十三話 悲しい記憶と優しい手
「つ、つかれたー……」
食事を終え部屋に戻ると同時に僕はそのまま布団を敷いて倒れこむ。
今日一日の出来事をさらっと思い返しても、随分と濃い内容の一日だったことが分かる。
時計を見てみると時刻は夜の十時であり、いつもであれば眠気など感じることもなく、下手をすれば外を徘徊している時間帯であったが。
倒れこむと同時に僕は強烈な睡魔に襲われる。
「……あぁ、だめだ……明日から学校なのに……」
制服も、教科書も時間割も何も用意をしていない……。
それどころか自分の家から学校までのルートも満足に把握していない始末だ……。
まぁ最悪、学校までのルートは携帯を使用すれば道に迷うことは……。
「あぁ……携帯の充電……」
そういえば昼頃から携帯電話の充電が切れているのを忘れていた。
こんな夜でも暗くなく当然のように電気がついているため、—―仕組みはよくわからないが――電気が通っているのは確実なわけであるが……。
僕は最後の力を振り絞って周りを見てみるが、コンセントの様なものは見当たらない。
そうなると、あの押し入れをくぐって現実世界の僕の家まで戻らなければならない……。
ならないのだが……。
「あぁ……もう無理」
やることはたくさんあれど、睡魔はそのすべてを上塗りして僕の四肢を萎えさせる……。
「これが……妖怪オフトゥンか……」
誰もいないことをいいことにそんなくだらないことを一言漏らし、僕はそのまま重くなった瞼を閉じる…………。
瞼を閉じると、体は無駄な抵抗をやめ、全身が軽くなっていく感覚と共に……僕はゆっくりと、意識が遠のいていく……。
ふと、誰かが僕の名前を呼ぶような声が聞こえた気がしたが……僕は目を覚ますことはしなかった。
◇
珍しい夢を見た。
ぽつぽつと雨が降る曇天の空。
まだ昼なのに、夜みたいに真っ暗なそんな日に……僕はお父さんとお母さんのお葬式に出席をした。
沢山の人が集まったその会場には、沢山のお花と、お父さんとお母さんの少し古ぼけたような写真が飾られていて、僕はその時……もう二度と二人には会えないのだと分かってしまった。
「交通事故……だったんですってね」
ぽつりと誰かがつぶやいた。
みんなが黒い服を着て、立ち話をしている中、僕は車いすに座ったまま……その人の話を聞いていた。
「飲酒運転のトラックに追突されて二人とも即死だったらしいわ……」
「たまたま、青一郎君だけ外に投げ出されて助かったんですって」
「どうするの? 誰が面倒見る?」
「私、子供が今年受験だから……面倒みられないわ、あなたが面倒みなさいよ、よくしてもらってたでしょう?」
「ちょっとやめてよ……うちだって……」
聞こえていたよ。
「おい……青一郎君が聞いてるんだぞ……そういう話は」
「まだ小さいから分かりっこないわよ」
分かっていたよ……。
僕は、誰かの家の子になることも……そして僕が、まったく望まれていない厄介者になるのだということも。
「可愛そうに……ご両親も、青一郎君も……これからどうするのかしらね」
お父さんとお母さんの死を……僕のこれからを軽薄に語る大人たち。
あの時、僕は聞きたくなくて耳をふさごうとしたが……包帯でぐるぐる巻きになっていた僕の腕は……いうことを聞かなかった。
分かっていたよ……聞こえていたよ……。
大人たちが想像しているよりも大人の言葉は……子供にしっかりと伝わっていたよ。
僕は、もう誰からも期待されず……必要とされず……愛されない。
それはきっと、この世界では死んでいるのと似通っていて。
あぁ、きっとその日から僕は。
人としての、意味を失ったのだ。
【悲しいね……悲しいね】
いつもなら、その夢はそこで終わるはずだった……だが、今日は違った。
「え?」
【苦しいね、意味がないのは悲しいね……】
黒い影が、ゆっくりと僕へ……車いすに座る小さな僕へと這い寄ってくる。
車いすに座る僕は動けない……腕も使えない……歩くこともできなければ身動きを取ることもできない。
「ひっ……」
小さく悲鳴をあげ、助けを求めようとするが……声が出ない……いや、声は出せるが、自分から声を押し込めてしまう。
【一体誰が……助けてくれるの? 一体誰が、手を取ってくれるの?】
影は笑う……その事実を、僕の現実を悲しいねと笑う。
そのはさみは近づいてきており、軽薄に笑う大人たちは気にすることなく僕が切り刻まれるのを見つめている。
【ダカラ……死ンジャオウ?】
振り上げられるはさみはさび付いているが、刺されれば僕は死んでしまうということは理解できた。
「……だれか……」
誰か……助けて……。
それは、この悪夢からなのか……僕の現実からなのかはわからない……。
だけど。
その時確かに、僕の包帯でぐるぐる巻きの腕を……誰かが握った。
◇
「はぁ……はぁ……はぁ……」
手を握られた感触はそのままに……僕は悪夢から生還する。
目を覚ますとそこは変わらず忌み無し荘であり……お葬式会場も、嫌な大人たちも、そんな影たちは姿を消していた。
