三話 妖怪のご主人様
「さて、お馬鹿はいなくなったことだし……青一……この際だから青ちゃんって呼んでもいいかしら?」
「まぁ……構いませんけど」
「ありがとう……それじゃあ、ここに初めて来るのであれば、正ちゃんはわからないことだらけで戸惑っている最中でしょうね……ここの留守を任されているものとしてあなたの疑問質問に答えなくてはならないわね、なんでも答えるわ……ああ、ぬらりひょんじゃ言いにくいだろうし……私のことはそうね、【朱音】ってよんで」
「はい……朱音さん」
静かに、こちらに向きなおったぬらりひょんは、にこにこした表情から真剣な面持ちになる。
「それで、何から教えてほしいかな?」
「……ええと、そしたら……ここがどこで、何なのかを教えていただけると」
「そうね……ふつうはそうよね……ここは忌無堂、遠野の里でいうマヨイガとも桃源郷とも似たような場所……どこにでもあり、どこにもない……誰もが知っているのに誰も知らない……人の心によって作られる場所……あぁそうね、最近の流行りだとドリームランドっていうのにも近いかもね」
ぬらりひょんがクトゥルフを語る……なにやら新鮮である。
「つまり、やっぱりあなた方は妖怪なんですね? どっきりでも人形劇でもなくて」
「っまぁ、私たちはあなた達に作られた人形みたいなものだけれども……確かに私は人間じゃないよ? ぬらりひょんってもともと人みたいな姿してるから話してるとわからないと思うけれど……まぁ、手っ取り早く教えるなら、そうね、ちょっと手を出して」
「はい?」
「えい」
「!?」
ふと手を取った朱音さんは、いきなり自分の胸に手を押し当てる。
「ね?ないでしょ?」
あるっ! すごい豊満に実りに実った……て、僕は何を考えているんだ!
「……えと、何を」
「え?」
言われてふと気づく、心臓のあたりを触れているのに、なぜかその人の中から伝わってくるはずの命の音が響いていなかった。
「……そう、これが私……生命を基軸、根幹、前提条件とするあなた達とは全く違う異形の物……理解できたかしら?」
多分すごいわかりやすく言ってくれているのはわかるが、手が握っている柔らかさのせいで頭が追いついていないです。
「あ……あの、そろそろ……手を」
「あ、ごめんごめん」
解放された手は、なぜか少し震えており、自分の心臓がとてつもない速度で脈打つのが分かる。
「も~、青ちゃんったら! 顔真っ赤だよ? かわいいな~もう!」
「か、からかわないでください!」
「あはは、ごめんごめん……で、当然君がどうしてここにいるのかを知りたいよね」
「ええ」
「さっきもちょっと話をしたけれど、マヨイガって青ちゃんは知ってる?」
それならば、少しだけ聞いたことがある。
遠野物語に出てくる不思議な家のお話だ。
「確か、森に迷い込んだ先にある、無人の家……というお話ですよね?」
「ええ、存在自体が妖怪である、生きた家……それがマヨイガ……まぁ、そのやかましいバージョンがこの忌み無し荘ってわけ」
「やかましいマヨイガって……妖怪が住んでいたらマヨイガの意味がないんじゃ?」
「そうね、だからこの家は忌み無し荘って言うのよ」
「?」
「意味がないでしょ?」
駄洒落かよ。
「……はぁ、つまり、僕がここに来たのはそれじゃあ、ただの偶然ってことなんですね?」
確か、マヨイガは行こうと思って行けるものではない、幸運の持ち主のみが迷い込める……だからこそマヨイガなのだ。
「そういう事、でも、貴方にとっては偶然でも、この忌み無し荘には偶然は存在しない……貴方はこの屋敷に呼ばれたのよ」
「……呼ばれた?」
「そう、マヨイガはその場所に存在する者の主が現れた時、内に客人を招く物……だからあなたは、この場所にいる妖怪の主になるべき人間なのよ」
「はい?」
妖怪の主?
「要するに……んー、妖怪の旦那さん?」
「な……」
「なんてすばらしい?」
「なんじゃそりゃーー!?」
ありえない、妖怪という存在を認識したというだけでも頭がパンクしそうなのに、その妖怪の主になれだなんて、話がいきなりすぎるしなにより……。
「もし、僕に好きな人がいたらどうするんですか?」
「それはもう、妖怪には一夫多妻制が適用されるから」
「人間では通用しませんよね?」
「あら、じゃあ諦めるしかないわね? あ、だとしたら狐はやめた方がいいわ、嫉妬深いから……尾っぽ七つまではだめね。 それ以上じゃないと」
「呪いだ……」
まぁ、もちろん現在進行形で僕に好きな人も僕を好きな人もいないわけだが。
「そう、もはやこれの存在は呪いね、だから逆らうとと~んでもないしっぺ返しを食らうから、無理に逆らおうとしないこと、激流を制するのは静水よ?」
「……ちなみに、しっぺ返しが一番軽くなるとして?」
「きゅっとしてDIE?」
「軽くない!?」
「妖怪基準だからどうしても人間には酷よね……でも、その代わりローリスクハイリターンなのは確実よ? 死なせないようにこっちは逃がさない所存ですので」
そういうと朱音は両手を広げて不思議な踊りを始める……。
後ろで机の上の茶碗やらなにやらもカチャカチャ言っているし……どうやら諦めるほかないらしい……。
ここで逃げ帰ったら、気が付いたら家の道具全部妖怪になってました……なんてことにもなりかねない……。
「……しかし、何もかも知らない相手のしもべになるなんて……妖怪の方もたまったもんじゃないのでは?」
「なーにも嫁さん探せって言ってるわけじゃないんだし、適当に契約済ませてちゃっちゃと終わらせちゃいましょうよ」
