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一話 忌み無し荘

「まいったな」


入道雲が近づくにつれて次第に降りだした小雨を見つめながら、僕は自分の行動に後悔をして背中を預けているクヌギの木に後頭部を軽くぶつける。


朱塗りの茶碗が走るさまを見つけた僕は、その跡をなぜか必死になって追いかけた。


その速度は速くはないように見えるのだが、まるで逃げ水のように走れど走れど追いつかない。


それでも僕は、重い荷物を持ったままその後を追いかけると……其の朱塗りの茶碗は

森の中へと入っていき、僕も迷うことなく森の中へと彷徨いこんだ。


まるで気分は不思議の国に迷い込んだ少女であり、そしてそんなくだらないことが頭をよぎったと同時に、目前にあったはずの茶碗は姿を消した。



今僕が分かることは一つ。 僕は道に迷った。



茶碗を見失った後、なんとなく見覚えのある景色に向かって歩いてみたらあら大変。


見たこともなければ帰り道も分からない状況に陥っている。


いや、そもそも自分はこの土地に初めて来たのだ……見覚えのある道などあるわけがないのだが。


なんか行ける気がすると思ってしまった自分の馬鹿さ加減にあきれつつ。


とりあえず今は、偶然見つけた細いけもの道の様な場所で雨宿りをしている最中だ。


「はぁ」


穴があったら入りたい……いや、むしろ今から自分で掘って埋まってしまおうか。


「まぁ何はともあれ……これだけ大きな木があって助かった」


クヌギの木の下……折り重なるように枝についた葉は、折り重なるように僕を守ってくれているようで、少しだけ押しつけがましい感謝を心の中でつぶやき、雨の様子を再度うかがう。




