九話 運命の夜
「結局、妖怪の里にはいけなんだな」
気が付くと空は茜色から薄い藍色へと変化をはじめ、空を見上げると息を飲むほど美しい三日月が僕を見つめていた。
「……そろそろ帰らないと」
お化けススキの気まぐれに付き合う事丸半日、当初の目的であった妖怪の里へたどり着くことはままならず、僕は気まぐれなススキのお化けにため息をつきながらも、珠音の忠告通り、遅くなりすぎる前に忌無荘に帰ることに決める。
僕は一応ため息を漏らしたはずなのだが、どこか少し誇らしげに身を揺らすススキ野原たち……確かに、龍神の言っていたように気まぐれな妖怪な用であり、僕はそんなススキ野原たちにまた一つため息をついて忌み無し荘へともどる。
「あっ……おかえりー青ちゃん」
基本優しいという言葉は本当のようで、ススキ野原は気まぐれに僕を道に迷わせる……なんて意地の悪いことはせず、帰りは真っ直ぐ僕を忌み無し荘へと送り届けてくれる。
忌み無し荘に戻ると、そこにはぬらりひょんの朱音が立っており、僕を暖かく出迎えてくれた。
ずっと外で帰りを待っていてくれたのか、僕に気が付くと安心したような表情を朱音は見せ、僕はそんな朱音のもとに少し小走りで走っていく。
「ただいま……朱音さん。 すみません、待たせちゃって」
「いやいやー、私こうやって誰かを待つのが大好きでねぇ……あぁ、無事にここと青ちゃんの家、つなげておいたから、後で紹介するね」
そう言うと朱音さんは僕に微笑みかけたあと、まるで自分の事かのように緊張した表情になり。
「じゃあ、いきなりだけど、最後にこの里の長に会いに行きましょうか」
そう言った。
「おさ?」
「そう、忌み無し荘の管理人は私だけどね、この妖怪の住む里にもきちんと一番偉い人がいてね、今からその人に、これから青一郎が住みますって報告をしないと」
「というか許可を取らないうちに、僕の家とここつなげたんですか!? 大丈夫なんですかそれ」
「ん~……だめなんじゃない?」
「ダメって!?」
朱音さんの今更ながらの飛んでも発言に、僕は少しばかり驚愕をして声を荒げようとするが。
「まぁまぁ、とりあえずあいさつに行きましょう? 大丈夫よきっと……ね?」
朱音さんは特に悪びれる様子も、まさか僕がここに滞在が続けられないなどとつゆも思わないといった表情で僕の手を掴み、そうして僕を忌み無し荘の部屋の奥へと手を引き連れていくのであった。
「ほらこっちこっち」
ぬらりひょんの朱音に手を引かれ、僕はマヨイガの長い廊下を歩いていく。
玄関を上がり廊下に出るとそこは何も変わらない日本家屋であるが、数歩歩けばその違和感に、ここがこの世の場所ではないということを理解する。
「というよりも、妖怪の長がこの家の中にいるなら、先に挨拶を済ませちゃった方がよかったのでは?」
「んー、そういわれればそうなんだけれども、ほら、つなげちゃってからの方がオーケー貰いやすそうじゃない?」
「確信犯だったのか……」
なるほど、僕をさっさと妖怪の里に行くように追い出したのは、つなげている最中に長という妖怪の目に触れてしまわないようにか……。
僕はそんなちゃっかりしている朱音さんにため息を漏らし、もはやここまで既成事実を作られてはどうしようもないと、観念して忌み無し荘の奥へと歩いていく。
少し歩くだけで、その異常な世界に僕は気が付いてしまう。
どの部屋の襖も、なぜか少しだけ開いているこの忌み無し荘。
畳の部屋を覗けば、その隙間から見えるのは食事前だろうか?
