十話 鬼・椿
黒き着物は闇より深く……たたずむ姿は花のよう。
闇より深き黒髪揺らし、微笑む双眸妖しく光る。
その額には角二つ。
僕は思わず息を飲む。
「……えと」
「くすくす、そう緊張する必要はないわ、食べたりなんてしないから、安心して頂戴な」
恐らく、この黒い角の生えた黒い和服の少女が……この妖怪の里の主なのだろう。
おっとりとしかし堂々とした話し方をするその少女に僕は気圧され、言葉が出なくなる。
「それで、今日はどういった要件かしら? マヨイガに来た人間を私のもとに連れてくるなんて話はなかったわよねぇ?」
「まぁそうなんだけどねぇ……」
「ふむ……貴方がそう口ごもるときはたいてい碌なことにはならないけれどもまぁいいわ……立ち話もなんですし……ゆるりとお話ができるようにしましょうか」
そういうと、目前の少女は一つ両手を叩く。
ポン……という乾いた音と共に。
月夜に照らされ美しく輝きを放つ竹林は姿を消し、一瞬の闇が生まれた次の瞬間……そこは一つの部屋へと姿を変える。
ソファーが二つ用意され、その中央には黒いテーブル。
そして部屋の奥には立派なつくりの机とイスがあり、少女はいつの間にかその椅子に座って不敵な笑みを零している。
「どう? 少しは話しやすい環境になったんじゃない? さ、遠慮なく座って」
この異常な光景の変化に慌てふためかなくなっている自分に少し感心をしつつ、僕は朱音さんと共に言われるがままソファに腰を掛け、あたりを見回す。
近しいイメージとしては小さな探偵事務所。
特に悩み事や解決してほしい出来事などはないが……。
「さて……早速だけどどうしてここに人間さんを連れてきたのかしら? 朱音」
何か理由があるんでしょう? と椿はつづけ、朱音に問うと、朱音は少しだけ間を置いて。
「それは、青ちゃんがこの忌み無し荘にしばらく住むことになったからだよ、椿」
「……住まう? この忌み無し荘に人が?」
一瞬、いぶかし気な表情を浮かべる椿と呼ばれた少女……。
そして、僕を一瞥すると。
「許すことは出来ないわね」
そう厳しい口調でそう言った。
「なぜ?」
「なぜも何も……ここは妖の里、そんな里に人を置くことは認められないわ? 人は人、妖は妖で生きる世界が異なるの……」
「だけど、マヨイガはそれ以前に人を幸せにする義務がある……青ちゃんは連れて帰る妖を選びたいといったわ? それを叶えずしてどうして人が幸せになるのかな?」
「それは、貴方がマヨイガという怪異を歪めたからでしょう? マヨイガは妖も人もいないはずの場所……彼だって、何も知らなければ、妖を選ぶなんてことにはならなかった……それをあなたがしゃしゃり出たせいで、そのような結果になったのでしょう?」
「み、見てたの?」
「だいたいわかるわ……一体何年の付き合いだと思うの?」
「あぐっ……うぅ」
善戦はしたようだが、ここの里の主というだけあり、相手の方が一枚上手らしく。
朱音は悔しそうな表情をしてうめき声をあげるが、それ以上言葉は続かなかった。
僕としては勝手に呼び出されて、いきなり妖怪の主になれだなんて言われてたまったものではないが……。
「かくなるうえは力づくで……」
このままでは確実に異形の物による名状し難きキャットファイトが執り行われ、この狭い部屋ではまず間違いなく巻き添え被害を食うことになることは目に見えていた。
「ちょっと、朱音さん……落ち着いて」
僕はそう腕を伸ばし、朱音さんを止める……。
と。
「……」
その伸ばした僕の腕を、椿さんはそっと取る。
「……え? えと」
「貴方……これは一体どこで?」
そういい、椿は僕の腕を指さし問うてくる。
一瞬意味が分からずに、僕は指の刺された部分に視線を移すと、そこにあるのは一つの小さな黒い痣……。
服のそでに隠れたそれは、特に痛みがあるわけでも腫れ上がっているわけでもない。
その形は歪であり、なんだか文様にも見えなくもない。
「……あれ? なんだろうこれ……どこかでぶつけたんですかね?」
「うわっ、本当だ―、痛そう―!?」
そういえば、妖に囲まれて気絶したときに腕をぶつけたような気もする。
「そう……わからないのね」
「あの、これが何か?」
意味深長な発言と表情をする椿に、僕はそう首をかしげて問うと。
「いえ、朱音がまたへまをして怪我をせてしまったのではないかと不安になってね」
「ちょっと~! 失礼じゃないですか椿!」
まぁ、十中八九朱音さんが原因なのだが、はっきりとした証拠もないのでそのまま黙っておくことにする。
「痛む?」
心配をしてくれているのか、椿は痣のことを気にするように少し手でなぞる。
しかし、いたみはない。
「いえ……特に痛みは大丈夫です」
「そう……ならよかった」