ぽつりぽつり。


【――――――――――――――――……】


小さき水滴は、次第にその大きさを増していっているようで、木の葉を叩いて音を鳴らす。


「ふむ」


雨足が強くなってきた……ゲリラ豪雨になりそうだ。


「ありがとう……世話になったよ」


傘は持っておらず、僕は雨粒で体を濡らしながらも……ここにいても埒が明かないので、前に進むことにした。


なぜだかはわからないが……なんとなくその時……呼ばれたような気がしたのだ。


ぴしゃぴしゃと、砂利の道にできた水たまりの水を弾いて僕は先へと進む。


静かな雨の音に吸い込まれたかのように、森は静寂につつまれている。


田舎とはいえ、こんな人の手が届かない、場所が存在しているなんて。


僕はそんな感動を胸に抱きつつ、僕は降りしきる雨の中を足早に進んでいく。「


けもの道の様な細い道。


歩けど歩けど森は深まるばかり……この森に入るときは、ここまで大きな森には到底見えなかったが……。


真っ直ぐ歩いているはずなのに、どうにも終わりが見えてこない。


「まるで、世界が閉じてしまっているみたいだ」


そんなくだらなくも中二病全開の恥ずかしいセリフを吐いた……。


そんなとき。


「かちり」


道の向こう……小さな何かが、僕の前を通り……同時に細い道を歩き始める。


「あっ!?」


見間違えるはずのない朱塗りの茶碗……最初は目を疑い、それが小動物なのか本当に茶碗なのかを見定めるためにこんな森まで追いかけてはきたのだが……。


最初より近くで見えたそれは、動物にしてはあまりにも無機質であり。


しかし、無機質にしてはあまりにも躍動的であった。


奇怪……珍妙、名状し難いその動物を、僕はそれが茶碗であると確信したのちも、当然のように追いかけていく。


茶碗を追い始めると、先ほどまで一本道であったけもの道は入り組み、道が分かれていく。


どこがどこにつながっているのか皆目見当もつかなかったが。


どちらにせよ僕は迷子なのだから、そんなもの気にする必要もない。


そんな呆れた開き直りを僕は見せて、そんな深い深い森の中を、朱色に光る茶碗を頼りに追いかける。


その姿はちらりちらりと消えては見え、見えたと思えばまた消えて。


まるで古びた電灯のようで……道案内には程遠い。


されども僕は、迷わず進む。


何度も通った道のように、迷うことなくかけていく。


体は軽く、心は踊る。


自分はなぜかうきうきしていた。


本来ならばうっとうしい、体を濡らす午後の雨。


それすら今は気持ちがいい。



【おかえり……おかえり】



森は百年来の友の帰還を喜ぶように、道を知らせようとその身を揺らすが。


そんなもの、必要ないし伝わらない。


ただ自分の足で……先へと一歩一歩進んでいく。


まるで……自分の家へ帰るかのような足取りで。


あれ? いま語っているのは誰なのだろう?


それすら今は、どうでもよくて、僕はとうとう森を抜けた。



「…………?」


見えたのは光ではなく闇。


物語の常套句、人間ならば本能的に光は道しるべ、闇は行き止まりのはずだが。


自分にとってその闇はとても親しく……我が身にとてもよくなじむ。 


                  ◇


「……」


闇の中にあったのは光、太陽のように透き通るような光ではなく、赤い赤い夕焼け空の、白い白いススキ野原。


「……おいおい、今七月頭……だよね」


夏の頭も頭。


森は緑々とした葉を茂らせ、空高く昇るおてんとうさまは人の肌をこんがり上手に焼く季節のはずだ。


だというのに、そこにあったのは見たことのないススキ野原




  

風はひんやりと薄着の体を撫でつけていき。


「ん?」


その風に吹かれてススキはその身を動かして、隠していた石畳を披露する。


「……私有地だったのかな……あの森」


不思議とこの奇怪な光景に驚きはすれど違和感を感ふじることはなく、的外れな疑問を頭に思い浮かべながら、まっすぐに石畳を踏みしめていく。


本当に、本当にただの偶然……そう、最初と同じように当然のように僕はその場所を見つけ出したのであった。


「なんだこりゃ」


一言目に出たのはそのセリフ……高いススキを抜け、、前方を見ると、そこにあったのは巨大な屋敷のような建物だった。


そう、あくまで屋敷の様な……建物だ。


なぜなら。


「忌み無し荘?」


入り口に大きく立てかけてある看板には、忌み無し荘とかかれ、小さくイミナシソウという振り仮名がふられている


いよいよもって、僕はおかしな世界とおかしな建物に恐怖を覚える。


「やばいな……絶対やばいやつだよ来れ」


僕はそう呟き、引き返そうと背後を見やると、風はやみ、神戸を垂れていたススキは体の姿勢を正し、返さんとばかりに来た道を覆い隠す。


「……困ったな……いや、困らないのか」


しかしどうだろう、よくよく思い返してみれば、そもそも僕は道に迷っていたのだ。


引き返したところで、結局は森から抜け出すことができずに振り出しに戻る……だ。


そう考えれば少なくとも人のいる建物がある、というのは神様の思し召しであり、迷子の子猫にお巡りさん――ん? あのおまわりさんは役に立たなかったんだっけ?――である。