「いやいや、だって貴方旦那さんて」
「それは、言葉のあやね……守り神みたいなものよ、マヨイガっていうのは、妖怪を守り神に昇華させる儀式でもあるの。でも、青ちゃんだってどうせなら美人さんのご主人様になりたいでしょう? そうなったら、人間じゃ満足できなくなっちゃうかもしれないよ? まぁ、思春期爆発羞恥の嵐……持てる限りの反骨精神っていうのが、青ちゃんの美徳なら、別にあの茶碗でもいいのよ? あれだけでも、そうね、億万長者ぐらいならなれるでしょう」
「いや、あれはいらない」
「予想通りの素直な反応……そういう人は大好きです!」
「からかわないでください……」
「でも、悪くはないはずよ? 守り神なんてそうそう持っている人間はいないわ……妖怪なんて人とは交わらない存在だもの……貴方が望むなら、あなたの影としてあなたが死ぬまであなたを守る……安心保障は一生涯!」
「でも……」
それでも、僕は抵抗を感じてしまう。
怖いとか、嫌いとかそういった感情はない。
ただ、あるのはただ申し訳ないという気持ちだけ。
『こんな人間』を主人にする妖怪は……きっと幸せにはなれないだろう。
きっと、僕は自分の持てない欲望や願望を……その妖怪に求めてしまう。
僕は弱くて……みっともなくて……狡い人間だから。
だから、せめて……。
「朱音さん」
「ん? なにかしら? 誰かを選ぶ気になった? そしたら今すぐ全員呼んで……異世界に迷い込んだら素敵な妖怪をしもべにしてやりたい放題無双ライフを送っちゃうかしら? チートスキルで女の子ハーレム! バラ色の学園生活―! 迫りくる敵もライバルも、妖怪の力で俺tueeeee!」
なにやら人気が出そうで出ないタイトルであるが……まぁそれは置いておこう。
「そうするしか手がないのならば……仕方ないでしょう……だけど条件があります」
「条件?」
「ええ、このマヨイガにしばらく通ってもいいですか?」
「通う?」
「時間が欲しいんです……いきなり出会った方をはいそうですかって……連れていけませんよ」
僕の言葉に、朱音さんは少し驚いたような表情を見せる。
「あらあら……真面目なのね……いえ、律儀なのかしら」
「人間だったら普通だと思いますよ」
「いいえ、貴方のその考え……妖という異形な存在に対しても敬意を忘れない……尊い人よ、貴方はとっても」
「……ありがとうございます……それで、答えは」
「もちろん、この忌み無し荘の管理を任されてるのは私。私が認めればオッケーだから、オッケー!」
「そうですか……では、これからよろしくお願いします」
「うんうん! あ、でも逃げるのはなしだからね! 逃げても追いかけていくから! 新設マヨイガの最初のお客さんを死なせるのは幸先が悪すぎるもの」
「怖い!? 逃げませんよ」
「そっかそっか! うーんでも、じっくり選ぶとなると、結構な時間が必要になるよね」
「え? あぁ……まぁそうですけれども」
「青ちゃんは、そのバックを見るに高校生?」
「え? ああはい……近くの桜花高等学校に通って……」
「せっかくの高校生活を、この忌み無し荘通いでつぶしてしまうっていうのは不幸な話だよね? 部活動も学校行事もあるし……妖選びでその時間をおろそかにするっていうのも本末転倒!」
まぁ、そんな行事を楽しめる自信も可能性もこれっぽっちもないのだが。
「だから、日常生活が終わった後で、パートナーを選ぶ方がいいと思うんだ! 確か今日引っ越してきたって言ってたよね! 場所は? 荷物は?」
「場所は、学校近くの月調荘というところで……荷物はそこにすでに段ボールが置いてあります……」
荷ほどきは帰ってから済ませるつもりだったので、私物は全て段ボールの中である。
しかし、それを聞いて一体どうするつもりなのだろう……。
そう、思案していると。
「じゃあ、そのアパートとこの忌み無し荘、つなげておいてあげるね!」
「はい?」
朱音は、そんな不思議なことを言い出す。
「ふっふーん! いったでしょう? このマヨイガはどこにでもあってどこにもない場所! この忌み無し荘の力の及ぶ範囲であれば、好きな所に入り口を作ることができるの!」
「えぇと……」
「そうすれば逃げられないし! お家に帰ってきた空き時間で妖怪たちと触れ合える! うん最高だね!」
「まじですか?」
「うんまじ!」
「あ……」
「いいのいいのお礼なんて! お姉さんになーんでも任せなさい! というわけで、部屋の準備はお姉さんがやっといてあげるから! 青ちゃんはちょちょいとお散歩でもしておいで、裏に回ればお庭があって、そこから里に出られるから! 他の妖怪たちに挨拶でもして来ちゃいなさい。 ちゃちゃっと選ぶなら呼べばすぐ来るんだろうけど、君はそういうの嫌いそうだしね」
「ええ、まぁそれはそうですが……あの、本当に」
家とここをつなげるなんてことをするのか……そう問おうとしたが。
「大丈夫大丈夫! 誰も取って食おうなんてしないから! 道案内をつけるから、のんびり楽しく回ってきなさいな!」
「えと……」
「それじゃあねー! お姉さん頑張っちゃうぞー! いってらっしゃい!」
僕が話を振ろうとすると……あかねは張り切った様子で立ち上がり、ぴしゃりとふすまを閉めて行ってしまった。
どうやら、僕の意見は全く聞かれることなく、僕の家はこの忌み無し荘の入り口となるのだろう妖の里とつながっているなんて……事故物件というレベルではない。
「……やれやれ……とりあえず、いわれた通りにするか」