しかし……リアルであった音や、匂いは、まだ脳裏に鮮明に焼き付いており、まだその状況にいるかのような錯覚を覚えている。
だからだろう、僕の手を握り、心配そうに僕を見つめる一人の少女に気付くのが遅くなってしまったのは。
「……大丈夫かしら? 青一郎」
「椿?」
手を握っていた少女の方を見ると、そこには僕の眠る隣に正座をし、そっと手を握ってくれている……椿の姿があった。
「えと……これは」
「勝手に男の子の部屋に入ったことは謝るわ……ただ、たまたまあなたの部屋の前を通ったら、すごい苦しそうに眠っているものだから……手を握っていてあげたのよ。夢とは魂が見る記憶の旅……声をかけ不安定な魂を揺さぶることは悪いことであっても、手を取るだけなら少しでも悪夢を和らげることができるから……あぁ、ちなみに断っておくと、枕を返したりなんかしてないからね?」
「ええ、これを見て、疑う人なんていませんよ……ありがとうございます、椿」
「どういたしまして青一郎、よかったわ、枕返しなんかと間違えられたら屈辱で片方の角を折るところだったわ……」
微笑む椿は冗談めかしてそういいお、起き上がろうとする僕をゆっくりと助け起こしてくれる……その笑顔は、悪夢の後にはいい精神安定剤であり、僕は一呼吸を置いて椿の方に向き直る。
暖かいその手は……まだ握ったまま。
「……起きて大丈夫? 一応、体に異常はなかったみたいだけど」
「ええ、少し悪い夢を見ただけです」
「夢ね……どんな夢だったかは聞かないけれど、でもあまりいい夢じゃなかったのはわかるわ
「そうですね、昔の悲しい夢にスプラッターホラーを足した……最悪な作品でした」
「ごめんなさい……きっと妖怪の里なんてところに連れてきたから、悪い夢なんて見てしまったのね」
椿はそう、手を握ったまま申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べる。
「そんな、ここに残りたいといったのは僕ですし、それに……椿が助けてくれた」
「助けるだなんて……手を握っていただけよ」
「ええ、それでも……嬉しかったから」
「……別にあなたの為にやったわけじゃないわ……お仕事の為なんだからね」
「とってつけたようなツンデレですね」
照れたのか、椿はそういうと、そっと手を離す。
少し不思議な鬼であるが……それでも優しい人であることは、十分すぎるほど伝わった。
「さて……もう悪夢は見ないと思うけれども」
「少し……不安です。 まだ、あの夢の感覚が体から抜けなくて」
自分でも、女の子相手に恥ずかしいことを言っている自覚はある。
怖い夢を見たから、もう少し一緒にいてだなんて……子供のころ母親によく言っていたセリフだ……。
それを、見た目が同い年くらいの、女の子に頼むなんて、どうかしていると引かれてもしょうがない発言である。
だが……目が覚めて、こうして椿と数度会話を交わしたというのに。
あの場所の匂い……あの場所での映像……聞こえたものが、まるでついさっきまでそこにいたかのように鮮明に頭の中に残っている。
特に、巨大なはさみが目の前に迫った時の、強い錆の匂いが……まだ記憶から消えないのだ。
そしてそのせいか……先ほどまで恐ろしいほど僕を襲い続けていた睡魔は、まるで嘘かのようになりをひそめているというのも原因の一つだ。
本当であれば、恐ろしいほど情けない僕の発言だったが。
「じゃあ……貴方が落ち着くまで……お話でもしましょうか」
椿は、そんな僕の発言に失望するわけでも呆れるわけでもなく……そう静かに微笑んでくれるのであった。
「灯りは……つけなくてもいいわよね……」
「ええ、暗いままで……うっすらとだけど、椿の顔も見えるから」
くすりと笑みを漏らして椿は僕へと向き直る。
僕も胡坐をかいて、椿と向きあい、成れない夜の会話というものを始めるのであった。
「さて、夜で二人きりというのだから、二人の若者らしく日本の高校生文化に倣って猥談をするのもいいのだけれども……」
そんな文化はない……と、突っ込みを入れるべきか否かを僕は少し悩んだが、実際まともな高校生活を送ったことのない僕には、それを否定するだけの経験が存在しなかった。
「こちらに来たばかりで色々と聞きたいこともあると思うから、猥談は残念ながら後回しにしようと思うわ」
「そうですね、僕としてもそちらの方が助かります」
「猥談は今度にしましょう」
「猥談にこだわりますね……したかったんですか?」
「……そんなことないんだからね」(裏声)
したかったんだ!?
「ま、まぁそれじゃあ……次の機会にいうことで」
「そうね……この妖怪の里の主、鬼の椿が貴方の質問になんでも答えるわ。
始めてのお客さんということだから、私以外の妖怪のスリーサイズは全て教えてあげるわよ」
わぁ、この鬼げすい。
「そう、ですか……まぁとりあえずは置いておいて、さっそく質問なんですけれども」
「ええどうぞ」
「……この忌み無し荘は、なんで作ったんですか?」