僕にはもうこの家の人に帰り道を聞くほか選択肢はないのだ。


これだけ森の奥深くに居を構えているのだ……地理については申し分ないだろう。


最悪、この森から抜け出せれば目的地まではたどり着くことができる。


見ず知らずのマンションに不法侵入した子供のころ、あのドキドキを懐かしく思いながら、僕は曇りガラスの引き戸に手を触れる。


ひんやりとしたガラスから、古びてささくれだった木の枠。


僕は二三度扉を叩く。


「ごめんくださーい」


しかし、返事はない。


「ごめんくださーい」


二度目も、ついでに三度目も返事はない。


「いないのか」


僕はそうため息を一つ漏らして、何となしに引き戸を引いてみると。



まるで主の機関を喜ぶかのように、何の抵抗もなくその扉は侵入を許す。


「……おじゃましま~す……どなたかいませんか~?」


小さく、異物の侵入を中に住まう人々に伝えてみるが反応はなし。


戸を抜けた先にあるのは、まるで旅館の入り口にも似た趣のある玄関。


いつからここに居を構えていたのだろう。


天井は鶉目、左右の壁は砂刷りで、履物を収納する棚には、琥珀の飾り物に、見たこともない花で彩られた生け花が飾ってある。


小さな葵のお皿に活けられたその花たちの美しさに息を飲む。


僕の拙い言葉で表現するとしたら……力強い、という印象のみを残すほかないだろう。


本来、生け花の寿命は短い、切り取られ、枯れるまでの短い期間の美しさと、そのはかなさを楽しむための人の娯楽だ。


だが、花は千年より前にそこにいたかのような、生命の息吹を感じる。


動くことも、生きることも死ぬことも、この世の不条理も理も……その花々に触れることはかなわない。


唯々、それはそこにあるだけ……ただそのためだけに存在する。


……そんな雰囲気に僕は飲まれ、しばしの間、魂を座れるようにその花を凝視し。


「……あ~らら……満を持してと言うべきか、ようやくやっとというべきか、この場所にお客さんかしら? ここに迷い込んだ人の魂か……この場所に迷い込んだラッキーマンか……まぁどちらにせよ……ってあれ?」


何やら統一感のない話し方をする柔和な女性の声。


威厳はあるが威圧感はなく、それはまるですべてを包みこむかのように暖かい。


「……あっすみません……何度か声をかけたんですけど……僕、道に迷っちゃったんですが」


花から目を離し、振り返るとそこには絶世の美女。


歳は離れているが、それでも十分心を揺さぶられるほどの女性が、ゆっくりと家の奥からやってくる。


当然のように面識はない。


だが、なんでだろう。


その女性は、僕の姿を見て目を丸くしていた。


「………あ……あれ? 嘘……なんで?」


「えーと?」


ぽりぽりと頬を掻き、僕は少し困る。


初対面のはずなのに、その女性はまるで死人に出会ったかのようだ。


先ほどまでの饒舌ぶりが嘘のように、目の前の女性は口をパクパクさせている。


「……お……」


「お?」


しばし見つめ合った後、女性は一言そのことを絞り出し。


「おかえりいいいいいい!!」


「ええええぇ!?」


いきなり抱き着いてくる。


それはもう、ラグビー世界選手権の強豪を吹き飛ばせるほどの、殺人級の勢いで。


「う、うわあぁ!?」


間一髪。


不意打ちに近しいその組突きを、僕は自分の過去最高の反射速度により回避をすると。


「あぎゅう!?」


古く長い歴史を誇るであろう砂刷りの壁が悲鳴に近音を立ててその突進を代わりに受け止める。


「え……あ……だ、大丈夫?」


一瞬走馬燈の様なものが見えたから、恐らく回避しをしたのは間違いではなかったのだろうが……さすがに壁の壁画になった女性を放っておくのは気が引ける。


常識的に考えて。


「生きてます?」


壁画に話しかけると、耳のある場所の髪が少し揺れ。


「……ふ、ふふふ……ふふふふふ、その声、その優しさ! 間違いない! 帰ってきたのね!青一郎君!」


「!?」


今、なんて。


「みんなーーー! 青ちゃんが帰ってきたわよーー!」


ばすん……なんて音と共に、その女性は壁から自力で脱出し、大声を張り上げる。


「うるさっ」


なんだこの大声……そしてこの存在感……たとえるならそう……熊だ。


「であえであえええー!」


まるで戦国武将の様な物言いは、屋敷全体に豪と響き渡り。


『おかえりいいいいいい!』


同時にふすまや壁、天井のいたるところから現れるそれに、僕は一瞬目を見張る。



現れたるは名状し難き異形の妖。


知らぬものなど一人もおらず、されど決して交わらぬ。


「う……うわああああああああああああ!!!」


百鬼夜行が……そこにはいた。



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