多少貨幣価値が違うにしても、20才という年齢で一度に5000円の投資は、清水の舞台からバンジーのレベル。
しかも、初競馬だもんねぇ。
気合いが違うんだよ! 気合いが。
スロットなんか、10000円札が1000円札みたいに、ぶっ飛んでくんだから……。
それに競馬はこれっきり……。
以前の世界でも、競馬をしたのはあの一回だけだった。
「じゃあ、今日はいっちょハデにやりますか!」
「「おおぉー!!」」
“金、身体から離すなよ”と、圭太に言われ、私はリュックの中にお金を入れ、それこそトイレの中でもリュックを背負ったまましゃがんだ。
そんな感じで、それぞれが泡銭を手にし、浮足立った私達は競馬場を後にした。
競馬場から少し離れると、大きな公園が見えてきた。
ただの公園にしては、やたら人が多い。若者ばかりってわけないようで、家族連れも目立っている。
あ……この、公園。
――皆様ぁ、お待たせいたしました!
突然、スピーカーを通した声が響き渡った__。
私は、すぐにピンときた。
これだ__。
あのイベント会場はここだ!
そう思った瞬間、私は駆け出していた。
「おい! 知世、どこ行くんだよ! フラフラしてる場合じゃないだろぉ」
ったく、肝の小さい男だねぇ……。
100万、背負ってるからおとなしく帰れってかぁ?
圭太ってこんな守りの人だったかなぁ? あんなんで、よく東京行き決めたなぁ?
今思うと、すっごく不思議に感じる。
だが、私の目的はその先にある。__タカシ。
絶対、ここにいる。
どんなカタチの出会いになるのか想像もできないけれど、必ずここにいる__。
いきなり駆け出した私に追いついた圭太が、息を切らせながらブツブツ言ってるが、そんな事は気にも留めず人ごみを縫うように前に進むと、やがて目の前に野外ステージが現れた。
私は泣きそうになった。
なぜならその光景は、以前の世界そのものだったのだから__。
観客の周りでイベントスタッフがチラシを配っている。
見出しには『家族対抗歌合戦!! 豪華景品めざして歌え!!』と書いてある。
キターーー!! またまた来たー!
あの時、私達は3人でエントリーした。
歌の上手い圭太を中心に、タカシと私がハモッて、みごと優勝。
だけど、今はタカシがいない……。どうする?
「圭太……歌おう。2人で歌おう!」
「はぁ? 何言ってんだ、お前。俺、歌なんか歌えねぇよ」
「歌えるよ! 圭太は歌えるんだよ。2人で歌おう!」
「馬鹿か、お前は。俺がいつ歌ったんだよ。夢でも見たか? 景品が欲しいのか? 100万もあるんだから自分で買えよ」
「そんなんじゃない! もっともっと、いいことがあるんだよ! いいから歌おうよ。私、エントリーしてくるから。先輩! 圭太、逃がさないでくださいね!」
私はそう言い残して、スタッフのもとへ走った。
「もっと、いいこと? なんだ?」
圭太の独り言が、背中から聞こえた。
今の時点では、良い事なのかどうかはわからないけど、良いことに変えることはできる。
以前の世界で、諦めた夢。
『女の子だから』と、言い訳して、前に進むのを止めた小さな自分を変えるために、私はここに来たんだ。
この時、私は東京行きを決めていた__。
「お、おい、知世。ホントにエントリーしたのか?」
「ガチさ!」
「ガチ?」
「マジ!」
「マジ?」
「……マジさ! 『本気』と書いて、『マジ』と読む!!」
「な、なに、言ってんだ? お前」
ったくぅ……、チマチマとうるさい男だなぁ。
黙って、私について来いっての!
「で、なに歌うんだ?」
「『夏の扉』……。知ってるでしょ?」
「あ、あぁ、知ってるけど……。全部は知らないぞ」
「大丈夫。歌のリストにあったから、歌詞カードあるよ。リストなしで、ぶっつけ演奏なんてできないじゃん」
「それもそうだな……。ってか、俺、歌わきゃダメ? 先輩じゃダメ?」
「ぶぁかかぁ!! なんで、俺が歌うんじゃい!」
いきなり振られたヒョロ先輩が唸る。
「ダメだよ。圭太じゃないとダメなんだ……」
「なんだよ……。何、考えてんだよ。ってか、お前さっきから、なにキョロキョロしてんの?」
「……探しもの」
「何、探してんの?」
「内緒……。」
「アホか!」
いない……。タカシ……。
私は、内心焦っていた。
ここに来ての番狂わせ?
いや……、確かにこれといった根拠なんてない。
でも、今日の競馬新聞に“アテナジムニー”が、載っていたんだ。
それって、ピンポイントじゃないの? 配当金額は違うかったけれど……。
今まででもそうだった。
少しずつ違うところがあるにしても、同じことが起きているのは間違いないんだ。
絶対、タカシはここのどこかにいるハズなんだ。
タカシ~!
私の焦りは……祈りへと変わっていった。
「あの~、沢田さん……ですか?」
「はい、そうですが?」
スタッフジャンバーを着てキャップを被った男の人が、ヘコヘコしながら近づいて来た。
「えっと……、順番が近くなってきたらステージの横の……。えっと……あ、あそこらへんに来ててください。えっと……3番くらい前にはスタンバッてて欲しいんで……」
スタッフはステージ脇を指さして、もう一度振り向いた。
「あ、はい。わかりま……」
あ……。タ、タカシ。