並べられた美しい黒と朱塗りの碗が並んでおり。
また、囲炉裏のある部屋を覗くと、誰かがお湯を沸かしているのか、見事な鉄瓶が今にも噴き出しそうなほど沸き立っている。
だが当然、人の気配も人がいた形跡もここにはない。
誰かがいるはずの状況でありながら、生き物の息吹がない不気味で不思議な空間。
この忌無堂というマヨイガは、そういうものであった。
「あそこに並んでいる物も全部、妖怪なんですか?」
何個かの襖を覗いたのち、僕はそう朱音さんに問うと。
「ええそうよ……みんなねぇ……あの手この手で、人に拾ってもらおうと必死なのよ……まぁ、彼らの望み通りにセッティングをするのは、いつも私とツクモの仕事なんだけれどもね……」
「? それって……」
「さぁ、ついたわよ」
僕がその理由を問うよりも早く目的地に到着をしてしまったようで、僕の疑問は朱音さんの少し緊張したような声に塗りつぶされる。
忌み無し荘の奥、その最後の襖を開けた先に現れたのは、大きな黒塗りの扉。
漆なのか、それとも別の物なのか、独特な色味と文様が浮き立つそれは、もはや扉というよりは門という言葉がよく似合い。
その不思議な光景によって……僕は改めてここが人の世界とは全く異なる世界なのだと理解する。
それほど、妖しく……それほど美しい。
そんな感想を持たせる扉であった。
「どう? すごいでしょ」
扉に呆ける僕に対して、朱音さんは少しはにかんでそう問い、僕は呆けたままうなずく。
「じゃあ、あけるよー」
そう、はにかみながら朱音はその黒い観音開きの扉を引いて開ける。
重厚そうで、とても人一人では到底開けられなさそうな見た目の扉であったが、朱音は特に力を入れる様子もなく涼しい顔で平然と扉を開ける。
【オオオ―――ン……】
重苦しい大げさな声を上げながら扉はゆっくりと開き……そしてその先の風景を僕たちに披露する。
そこにあったのは……。
「は??」
そこにあったのは、竹林であった。
「な……ななな」
場違いなんてなんのその、竹林は新たな客人をもてなすかのように身を揺らす。
「ふふっ家の中に竹林……なんて人間の世界ではおかしな話でしょう? でもね、この忌無堂とはそういうものなんだよ」
「……はぁ」
おおよそ納得できるものではなかったが、僕はそういうもの……として無理やり飲み込み、朱音さんに続くように竹林の中へと足を踏み入れる。
威風堂々とその場にある竹林……そして、中に入り、黒い扉を閉めると……そこはまるで月明かりに照らされた夜の竹林。
どこから光が漏れているのか、はたまた本当に月光なのか。
とにかくここにある竹たちは、その光を浴び、色鮮やかに輝いていた。
竹取りの翁見つけたる光る竹。
その光景を実際に見せつけられるような感覚に、僕は目を奪われる。
されど、光る竹一つにあらず。
一本光るその竹が魅力的ならば、この竹林の美しさはまさに蠱惑的。
どんな世界の神秘でさえも、この光にはかなうまい。
「……綺麗ですね」
唯々口からはその言葉しか漏れ出さず。
「そうね、今日は迷いの竹林の気分みたい」
「気分?」
朱音さんの言い回しに僕は少しばかり首をかしげるが、朱音さんはそれ以上続けることなく
歩みを少し遅くし、気が付けば僕が朱音さんの少し前を歩く形になっていた。
広大な空間に所せましと生える竹……しかし、差し込む月明かりを竹が反射し、足を取られることなく進む……。
道案内はない……しかし、竹林は僕たちに道を開くように、僕は何かに誘われるように……もくもくと目的地へと向かっていく。
この先に何があるのか?
この闇と光の先にあるのは何なのだろう……もしかしたら僕は、この竹の妖の口の中に……飛び込んでしまっただけなのかもしれない……。
だけどなぜだろう……。
それでもいいと……僕は思えてしまうのだ。
そんな風に、竹林を歩いていくと……。
…………ィィン。
一つ……小さな鈴の音が響く。
どこにでもありそうで……どこか異質。
しかし、いつまでも聞いていたくなる……凛とした音色。
当然僕は、その音の方向へと振り返る。
この時僕は一つ思う。
この音に振り返るのは……ただ単に、音に反応しただけなのか?
それとも。
ただ単に、懐かしかっただけなのか?
「良い夜ね……人間さん」
そして……僕は運命に出会う。
◇