ここは阿修羅
保健所と仲良しな猫が私
噛み捨てられたガムがタイルのところどころに張り付いている。踏み固められたガムは黒く変色し、その模様は均整に敷き詰められた色鮮やかな歩道には似合わない。これを前衛的だとか、アートだとか言われてもピンと来ないことだろう。
夏の訪れを感じさせる日差しは容赦なく僕の肌を照りつける。もう、うっすら茶色くなってきた肌は衣服に覆われた部分と比較すると鮮明に見えた。
蝉の声がBGMとなって頭の中を無限にリピートしてる。鬱陶しくても僕に音楽を止める力はない。
駅に乗って地元に戻っても声が変わるだけで鳴り止むことはないだろう。夏のキラーチューンは僕を捕らえて離さない。
遠い昔、街中に映画館が建っていた。娯楽の少ない時代の主役は間違いなく映画であった。人々は新作映画が公開されると、一目散に映画館に向かう。そんな時代が確かに存在した。しかし、今はどうだろう。恥ずかしながら日本の映画の多くは映画そのものではなく出演するアイドル、俳優ありきなものばかりだ。演技力のない俳優が、馬鹿にでも分かる恋愛物語を演じる。ありきたりなお涙頂戴な展開、それをぶち壊す下手くそな演技。はっきり言って邦画は死んだ。一方、洋画はというと、これは毎年面白いものが出てきたりする。しかし、今どきの若者の洋画離れにより、客足は遠のく一方だ。
僕は映画が好きだ。毎月新作が公開されるたびに映画館に足を運ぶ。DVDで見る人が増えても、僕はやっぱり映画館で観る。チケットを買い、ポップコーンとコークを持って薄暗い中、チケットの席番号を頼りに座席を探し、座って、待つ。この一連の流れは子ども頃に体験した時の興奮そのままであった。
予告や、劇場案内、宣伝。これらも欠かせない要素である。深々と椅子に腰掛けて、ポップコーンを貪りながら観る映画というものは実に素晴らしいことだ。それも巨大なスクリーンに一流の音響で、だ。
週に1度は必ず映画館に行くようにしている。浪費は増える一方だが、そんなことは大きな問題ではない。
今日は、その日だ。
もうこの街に映画館はここしかない。
『シネマロビンソン』
赤青緑のライトの文字は、その古びた外装と合わさって時代から取り残されたような気分にさせる。チケット売り場で「学生1枚」と告げ、千円札を渡し、チケットを受け取る。
売店でポップコーンとコークを買う。ケース一杯のポップコーンを掬い上げる様は職人のように見えた。
薄暗い館内で時計を確認する。
上映までまだ30分近くある。どこかで時間を潰してもいいが、下手に出るのも面倒くさい。僕は煙草取り出し、咥え、火をつけた。
17時更新 ごごご