椿は手を放すとまたイスに腰を掛ける。
難しい顔は相変わらずであり、何かを考える様に眉をひそめると。
「やっぱり……気が変わったわ」
椿はそうつぶやいた。
「気が変わったって?」
「貴方の忌み無しの里の滞在を認めることにするわ」
「ありゃ? こりゃまたどういう風の吹き回しなのかな? 椿ちゃん」
不思議そうに首をかしげる朱音に対し、椿は苦笑を漏らし。
「ただ単に気が代わっただけよ……妖怪っていうものは気まぐれなもの……そうでしょう?」
「だからって、少しばかり急すぎやしないかね?」
「そうね、じゃあ正直に白状をするわ。 さっきはああは言ったけれども、少しばかり人間の協力者を欲しいと思ってもいたの」
「人間の協力者?」
「そう、滞在するのは本当は反対よ? でも、そうね……私の仕事のお手伝いをしてくれるならば、その期間だけなら……滞在を認めるわ、ギブアンドテイク、働かざる住むべからずってね」
ウインクをしてそう語る椿だが。
「仕事って……妖怪相手に何かしろって言われても、僕は一般人ですよ?」
「大丈夫よ……無茶はさせないわ。 人間がもろく弱いものだってのも重々承知している……だけど、妖怪にはできないけれども、人間ならば簡単にできる、そういうものもあるのは事実でしょう?」
「なるほど……まぁどちらにせよ、手伝わないと見ず知らずの妖怪を押し付けられるってことですよね」
「そういう事ね……身の安全に、普通の生活は保障するわ」
どうやら、妖怪大戦争に巻き込まれたり、式神や魔法の力を使って妖怪と殴り合いをするという最悪の結果は免れたようだ。
妖怪の労働……という言葉に一抹の不安が残り続けはするが……僕はそれしか方法がないのならと諦めて条件を飲むことにする。
「分かりました……お手柔らかにお願いしますよ」
思えば、こんなつながりでも……誰かとこうして確かにつながれたのは久しぶりだから。
「契約成立ね……これからよろしくね……そういえば自己紹介がまだだったわね」
僕のその返事に満足したのか、椿は少し嬉しそうに妖しく微笑み。
「私は椿……ろくでもない嫌われ者の鬼の妖よ」
「青一郎です……鬼崎青一郎」
「よろしくね、青一郎……仕事内容は追って連絡するわ……部屋の準備は? 朱音」
「へ? ああ、うちの子たちにやらせちゃってるけど、多分もう終わってるはずだよ」
「分かってるとは思うけど、一番いい部屋に通しなさいよ?」
「言われなくても……椿の間、そこに通せば問題ないでしょう?」
「あぁ、あそこなら文句はないわ……」
「何せこの里の主の名前を冠する部屋だからねぇ」
「ええ、どこに出しても恥ずかしくないわ」
「出すんじゃなくてはいるんだけどね……というか反対してた割には随分とノリノリだね」
「一度住むとなった以上は、最高のもてなしをするのが当然でしょう? この里の主として恥は掻きたくない物」
「まるで嬉しいみたいに見えなくもないけれども」
「そんなことはないわ、当然の事よ」
「そういうもの?」
「そういうものよ」
「まぁならそういう事にしておきましょうか……また気が変わられても大変だし」
「ええ、そうして頂戴……くれぐれもお客人に失礼のないように……私は少し眠るとするわ……」
椿は話は終わりといわんばかりに一つ手を叩くと、そこにあった書類や本がひとりでに本棚に戻っていき、背後にあった扉が開く。
それは、竹林の入り口にあった大きな黒い扉であり、外には忌無荘の景色が映し出されてい
る。
「頼んでおいてあれだけど、本当にいいのね椿?」
「鬼に二言はないわ……その代わり、仕事のお手伝いが終わるまでだからね? それまでにしっかり選んでおいてね、青一郎」
「分かってます……ありがとう……椿」
僕はそう微笑み、朱音の後に続いて外にでる。
大きな重い扉はゆっくりと閉じていき、椿は扉が閉まり切るまで、僕に笑顔で手を振ってくれていた……。
「なんとかなったね」
扉が閉まると同時に、大きく息をついて朱音はそうはにかむ。
「一時はどうなることかと思いましたけれどね……でも、本当に急にどうしたんでしょう?」
「……何か、痣を気にしてましたけど」
「この手の痣ねぇ……すっごい痛そうない青あざだけど……本当にただの痣っぽいけどねぇ」
「う~ん?」
首をかしげて朱音はそういい、僕も一緒に首をひねる。
しかし、こればかりはどうやらどれだけ考えても答えは出なさそうだ。
「まぁ、とりあえずここに住む許可はもらったんだし! これで晴れて忌無荘の住人だ。ね!」
「まぁ、何もかもがいきなりですけれども……よろしくお願いします。 朱音さん」
「こちらこそよろしくね……青ちゃん」
こうして、僕の忌無荘での新しい生活が始まるのであった。