プロローグ 走る茶碗
「校長……転校生を連れてまいりました」
「おおぉ、一考君お疲れ様……中に入って構わないよ」
「失礼します!!」
郷ヶ先先生に案内され、僕は中に入ると、いかにも校長室といったようなきれいな部屋が僕の目の前に飛び込んでくる。
「ようこそ……桜花高等学校へ……君が、鬼崎君だね?」
中に入ると、一人の女子生徒と、一人の小太りのメガネの男性が僕を出迎えてくれた。
小柄な体躯で、そのメガネの中の瞳はつぶらで可愛らしい印象を受ける。
「はじめまして……鬼崎正一郎です……これからよろしくお願いいたします」
「はい初めまして。 私は助森 平……この桜花高等学校の校長をやっているものです……そして、隣にいるのが」
「副生徒会長の渡辺 奈綱です……」
なぜ、ここに副生徒会長がいるのかは少しばかり気になったが、僕は何も言わずに、会釈をして挨拶をすます。
「ああ、緊張しなくていいよ……今日は特別何かをするってわけじゃないから……これからこの桜花高等学校に転入するにあたって、色々書類にサインをもらいたいんだ……一応これも契約だからねぇ……」
「分かりました」
「資料はこちらです……理解したら、サインを……ペンはこちらに」
「ありがとうございます」
そう高そうなペンを安部と名乗った少女は胸ポケットから取り出し、僕に手渡し。
それを受取ろうとして……僕は副会長と目が合う。
瞬間。
「………………貴方」
一瞬、副会長は僕のことをにらみつける……。
あぁ……またこの目だ。
人に嫌われる人生を、僕は歩み続けてきた。
理由はわからない、だけど、きっと父も母も死んでしまったその日から……僕は忌み嫌われるようになってしまったのだ。
始めは仲良くしてくれた友達も……親身になってくれていたはずの先生も……みんなみんな、決まってこういう目で僕を見る。
まるで、醜悪なものを見る様な……そんな目で。
「何か……」
僕はそう、にらみつけてくる副生徒会長に問いかけると……彼女は少し考えるそぶりを見せた後。
「いいえ、何でもないです……すみません……では、これから校則、この桜花高等学校の教育方針等の説明に入りますので、少し長くなりますがよろしいでしょうか?」
そう話を続け、僕はその言葉に首を縦に振ったのであった。
◇
午後……三時。
「あー……終わった」
「おう、お疲れさん」
転入のための手続きは思ったよりも時間を要し、僕は時計を見て一つため息を漏らす。
「あの副会長……わざわざ校則一から読んで説明しなくてもいいと思うんですけど」
僕はそう、一番時間のかかった副生徒会長の校則や教育方針に関する説明に対して愚痴を一つもらすと。
「はっはっは! そういってやるな、彼女も彼女なりに真面目に頑張っているんだ! まぁ、俺も校則を全部読むとは思っていなかったから驚いたがな!」
「……ここの学校の転入生はいつもこんな洗礼を受けるんですか?」
「いや? いつもはもっと簡素だ……校長の手伝いはいつも生徒会長が行うからな……今日は用事で出かけているから、たまたま副会長が呼ばれたというわけだ……運がなかったな」
「なるほどです……はぁ……前途多難」
「まぁ、生徒会長がいつも行っている仕事を与えられて、伊綱君も緊張していたのさ! この俺に免じて許してやってくれ!! 愚直な真っ直ぐさもまた青春だ!」
「あぁ、はい……わかりました……とりあえずは、今日はこれで帰ってもいい……ということで大丈夫ですね」
「おお、それでいいぞ! 教科書はすでに渡してあるだろうし、制服も時間割もきちんと中に入っている……転校初日だからって、忘れ物の言い訳はできないから気をつけろよ?」
「……わかりました、心得ておきます」
「分かればよろしい!! さて、そうなれば後は帰るだけだが……今日来たばかりということはお前さん荷造りとかはまだ済んでいないのか?」
「ええ……部屋は近くのアパートを契約済みで……あらかじめ住めるようにはしてあるんで……」
「そうかそうか……今日は疲れただろう? 送っていくぞ?」
「いいえ、遅刻したらことです……今日は、家から学校までの道のりと大体の時間を把握したいんで……歩いて帰ります」
「……そうか、偉いんだな、鬼崎は」
「いえ、そんなことは」
「一人暮らし……他の子たちとは違い、一人で生活するのはさみしいことだ……孤独は時に人を間違った方向へ進ませることもある……。 だから、何かあったら俺に連絡をするんだ、いいな? これが俺のアドレスだ! どんな些細なことでも構わない! 何かあったら連絡してくれ! 全速力でお前の所までかけていくからな! じゃあな!」
ありがとうございます……。
そういい終わるよりも先に、郷ヶ先一考先生は、僕にスマートフォンのメールアドレスを僕に渡すと、走って校舎へと戻っていった。
……いい先生だ。
僕は心の中でそうつぶやき、あの先生にいつの日か……またあんな目で見られる日が来るのかと思うと、いつものことながら僕の心の中に少しばかり暗い影が差しこんでくる。
「さて……帰りますか」
考えない様にしよう……考えるだけ、辛いことだから。
僕はそう一人つぶやいて荷物を持ちなおし、新しい住まいであるボロボロのアパートを目指そうと校門を出ると……。
からりん……からりん。
そう、聞いたことのないような乾いた音が響き渡る。
「……ん?」
周りには誰もおらず、その音はきっと僕にしか聞こえていない。
そんな不思議な音が僕はその時どうしても気になってしまい……ふと視線を落として音の主を探すと、意外とその主は簡単に見つかり……そしてその主は、怪異であった。
「なんじゃ……ありゃぁ」
夏の近づく真昼間、近くに見える入道雲は次第にこちらへ近づいてくる。
風はなく蒸し暑く……耳をすませば遠くから響く蝉の泣き声が聞こえてくる。
どこにでもある現実世界の夏の風景。
そんな世界のアスファルトの上を……。
「からりんからりんからからりん」
その日。
朱塗りの茶碗がひとつ、何かに追われるように走り抜けていく姿を……僕は目撃した。